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ベッサラビアの光 — パトリツィア・コパチンスカヤ [音楽]

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Patricia Kopatchinskaja

主にN響の定期演奏会放映番組である 「クラシック音楽館」。見たり見なかったり、見ていてもぼんやりと、という不熱心なリスナーでしかない私なのだが、昨日の放送は思わず引き込まれてしっかりと見てしまった。
パトリツィア・コパチンスカヤの弾くプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番である。指揮はウラディーミル・アシュケナージ。データによると2014年6月7日のNHKホールでの演奏とのこと。

コパチンスカヤは1977年モルドヴァ生まれのヴァイオリニストで、ネットで検索してみたら 「自由奔放な演奏」 というようなステロタイプな形容が多かったが、その言葉から連想されるような熱演型の演奏とは少し違って、テクニックも解釈も、ともに素晴らしい内容だった (モルドヴァはウクライナとルーマニアに挟まれた旧・ソ連の国)。

この21世紀においてプロコフィエフは、もはや普通の古典的作曲家のひとりになってしまったと私は思い込んでいるのだが、やはり曲そのものがわかりにくいという先入観が払拭されているわけではないのかもしれない。
2曲のヴァイオリン協奏曲があるが、どちらかというとヴァイオリニストの腕試し的な曲として見られてしまう傾向もあるようだ。

プロコフィエフの初期ピアノ曲のエル=バシャの秀逸な演奏に対して、リヒテルの演奏を較べてみると録音時期が年代的に古いので仕方がない、と私はこのブログで婉曲に書いたことがあるが (→2012年06月17日ブログ)、よりシビアに言うのならば、それだけの解析力がリヒテルないしリヒテルの時代にはまだ不足していたのに違いないと思う。
時間が経つにつれて近代〜現代曲の、でたらめのように聴こえていた音の流れが、ある意図のもとに作曲されたのだということが私のようなシロウトのリスナーにもわかってくるのだから、つまり耳は年々良くなっていくのだから、まして演奏者の場合、その理解力は時代が経つにつれて飛躍的に高まるはずだ。それは作曲された年代と演奏する現在とが離れていれば離れているほど明瞭さを増してくる。

協奏曲第2番はプロコフィエフ1935年の作品で、ロベール・ソエタン Robert Soëtens の委嘱により書かれたものである。初演はソエタン自身のヴァイオリンによりマドリードで行われ大成功だったという。

コパチンスカヤの演奏で特に感じられたのは、第2楽章 Andante assai の美しさである。持続力がずっと保たれていて、官能的ともちょっと違う、緻密なタペストリーのような柔らかい質感は、堅実なだけでなく曲構造をしっかりと把握しているアシュケナージの指揮の力が大きい。ともするとプロコフィエフはその印象をエキセントリックとか、さらにはグロテスクといった言葉で示されやすいが、そうした負の美学でない流麗さにこの第2楽章は満ちていた。それでいてもちろんその印象はモーツァルトのようなフラットな光に溢れた天国的情景ではなく、もっと違う濃密な色彩を帯びていて、それはコパチンスカヤが炙り出した色彩感なのかもしれなかった。
第3楽章 Allegro, ben marcato はスペイン風味が濃く、カスタネットやスネアドラムにからまるような技巧的なソロ・ヴァイオリンがダイナミックで、フィナーレまで導かれてゆく。コパチンスカヤの音は太く、鮮明だ。

コパチンスカヤへの 「奔放」 というような形容があるのは、彼女が裸足でステージに立つことからだったりすることにもその一因があるが、それをたとえばビョークのステージに擬えたりするのは外見だけの皮相的な思いつきに過ぎない。コパチンスカヤの本質はもっと違うところにある。
使用楽器はデータをそのまま信じるならば1834年の Giovanni Francesco Pressenda であるが、ニスで全体が光り輝き、裏板にもネックにもくっきりとした、いわゆる虎杢が見られる非常に美しい楽器で、演奏が終わった後も、彼女はそれを腰の位置に下ろさず、ずっと上に掲げて持っていたのが印象的だった。

アンコールは、ホルヘ・サンチェス=チョン Jorge Sánchez-Chiong の〈クリン Crin〉という1分足らずの短い現代曲であったが、ふざけたような弓使いのアクロバティックな奏法にコパチンスカヤの声がからまり、会場は笑い声で湧いていた。
この曲は彼女がアンコールで繰り返し取り上げる定番曲のようで、NAXOSの小曲集のアルバムにも収録されている。


Patricia Kopatchinskaja/Prokofiev & Stravinsky (naïve)
Stravinsky; Prokofiev: Violin Concertos




Patricia Kopatchinskaja/rapsodia (naïve)
Rapsodia




Patricia Kopatchinskaja/Jorge Sánchez-Chiong (1969〜): Crin
https://www.youtube.com/watch?v=mJ4nC30QKPk
Patricia Kopatchinskaja/Ravel: Tzigane
https://www.youtube.com/watch?v=w0ObgSKBqTQ
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コメント 2

Enrique

プロコフィエフは嫌いではありませんが,古典・ロマン的な感性とはかなり異質なものがあることは確かだと思います。私はたまたまアルゲリッチの若い時の演奏で比較的愛着があるのですが,往年の巨匠の演奏では違和感あるのかも知れません。
コパチンスカヤさんのこの演奏はFMで聞いたと思うのですが,食事中だったかで真面目には聞いていませんでしたが,たしかににご指摘のような印象だった気がして来ました。プロコフィエフは現代的なセンスと技術を持ち合わせているかの試金石になる様な気もします。
by Enrique (2014-08-05 05:34) 

lequiche

>> Enrique 様

プロコフィエフってかなり普通っぽくなってきましたけど、
少し前までは《ピーターと狼》を除いては
現代音楽といってもいいですから。
どこかで読んだんですが、クレンペラーあたりだと
マーラーの後期はよくわからないから振らなかったとか。(^^;)
マーラーでさえ、そんなもんだと思います。

あ、FMでお聴きになりましたか。
プロコは日本人ヴァイオリニストもかなり弾きますが、
どうしても必死になってしまうのと、線が細いことが多いです。
コパチンスカヤは音が太くて安定してるのがすごいです。
私はヴァイオリニストではスクリデを偏愛していますが、
コパチンスカヤとスクリデとでは、随分傾向が違います。
体型的には似てますけど。(^o^)
どちらもモルドヴァとかラトヴィアとか、
旧ソ連邦の小国の出身ですが、
そういう国だと音楽で世界に出て行くというのは
マーケティング的にも、かなり重要なんだと思います。
by lequiche (2014-08-05 18:32) 

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