SSブログ

小林司・東山あかね訳『シャーロック・ホームズ全集』のことなど [本]

holmes01_cover_231014.jpg

河出書房新社より小林司・東山あかね訳の『シャーロック・ホームズ全集』が復刊された。初版は1997年とのことで、そのときにも書店で見た覚えはあるのだが結局購入はしなかった。今回はカヴァー・デザインなどがリニューアルされていて、思わず手にとってしまった。

ホームズの翻訳は昔から延原謙の訳に定評があったが、小林司・東山あかねの訳書にも書かれているように、文章表現的にすでに古くなってしまっているという指摘は当たっていて、それはサリンジャーの野崎孝・訳『ライ麦畑でつかまえて』が名訳といわれながらも、すでに古くなってしまったのと同じ感覚である。私も野崎訳を名訳とずっと信じていたが、村上春樹訳が出たときに参照したら 「これはないよね」 と愕然としてしまったものである。その時代の風俗をあらわす言語表現についてはその傾向が特に顕著である。

さて、その第1巻『緋色の習作』(A Study in Scarlet) は、以前の翻訳タイトルでは『緋色の研究』として馴染んできたが、誤訳であるという観点から小林・東山訳では 「習作」 とされている。こういうところも、たとえば最近のランボーの翻訳が、昔の翻訳からすると革新的なまでに変更されてしまっているのと似ている。
ホームズに関する蘊蓄をいかにも現実にあったことのようにして深く探究する人たちをシャーロキアンと称するが、これは一種の高級な遊びであり、日本におけるその嚆矢は長沼弘毅であった。伊丹十三がそのカヴァー・デザインを担当した何冊かの著書は当時としては洒落た先進的なセンスだったのかもしれないが、今ではその内容も古くなってしまっている可能性があるかもしれないけれど、そこまでの詳しいことは知らない。

『緋色の習作』を見ると全364ページのうち本文は178ページまで。以下は注釈と解説であって、つまり本の半分くらいが注釈になっている。注釈部分はフォント・サイズも小さく2段組なので、量的には注釈のほうが多いように思う。底本はオックスフォード大学版なのだそうだが、その力の入れ方が面白い。
もっとも注釈本といえばすぐに思いつくのが2回目の『校本宮澤賢治全集』であって、各巻が本文と注釈本の2冊に分かれているが、本文より注釈本のほうがぶ厚かったりするのがもはやマニアックである。

他に注釈本を探すとルイス・キャロルの『不思議の国のアリス』があって、これは本文そのものの翻訳も数多く存在するが、もっとも有名な注釈本はマーティン・ガードナーのものであって、その注釈本の訳書も存在するらしいが、私が読んでいたのはペンギンブックスの少し大きいサイズの黄色系の表紙のペーパーバックであった。同様のサイズと体裁の水色系の表紙の『スナーク狩り』もあるが、これ原文を参照するときに読んでいた。
原書の注釈本はさすがに滅多に買わないが、ミシェル・ビュトールの《La modification》のGerard Roubichou注釈のものをなぜか持っていて、縦長のやや大判のペーパーバックであるが、この本の翻訳タイトルは『心変わり』であり、倉橋由美子の二人称小説『暗い旅』の元ネタ本である (Bibliothèque Bordasという叢書の中の1冊で、他の作家の本も何冊か見たことがある)。

と、話が逸脱してしまったが、シャーロック・ホームズの『緋色の習作』を読み出すと面白い。ほとんど内容を忘れてしまっているのでとても新鮮である。
私はモリアーティ教授というとフルトヴェングラーを連想してしまうのだが、風貌が似ているし、それにフルトヴェングラーはスピード狂で、でも警察がスピード違反を検挙しようと張っていても逃げられてしまうところとか、何かワルっぽいよなぁと思うのである。もっともホームズの小説の中で最も好きなのはもちろん『恐怖の谷』である。

アーサー・コナン・ドイル/シャーロック・ホームズ全集 1 緋色の習作
小林司、東山あかね・訳 (河出書房新社)
緋色の習作 (シャーロック・ホームズ全集 1)

nice!(69)  コメント(8) 
共通テーマ:音楽

nice! 69

コメント 8

末尾ルコ(アルベール)

文芸翻訳というものは誰がどうやっても100%の正解はあり得ないもので、そこが実に人間的で常にワクワクさせられます。
シャーロック・ホームズ物はひととおり読んでおりますが、いずれも従来の翻訳ばかりでして、新訳、気になります。河出書房装丁は基本大好きですし。書店の棚の中で光って見えるんですよね。
それにしても『緋色の研究』を『緋色の習作』にするだけでずいぶんイメージが変わりますね。これも言葉の持つ力の凄さ、怖さの一例なのではないかと。
ホームズ物は想像力を刺激してくれる魅惑的なタイトルが多いですよね。これは優れた作家(特にミステリ作家)に多い傾向が当然ながらあるのでしょうが、『恐怖の谷』はもちろんのこと、「ボヘミアの醜聞」「踊る人形」「バスカヴィル家の犬」など、どれだけ心を掻き立てられたことか。江戸川乱歩やモーリス・ルブランらも、特に子ども時代の心に響く、揺さぶるタイトルを作ってくれています。
注釈が多い作品と言えば、ジェイムズ・ジョイスが心に浮かびますが、注釈とじっくり取り組みながらの読書もいいですね。
現在鴻巣友季子役の『嵐が丘』と昔からある文庫版のウィリアム・フォークナー『八月の光』を、どちらも久々に読んでます。『嵐が丘』は表現も親しみやすく字も大きいので(笑)、進む進む。初めて『嵐が丘』を読んだのは何かの全集だったと思いますが、やはりずいぶんと印象は違います。おもしろいですね。新訳、いろいろ手に取ってみねばとあらためて思います。RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2023-10-14 19:45) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

この小林司・東山あかね訳も初版は26年前ですから
もはや新訳というほどではないです。
この訳以後も新訳が複数出ているようですが
タイトルの 「A Study in Scarlet」 の訳は
「緋色の研究」 がほとんどのようです。
実は以前にこの本が出たとき買わなかったのも
「緋色の習作」 というタイトルに馴染めなかったからなので
納得できる部分もあります。

『不思議の国のアリス』もものすごい数の翻訳があって、
ジョイスをはじめとするこの手の作品の柳瀬尚紀の訳は
とても定評があるのですが、
私は柳瀬訳に対して 「ちょっとこれは……」 という気持ちもあって、
それはフィネガンに対してもありますし、
これは単に好みの問題なんですが、
つまり万人に向く翻訳というものは存在しないので
ホントに翻訳はむずかしいと思います。

鴻巣友季子については
以前のマーガレット・ミッチェルの記事で触れましたが
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2019-07-13
旧・ツイッターにはフォークナーの
『アブサロム、アブサロム!』に対しての言及がありました。
再読すると面白いみたいなことを書かれています。
私は大橋吉之輔訳しか持っていませんが
鴻巣先生にもトライしていただきたいと思います。

翻訳は善し悪しもありますが自分の感覚にフィットするかどうか
というのが重要だと思います。
たとえばヴァージニア・ウルフの場合、
私はみすず書房の著作集を持っていてこれは瀟洒な造本なのですが
イマイチなんというか……だったのです。
といって鴻巣友希子訳の《To the Lighthouse》もあるのですが、
まだ読んでいません。
by lequiche (2023-10-14 22:22) 

青山実花

「シャーロック・ホームズ」は、
小学生の頃、図書館で借りて読んでいましたが、
大人になってからは数冊読んだきりです。
なるほど、訳者さんによって、
印象が変わってしまうのですね。
「緋色の習作」(昔は、「緋色の研究ですか)は、
読んだかもしれませんが記憶にありません。
大人になった今の方が、
ずっと楽しめそうですね。
読んでみたいと思います。

by 青山実花 (2023-10-15 08:21) 

lequiche

>> 青山実花様

ホームズやルパンは児童向けのスタンダードでしたね。
今だと何でしょうか……?
裾野が広がり過ぎていますからよくわからないですし、
そもそもあまり本を読まなくなっている
という可能性もあります。

ホームズの作者であるコナン・ドイルは
あくまで売文が目的でホームズものを書いたので、
しかもあまり続編を書きたくなかったらしいのですが
売れるので仕方なく書いていたとのことなんです。
ですから幾つも書いていくうちにあちこちに矛盾点が出て、
でもそれをなんとか辻褄合わせをして
本当の歴史のように扱うというのがシャーロキアンなのです。
ですからかなり複雑な遊びといってよいです。

でも、そこまで深入りしなくても
普通に読んでも楽しめるのがホームズのよいところです。
それとこれは翻訳の話から離れますが
英語の原文自体が大変に美しいです。
それもホームズものの魅力のひとつなのだと思います。
by lequiche (2023-10-15 22:58) 

coco030705

こんばんは。
シャーロック・ホームズの小説といえば、中高生のとき、SFといっしょに、のめり込んで読んでいたのですが、誰の訳だったかは覚えていません。でも大好きでした。
今は、BSの「シャーロック・ホームズの冒険」を毎週観ていて、面白いです。
ロンドンの「シャーロック・ホームズ」というパブにも行きました。シャーロックの遺品として、マントや帽子、パイプ?など色々なものが展示してあって、イギリス人のホームズ愛を感じました。
by coco030705 (2023-10-28 23:58) 

lequiche

>> coco030705 様

ミステリやSFは子どもの頃の最初の読書として
のめり込みやすいジャンルですね。
私もそうでした。(^^;)
ドラマの放送もあるのですか。それは知りませんでした。
ロンドンのパブにも行かれたのは大変羨ましいです。
実在しない人を実在しているように扱うというのは
一種のウィットですね。さすがイギリスです。

過去の話をしますとホームズの訳書のスタンダードは
新潮文庫の延原謙・訳でしたが、
創元だと阿部知二・訳、角川が鈴木幸夫か阿部知二で、
早川は大久保康雄なのですが
ポケミスですから入手しにくかったはずです。
それに子どもの頃の私は訳者の違いなど考えませんから
手当たり次第でしたが、理解がすすむようになって
延原訳で読み直したような記憶があります。

上記本文にも書きましたが
延原訳は名訳といわれていましたけれど、
今の時点で見ると言い回しなど、やはり古くなってしまっています。
それはサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の
野崎孝・訳が名訳と言われながら古くなってしまったのと同じです、
ということも書きましたが、
でも延原訳のホームズと野崎訳の『ライ麦畑……』は
翻訳としては時代を超えて重要な業績です。
それに野崎の翻訳には
ジョン・バースの『酔いどれ草の仲買人』(The Sot-Weed Factor)
がありますが、当時の時点でこれを訳したのは先進的だった
と思います。

最近の各出版社の文庫版ホームズは翻訳者も一新されて
文章としては読みやすくなっているのではと思います
(読んでませんけど ^^)。
小林&東山訳はシャーロキアン的な、つまりマニアックな訳で
河出文庫版が同じ訳文なのですが、文庫版は注釈がけずってあるので
今回の全集を一応買っておこうとしたわけです。
この全集は高価ですしマニアック過ぎるのであまりオススメしません。

かつての日本のシャーロキアンといえば長沼弘毅と書きましたが、
その彼の研究成果というかエッセイみたいな本があって
何冊か持っていますが、かなりマニアックです。
でも長沼弘毅は、まずサザランド・スコットという人の
『現代推理小説の歩み』の訳者として認識していたので
シャーロキアンであるというのを知ったのはその後でした。
スコットの『現代推理小説の歩み』というのは非常に古い本ですが、
過去の私はミステリを読む際の指針としていました。

そのあたりのミステリのことは過去のブログに
ヨタ話的ですけれど少しだけ書きましたので
興味がおありしたらご覧ください。
これです。
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2014-10-31
by lequiche (2023-11-06 01:37) 

coco030705

詳しい解説をありがとうございました。
「アクロイド殺し」面白そうなので、注文しました。秋(?)の夜長に読んでみます。2014‐10‐31の記事も読みました。面白かったです。
by coco030705 (2023-11-06 21:28) 

lequiche

>> coco030705 様

『アクロイド殺し』はとても有名なのですが、
内容についてご存知なければ、
ネットなどの他の雑音を聞かずに (ネタバレがありますので)、
まずお読みになるのがよいです。
クリスティのミステリとしてのオーソドクスな作品は
『そして誰もいなくなった』とか
『オリエント急行殺人事件』などですが、
『アクロイド……』はトリッキーですけれど成功作です。
by lequiche (2023-11-07 02:29)