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眠れる夜眠れぬ夜 — グレン・グールド『ゴルトベルク変奏曲』 [音楽]

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バッハのゴルトベルク変奏曲という名称は俗称で《アリアと種々の変奏》というのが本来のタイトルであり、4つあるバッハのクラヴィーア練習曲集の第4巻にあたる。
最初と最後のアリアに挟まれた30の変奏は聴いていると退屈で眠くなるので、不眠症のカイザーリンク伯爵を眠らすためにこの曲を弾いたといわれるヨハン・ゴルトベルクの名前がその俗称の由来である。それが本当にあったことかどうかは疑義があるらしいが、聴いていると眠ってしまう退屈な音楽ということを現しているのに違いない。

グレン・グールドにとってバッハは特別な作曲家であり、そしてその中でゴルトベルク変奏曲はさらに特別な曲であった。彼のデビューアルバムであり (1955年)、そして最後の録音 (1981年) でもあるということは、グールドの歴史が円環構造になっているようで、運命とも言えるような何かを感じる。

55年盤の特徴は、ものすごく速くてくっきりとしたパッセージ、特に左手の強靭な打鍵は高速でありながら決してメカニックなだけでなく、音楽的表情に満ちている。一方の81年録音は特にアリアの、あまりにもゆっくりとした流れの、限界まで引き伸ばされた官能であり、でもすべての変奏が遅いわけではもちろんなく、55年とは異なった表現でありながら、グールドの独特な音色で綴られていることには変わりない。
こうした差異を変奏毎に比較してみたりすることとか、作曲者バッハがもしこの演奏を聴いたらどう思うかとか、色々な発想をしてみたのだが、それはきっと意味がない。グールドはどういうふうにも弾けるのだ。いつもこれがグールドの音であるという明確な痕跡を残して。

グールドの55年ゴルトベルク演奏に到るまでの彼の変遷を、青柳いずみこは次のように分析している。グールドは聴衆のために弾く曲と、自分のために弾く曲は違うのだと発言しているというのである。さらに、

 私の手元には、グールドが十四、五歳のころに弾いたショパン《即興曲》
 第一番、第二番の私的録音がある。それを聴いたとき、グールドの発言
 の意味がよくわかった。
 自宅のピアノで弾かれたその演奏は、コルトーばりのルバートを多用し、
 あふれんばかりの歌心に満ちていた。同時に、彼の代名詞となったバッハ
 《ゴルトベルク変奏曲》の名演からすれば、ピアニスティックな意味であ
 まりに拙いものだった。
 もし私がグールドの先生だったらこう判断しただろう。この年齢でこの曲
 をこの程度にしか弾けないのであれば、少なくともロマン派では世界一に
 はなれない。方向転換が必要だ、と。(『ちくま』2011年8月号)

そこでグールドが選んだのが、本来二段鍵盤のチェンバロでしか弾かれなかったゴルトベルクであった。しかもバロックでさえロマンティックなアプローチで弾いていた今までの弾き方を排し、フルトヴェングラーのようでなく、「トスカニーニのように即物的に弾く」 ことにしたのは50年代当時の趣味に合わせたのであり、つまりそれが勝負するための方法であったのだという。

これは青柳の自著のためのプロモーション的文章であり、あくまで青柳の解釈であるから異論もあるのではないかと思うが、音楽を消費経済の中で考えるのならば当然生ずるべき方法論であると思う。

バッハに限らずグールドの解釈は、時に嫌な棘となって突き刺さるような感触があって、すごいピアニストであるとは思いながらも100%の讃辞をいつも与えられないというのが正直な印象である。具体的に、この音の弾き方が嫌い、というのがいつも存在するのだ。なぜここをこう弾かなければならないのか、という疑問に対してグールドの答えはあるのだろうが、他のピアニストにそうした具体性はありえない。だからあえてそうした棘を紛れ込ませるのがグールドの戦略といえるのかもしれなくて、でもそうした細部にこだわらせてしまうのは音楽としてあまりに貧困であるといつも思う。
そうした矛盾点が上記の青柳の解釈によってある程度緩和されたような気がしたのである。

聴いているうちに眠くなってしまったかもしれないゴルトベルクは、しかしグールドが弾くと眠くならない。でも聴いていて眠くなってしまうチェンバロで弾かれたバッハも捨てがたいのではないだろうか。バッハはどのように弾かれてもバッハである。
グールドが弾いてもランドフスカが弾いてもバッハはバッハ、MJQや、もっとポピュラーに編曲された甘ったるいBGMでもバッハはバッハ。それを最も識っていたのがグールドだったのかもしれない。

眠れぬ夜という言葉から私が連想するのは決してヒルティではなくて、アラビアンナイトの物語である。シェヘラザードの語る話の続きが聞きたくて王は彼女に次の夜を与え続けたのだというが、その物語はいつでも中断できるようで、また永遠のワンパターンのヴァリエーションで、眠れぬ夜にはぴったりのように私には思える。
それに私はいつも睡眠不足で眠れぬ夜というものがない。だからグールドのゴルトベルクだと眠くならないというのは単なるリップサーヴィスなので、眠いときはどんな音楽でも眠いのだ。


グレン・グールド/バッハ:ゴールドベルク変奏曲メモリアル・エディション
(ソニー・ミュージックジャパンインターナショナル)
バッハ:ゴールドベルク変奏曲-メモリアル・エディション-




Glenn Gould/Bach: Goldberg Variations BWV988 (1955)
https://www.youtube.com/watch?v=MQONN8ZSZac
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コメント 2

Enrique

最後の録音の演奏は,最初聞いた時はアリアが異様に遅く感じるのですが,そのビートが全変奏でシンクロしているので,これになじんでしまうと,これしかあり得ないように聞こえてきます。むしろ他の演奏は変奏毎にテキトウにテンポを変えてしまっているように聞こえてしまいます。
by Enrique (2015-03-11 21:01) 

lequiche

>> Enrique 様

音楽を止まってしまいそうなまでに遅くするのは
逆に持続力というか、強いテンションが必要で、
でも晩年のベームも止まってしまいそうに遅いときがあり、
指揮している途中で死んでしまうのではないかと心配しましたが (笑)、
しかしグールドの場合はデビュー作のゴルトベルクに不満があったから
あえて再録音をしたのだと思います。結果として遺作になりましたが。

おっしゃる通り理論的整合性は最後のゴルトベルクのほうがあります。
ただ、すごくクリアな最初のゴルトベルクにも魅力があり、
曲全体として考えたら破綻があるのかもしれませんが
私はこれはこれで好きです。
青柳いずみこによれば、グールドの恣意的な弾き方は、
さすがにライヴの演奏ではとり繕いきれない部分もあったようで、
そうした天才のコントロール力から外れたときがどうだったのかも
ちょっと興味があります。

もっとも、ピアノの先生が言っていましたが、
グールドは指が強靱だからあのように弾くことが可能なので、
あれを真似したらダメとのことです。
by lequiche (2015-03-12 13:14) 

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