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あらがえないもの ― ピエール・バルーとSARAVAH [音楽]

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Pierre Barouh et Anouk Aimée
(www.francebleu.frの2016年12月28日付訃報より)

昨年末、ピエール・バルーが亡くなったことをこのSo-netブログのSpeakeasyさんの記事で知った。Speakeasyさんはいつも最も重要なポピュラー音楽の情報をもたらしてくれる。
私にとってのバルーは、つまりサラヴァである。そしてそのサラヴァというレーベル名は、私のなかでブリジット・フォンテーヌとともに記憶されている固有名詞だ。

Speakeasyさんのバルー逝去の記事に紹介されているジャケット写真はバルーのブレイクのきっかけとなったクロード・ルルーシュの映画《男と女》(Un homme et une femme, 1966) のサントラ盤である。
このジャケットが美しい。モノクロのスチルを何枚か組み合わせた上に斜めに入れた帯にタイトル文字だけが鈍い色の赤で un homme et une femme と配置されている。ジャケット左側は黒の縦帯で、左上にパルム・ドール/フェスティヴァル・ドゥ・カンヌとある。
年代を彷彿とさせる端正なデザインにもかかわらず、時代遅れでない。ここにもバルーの美学が現れているのではないか、と私は思う。

だが実は私は《男と女》という映画は観たことがなくて、ダバダバ歌っている映画くらいの認識しかなかった。バルーを尊敬しているにしては、ひどい認識である。
当時、バルーはこの映画の資金にしようと思い、その音楽を売り込もうとしたのだが、ルルーシュはまだ無名だったので、結局バルーが自分で出版することにした。それがサラヴァのはじまりである。この映画がヒットするなんて、バルー以外誰も予想していなかったのだろう。だが映画が大ヒットしてしまったため、音楽の権利を売らなかったことがかえって功を奏すことになった。

とりあえずこのサントラを聴いてみた。
曲数は少なく、さらに同じ曲のインストゥルメンタル・ヴァージョンと歌入りヴァージョンとがあって編曲で増やしているので、実際の曲数は5曲しかない。それですべてをまかなってしまっているのだ。
音楽を書いたのはピエール・バルーとフランシス・レイ。当時の録音はモノラルであるが、あまりのリアルさで聞こえてくることに驚く。

このサントラの中であえて1曲をあげるのならば、少しダークな〈Plus fort que nous〉を選んでしまう。今回のCDでは〈あらがえないもの〉という邦題が付けられている。
歌はピエール・バルーとニコル・クロワジーユによるデュエット。ふたりが交互に歌い、最後に2人で歌うという構成。でもこの曲が手強い。歌詞がなんとなくわかるようにみえて、よくわからないというふうな、やや抽象的な言葉で綴られていく。

まず歌い出しはニコル・クロワジーユ。CDパンフレットでは次のような訳詞になっている (対訳:Lisa TANIと表記されている)。

 互いの経験をもってすれば
 もっと明晰に考えられたはず
 なのにふたりの警戒心はもう限界
 私たちは愛にあらがえない

 Avec notre passé pour guide
 On se devrait d’être lucide
 Mais notre méfiance est à bout
 L’amour est bien plus fort que nous

この訳詞に関してネットを探していたら、別の訳詞を複数に見つけた。そこではタイトルは 「愛は私たちより強く」 となっている。これは歌詞の L’amour est bien plus fort que nous を訳したものであるが、しかしタイトルは Plus fort que nous だけで L’amour est bien は無いから、邦題を 「あらがえないもの」 としたのだろう。
TANI訳は、各連の最終行に繰り返し出てくる 「L’amour est bien plus fort que nous」 をそれぞれに微妙に変えて訳していて、全体の言い回しも錬れていて、なかなかワザがある。

だが1個所よくわからないところがあって、それは4連目。バルーが2回目に歌う部分である。

 沼地で自由を謳歌するか
 檻の中で幸せに暮らすか
 僕らにはお構いなしに決めつける
 愛とは僕らにはあらがえないもの

 Vivre libre en un marécage
 Ou vivre heureux dans une cage
 Qu’importe il fait son choix sans nous
 L’amour est bien plus fort que nous

この沼地の部分について検索してみたら、「浅倉ノニーの〈歌物語〉2」 というブログに解説があった。

 marécage「泥地、湿地」が本義だが、「いかがわしい社会」といった
 意味でも用いられる。

とのことである。ネットのLarousseを見てみるとLittéraireな用法として、

 Bas-fond où l'on risque les compromissions et l'abaissement
 moral : Les marécages de la politique.

とある。bas-fondは浅瀬とか沼地のことだが、les bas-fonds de la sociétéという言い方があって、社会のどん底、さらに転じて最下層民のことを指すのだそうだ。compromission は、compromettre 巻き添えにする、の名詞形で 「かかわりあいになること、悪い意味での妥協」 とある。abaissementは低下である。
浅倉ノニー訳では当該個所は 「汚い世の中で自由に生きるか」 と意訳になっているけれど、とてもわかりやすい。他にもわかりにくい個所の注釈があり大変勉強になった。浅倉訳は素晴らしい。

ともかく、《男と女》という、ともすると軟弱に思われかねない映画の中の歌詞がこういう内容だなんて、さすがバルーというべきなのか、それとももっと敷衍して、さすがフランスというべきなのか、バルーの死をあらためて残念に思うばかりである。


Claude Lelouch/Un homme et une femme
sound track (日本コロムビア)
男と女 オリジナル・サウンドトラック 2016リマスター・エディション




Nicole Croisille & Pierre Barouh/Plus fort que nous
https://www.youtube.com/watch?v=1Od5IzOzGTQ
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末尾ルコ(アルベール)

『男と女』は古くならない映画ですね~(ご覧になってないんですっけ 笑)。一部どうかと感じる部分もあるけれど、やはり古びない。ルルーシュは他に『男と女』のような作品は作ってませんから、やはりこれは特別な映画です。『男と女』の続編もありますが、1作目とは似ても似つかぬ作風でした。フランスはやはり言葉に非常に重きを置いている国ですし、ハリウッド式のハッピーエンドを軽蔑しているところもありますから、甘ったるく感じてもどこかシビアな要素がある場合が多いですね。それと『男と女』の成功は、ジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメのキャスティングにつきるところもあります。この二人が最高で(←興奮気味 笑)、トランティニャンはデ・ニーロに次いで、わが永遠の映画ヒーローです。さらに言えば(←指が止まらない状態 笑)、『男と女』のエーメも素晴らしいですが、若い頃の美しさは格別で、『火の接吻』とか、澁澤龍彦も大好きな『恋ざんげ』とか、(ええ、こんなことあっていいの??)というくらいの美しさです。というわけで、この辺りで正気に戻って、無理矢理指を止めたいと思います(うふふ)。 RUKO
by 末尾ルコ(アルベール) (2017-02-22 01:23) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

そうなんですか。
映画はちょっと疎いもので申し訳ありません。(^^;)
ジャン・ルイ・トランティニャンとアヌーク・エーメ、
それぞれフィルモグラフィを見てみましたが、
全然知らないです。若い頃の美しさ、ですか。
この映画のときはもう30歳を過ぎていますからね。
とりあえず、まずこの映画を観てみて、
それからいろいろと探求してみたいと思います。(^^)
by lequiche (2017-02-23 01:39) 

そらへい

映画は見たかどうか忘れてしまいましたが
映画音楽「男と女」は
甘いメロディで
かつて(1970年代)は喫茶店などに入ると
必ずと言って良いほどかかっていた気がします。

by そらへい (2017-02-25 20:13) 

lequiche

>> そらへい様

あ、なるほど。
非常に印象的なメロディですから、
映画本体を凌駕しているかもしれませんね。
昔のほうが、
映画音楽がそれだけ力を持っていたのかもしれないです。
一種の流行歌みたいなものですね。(^^)
by lequiche (2017-02-25 23:08) 

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