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ローヴァーBRMのこと [雑記]

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『CAR GRAPHIC』(以下CGと略) 2018年12月号をパラパラと見ていたら、Sportscar Profile Seriesという連載にガスタービンカーのことが解説されているのに目がとまった。レシプロと異なる原理によるガスタービンは、CGに拠れば第二次大戦末期のメッサーシュミットなどで試みられたとのことだが、戦後それは当然のこととして自動車にも応用される成り行きになった。そうした試行錯誤のなかでのローヴァーBRMに関しての紹介記事なのである。

CGは誌名の通りのグラフィック誌であるので、私は一種の美術誌としてとらえていたりするのであるが、それは極端というか一種の韜晦なのだとしても、普通の自動車に関する雑誌とはやや異なるスタンスをとっていてそれがずっと変わらないのは事実である。
ローヴァーはいわゆるオースチン・ローヴァーを端緒とするイギリスの自動車会社であったが、最終的にドイツのBMWの傘下となり、そして消滅した。だが 「ミニ」 はBMWエンジンではあるがいまだに生産されている。といってもすでにミニでない 「ミニ」 になってしまっているが。

ローヴァーはガスタービンを開発し実用化しようとしたが、その過程でル・マンに出場するという話が持ち上がった。しかしローヴァーはレース用の車をセッティングするノウハウを持っていなかったために、その相棒として選んだのがBRMであった。BRM (British Racing Motors) はその当時のF1におけるコンストラクターズであり、ロータスと並んで最も優秀なチームである。
だが1963年にル・マンに初めて出場したときは、急遽その出場が決まったため時間がなく、そしてBRMもF1にかまけていてそれだけの力を持ち合わせておらず、外見上は2シーターのル・マン風なデザインであったが中身はF1の流用に過ぎなかったとのことである。架装されたボディも、いかにも速そうな当時のレーシングカーのラインの延長線上でしかなく、しかも結局この1963年車は特殊なエンジンであるのでレギュレーションに適応せず、特別参加ということになった。ゼッケンは00である。この1963年のル・マンの際の写真はほとんど存在せず、CGでも入手できなかったとのことである。
ドライヴァーはグレアム・ヒルとリッチー・ギンサーであり、リタイアすることもなく走り切り、総合7位となる順位であったが特別参加のため、ランキングからは除外されている。

さて、燃料の問題などをクリアしようとして、同時にレギュレーションも変わったため、翌1964年に参加するためのチューンが行われたのだが、レースカーを運搬している途中で壊してしまい再生することができず不出場となった。そして1965年にやっと正式に出場することとなり、一般的にローヴァーBRMとして知られているのはこのときの車である。ドライヴィングしたのはグレアム・ヒルと、新鋭ジャッキー・スチュワートであった。ゼッケンは31である。
この1965年車はトラブルにもめげずなんとか完走し、総合10位を獲得する。しかしその後、ローヴァーはレースに対する取り組みを辞めたため、ローヴァーBRMもそれが最後の運命となった。

1965年車は、1963年車があまりにデザインされていないという社内の批判に応え、デザインされたものとなったが、前面にヘッドライトが埋め込まれているのが特徴的で、CGでは美しいデザインと表現されているが、ややトリッキーな、昔日の感覚で設計された近未来車とでもいうようなデザインであった。そのため強く印象に残るである。
CG1965年8月号のキャプションには 「ゴーッという吸入音とバサバサという風切り音しか出さずいつのまにかしのび寄るローヴァーBRMタービン」 とあるが、YouTubeなどの動画では、非常に異質な音色のエンジン音であり、それはどうなの? という疑問が残る。

この年のル・マンはフェラーリ250LMが勝ったが、上記号のCGには250LMという表記と275LMという表記が混在している。これはフェラーリの表記法からすれば排気量的には275とするほうが正しいからである。しかしトップも2位もプライヴェートであり、ワークスの275P2と330P2は全滅した。
結果として250LMは32台しか生産されず、プロトタイプカーとして終わってしまったが、ローヴァーBRMほど極端ではないが、プロトタイプとしての未完成だけれどそれゆえに新鮮な魅力が存在する。この2台の稀少な車に往事の、まだ自動車に未来があった頃の見果てぬ夢を感じるのである。

インドア・カー・クラブという飯田裕子のコラムはブガッティ・トラストというミュージアムのことがリポートされていて興味を引く。そこはH・G・コンウェイのコレクションを集めたミュージアムなのだそうで、さすがイギリスと思ってしまうマニアックさである。エットーレ・ブガッティは息子であるジャンに将来を託そうとしたが、ジャンは30歳で事故死した。そしてブガッティはエットーレの逝去によって衰退してゆく。ジャンがタイプ41のロワイヤルを設計したのは23歳のときであった。そのはかなさはディーノの愛称で知られるアルフレード・フェラーリに通じる悲哀がある。

ジョージ・ハリスンのwikiにはデイモン・ヒルとの親交に関する記述がある。

 少年時代からモータースポーツのファンで、70年以後観戦にも熱中した。
 79年のインタヴューでも車好きを明らかにした。ニキ・ラウダらのレー
 サーとの親交を深め、自身もレースにドライヴァーとして参戦した。彼
 は79年にF1ドライヴァーのジャッキー・スチュアートらに捧げた曲
 「Faster」をアルバム内で発表した。「Faster」の印税は、29歳で癌で
 亡くなったF1ドライヴァーの癌基金に寄付された。顔がジョージとそっ
 くりと言われるレーサーのデイモン・ヒルと親交があり、参戦資金が不
 足していたヒルがジョージに支援依頼の手紙を郵送。ジョージは資金を
 提供した。数年後、F1チャンピオンになったデイモンは返済を申し出る
 が、ジョージは辞退した。

デイモン・ヒルは金銭的にずっと苦労が絶えなかったようで、彼の実力はそれによって阻害された部分があるように感じる。そしてデイモン・ヒルは、もちろんグレアム・ヒルの息子である。あれほどの有名ドライヴァーだったのにもかかわらず、グレアムからデイモンに遺されたものはほとんどなかったのだという。

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CG 2018年12月号 (カーグラフィック)
CG 2018年 12月号[雑誌]




Rover BRM
https://www.youtube.com/watch?v=90DQl6kf_48

https://www.youtube.com/watch?v=o2Il3sQLwUY
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荒井由実《MASTER TAPE》 [音楽]

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《MASTER TAPE》~荒井由実 「ひこうき雲」 の秘密を探る~ というNHKで放送された番組をYouTubeで観た。放送日は2010年01月16日というから8年前。その後も再放送されたらしいが、私はもちろん初見である。
前記事のビートルズ/ホワイト・アルバムに関する感想の中で私は、こうしたアーカイヴ音源の究極はマスター・テープをそのまま再現することにあるのではないかと書いたが、実際にはそれは単純に技術的な困難さだけでなく著作権法的にむずかしいのではないかと後で思いついたのだけれど、でもマニアの欲望は果てしないとも言える。大作家になると子ども時代の日記まで公開されてしまうことがあるが、完成品でないものを見てしまう/聴いてしまうという行為にはそれに似た感触がある。そんなことを考えながら動画を渉猟しているうちにこの放送の記録に行き当たった。

《ひこうき雲》は松任谷由実がまだ荒井由実だった頃の1stアルバムである。そのマスター・テープをその当時のスタッフ達と聴いてみようという企画がこの番組の趣旨である。
ビートルズの《ホワイト・アルバム》の頃は、録音するテープレコーダーのトラック数は4で、後半から8になったとのことだが、《ホワイト・アルバム》がリリースされたのが1968年11月 (日本発売は1969年1月)、そして《ひこうき雲》がリリースされたのは1973年11月。5年間の間にトラック数は16に増えている。テープ幅も2インチであり、それが当時の最先端であったことがわかる。まさにアナログの磁気テープがどんどん発展していった時期である。とはいえ、まだ16しかトラックがなかったともいえるし、76cmも無いし、2台をシンクロさせるというようなことも無い時代なのだ。

レコーディング・ディレクターの有賀恒夫とレコーディング・エンジニアの吉沢典夫、この2人によってマスター・テープは再生され、そして聴きたいトラックだけ選択して再生することにより、それぞれがどのような音を出していたのかがわかる。これってオーケストラの練習で 「この部分だけ、キミのソロを聴かせてください」 と指揮者から言われてるのと同じようで、めちゃめちゃ恥ずかしいのかもしれない。でもプロだからそんなことはないのだろうか。私が思い出したのはセロ弾きのゴーシュだった。

音を聴きながら、こまごまとしたどうでもいいようなことをしゃべっているのを聞くのがこういう内容の場合には一番面白い。「ひこうき雲はプロコル・ハルム」 とか言われると、ああなるほど、そういうことか、と思うし、ドラムセットはひこうき雲のときは黒のラディックだったけれど、後のほうではスリンガーランドだったとか、う~ん、ホントにどうでもいいようなことなんですけれどそれがいいの。

ユーミンはブリティッシュ志向だったのにもかかわらず、松任谷正隆などのメンバーはアメリカ志向で、最初はそれに違和感があったという。〈ベルベット・イースター〉を聴いているとき、細野晴臣が 「ミックスがイギリスっぽい」 といい、さらに 「コンプ感が」 といっていることからも、アメリカ風味かイギリス風味かの葛藤があったのかもしれないと思わせる。

シー・ユー・チェンという人が出て来て、彼はユーミンという愛称をつけた人だということだが、フィンガーズというバンドがプロとして活動するようになってからのメンバーでもある。というのはユーミンはフィンガーズの追っかけをしていたというのが知り合うことになった元なのだそうだ。
フィンガーズはグループサウンズ隆盛期の頃のインストゥルメンタル・バンドで成毛滋がギタリストだったことで有名だが、その音源はYouTubeではほとんど無くてよくわからない。〈ツィゴイネルワイゼン〉の音質のよくない録音があったが、リズムがぐちゃぐちゃなのはまだアマチュアの頃なのだろうか。私は〈ゼロ戦〉というシングル盤を知人が持っていて聴いたことがあるのだがほとんど記憶がない。
むしろビザール・ギターと呼ばれたりする当時のグヤトーンの変形ギターを使っていたということのほうがビジュアル的に有名で、そうしたムックには必ず登場するが (といっても高見沢俊彦ほどのビザールさではないけれど)、そうした当時の造形は、たとえば、もっと昔の、流線形自動車などと言われていた奇矯ともいえるデザインが流通していた頃のカー・デザインと相通じる部分がある。

〈ベルベット・イースター〉は実際にピアノでイントロを弾く場面があるが、その瞬間、音で世界が変わってゆくような、眩暈を感じるような印象を受けた。アナログ・レコードでいえばB面の1曲目、そもそもベルベット・イースターと言い切ってしまうタイトルそのものがすごい。
それは〈曇り空〉とか、もっとおしなべていえばこのアルバム全体にいえて、それはもともと彼女の作品に存在しているはずの内省的なイメージである。だが時代はそうした繊細さよりも彼女にメジャーな雰囲気を求め、結果として松任谷由実になってから、その欲求は肥大し、まさにユーミンはブランドとなりトレンドになっていった。それに応えるだけの才能が彼女にはあったが、荒井由実名義の作品がいまだに愛されるのは、ファースト・アルバムとか処女作とかいうような、最初の作品にのみ存在するプラス・アルファな何かに共鳴するからなのだろうと思う。

荒井由実から松任谷由実に変わってからの最初のアルバム《紅雀》というのがあって、これに収録されている〈ハルジョオン・ヒメジョオン〉が私の偏愛する曲である。なぜ《紅雀》かといえば、私の感覚からするとこのアルバムが印象として一番暗いからで、それはエンターテインメントとしてのビジネスとは対極にあるように思えるからだ。

 川向こうの町から 宵闇が来る
 煙突も家並みも 切り絵になって
 悲しいほど紅く 夕陽は熟れてゆくの
 私だけが変わり みんなそのまま

川向こうの町から来るのは 「夕焼け」 とか 「夕暮れ」 ではなくて 「宵闇」 なのである。以前ユーミンは、この 「川向こうの町」 というシーンは明神町あたりの風景だと解説していたことがあったのを覚えている。八王子の明神町あたりの川といえば大和田橋の周辺で、その景色は意外に殺伐としていて、川という言葉から連想するような詩的な印象とはやや異なる突き放された風景のように私には思える。
ファースト・アルバム《ひこうき雲》に入っていた歌詞カードも意外にプリミティヴで、でもそうした手作り感や素朴な感触は、その後のメジャーな音楽ビジネスのなかで抹消されてしまったようだった。
私が《紅雀》を聴いたのはリリースされてから随分経った頃で、もちろん後追いだからCDであって、でも時代を外して聴いたからこその冷静な読解力が少しはあったのではないかと思うことがある。ときどき感じるドーンと暗い翳のある何か。初期の頃の音には、今の時代ほど洗練されてはいないけれど、失ってしまった何かがあって、きっとそれは私が失ってしまった時と同じものなのかもしれない。

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荒井由実/ひこうき雲 (EMI Music Japan)
ひこうき雲




MASTER TAPE ~荒井由実「ひこうき雲」の秘密を探る~
2010年01月16日放送 (動画終了後に冒頭部分の繰り返しダブリあり)
https://www.youtube.com/watch?v=rijPt-WGdRk

ハルジョオン・ヒメジョオン
https://www.youtube.com/watch?v=x5HTU2-JjhQ
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坂崎幸之助の〈The Beatles White Albumの秘密〉を聴く [音楽]

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坂崎幸之助&ダイアモンド☆ユカイ
(allnightnippon.comより)

ビートルズのホワイト・アルバム50周年記念エディション発売前日の11月8日夜、オールナイトニッポンGOLDスペシャルという番組で坂崎幸之助とダイアモンド☆ユカイのトークが放送されたのを、そのトーク部分だけYouTubeで聴きました。発売前の大騒ぎみたいなのは、昔のWindows発売の頃を思い起こさせる。あれは何だったんだろう? と今になって思うのだけれど。Windowsもビートルズもイメージとして、ちょっと懐古趣味っぽいように思います。

世界同時発売ということで、それまでは放送もできないらしいなかで、許されている範囲の曲をかけたらしいのだけれど、それは下記リンクのYouTubeではカットされています。約45分ほどなので、聴くのが一番なのだけれど、内容をかいつまんで書いてみます。知っていることもあるし、知らないこともあるし、だけれど、やはり坂崎さんの話術に引き込まれるのはいつもの通り。
お時間のある人は私の駄文など読まず、下のリンクから直接聴いたほうがよいです。

まず最初に坂崎さんが言う言葉。今回のエディションに収録されている未発表のデモ&セッション音源について 「もうどれだけ残ってんだ。ビートルズと大瀧詠一さんは」 という 「つかみ」 に笑ってしまう。ジ・アルフィーなんかせいぜいマスターっきり残ってないよ、とのこと。それが膨大に残っているのは、その頃から未来を見越していたんだろうという推理です。
でも坂崎さんのその当時の感想は、とっつきにくいアルバムであったという。まず2枚組というのはそれまでになかったし、LPなんて高いからそんなに売れないはず。買うのに決心がいりますよね。それにメンバーはすでに求心性を失ってバラバラの状態だったし、それはジョンとポールに対してジョージが擡頭してきたことにあるのだろうと。
それでその2枚組というのに影響されて加藤和彦が2枚組アルバムを出そうとして、結局却下されて1枚になってしまったことをアルバム解説でグチッているのだそうです。ビートルズも加藤も当時は同じ東芝だし、対抗意識があったのでしょうけれど、でも相手がビートルズじゃ、ちょっと無理。《ぼくのそばにおいでよ》(1969) ですね。2枚組で出していたら面白かったのに。

話はジェフ・エメリックに。エメリックはジョージ・マーティンの下で働いていたエンジニアで、ビートルズの一番身近にいた人です。それまで禁忌だった方法――バスドラムの中にマイクを入れた人でもある。それ以外にもいろんな録音の技法を編み出した人ですが、今年の10月に亡くなってしまいました。
〈Tomorrow Never Knows〉のヴォーカルを、ジョンから 「ダライラマが山の上で歌っている声にしといて」 と言われて、ジョンは帰っちゃった。いつでも帰っちゃうんだよなぁ、という話です。今、Tomorrow Never Knows を検索したらトップにミスチルが出て来ました。ヤレヤレ。

坂崎さんはホワイト・アルバムをニュー・アルバムとして聴いた世代なのだけれど、キツかった、という。とっつきにくくて、ばらばらという意味ですよね。対するダイアモンド☆ユカイさんは、ビートルズ・ファンの第2次ビートルズブーム世代だといっています。
その頃、赤盤・青盤というのが出た頃だけれど、オレは音楽にうとくてあまり知らなかった。その頃、流行っていたのはクイーンとかキッス全盛なんだけれど、スポーツ少年だったからクイーンとかキッスって見た目がバケモノみたいであんまり (ファンに殴られますよ) ……で、ビートルズの《Please Please Me》から聴き始めたんだとのこと。髪の毛も短いし。これで長髪って言われてたんだ。
それでギターがやりたくなって親にギターを買ってもらったんだけど、何かちょっと違う。つまりガットギターだった。近所のオニイサンに教わろうとしたら〈禁じられた遊び〉で、そりゃないよ、で、やっとコードを弾くというところに辿り着いたんだそう。

Gの音を出すとき、日本の教本では1弦だけ3フレットなんだけれど、イギリスの教本は2弦も3フレットを抑えるように書いてあるんだ。だからイギリス人は皆こういうふうに弾いてるんだとのこと。ああ、3度抜きね、と坂崎さん。そこからギターの話題に。
ポールって3フィンガーでは弾かないで2フィンガーじゃないですか。人差し指っきり使っていない。考えようによっては、すごい適当なんだよね、と坂崎さんが言う。でもそれでないと雰囲気が出ないんだそう。
〈Back in the U.S.S.R〉では3人がベースを弾いていて、という話から、それって後のフィル・スペクターとかそういう音につながっていくのかな、と発展してゆく。ウォール・オブ・サウンドを作るために大瀧詠一もたとえばギターを3人重ねて、でも同じ人が重ねたらダメで、違う人が3人で同じフレーズを弾くことによって音に厚みが出るのだそうです。

エリック・クラプトンの話では〈While My Guitar…〉だけでなく〈Yer Blues〉も。でも当時はそういう情報は得られなかったから謎だった、と坂崎さん。
最も有名な〈Strawberry Fields Forever〉の2つのテイクをつなぎ合わせた話。速い回転数のテイクを遅く、遅いテイクをやや速い回転数にして、つないでしまったのだけれど、結局、コードをAで弾くのかB♭で弾くのかという問題があるのだそうだ。あぁ確かに。
そういうことをわざとやってしまったのがサイケデリックですよね。

イーシャー・デモ全27曲というのは、ジョージ・ハリスンの自宅で録音したアコースティク・デモで、坂崎さんはこれがとても気になるという。ホワイト・アルバムに収録されなかった曲も入っていて、ポールのソロ1作目に収録された〈Junk〉も入っている。〈Not Guilty〉はテイク102と記載されていて、でも結局、ボツだったわけです。
そしてポールはビーチ・ボーイズの《Pet Sounds》に影響されて《Sgt. Pepper’s…》を作ったのだということだが、wikiにはそのこととともにビートルズの《Rubber Soul》が《Pet Sounds》に影響を与えたと書いてある。ブライアン・ウィルソンとポール・マッカートニーとの関係性、互いに与えた影響というのは面白い。

〈Michelle〉のイントロのポールの独特なベースライン。これは以前にも聞いたことがあって、その解説の動画もあった。確かにそうだよね。すごく納得します。
最後の話題として、それまでビートルズなんてうるさいだけ、といっていたクラシック畑の先生がたが、〈Yesterday〉を聴いたとき、そのコード進行の斬新さに、これはちょっと普通のバンドとは違うんじゃないかと思ったというのを、ドイツに行く飛行機のなかで服部克久先生がおっしゃっていたとのことです。

ただ、こういうホワイト・アルバムみたいな 「全部出し」 の行く付く先は、マスター・テープをそのまま再現することにあるんだと思います。つまり8chあったらそれを各ch毎に選択しても音を出せること。ハイレゾとか各種のハイスペック仕様CDじゃなくて、マルチトラックの再現こそが究極のはず。それは現在のCDの仕様では無理なので、でも最終的にはそれがマニアの望むものなのかもしれないのだけれど、それが成立するだけの需要はやはり無いでしょうね。

リンクの最後に〈Yer Blues〉を。
ジョンってやっぱり歌うまいよね。(コラコラ ^^;)


The Beatles [white album] (Universal Music)
ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)(スーパー・デラックス・エディション)(限定盤)(6SHM-CD+Blu-ray)




坂崎幸之助&ダイアモンド☆ユカイ/
オールナイトニッポンGOLDスペシャル
THE BEATLES WHITE ALBUMの秘密 (トーク部分のみ)
https://www.youtube.com/watch?v=OjpYTkMQb2c

坂崎幸之助/MIchelleのベースラインについて etc.
https://www.youtube.com/watch?v=jqhFbg9IeyQ

Yer Blues/
John Lennon, Eric Clapton, Keith Richards,
Mitch Mitchell (Jimi Hendrix Experience)
https://www.youtube.com/watch?v=Iuy-10Ejck4
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Et que je ne peux t'oublier ― フランシス・レイ [音楽]

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フランシス・レイ (Francis Lai, 1932-2018) といえば映画《男と女》の音楽を担当した、という紹介記事ばかりで、それだけ売れた映画なのかもしれないのだけれど、そればかり言われるのではちょっと悲しい。
wikiを読んでみても、さらっとアウトラインをなぞっているだけで 「そんなもんなの?」 と思ってしまう。さらにfr.wikiを見てもたいして違いはなかった。もう過ぎてしまった人だということなのだろうか。

《男と女》の音楽はフランシス・レイにとっての出世作であるだけでなく、俳優として出演し、主題歌を歌ったピエール・バルーにとってもその後の活動のきっかけとなる作品だった。バルーは映画の中で〈サンバ・サラヴァ〉という曲を歌っているが、この曲はヴィニシウス・ジ・モライスの詞にバーテン・パウエルが曲をつけた作品であり、バルーはその詞をフランス語に翻訳して歌った。ヴィニシウスはブラジルの音楽を考える上で非常に重要な人物であり、それは今読んでいる本から得た知識なのだが、バルーがそうした曲に着目し、そしてその後の自分の音楽レーベルにサラヴァと名づけたことなど、すべてがこの映画から始まって派生していったと思えなくもない。
サラヴァといえば、サラヴァ・レーベルにおける最も有名なブリジット・フォンテーヌのアルバム《comme à la radio》のアナログ盤がつい最近、復刻されたばかりである。

さて、ja.wikiよりはやや詳しいfr.wikiに拠ればフランシス・レイのPrincipales chansonsとして、フランスではエディット・ピアフ、マリー・ラフォレ、ピエール・バルー、ニコール・クロワジールなどが挙げられている (ニコール・クロワジールは〈男と女〉をバルーとデュエットした人である)。
そしてマリー・ラフォレの〈Je voudrais tant que tu comprennes〉はミレーヌ・ファルメールが最初のコンサートで、コンサート最終曲としてカヴァーしたことで知られる作品であるが、ラフォレ自身の歌唱も複数に存在する。
フランシス・レイはもともとアコーディオン奏者であり、聴きようによってはチープなその音色が、きっとこの曲には合っているのだろう。ホーナーの、少しキツいかもしれないと思える音色のボタン・アコーディオン、涙とともに歌う歌のようなのだが、そんなに優れている歌詞とはいえなくて、つまり比較的通俗な歌詞でしかなくて、曲の魅力のほとんど全てはそのメロディにあるような気がする。

 Je voudrais tant que tu comprennes
 Toi que je vais quitter ce soir
 Que l’on peut avoir de la peine
 Et sembler ne pas en avoir

Et que je ne peux t'oublierというのが歌詞の最終行で、 je ne peux t'oublierは英語だとI can not forget you、あなたを忘れることはできない、という意味だが、それは今まさにフランシス・レイへの言葉となって響く。


Marie Laforêt/Marie Laforêt (Musidisc)
Marie Laforet




Marie Laforêt/Je voudrais tant que tu comprennes
https://www.youtube.com/watch?v=KvYvc7RHbBI

Marie Laforêt/Je voudrais tant que tu comprennes
Les archives de la RTS
https://www.youtube.com/watch?v=rFgnQZ7WwJI

Mylène Farmer/Je voudrais tant que tu comprennes (Live)
https://www.youtube.com/watch?v=Ocl1fVuMEFg
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While My Guitar Gently Weeps ― Beatles [音楽]

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ビートルズの通称《ホワイト・アルバム》は私にとってずっと〈While My Guitar Gently Weeps〉の入っているアルバムでしかなかった。それは、最初に《ホワイト・アルバム》というレコードの存在を知った頃には、統一のとれていない色々な傾向の曲を詰め込んだような白いジャケットが、まだ未完成のデモ盤のようにも思え、自分の家でない場所で聴いてみても1回や2回ではなんだかよくわからなかったという記憶だけが鮮明に残っている。
今考えればそれは、単に音楽の聴き方が不慣れで幼稚だったのに過ぎないのだが、そんな中で強く印象に残った曲のひとつが〈While My Guitar Gently Weeps〉だった。わかりやすい曲だったということなのだろう。

その頃、私たちはド下手なバンドをやっていて、何かの折りに誰かが〈While My Guitar…〉をやろうと突然言ったのだ。いや、正確にいえばそれにはきっかけがあったのだと思う。初めて借りた練習スタジオは渋谷の坂の途中にあって、ずっと過去のことのはずなのに、階段に差し込む光線の具合やその勾配の感触が、今でもありありと蘇る。階段を上がっていくと部屋は身分不相応に広くてグランドピアノが置いてあった。普通、ロックバンドの練習スタジオなんてもっとずっと狭くて、しょぼいキーボードが1台置いてあるのがせいぜいのはずだ。もしくはキーボードは無くて持ち込みだったり、別料金でレンタルだったりした。それなのにグランドピアノである。けれどその時の練習がどんな結果だったのかは全く記憶になくて、でもそれからしばらくして、〈While My Guitar…〉をやろうと言い出した理由として 「あのイントロがカッコイイんだよな」 と付け足された言葉には、きっとそのときのスタジオのグランドピアノを意識して言ったのだということがすぐに理解できた。

よぉし、練習するぞ、とそのときは思ったのだが結局そのスタジオに再度行くことはなかった。きっとスタジオ代が高かったのだと思う。それに〈While My Guitar…〉をやろうという提案は、ごく軽い思いつきに過ぎなくて、誰もがそんなにこだわっているような曲ではなかったのだろう。私を除いて。
確固とした目標を持たないバンドは、所詮音を出すためのお遊びにしか過ぎず、やがてそれは消滅してゆき、そういうことがメンバーを変えて、あるいはバンドを変えて繰り返され、そして私がやりたいと思うような曲はいつも採用されず、あまり気乗りのしない曲だとやる気が起こらず、その結果として私は次第にそうした活動から遠ざかっていった。それはそんなに間違ったことではなかったと思う。もともとそうした情熱は持ち合わせていなかったし、時間は決して永遠にあるのではないからだ。
だが、今思い出してみると、そうして時間が永遠に続くと思っていた頃のほうが、時間を無駄に消費していたにせよ、もっと何か純粋なものがあったように思える。それは私だけが抱いていた幻想かもしれないのだが、その稀有ななにかは経験値という手垢のついたものと引き換えに永遠に失われてしまったのだ。それが年齢を重ねるという残酷な証拠なのだ。

YouTubeから幾つかの〈While My Guitar…〉を探し出して聴いてみる。オリジナルは思っていたよりもチープなのだけれど、でもこの音はこれしかない。あたりまえだけれどジョージ・ハリスンの声が若い。
1987年のプリンス・トラスト・ロック・コンサートのジョージは、少し前へ前へと食ってゆくリズムが刹那的でカッコイイ。ピアノがオリジナルとは違うのが残念。
2004年のア・トリビュート・トゥ・ジョージ・ハリスンは、最後にプリンスが全部持って行ってしまうところが思わず笑う場面なのだろう。ギターは全然、gently weeps していないが。

今回のリミックスと諸々の別テイクは、分厚い美術書のような立派なパッケージングをされていて、モノクロの4人の肖像が透明な厚手のフィルムに印刷されてカヴァーになっている。それはビートルズが音楽という歴史のなかにこうしたアーカイヴとして認知されてしまったことをも意味する。豪華で美麗なのだけれど、同時にもう甦らない秘匿の匣のようでもある。
私の心のなかにあるホワイト・アルバムは、そうしたよそゆきの貌でなく、カドの擦り切れたジャケットの白いアルバムに過ぎないのだ。


The Beatles [white album] (Universal Music)
ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)(スーパー・デラックス・エディション)(限定盤)(6SHM-CD+Blu-ray)




George Harrison/While My Guitar Gently Weeps
The Prince’s Trust Rock Concert 1987
https://www.youtube.com/watch?v=gF-l93gRr68

Prince, Tom Petty, Steve Winwood, Jeff Lynne and others/
While My Guitar Gently Weeps
A Tribute to George Harrion 2004
https://www.youtube.com/watch?v=6SFNW5F8K9Y

The Beatles/While My Guitar Gently Weeps
https://www.youtube.com/watch?v=D-dONCnY_Yg

*トップ画像はNo.0000001のホワイト・アルバム (amass2016/09/02より)
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ポール・スチュワートのメトネルを聴く [音楽]

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Paul Stewart

ロロンス・カヤレイの弾くNAXOS盤メトネルのヴァイオリン・ソナタは私の愛聴盤だが、そこでピアノを弾いていたのがポール・スチュアート (Paul Stewart, 1960-) である。ポール・スチュアートという名前は比較的ありふれた名前らしくて、検索するとまずファッション・ブランドが出てくるし、サッカー選手やミュージシャン、さらにはレーシング・ドライヴァーなど、その人たちのデータが幅をきかせていて、本来の目的であるポール・スチュアートにまで到達しにくい。

カヤレイのメトネルを繰り返し聴いていたこともあって、以前のブログではそのカヤレイのアルバムとボリソ=グレブスキー/デルジャヴィナというコンビによるアルバムと聴き較べようとしたのだが (→2018年06月23日ブログ)、そしてその結論は、そんなに違わないという曖昧な感想のままに終わっているのだが、ヴァイオリンを離れてメトネルのピアノ曲をひとりで弾いた場合、スチュアートがメトネルに対してどのような解釈を見せるかということに興味を持った。つまりアムランやデルジャヴィナのメトネルへのアプローチとの比較といってもよい (ヴァイオリンにおけるカヤレイのメトネルへの解釈については、書きたいことがあるのだがそれはまた後日に)。

ポール・スチュアートはカナダ人のピアニストであるが、メトネルのピアノ全集で評判になったマルカンドレ・アムランもカナダ人であるのが、偶然とはいえ不思議な感じがする。CDはGrand PIanoというレーベルからリリースされていて、NaxosとHNH Internationalの名称が記載されているので、Naxosのレーベルのひとつだろうが、マイナーなレーベルだと考えてよい。
Medtner: Complete Piano Sonatasというタイトルで1と2が出ているのだが、もちろん全曲は網羅されていないのでこれから続編があるのだと思われる。ちなみにアムランのメトネル全集は4枚組である。

スチュアートの1枚目で目を惹くのは冒頭に収録されているソナチネ g-mollである。1898年に作曲された習作的な曲であり作品番号は付いていない、medtner.org.ukのリストに拠れば、メトネルの逝去30年にあたる1981年にグリンカ・ミュージアム所蔵の手書譜より作成し出版されたとある。パブリッシャーは Moscow “Muzyka” だが、このソナチネはアムランの全集には収録されていない。
メトネルは1880年生まれだから、1898年というと18歳でまだモスクワ音楽院に在学中の作品である。スチュアートのCDの次曲はソナタ第1番 f-moll op.5であるが、このf-mollソナタが書かれたのが1902~03年、この第1番と較べるとソナチネはいかにも習作であり、完成度にはかなり落差がある。緻密に重なり暗く曲がりくねっていくようなメトネルの特徴はあまり見られないが、メトネルにしては音数の少ない軽い表情であるがゆえに、曲想からほの見えてくる憂いの予感はすでにメトネルである。
ソナチネ g-mollは2つの楽章からなるので、CDも2つのトラックを占めているが、tr3に移ってソナタ第1番が始まると、一挙に憂いは深まり、やはり季節は冬だったとでもいうような重いロシアの音に変わる感じがする。

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Medtner: Sonatine g-moll

重いか軽いかということを単純に時間だけで較べることはできないが、たとえば第1番 op.5で演奏時間を較べてみた場合、ポール・スチュアートは35’26”、しかしYouTubeにあるルカ・ドゥバルグでは33’32”、さらにボリス・ベレゾフスキーでは30’11”である。YouTubeのplaytimeは演奏時間そのものとは限らないし、ペレゾフスキーはライヴ映像であるから、演奏そのものの前後にさらに時間があることを考えると、スピードはかなり速い。
しかしメトネルの場合、速度が速ければよいというものではない。速ければ憂いは消し飛ぶかもしれないし、といって遅過ぎると暗さは濁って滞留する。カヤレイはメトネルが楽譜に書き込んでいる細かい指示を大切にすべきだと力説している。また、音楽には実際の速さと見かけの速さがあって、速そうに聞こえているが実はそんなに速くはなかったり、速度変化が極端に思えてもそれは速度でなく演奏方法によるまやかしだったりすることも存在する。

そういう観点からすればアムランの速度は速すぎるときがあるのかもしれない。たとえばop.53-1の第2楽章ScherzoはPresto leggeroなのだが、すごいPrestoである。といってもアムランは、技巧だけが取り柄となるストラヴィンスキーの《ペトルーシュカからの3楽章》みたいな曲は弾かないと言っている。

ベレゾフスキーの速度は斬新といえば斬新だが、速さのなかに取り落としてしまうものもあるような気がする。ただ、取り落としてしまうはかなさもそれはそれなりの美学なのかもしれない。ドゥバルグはアゴーギクが少し私の好みに合わない。でもこういう緩急もありなのかもしれない。
その点、スチュワートの第1番は適度な速度感覚と陰翳に彩られていて、しかもそれは決してどぎつくなく、かと言って淡彩過ぎることもないので、メトネルの作品に籠めた想いをよく表現しているように感じる。第4楽章のsempre sotto voceと指示のある、フーガのようにして始まる個所が心に沁みる。少し多めのホールトーンのなかにメトネルの影が通り過ぎるような気がする。気まぐれでなくそのスピードで、青白い涙のように。

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Medtner: Piano Sonata No.1 f-moll, mov.IV


Paul Stewart/Medtner: Complete Piano Sonatas・1
(Grand Piano)

Complete Piano Sonatas/Vol. 1




Paul Stewart/Medtner: Complete Piano Sonatas・2
(Grand Piano)

Medtner: Complete Piano Sonatas 2




(Paul Stewartのソロピアノは現在、YouTubeではほとんど視聴できない)
Laurence Kayaleh, Paul Stewart/
Medtner: Nocturne c-moll op.16 No.3
https://www.youtube.com/watch?v=9-w9yALMgoo

Marc-André Hamelin/Medtner: Piano Sonata Romantica op.53-1
第2楽章 Scherzo Presto leggero
https://www.youtube.com/watch?v=qnzh7jzlyQw

Boris Berezovsky/Medtner: Piano Sonata No.1 f-moll op.5
live Moscow, 2008
https://www.youtube.com/watch?v=SMMa964Z2rk
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