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小林司・東山あかね訳『シャーロック・ホームズ全集』のことなど [本]

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河出書房新社より小林司・東山あかね訳の『シャーロック・ホームズ全集』が復刊された。初版は1997年とのことで、そのときにも書店で見た覚えはあるのだが結局購入はしなかった。今回はカヴァー・デザインなどがリニューアルされていて、思わず手にとってしまった。

ホームズの翻訳は昔から延原謙の訳に定評があったが、小林司・東山あかねの訳書にも書かれているように、文章表現的にすでに古くなってしまっているという指摘は当たっていて、それはサリンジャーの野崎孝・訳『ライ麦畑でつかまえて』が名訳といわれながらも、すでに古くなってしまったのと同じ感覚である。私も野崎訳を名訳とずっと信じていたが、村上春樹訳が出たときに参照したら 「これはないよね」 と愕然としてしまったものである。その時代の風俗をあらわす言語表現についてはその傾向が特に顕著である。

さて、その第1巻『緋色の習作』(A Study in Scarlet) は、以前の翻訳タイトルでは『緋色の研究』として馴染んできたが、誤訳であるという観点から小林・東山訳では 「習作」 とされている。こういうところも、たとえば最近のランボーの翻訳が、昔の翻訳からすると革新的なまでに変更されてしまっているのと似ている。
ホームズに関する蘊蓄をいかにも現実にあったことのようにして深く探究する人たちをシャーロキアンと称するが、これは一種の高級な遊びであり、日本におけるその嚆矢は長沼弘毅であった。伊丹十三がそのカヴァー・デザインを担当した何冊かの著書は当時としては洒落た先進的なセンスだったのかもしれないが、今ではその内容も古くなってしまっている可能性があるかもしれないけれど、そこまでの詳しいことは知らない。

『緋色の習作』を見ると全364ページのうち本文は178ページまで。以下は注釈と解説であって、つまり本の半分くらいが注釈になっている。注釈部分はフォント・サイズも小さく2段組なので、量的には注釈のほうが多いように思う。底本はオックスフォード大学版なのだそうだが、その力の入れ方が面白い。
もっとも注釈本といえばすぐに思いつくのが2回目の『校本宮澤賢治全集』であって、各巻が本文と注釈本の2冊に分かれているが、本文より注釈本のほうがぶ厚かったりするのがもはやマニアックである。

他に注釈本を探すとルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』があって、これは本文そのものの翻訳も数多く存在するが、もっとも有名な注釈本はマーティン・ガードナーのものであって、その注釈本の訳書も存在するらしいが、私が読んでいたのはペンギンブックスの少し大きいサイズの黄色系の表紙のペーパーバックであった。同様のサイズと体裁の水色系の表紙の『スナーク狩り』もあるが、これ原文を参照するときに読んでいた。
原書の注釈本はさすがに滅多に買わないが、ミシェル・ビュトールの《La modification》のGerard Roubichou注釈のものをなぜか持っていて、縦長のやや大判のペーパーバックであるが、この本の翻訳タイトルは『心変わり』であり、倉橋由美子の二人称小説『暗い旅』の元ネタ本である (Bibliothèque Bordasという叢書の中の1冊で、他の作家の本も何冊か見たことがある)。

と、話が逸脱してしまったが、シャーロック・ホームズの『緋色の習作』を読み出すと面白い。ほとんど内容を忘れてしまっているのでとても新鮮である。
私はモリアーティ教授というとフルトヴェングラーを連想してしまうのだが、風貌が似ているし、それにフルトヴェングラーはスピード狂で、でも警察がスピード違反を検挙しようと張っていても逃げられてしまうところとか、何かワルっぽいよなぁと思うのである。もっともホームズの小説の中で最も好きなのはもちろん『恐怖の谷』である。

アーサー・コナン・ドイル/シャーロック・ホームズ全集 1 緋色の習作
小林司、東山あかね・訳 (河出書房新社)
緋色の習作 (シャーロック・ホームズ全集 1)

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