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媚薬の4日間 — Miles at the Fillmore bootleg vol.3 [音楽]

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マイルス・デイヴィスの Bootleg Series の vol.3《Miles at the Fillmore》はニューヨークのフィルモア・イーストにおける1970年6月17日から20日までの4日間のライヴの記録である。

フィルモアはもともと、LP2枚の分量に編集されて出されていたアルバム《Miles Davis at Fillmore》(1970) であるが、このBootlegでは4日間の演奏全部が収録されているとのことである。未収録の部分がブートとしてこれまでにも流通していたのだが、2014年に正規リリースとなったわけで、44年という時の流れを経てその全体像がメジャーレーベルのリストに入ったことになる。

前ブログで私は《Live in Europe 1967》の bootleg vol.1 の記事を書いたが、1967年の演奏とこの1970年の演奏ではマイルスの音楽はまるで異なるアプローチとなっている。俗にいうエレクトリック・マイルスの時期である。

マイルスはアルバム《Nefertiti》の後、《Live in Europe 1967》に収録されているようなアコースティク・クインテット末期のライヴを続けたが、翌1968年に《Miles in the Sky》を発表する。これが電気楽器を使用した初めてのアルバムである。《Nefertiti》が録音されたのは1967年6月だがリリースされたのは1968年3月であり、すぐその後、1968年6月に《Miles in the Sky》がリリースされることになる。つまりレコードだけのリスナーにとっては3カ月でマイルスが電化したようなイメージとなった。
そしてエレクトリック・マイルスとして最も有名なアルバムが1970年4月にリリースされた《Bitches Brew》である。実際にこのアルバムが録音されたのは1969年8月であるが、電気楽器を取り入れたというだけでなく、いわゆるロック化したともいわれる内容でもあるのだけれど、まず結論から言ってしまうと、私の聴いている感じではこれは全然ロックではない。

《Bitches Brew》後の幾つかのアルバムには、いわゆるこのアルバムのロック的コンセプトから発展しパラフレーズさせたライヴがあるが、《Bitches Brew》リリース直後の一番近いライヴが《Miles Davis at Fillmore》であり、私がこの時期のライヴアルバムでフィルモアを一番偏愛するのは《Bitches Brew》のイメージが色濃く反映されていると思われるアルバムだからである。
今回の bootleg vol.3 のリリースにより、各日の演奏が比較して聴けるようになったのは非常に嬉しいことだし、この時期のマイルスの方向性が確実に反映されていて引き込まれる。
プログラム構成は4日ともほぼ同じだが、2日目 (6月18日) には Spanish Key が演奏されていること、3日目 (6月19日) と 4日目 (6月20日) には I Fall in Love Too Easily と Sanctuary が加わっていることが主な違いである (4日目にはさらに Willie Nelson が加わる)。結果として後ろになるほど曲数が増えていく構成になっている。
そしてコンサートのメインのポジションに持ってきている曲はもちろん〈Bitches Brew〉である。

ところがこの〈Bitches Brew〉がスタジオ録音とは随分印象が違うだけでなく、毎日異なった雰囲気を持っていてスリリングである。
これは人によって好みが違うだろうが、私の好きな演奏は2日目であって、マイルスのトランペットのバックに次第にかたちを現しながら連なってくるリズムの動きが、不気味で強力で、マイルスのハイテンションなソロを際立たせる。低い部分に核のあるぶ厚いリズムは錯綜したように積み重なって、一種のポリリズムのようなビートを形成する。
4日とも基本とするパターンは同じなのだが、その持って行き方に差があって、〈Bitches Brew〉の演奏でそのダークな色彩が最も強調されているのが2日目のような気がする。

ただ、このフィルモアに不満があるとすればそれはキーボードであって、キーボードはチック・コリアとキース・ジャレットという、後年にはビッグネームとなった2人で、今から考えるととんでもないパーソネルなのだが、彼らの発する音色と構成はいかにも古い。このような流行の楽器の音というのは、きっとその時点では最もトレンドだったのだろうが、最も早く色褪せるものなのである。
こうした音色やその流れは、すごく簡単に言ってしまうのならいわゆるファンクであって、ロックではないしその後のトレンドとなったフュージョンとも少し違う。ワンコーラスという規制がないだけで、そのルートとなるのは相変わらずジャズでしかない。
フュージョンはマイルスバンド脱退後のチック・コリアの《Return to Forever》(1972) を嚆矢とするジャンルであって、マイルスの音はRTFのように軽やかでもないし、明るくもない。

だから例えば3日目の第3曲〈It’s About That Time〉の冒頭で、ドラムとベースにマイルスの、ちょっと60年代を連想させるようなトランペットだけでキーボードがほとんど入ってこない進行がよかったりする。ファンクなワウが私はあまり好きではないのでこうした感想になってしまうのだが、当時はエフェクトの種類も限られており、実用的なシンセサイザーもまだ出ていない頃で、逆に限られた音色が時代を反映していると捉えたほうがいいのかもしれない。
この3日目のマイルスのソロもテンションが高くて美しい。〈It’s About That Time〉から〈Bitches Brew〉に入っていくまでの流れが清冽で、まさに闇の媚薬に穢されない輝きを保持している。

ロックという視点から見て、マイルスとジミ・ヘンドリックスの関係性は興味深い。
マイルスがスタジオ・アルバム《Bitches Brew》をレコーディングしたのが1969年8月19日から21日。そしてジミ・ヘンドリックスの《Band of Gypsys》のライヴは1969年12月31日と1970年1月1日。この元旦のライヴが録音された。
そしてマイルスのフィルモア・イーストが上記にも書いたように1970年6月17日〜20日。有名なワイト島フェスティヴァルは8月26日〜30日である。ジミ・ヘンドリックスもマイルスもこのイヴェントに出演しているが、そのすぐ後、1970年9月18日にジミは亡くなってしまう。

2人は親交があり互いの音楽性を認めていたが、一緒に演奏の記録を残すことは結局できなかった。ただ、ジミ・ヘンドリックスのステージの動画などを見ると、当時のマイルスが創り上げていた音楽とは相当な隔たりがある。ステージングは素朴で、というより粗野で、洗練には程遠い状態である。つまりそれだけルーツの異なるこの2人が共演したらいったいどのような作品ができたのだろうか、実現がかなわなかったことが残念である。


Miles at the Fillmore Bootleg vol.3 (Sony Legacy)
Miles at the Fillmore: Miles Davis 1970:




Miles Davis at Fillmore, Wednesday (1970.06.17)
https://www.youtube.com/watch?v=nm_HpohWGSY
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