ガジェットで読む『ゴールドフィンガー』 [本]

イァン・フレミングの『ゴールドフィンガー』はジェームズ・ボンドが活躍する007シリーズの1冊である。原作が出版されたのは1959年、日本では翌1960年に翻訳が発行されている。何となく読んでみたら、内容よりも出てくる小道具類が面白くてハマッてしまった。
映画化もされ、大ヒットとなったし、切れ切れの映像の記憶はあるのだが、たぶん映画は一部分しか観ていないような気がする。
読んだのはハヤカワミステリ (H・P・B) に収録された最初の版で、昭和40年発行の第19刷であるが、活版で組まれている本文には拗音の活字が使われていない。つまり 「いった」 は 「いつた」 と組まれていて、小さな 「っ」 がない (ただしカタカナ語の場合は拗音が使われている)。漢字は新漢字であるが、組み方としては旧漢字の頃を彷彿とさせるのである。
ストーリーは世界中の金 (きん/gold) をコントロールしようとする男、ゴールドフィンガーがアメリカのフォート・ノックスから金を盗み出そうと計画するのだが、計画そのものも、そこに至るまでの幾つかの事件も、ツッコミどころ満載で楽しませてくれる。ハードボイルドは決して深刻にならずにこういう風に軽いのが、エンターテインメントとしての真髄なのかもしれない、と思ってしまう。
フォート・ノックスの乗っ取り計画は 「グランドスラム計画」 と名付けられていて、すでにその名前だけで笑ってしまうが、まず町の飲み水に薬を入れ、住人を眠らせてしまい (実際にはもっと強い毒で殺してしまい)、そこに偽の医療チームに変装して鉄道で侵入するというのだ。
だが、水なんか飲まない人だっているだろうし、もしそんな事件が起こったら、軍隊や警察がすぐに出動するだろうから、医療チームなんて止められてしまって入れるわけがない。
さすがに飲み水では無理過ぎると考えたのか、映画ではガス散布という方法に変更されているらしい (映画は観ていないので違うかもしれない)。
金庫のぶ厚い扉は 「きれいな原爆」 で開ける (p.237) という記述もあって、これは幾らなんでもブラックジョークなのかもしれないが、そうだとしても脳天気だ。当時のことだから、悪役は必ずロシア (=ソ連) ということになっていて、その手下が朝鮮人と日本人なのである。もうメチャクチャ。
でも、このボンド・シリーズには、いわゆるブランド志向のスノッブな描写がいくつも出てきて、田中康夫なんかよりずっと前からクリスタルなのだ。
たとえばゴールドフィンガーにカードゲームでカモられるデュ・ポン氏という人物がいるのだが、
デュ・ポン氏はいまアバクロンビー・アンド・フィッチ製の 「海浜着」
というやつを着て (p.36)
とある。アバクロが当時からあったというのも驚きだが (しかも、しっかりカジュアル着である)、 「海浜着」 という訳語が輝いている。
ホテルを選ぶときも、
ミケリンの案内書で、ホテル兼レストランとして最高のマークをとつて
るのは、これだけだ。(p.163)
となっているが、ミケリンというのはミシュランを英語読みしたためだろう。ミケリンってミッキーマウスみたいでかわいい (フランス語ではミッキーのことをミケという。ネコみたいだけど)。
訳語がちょっと変なのは他にもあって、たとえば女ギャング団の首領ギャロアの描写では、
全体の感じは、かなりロマンチックな過激女学生とオードリ・ビーズ
リーの美しさをまぜたようだつた。(p.225)
これがよくわからないのだが、ひょっとしてオーブリー・ビアズリーのことなのではないだろうか。だとするとギャロアの見た目はゴスロリなのか? と想像できる。ちなみにギャロアのフルネームはプッシー・ギャロアで、これはさすがに翻訳の際、他の名前に置き換えた国もあったらしい。日本語訳ではもちろんプッシーのままであるが。
他にも 「インジゴーの空」 (p.19) という表現があって、最初わからなかったが、しばらくしてから、あ、インディゴのことだ、と思い当たった。インディゴブルーのような暗い空という意味である。
ボンド映画の主役ショーン・コネリーも、最初はシーン・コナリーと表記されていたというから、そんなものなのだろう。こうした個所は文庫の再刊の際、訂正されているかもしれないが未確認である。
さて、ゴールドフィンガーはプールサイドでデュ・ポン氏とカードゲームをしてイカサマをやるのだが、それはホテルの窓を背にしたデュ・ポン氏の手札を、ゴールドフィンガーの秘書が望遠鏡で見て、イヤホンをしたゴールドフィンガーに無線で伝えるという手口なのである。その部屋にボンドが踏み込み、イカサマが露見する。部屋の中にいる女 (ジル・マスタートン) は下着姿で、暑いからなのだろうが、ということはまだエアコン (冷房) が取り付けられていないのではないかと思われるが、1959年だと微妙である。
デュ・ポン氏のリムジンはエアコンが効いているという描写があって、だとするとかなり最先端の車だ。それとも車のエアコンのほうが時期的には早かったのだろうか。
ホテルの部屋にボンドは踏み込んで、いきなり証拠写真を撮るのだが、その準備の様子は、
ボンドはエレベーターで自室に引き上げた。スーツケースのところへゆ
き、M3型ライカとMCの露出計、K2のフィルターにフラッシュ・ガン
を出した。(p.46)
とあり、この頃の信頼できるカメラというのはやはりライカなのであることがわかる。たぶんこの頃、ストロボはまだ普及していないのでフラッシュバルブ (1回毎に電球を交換する方式) を使用しているのだろう。
グランドスラム計画にあたって、ボンドはゴールドフィンガーに捕らえられ、部下として秘書役をさせられる。そこでタイプライターの出てくるシーンがある。もちろん機械式のタイプライターである。
彼の部屋には、別の朝鮮人がタイプ机と椅子とレミントンのポータブル・
タイプを持ち込んでいた。(p.217)
ここでボンドはタイプライターで書類を作らされるのだが、コピーという言葉が出てくる。「タイプで10部コピーを作成する」 というオーダーの意味は、カーボン紙などを使ってタイプすることを指し、その行為をコピーするというのだ (と思う)。なぜなら電子的なゼロックスのようなコピー機は当時まだ存在しないからである。
おそらく10部を一度にカーボンで打つのは無理だから、2〜3回同じ文章を間違えないようにタイプするのである。随分原始的だけれど、それでもカーボン紙によって少しは労力が軽減されることになる。
ボンドがゴールドフィンガーの自宅を訪問する場面がある。まだゴールドフィンガーに捕らえられる前で、ゴールドフィンガーは急用で出かけることになり、ボンドはこの時とばかり家の中を探索。すると出かけたというのはワナで、留守の間にボンドが何をするのか隠しカメラで撮影されているのだが、ボンドはそれを見破ってしまう。でもそのカメラは16mmフィルムなのである。16mmフィルムが垂れ流しのように延々と回っている装置になっていて、ボンドはフィルムを感光させてから、撮影済みのフィルムの中にネコを入れてネコがいたずらしたように見せかけようとする。
ボンドがゴールドフィンガーのロールスロイスに発信器を仕掛けるという場面があるのだが、これも結構カッコイイ。
ボンドはポケットから、小さなこわれ物のような包みをだした。小さな
真空管に線をつないだ乾電池の包みだつた。(p.156)
この発信器からの信号は、後から車で追いかけていって、距離が近くなれば音が高くなり、遠ざかると低くなるというだけの機能しかないのだが、当時は十分ハイテクだったのだろう。
そして007シリーズで最も目立つ小道具といえばそれは車だが、小説におけるアストンマーチンの登場は次の部分である。
ジェームズ・ボンドは、高速D・B・Ⅲ型車で直線コースの最後の一マ
イルをすつとばすと、レース用のギアからサードに下げ、さらにロチェ
スターを抜けるためにはやむをえない、はうような車の混雑にいたる手
前の、短い登りで、ギアをセコンドに切りかえた。(p.82)
高速D・B・Ⅲ型車という翻訳がいかにも古風でノスタルジックでよい。D・B・Ⅲ型車とは Aston Martin DB2/4 Mark III のことだと思われる。
アストンマーチンはイギリスの老舗スポーツカーメーカーであるが、このシリーズはDB1、DB2、DB2/4、DB2/4 Mark III、DB4、DB5と進化してゆく。DB3だけがなぜ無いかというと、DB3とDB3Sはレーシングカーだからである。
小説ではDB Mark III であるが、映画制作時は少し時代が後なのでDB5が使用された。あの、やたら仕掛けのある車である。
ボンドがゴールドフィンガーのロールスロイスを追跡していくと、他にも後をつけている車があって、それは姉の仇をとるためのティリー・マスタートンで、車はトライアンフTR3である。翻訳ではトライアンプとなっている。
マスタートン姉妹は結局どちらも殺されてしまうという運命なのだが、苦心しているのに、いいところをギャロアに全部持っていかれてしまって、なんかちょっとかわいそう。
小説全体の印象はのんびりしていて、でも今のギスギスしたハードボイルドよりほっとする。レイモンド・チャンドラーは 「ボンドが考えるのを好まない」 と言ったそうだが、何も考えずにまず行動、みたいなのがジェームズ・ボンドの真髄なのかもしれない。
イァン・フレミング/ゴールドフィンガー (早川書房)

Goldfinger
https://www.youtube.com/watch?v=3RdK51Igeqc
この本、面白そうですね(^0^)/
by Rchoose19 (2015-09-13 07:03)
映画ではジルが “金粉を体中に塗られ、皮膚呼吸が出来なくて死ぬ” っていうシーンがあったようだけど、原作にはないのかな?
私は子供の頃のテレビ放送でしか観ていないので、ストーリーも全く覚えていないんですけど、映画好きでショーンコネリーファンだった祖母が、ドリフのコント(カトちゃんか志村が演ってた金粉ショー)を見ながら、金粉のエピソードを話していたのは、印象に残っています。もちろん、皮膚呼吸云々は都市伝説で、死ぬことはないそうですが・・・。(笑)
もし本当だったら、大駱駝艦の“金粉ショー”とかあり得ないもんね〜♪ (๑◔‿◔๑)
どちらにしても、ちょっと原作を読んでみたくなりました。
007も、スパイ大作戦も、ガジェットのアイデアが面白いです。むしろ、ガジェットを生かしたくてストーリーを後付けしたんじゃないかとさえ、思っちゃいます。(笑)
by desidesi (2015-09-13 11:21)
>> Rchoose19 様
ボンドとゴールドフィンガーが賭けゴルフをする場面があって、
2人がしょーもないインチキをやり合うんですが、
延々と続くのに、ゴルフを知らなくても結構読ませてくれます。
フレミングってゴルフも大好きだったんだと思います。(^^)
by lequiche (2015-09-13 11:25)
>> desidesi 様
はい。あの金粉は映画でのアイデアで、原作には無いんです。
他にも原作と映画で異なることはあるみたいで、
たとえば映画のラストでは飛行機の窓から気圧差で
ゴールドフィンガーが吸い出されるのですが、
原作では吸い出されるのはオッド・ジョブなんです。
全体的に映画は原作の弱点を修正して作られているようです。
ティリーとボンドとのカーチェイスでも、
原作では薄ねず色のTR3なんですけど映画では白のマスタング。
TR3だとコメディっぽくなっちゃいますよね。
イギリス車同士のバトルを避けたのかもしれませんが。
カーチェイスものんびりしていて、
最近のだったらモビットのCMのほうがずっと緊迫してますけど、
でも何も加工されてない、あののんびり感がいいんだと思います。
ティリー役のタニア・マレットもいかにも女優っぽくって
この時代の映画は美しいです。この時代の車も美しいですし。
原作で一番良いと思うのは『女王陛下の007号』だと思います。
ちょっと悲しいですけど。
ガジェットを生かしたくて、っていうの当たってますね。
あまりやり過ぎるとオモチャ感が増してしまいますが、
でも面白くて、ついやっちゃったんだと思います。
by lequiche (2015-09-13 12:13)
懐かしいですね『ゴールドフィンガー』、
ハヤカワミステリの翻訳は読みましたが、第19刷かどうかは不明です。
家の中のどこかにあるはずですから探してみましょう。
映画のほうは高校二年生のときにロードショーを観ました。
東京オリンピックの翌年ですが、
街にはトヨタ・パブリカが走っていた時代、
アストンマーチンが眩しかったですね、
金粉ガールにも目がくらみましたが、、、。
それと、ショーン・コネリーの着る仕立ての良さそうなスーツも印象的でした。
by e-g-g (2015-09-13 12:48)
>> e-g-g 様
すごいっ! ロードショーでご覧になったんですか。\(^o^)/
今はDVDで廉価盤も出ていますので、見ようと思えば見れますが、
やっぱり映画館で観たということに価値がありますね。
ハヤカワミステリは、何刷でも内容はおそらく同じはずです。
うーん、なるほど。
車でもファッションでも日本はまだまだこれから、
という時代だったんですね。
あらためて随分昔の作品なんだっていうことに驚きます。
小説の場合、昔のミステリーやサスペンスものって、
古びていたりする部分もありますが、
それがかえっていい味を出しているような気がします。
by lequiche (2015-09-13 19:10)
面白い翻訳ですね。
by U3 (2015-09-18 21:31)
>> U3 様
昔の翻訳ですから問題点もありますが、
でも、007が大流行したときの熱気が感じられますね。
by lequiche (2015-09-19 02:29)
こんにちは。楽しい記事をありがとう。本は持っていないから、もう一度映画を観たくなりました。映画〈映画の原作〉にもご堪能なlequicheさんの軽快なご講評を、これからもぜひお願いします。
by sig (2015-09-22 11:16)
>> sig 様
ありがとうございます。
原作本は今、手に入れにくいようですが、
映画は比較的廉価なDVDがあるようですね。
いえいえ、私は映画自体を数多く観ていませんので、
よくわからないのですが、
でも原作と映画というのは必ず異なるものなので、
それをわきまえた上で鑑賞するのがよいのだと思います。
最近、マンガ→実写化への非難をよく聞きますが、
気持ちとしてはわかりますけど仕方がないことなんです。
逆に映画を観て原作が読みたくなる作品もあります。
たとえばキューブリックの《バリー・リンドン》は、
私はキューブリックはあまり好きではないのですが、
彼の作品の中で選ぶとしたらこれです。
この原作となったサッカレーは読みたいと思っているのですが、
なかなかきっかけがなくて読んでいません。
by lequiche (2015-09-23 02:07)
実はその当時ハヤカワミステリ文庫で読んだ事があるのです。
中学生だったので何も考えずに読んでおりました。
by U3 (2015-09-23 11:04)
>> U3 様
そうなんですか。
中学生だと何を読んでも新鮮な時代ですね。
普通に読むだけでも十分面白いストーリーだと思います。
by lequiche (2015-09-24 00:33)
今ごろになっての書き込み誰も見ないでしょうが・・・
年寄りの私は、「007は殺しの番号(後に「ドクター・ノオ」)」「007危機一発(「危機一髪」ではない。水野晴男の造語。後の「ロシアから愛をこめて」)」「007ゴールドフィンガー」「007サンダーボール作戦」「女王陛下の007」までロードショーで見ていました。当時、「ダブルオーセブン」なんて言う人はいなくて、誰もが「ゼロゼロナナ」と言っていました。
せっかくなので翻訳のエピソードをひとつ。007を紹介するとき当時の早川書房「EQMM(エラリー・クイーンズ。ミステリマガジン)」の編集長・都筑道夫さんは原作者のイアン・フレミングのことを「アイアン・フレミング」と記していました。(^^;
by アニマルボイス (2020-03-08 18:43)
す、す、すごいです〜!
第1作目から映画館なんですか。
水野先生がタイトルを作ったのは知っています。
ビートルズの映画A Hard Day's Nightなどもそうですが、
昔は原題と全く違うタイトルが当たり前のようで
でもそのほうが時代にフィットしていたような気がします。
アイアン・フレミング、なんか怖い感じでいいですね。
フリッツ・フォン・エリックを連想させます。{笑}
by lequiche (2020-03-09 08:18)