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1973年のマイルスとブートのこと [音楽]

miles1975_161115.jpg

この前TVで、タレントさんたちが自分のお薦め本を紹介しているとき、メイプル超合金のカズレーザーが、トマス・ピンチョンをあげていてびっくり。この人、赤い服の由来も含めて面白い!
ちなみに他の出演者はごく普通でした。
http://www.bookbang.jp/article/521192
http://fiblio.hatenablog.com/entry/dokusho-geinin

という前フリはさておいて、前回のブログに書いたマイルス・デイヴィスの1975年ライヴについて少し調べてみた。するとこの日の録音はもともと《Another Unity》というタイトルで流通していた非常に有名なブートで、《Agharta》《Pangaea》の10日前のライヴであること、日本公演初日であることなどから人気の高いものであることなどがわかった。

略してブートと言ってしまうが、ブートレグとはいわゆる海賊盤のことを指し、つまり著作権法を無視した方法で製造販売されているCD等のことである。アナログディスクの時代から存在し、もちろん違法なものであるが、逆にブートが出ることによってその音源の存在がわかり、結果として品質的にもよりよいオフィシャルな盤がリリースされるということもよくある。
現在継続して出されているマイルスのブートレグ・シリーズもそうした経緯の一環である。
Hi Hat盤などでもmade in UKなどと表示して輸入盤を装っているが、実はmade in Japanであることも多いようだ。

オンエアされたものの録音を音源とした粗悪なブートも存在するし、昔の音源だとそれでさえ貴重なものであるが、この1975年のマイルスの場合は、あきらかにオンエアする元となった放送音源のテープから直接起こしたものである。

さて、同様の録音としてマイルスの1973年6月19日の新宿厚生年金会館ライヴという盤が存在する。《Miles Davis Tokyo 1973》というタイトルでICONOGRAPHYという販売元になっているが、Hi Hat盤と同様に住所などは明記されていないし、パーソネルが箇条書きにされていないところなど仕様がHi Hat盤とまるで同じで、製造元は同じなのかもしれない。
これについても調べてみた。すると《Black Satin》とか《Unreachable Station》というタイトルで流通していたブートが最初らしい。これもたぶんFM東京が録音した音源だと思われる。
マイルスのディスコグラフィを見ると、6月19日の録音には他にもうひとつブートが存在し、さらに《730619 Tokyo》というHannnibal盤というのもある。これは6月19日のライヴだけでなく、翌20日の映像のDVDが付いているとのことだが未見である。NHK-TVで収録された映像が元との情報もあり、下記にYouYubeで見つけた動画をリンクしたがこれと同一なのかどうかはわからない。
単純に曲名のリストを比較すると、《Miles Davis Tokyo 1973》はこうした先行盤と比較すると曲数が少ない。途中がカットされているような気がするが、マイルスのこの頃の曲名とか、CDになった際のトラックの付け方は便宜的とも思えるので、比較できない今の状態ではなんともいえない。
セッショングラフィで見ると、4曲目〈Right Off〉の後に〈Funk [Prelude, part1]〉と〈Tune in 5〉という曲名が見られ、これらは《Miles Davis Tokyo 1973》には存在しないが、収録時間を見ると順に3’33”/8’35”/10’39”となっておりトータルで22’47”である。これはICONOGRAPHY盤の〈Right Off〉の表示時間20’25”より多少長いが微妙である。つまりこの3曲を一括して〈Right Off〉であると表示している可能性もある。
〈Ife〉から始まるsecond set (ICONOGRAPHY盤の4曲目以降) も少しずつ収録時間数が異なっているが、ライヴなのでこのくらいの誤差はよくあることだ。

マイルスがエレクトリック化し、いままでのメインストリーム的なジャズでなくファンク・ロックに傾倒していった過程での特徴としてピアノレスになっていったことがあげられる。
エレクトリック化最初の頃、マイルス・バンドは当時新進であったチック・コリア、キース・ジャレットといったキーボードを擁していた。ただ、これは私の私感であるが、彼らのプレイははっきり言って面白くない。今聴くとごく同一のパターンでのぐにゅぐにゅしたソロの繰り返しであるし、音色も当時はいまほど機材が発達していなかったという制約があるにせよ、あまりにもヴァリエーションが無い。
やがてチック、キースといった人たちがマイルスから独立していくことによってキーボードの存在はより希薄になる。それはギターを中心としたファンク寄りの音を追求していった結果ともいえるが、和声を出す楽器がマイルスの当時のコンセプトにとって邪魔になっていったのではないかとも思われる。
《Get Up with It》(1974) ではセットによりキーボードが入っていたり入っていなかったり、というピアノレスな現象がみられる。翌1975年の《Agharta》《Pangaea》では (マイルスのオルガンがあるにせよ) キーボードは排除されている。

そして《Get Up with It》より前のこの1973年の日本公演においても、すでにバンドはピアノレスである。ギターも和声を出せる楽器ではあるし、ジャズ創生期の頃は、ピアノあるいはギターといった選択肢があったのかもしれないが、このマイルスにおけるギターは、たとえコード・カッティングがあるにしても、ピアノ/キーボードが出す和音とはかなり異なる。つまりマイルスがこの時点で必要としていた音はそうした音だったということである。

1973年と1975年の日本ライヴでの大きな違いは、73年のサックスがデイヴ・リーブマン、75年はソニー・フォーチュンであることである。サックス・プレイヤーが異なるだけでなく、全体の印象が73年と75年ではかなり違いがある。ごく簡単に言ってしまえば、73年のほうがライトで聴きやすくて、つまりフィルモアを始めとするマイルスがエレクトリックに突入した頃の典型的な音のように感じられるが、対する75年はヘヴィだ。
リーブマンのほうが流れるような従来からのジャズ的なソロで、対するフォーチュンのソロは時にややイレギュラーな音で構成されているように聞こえる。それは2人のギタリストにもいえて、75年のほうが芯があるがディープである。確かにそれぞれのプレイヤーの個性もあるのかもしれないが、むしろマイルスの志向がそういう音づくりに向かっていたというふうに考えられる。
アガルタ/パンゲアに至る道はどんどんヘヴィなファンク色へ没入してしまう陥穽ともとれるのだ。

私は遅れてきたマイルスのエレクトリック・ファンになりつつあって、いまさらそれってどうなの? という思いもあるのだが、この時代を編年的に辿って行くといままでよくわからなかったものが見えてくるような気もする。
そして私はわざとメインとなるオフィシャル盤を避けているのだが (たとえば《Bitches Brew》とか《Agharta》《Pangaea》についてまだ書いていない)、そうしたマイルストーンに至るまでの道のりに興味があるのかもしれない、と漠然と考えてみたりする。残っているかたちあるものでなく、テンポラリーとして消えてしまったような幾つもの不完全な石礫のなかに、かすかな輝きを見るのだ。

というようなことを書いていたらYouTubeで1975年2月8日の厚生年金会館の音を見つけてしまった。《Unknown Tokyo NIght》というディスクであると思われるが、こんなことしてると心が騒いでしまいキリがない。夜はもっと Quiet Night でないと。


Miles Davis Tokyo 1973 (Iconography)
Tokyo 1973




Miles Davis Septet 1973.06.20. 新宿厚生年金会館ホール
https://www.youtube.com/watch?v=EVjeeZQnyPI

Miles Davis 1975.02.08 Shinjuku Kohseinenkin Hall, Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=US1rgy1sEL8
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コメント 10

えーちゃん

最近、カズレーザーとかピコ太郎とか風貌が変な感じの芸人が売れてるニャ(^^;
by えーちゃん (2016-11-15 16:19) 

末尾ルコ(アルベール)

> 心が騒いでしまいキリがない。

ネット時代の危険な夜ですね。わたしもちょいちょい・・・。わたしはマイルスをしっかり聴き始めたのがマイルス没後でして、あるベム発表順では聴いておらず、ジャズに慣れてなかったこともあり、エレクトリックやファンクの時代の方がしっくり来たというところもありました。コリアやジャレットに関するご見解、とても興味深いです。その点踏まえた上で、また音を楽しんでみようかと思います。  ピンチョンは近々読もうと思っています。まだほとんど読んでことないので楽しみです。米国小説ついでに言えば、『高慢と偏見とゾンビ』というとてつもなくくだらないヤツを買いまして、さすがアメリカは奥が深いなあと(笑)。これ、映画化もされております。  RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2016-11-15 18:53) 

lequiche

>> えーちゃん様

風貌が変! なるほ〜ど〜。
ともかく目立たないと、という傾向はありますね。(^^)
by lequiche (2016-11-16 02:40) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

まず最初にエレクトリックやファンクから、というのもありですね。
チック・コリアやキース・ジャレットは、
いきなりマイルスに引っ張られたんですからすごいんですけど、
でも一般的にすごいと言われるほどにはすごくない、
と私は思っています。
2人とも異常にコマーシャルな部分が鼻につきます。

カズレーザーがユニークなのは、
あの手の番組だったら空気を読んでいるのなら
ピンチョンとは言わないはずです。
それを言っちゃうのがすごいというか。
P・K・ディックも、番組に合わせるなら避けるはずなのに、
そんなこと構わないという姿勢を尊敬します。
オードリー若林はウエルベックを選んでいましたね。

映画の予告編を見ましたが、
ジェーン・オースティンのパロディなんですね。
オースティン、ブロンテ姉妹は
ヴァージニア・ウルフへと繋がる回路だと思います。
by lequiche (2016-11-16 02:40) 

NO14Ruggerman

とても興味深くて思わず納得してしまう洞察ですね。
情緒的に感じていたマイルスの音楽の変遷を
文章に表すと、こうなのだと捉えることが出来スッキリしました。
キース、チック、ハービーとマイルスから巣立ったピアニスト達が
70年代には大ブレイクしているのには目が離せません。
72年チックの「ラ・フィエスタ」キース「ブレーメンコンサート」や73年ハービーの「ウォーターメロンマン」などがワタシが
最も好んで聴き込んだ曲です。
by NO14Ruggerman (2016-11-17 22:36) 

lequiche

>> NO14Ruggerman 様

この時期にマイルス・バンドを通過していった人たちが
その後どうなっていったのかというのも確かに面白い視点です。
色々な意見があって錯綜しています。
マイルスで箔を付けて伸びていった人もいるし、
だめになってしまった人もいる。

なぜか、ちょっとしたきっかけから、
この時期のマイルスを俯瞰してみているのですが、
そんなに簡単に捉えきれないというのが本当のところです。
少しずつ時間を遡っているのですが、
たとえば同じHi Hat盤で1972年9月ボストンの
ポールズ・モールというライヴがあるのですが、
これがひどい! カネ返せ状態です。(笑)
あまりにファンク過ぎて飽きてしまいますが、
マイルスにとっても試行錯誤の時期だったんだと思います。
by lequiche (2016-11-18 03:29) 

hatumi30331

今日はすごく良いお天気で、気持ちいいです〜♪^^
人権教室、元気な子たちに会ってきました!
by hatumi30331 (2016-11-18 12:01) 

lequiche

>> hatumi30331 様

「元気な子たち」 という言葉に少し救われますね。
最近、いじめだけに限らず、
親子間での殺人とか理不尽でありえない事故とか、
あまりに心の痛む事件が多過ぎます。
ル=グィンがかつて言ったように、
世界が壊れつつあるのではないか、と思います。
それは経済だけを優遇してきた結果なのだと私は思います。
by lequiche (2016-11-19 01:53) 

hatumi30331

ワイン、美味しいよね〜♪
毎日飲むので・・・安いのを〜
たまに、ちょい良いのを飲んでます。へへ;

by hatumi30331 (2016-11-21 16:03) 

lequiche

>> hatumi30331 様

あ〜、そうですね。
たまにはちょっと、というのが大切です。
いつも発泡酒じゃなくてビールも、とか。(^^;)
by lequiche (2016-11-22 23:52) 

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