SSブログ

ザビーネ・リープナー《Stockhausen: Klavierstücke I-XI》 [音楽]

SabineLiebner150422_181222.jpg
Sabine Liebner (2015) (nachrichten-muenchen.comより)

ザビーネ・リープナー (Sabine Liebner) は現代曲のスペシャリストであるが、最初に聴いたのはモートン・フェルドマンのWERGO盤《early piano pieces》で、それから彼女の演奏が気になっていた (そのことはすでに書いた→2013年03月19日ブログ)。リープナーの弾くフェルドマンには《For Bunita Marcus》もあるのだが、この曲の入っているCDが品切れなのかなかなか入荷しない。マルカンドレ・アムランの同曲と比較してみたかったのだが、そういう理由でとりあえずそれはパスして、今回の話題はリープナーのシュトックハウゼンである。

シュトックハウゼンのピアノ曲はKlavierstückeというタイトルの曲が〈 I 〉から〈XIX〉まで存在するが、I~XIが作曲されたのが1952~61年、XII~XIVが1979年~84年、そしてXV~XIXが1991~2003年と別れていて、IからXIまでは作曲家の初期の作品に相当する。後期の作品ほどプリペアードやシンセ系の音などを採用するように変化していて、そうした後ろのほうの作品と比較するとリープナーの弾いているI~XIはごくオーソドクスなピアノのための作品といってよい。
wikipediaを読むとさらにこの第1のグループは3つに別れていて、I~IVはfrom point to group composition (Nr.2/1952)、V~Xはvariable form (Nr.4/1954-1955/1961)、そしてXIはpolyvalent structure (Nr.7/1956) となっている。polyvalent structureというのがよくわからないのだが訳語にしてももっとわからないだろう。リープナーはこの曲のみ2つのversionを録音している。wikiには作曲年は1956年と記載されているが、CDパンフレットには 「/1961」 という表示があり、V~Xと同様、改訂があったのだと思われる。

シュトックハウゼンといっても私はほとんど知らなくて、学校の教科書に出てくるのは必ず《少年の歌》(Gesang der Jünglinge, 1955-1956) でしかない。あぁ電子音楽の人、というような理解で片付けられてしまいがちだが、結果としてそういう刷り込みの弊害は大きい。
でもこの時期のシュトックハウゼンはブーレーズ、ノーノと並ぶ存在であり、曲を聴いた印象はガチガチのオーソドクスなセリーの現代曲である。

歴史的にとらえれば、電子音楽の黎明期にはもちろん今のように製品化されて簡単に音の出るシンセサイザーなどというものはないから、どのように電子音を出すかというのがまず問題であり、技術的に非常な手間をかけているわりにはチープな音だったりする。それはそれで仕方がないのだが、逆にそれこそが電子音楽だという解釈も成り立つ。
しかし、アコースティクピアノのために書かれた作品はすでに完成されているピアノという楽器を使用しているから、音楽そのものとしては完成されているように聞こえるので、「最初はシュトックハウゼンもこんなだったのだ」 というような感慨めいたものがある。

セリーの曲は初めて聴くときは意外性を感じるのだが、ともすると皆同じように聞こえて退屈してしまうということがないわけではない。つまりどんな新規な意匠もすぐに色褪せるのである。それはどんな珍奇な衣裳もすぐに古びてゆくのに似ている。
だがリープナーの弾き方にはその退屈さがない。どれも新鮮であり、それはジャケットの色合いに似て、なんらかのカラーを帯びているが、だからといってストラヴィンスキーのようなカラフルさを連想するのは少し違う (いや、かなり違う)。
それは何のせいかというと、音ひとつひとつの粒立ちのよさであり、それは非常に考えられコントロールされているピアニズムにあるのだと思う。フォルテシモの強い打鍵であっても荒々しさや粗雑さが無く、どのように音を出すかということに関して配慮された美を持っている。これは曲構造を解釈し吟味したうえで到達した一種の余裕なのだろう。

ほとんどの曲は比較的短いが、XIの2つのversionは15’45”、14’37”と比較的長く、Xのみが44’47”と超絶的に長い。延々と無音の部分があったりするのだが、それはポリーニが弾いている動画がYouTubeにあるのでそれを見るとわかる。だがポリーニの演奏時間は約24分。リープナーの半分に近くて、現代曲というものが厳密そうに見えていながら必ずしもそうでもない一面がここにあらわれている。
そしてリープナーのフェルドマンの演奏における遅さがこのシュトックハウゼンにも踏襲されているようにも見える。なぜ遅いのか。しかしそれは近年のポゴレリッチの遅さとは異なる意味での遅さだと思うのだ。


Sabine Liebner/Stockhausen: klavierstücke I-XI (WERGO)
カールハインツ・シュトックハウゼン : ピアノ曲 I-XI / ザビーネ・リープナー (Karlheinz Stockhausen: Klavierstucke I-XI / Sabine Liebner) [CD] [Import] [日本語帯・解説付]




Sabine Liebner/Stockhausen: Klavierstücke II, Nr.2
https://www.youtube.com/watch?v=zL7viIqfJeE

Forum Neuer Musik 2011:
DLF-Festival für zeitgenössische Musik “goes Germany”
https://www.youtube.com/watch?v=lC2z6l-EoQU

Herbert Henck/Stockhausen: Klavierstücke I
https://www.youtube.com/watch?v=-hGHH4IDHAk

Maurizio Pollini/Stockhausen: Klavierstücke X
https://www.youtube.com/watch?v=qfRlVvqBfYA

参考
Maurizio Pollini/Webern: Piano Variations op.27
https://www.youtube.com/watch?v=iJfF1THDnuY
nice!(85)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽