SSブログ

BBCのピーター・ポール&マリー [音楽]

PPM_BBClive1965_190629.jpg

今日は雨が降るのだろうか。昨日は降らなかったけれど今にも降りそうな空だったりした時があって、この不安定な気候には辟易するのである。
さて、今日はピーター・ポール&マリーを聴いていたらハマッてしまった。でも私は原則としてフォークソング系の音楽が好きではない。嫌いと断定しないところがミソだが、けれどピーター・ポール&マリーはいわゆるシティ・フォークといった色合いで、あまり土俗的なテイストがない。さらっと聴けてしまうのでとっつきやすいのである。
コーラスの美しさと2人のギターのテクニックは完璧である。私がピーター・ポール&マリー (以下、PPMと略) を聴いていて惹かれた曲は、たとえば〈Sometime Lovin’〉という比較的しっとりとした地味な曲であった。ゲイリー・シアストン (Gary Shearston, 1939-2013) の曲である。〈Tiny Sparrow〉でもよい。要するにあまり動きのない、静止した風景のようなものに惹かれていた。でもそれはPPM本来の音楽性からいえばズレていたのかもしれない。
試しに何枚かアルバムを買ったが、〈Sometime Lovin’〉は《The Peter, Paul and Mary Album》というアルバムに収録されていて、でもこれは持っていない。つまりその程度の、ごく初歩的な曲きり知らないファンでしかないのである。

YouTubeにあるBBCライヴは1965年で、まだモノクロの映像だが、若々しい3人の歌声と演奏の様子がよくわかる。2本の動画があって、リンクしたのは少しでもきれいに見えるほうにしたが、もう1本の説明文の中にセットリストが掲載されている。
https://www.youtube.com/watch?v=ylyaVOxa6aU

映像は2回に別れていて1~9曲目までと10~17曲目だが、幾つか間違いがあるので指摘しておく。
5曲目の〈Jesus Met the Woman〉の正確なタイトルは〈Jesus Met the Woman at the Well〉、10曲目の〈The Times are a Changing〉はThereが抜けていて〈The Times There are a Changing〉、15曲目の〈Great Day〉はタイトル自体が間違いで〈Come and Go with Me to That Land〉である。これらを訂正すると下記のようになる。

 01) When the Ship Comes In
 02) The First Time
 03) San Francisco Bay Blues
 04) For Loving Me
 05) Jesus Met the Woman at the Well
 06) Early Morning Rain
 07) Children Go Where I send Thee
 08) The Whole Wide World Around
 09) Early in the Morning
---------------------------------------------
 10) The Times There are a Changing
 11) Hangman
 12) In My Dreams
 13) Puff, the Magic Dragon
 14) Rising of the Moon
 15) Come and Go with Me to That Land
 16) Blowing in the Wind
 17) If I Had My Way

PPMの実力がよくわかって、かつ明るい演奏でよく知られている曲は
 03) San Francisco Bay Blues [7’50”~]
 05) Jesus Met the Woman at the Well [13’30”~]
 15) Come and Go with Me to That Land [47’42”~]
 16) Blowing in the Wind [51’00”~]
あたりだろう。サンフランシスコ・ベイ・ブルースはカズーも入っていて楽しい。

だが私が個人的に好きなのは、朝の飛行場と心象風景を歌ったゴードン・ライトフット作曲の
 06) Early Morning Rain [17’49”~]
で、歌詞の中に数字の出てくる個所、
 Out on runway number nine,
 big seven-o-seven set to go
が印象に残る。seven-o-sevenがさすがに時代を感じさせる。
精緻なギターと歌のからみが美しいトラディショナル・ソングの
 07) Children Go Where I send Thee [21’07”~]
そして暗い情熱のような諦念のような感情がうかがえるようなアイリッシュな歌の
 14) Rising of the Moon [43’55”~]
あたりだろうか。とはいえ、捨て曲は無くて、非常にすぐれたライヴであることは確かだ。今聴いても全く古びていないことに驚かされる。

以下はその当時のフォークソングと呼ばれるジャンルと日本におけるフォークソングとがどのような関係性にあったかということについて、私が感じたことである。あくまで個人的な感想であるので独断と偏見があるかもしれないことをお断りしておく。
アメリカにおけるフォークソングの流行のピークはジョーン・バエズ、そしてボブ・ディランのようないわゆる反戦フォークを含めたプロテストソングの隆盛の時期にあると思われる。しかしフォークソングとは、もともとがトラディショナル・ソングであり、あるいはゴスペルがそのルーツであることからもわかるように、多分にレリージョナルなジャンルであった。政治的なもの云々より先に宗教的な志向を持つものなのであった。PPMの曲を聴いてもわかるように〈Jesus Met the Woman at the Well〉や、このライヴでは歌われていないが〈Tell It on the Mountain〉といった曲はその歌詞からも明らかであるようにキリスト教をそのベースとしている。
ボブ・ディランのようなメッセージ性を第一としたフォークソングに較べると、PPMやブラザース・フォアといった伝統的フォークソングのルーツに乗っていたシンガーたちはディランなどに較べると穏健であり、PPMはディランの〈Blowing in the Wind〉などを歌っているのにもかかわらず、それはフォークソングというジャンルの中にそういう曲があるからという理由による選曲であって、思想的・政治的に選択されたものではなかったのではないかと思われる。フォークソングの根源的な音楽であるはずのカントリー・ミュージックは元来保守的なものであり、プロテストソングとは対極にあるジャンルである。

〈San Francisco Bay Blues〉という曲は、ジェシー・フラー (Jesse Fuller, 1896-1976) によって1954年に作られた曲であるが、そのアルバムタイトルが《Folk Blues ― Working on the Railroad》であることからもわかるように、その曲の作り方としてはプリミティヴであり、デルタ・ブルースに遡るそうしたブルースのルーツとゴスペル・ソングとはある意味似ている。〈Rising of the Moon〉のようなアイリッシュ・フォークの曲もそのプリミティヴな共通性から選ばれているのに違いない。

日本ではそうしたアメリカの流行に影響されてディラン的な歌を作るソングライターもいたが、単にフォークソングという比較的素朴な音構造だけを借りてそれらしき音楽を作るという方法論も存在していたように思われる。それはあくまで商業主義を基本としているため、結果として単なる歌謡曲の亜流であったり、日本という国情に合わせた独特な技法を編み出すことで変質して行き、やがて歌謡曲というジャンルの中に吸収されていった。
フォークソングに限らず欧米の音楽を考える場合に重要なのは、曲に対するレリージョナルな動機であって、その善悪はともかくとしてそれを考えずに通り過ぎることはできない。私が繰り返しとりあげるR.E.M.の〈Losing My Religion〉にしても同様である。「神を信じていないのだが、神を信じる」 的な矛盾を抱えているのが今の作詞・作曲家たち、もっと言ってしまえばオーディナリー・ピープルという気がする。だが日本の歌曲の場合、基本的に宗教に対する思考というものが存在しないので担保も存在しない。では何を矜恃としているのかが私には不明なのである。


The Peter, Paul and Mary Album (Warner Records)
ピーター・ポール&マリー・アルバム(紙ジャケット)




LIVE Pater, Paul and Mary Tonight in Person BBC Four 1965
https://www.youtube.com/watch?v=qdcapT2Tdag
nice!(83)  コメント(6) 
共通テーマ:音楽

nice! 83

コメント 6

きよたん

13)が好きでした。高校の頃
by きよたん (2019-09-29 09:10) 

末尾ルコ(アルベール)

ピーター・ポール&マリーって、知りませんでした(笑)。
かつては洋楽誌をよく読んでいましたので、その中にはきっと掲載されていたのでしょうが、当時のわたしのアンテナには引っかからなかったのだろうと思います。
当時のわたしのアンテナ、キャッチできる範囲が実に狭かったとの自覚がありますが(笑)。

動画、視聴させていただきました。
そうですね、とても心地よく聴きましたが、やはりこういうタイプの音楽は積極的には聴いてこなかったです。
小学生低学年の頃は歌謡曲の次にフォーク的な歌を聴く機会が多かったですが、ロックを知ってからはどちらかと言えば、フォークを避けておりました。
ボブ・ディランなんかも30代くらいからひととおり聴いたくらいのものです。
ジョニ・ミッチェルは大好きですが、それも聴き始めたのが30代以降です。
初期のジョニ・ミッチェルはフォークと言うんでしょうか?

> コーラスの美しさと

これはどうなんでしょう、やはり米国フォークの力が飛び抜けているでしょうか。
確かに少数のメンバーで、(これは凄い!)と感嘆するような美しさがありますね。
フォークと言えば、「歌詞をしっかり理解するのが不可欠」というイメージもありますが、コーラスで聴かせる力があると強いですね。
日本ではどうなんでしょう、まあほとんど聴いて来なかったので何も言えないのですけれど、フォークグループでコーラスのいい人たちの記憶はあまりありません。
それと一部日本のフォークソングに演歌との類似を感じていて、それも聴く気を減退させておりました。
今では演歌も聴くようになりましたが(笑)。

でも以前にもお話しましたように、坂崎幸之助がももクロのメンバーとやっている『フォーク村』の内容が素晴らしく、かつてと比べるとフォークに対する関心も高まっております。
ピーター・ポール&マリー、今後も聴いていきたいと思います。


・・・

2つ前にいただいたコメントの話題の続きですが・・・。

> 結果としてまさにビジネス様のお通りになってしまいます。

映画とテレビの関係で申しますと、テレビが勃興してきた時期には米国でもフランスでも映画界に危機が訪れたのですが、しかしなんだかんだ言って両国はいまだ「映画の尊厳・価値」が社会的にも広く浸透しています。
日本はメディア(民放が主要新聞と同根である事情もあって)も一般国民もテレビ様に平伏してしまいました。
そういったことは他の分野でも普通に見られまして、結局「稼いでいるものが勝ち」に加えて、「有名なもの(あるいはマジョリティ)が勝ち」という信仰めいた価値観が日本の津々浦々にまで浸透し続けている感があります。


> 鎖国政策という言葉は愚民政治と同様の意味です。

高校の国語教育から文学作品の鑑賞が削られていく傾向も愚民化政策の一環でしょうね。
「実用、実用」という風潮は結果的に国民自身の首を絞めているのだと思います。

> GLIM SPANKYのひこうき雲は良いですね。

ですよね~。
そして曲の凄さもよく分かります。
その意味ではカヴァーされる機会の多い曲に再注目するのもおもしろいですね。
GLIM SPANKYの歌は、やたらと思い入れたっぷりに歌唱する人が多いこのところの日本の中で稀なcoolのような気もします。
GLIM SPANKY、最近ではももクロにも「レディ・メイ」という楽曲を提供しています。

ここからは前回いただいたコメント関連ですが・・・。

> クラシック音楽に似たような知識と技術を求められます。

そうなのですね~。
ある意味凄いですね。
すると技術的には往年と比較するとジャズ界全体で向上しているのでしょうか。
格闘技との比較は恐縮なのですが、総合格闘技などの草創期は各界の腕自慢が強さ比べをしていた状態だったのですが、徐々に技術体系が整ってきて、他の格闘技ではどんなに強くても総合の技術を身に付けねば勝てなくなりました。
その分誰の試合も同質化してしまったのですが、ジャズはわたし現代のものが大好きなのですけれど、やはり熱量とか個々の才能とかは往年の方が上なのでしょうか。

「速度」や「ダーク」のご説明有難うございました。
「主に管楽器に対して言われる」のですね。
全然知りませんでした(笑)。
今後は気を付けて鑑賞してみます。
「ダーク」という言葉自体はわたし大好きで(笑)よく使うのですが、あくまで主観的なものである場合が多いです。
すごく大雑把な言い方ですが、「ダークな要素のない芸術や表現には興味が持てない」とか。
だから80年代くらいでしたか、人様に対する誹謗の一つとして、「暗い~」という言葉が多用されましたが、ちょっとまあ論外な風潮でした。
彼らは何の考えもなく、誰かを「暗い~」と揶揄し区分けすることによって自分たちが「マジョリティの側にいる」という妄想を確認していたに過ぎないのですが。
なにせあの時代、本を読んでいるだけで「暗い~」でしたから。

> 山中のほうが圧倒的にダークに感じるのです。

これちょっと聴き比べてみます。
でも確かに上原ひろみには「ダーク」と感じたことはないです。

RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2019-09-29 12:54) 

lequiche

>> きよたん様

〈パフ〉や〈500マイル〉といった曲は、
いまや音楽の教科書用の教材になっていそうです。
〈スカボロー・フェア〉なんかもそうですね。
by lequiche (2019-09-29 20:56) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

フォークソングは私もよく知らないのですが、
上記ブログ本文では書き切れていなかったように思えますので、
文末に文章を少し追加しましたのでご覧ください。
日本とアメリカの違いはすごく簡単に言ってしまえば
アメリカでフォークソングが流行ったから日本でもやろう、
と画策しただけで外見だけ似せてみたものの
その根本が違うのではないかと私は思います。

そして逆にその精神性から言って、
ジョニ・ミッチェルは最初から現在まで
ずっとフォークソングであると思います、

PPMはシティ・フォークという言葉を使ってしまいましたが、
つまり比較的スクエアで、
思想的に見ても反体制的ではなく、むしろ体制的です。
また技術的にはコーラスのすごさもありますが、
ピーター・ヤーロウのギターワークはすごいですね。
ほとんど親指と人差し指の2フィンガーで弾いているのですが、
情報としては知っていましたが今回私は初めて見ました。
これは音は安定しますが大変なテクニックです。
Children Go Where I send Theeなんか、
もう、とんでもないです。

トラディショナルな曲では、その歌詞は既知のことなので
そんなにしっかり理解しなくても知ってるよ、となるはずですが、
それはキリスト教徒だから言えるのであって、
日本人の場合はその歌詞の意味だけでなく、
それが聖書のどこからの出典であるかということが重要になってきます。
そもそもピーター、ポール、マリーという名前は
ペテロ、パウロ、マリアであってこれは偶然なのかもしれませんが、
なんとなく意図も感じます。

ギリシャの昔から学問といえば哲学が根本であって、
その哲学の一環としての音楽や美学が存在します。
でもこの国には哲学というものがもはや存在していません。
経済学だけです。そのうちバチがあたるでしょう。

GLIM SPANKYはその音楽性、声質などもありますが、
そのファッションがいいですね。
そういう服ってどこで買うの? という謎に満ちています。(^^)
そうしたスタンスが全てにあらわれているように思います。

ジャズが昔より技術的に向上しているのか、
また昔のほうがホットだったのかはよくわかりません。
昔からの名盤というのはありますし、
それは今でも聴けますがそれが全てではありません。
ジャズ・シーンとしては今は昔より狭いかもしれませんが、
でもクラシック音楽も今では超マイナーと言われたりしますが、
売れていてもつまらない音楽は多数存在しますし、
そんなのはどうでもいいと私は思うのです。
結局、信じられるのは自分の耳だけです。
と私は何度も書いていますが、自分の今までの経験と知識が
それを聞き分ける耳の元となるのですから、
良いと思うものを取捨選択して求めなければなりません。
それは失敗も勘違いもありますが、何事も経験です。
by lequiche (2019-09-29 20:57) 

Loby

ソネブロの移行によって、今まで使っていたブログが使えなくなりました。
つきましては、お手数ですがよろしければ下記アドレスのLivrdoorブログにて、今後も交流をお願い致します。

http://brasildaisuki.livedoor.blog/


by Loby (2019-10-04 00:06) 

lequiche

>> Loby 様

何か変更があった場合は、普通使いやすくなるものですが、
ここがそうではないということは、
別の意図があるということでしょう。
大変残念ですが今後が予想できる展開になってきました。(^^)
by lequiche (2019-10-06 01:44) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:[必須]
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。