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川又千秋『幻詩狩り』を読む [本]

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André Breton

この前のブログ記事に川又千秋『林彪の罠』のことを書いたが、今度は同じ著者の『幻詩狩り』(1984) を再読してみた。この作品は2012年に英語に翻訳されている (Death Sentences/University of Minnesota Press) とのことだが未見である。
読んでみたら予想通りその内容はほとんど忘れていたのだが、ブルトンのトランクというのをキーワードのようにして憶えていて、本の記憶というのは具体的なストーリーの流れではなくて、その場で醸し出される雰囲気のような抽象的なものとして残るのかもしれないと思う。

創元SF文庫『幻詩狩り』の内容紹介文を引用すると、

 1948年。戦後のパリで、シュルレアリスムの巨星アンドレ・ブルトン
 が再会を約した、名もない若き天才。彼の創りだす詩は麻薬にも似て、
 人間を異界に導く途方もない力をそなえていた…。時を経て、その詩が
 昭和末期の日本で翻訳される。そして、ひとりまたひとりと、読む者た
 ちは詩に冒されていく。言葉の持つ魔力を描いて読者を翻弄する、川又
 言語SFの粋。日本SF大賞受賞。

ブルトンの前にあらわれた天才詩人はフー・メイ Who May と名乗るがそれが本名かどうかもわからない。彼はブルトンに詩の書き方の啓示を受けたのだと説明する。その啓示のままに書くと詩が言葉以上の力を持つのだ。それは呪文のように作用し、ブルトンはその詩を読むことによって言葉のむこうに見えないはずの世界を見てしまう。そしてその詩はずっと時を下って日本のプリ・バブル期の時代に出現し、その翻訳文さえもがそれを読む人に影響を与え、次々に自殺者が出るというストーリーだ。
それはまさに幻の詩であり、冷静に考えればそんなことありえないと思いつつも、作者は単なる詩句が人間の精神に強い影響を与えるというリアリティを描こうとしている。

第二次大戦後、1948年といえばシュルレアリスムはすでに変質し没落してゆきつつある時期だった。それは次第にムーヴメントとしての求心力を失い、ブルトンの死とともに過去のものとなって逝ってしまう。
そうしたシュルレアリスム没落の歴史と、この小説が書かれた当時の日本の、好景気な時代とが面白い対比になっている。景気はよくても、でもそれはジョージ・オーウェルの描いた1984年というまさにその年なのだ。

序章では、近未来と思われる日本で、いまだに幻の詩が命脈を保っていてそれを読むことや広めることが禁止されているという世界をハードボイルド風に描いている。取締官はその詩を根絶やしにするためには何をしてもいいということになっていて、そうしたアクション描写を冒頭に置き、倒叙法のようにして過去へと遡ってゆくのである。
でもその取締官が、ふとその詩集のコピーを手に入れて読んでしまい、詩の魔力に取り憑かれてしまうという展開は、ブラッドベリの『華氏451』のモンターグの心理と同じである。

川又のシュルレアリスムへの興味と憧憬は創元文庫のあとがきに述べられているが、その視点はシュルレアリスム運動の総帥であったブルトンの特徴をよくとらえている。

 筆者は、親玉格とされるアンドレ・ブルトンの尊大さに、いささかの反
 感を覚えていた。そこで、そんなブルトンに、寒いパリのカフェで待ち
 ぼうけを食わせてやろうという密かな企みが、実は、前記場面に込めら
 れているのである。(創元SF文庫版著者あとがき)

また川又の言葉に対する考え方が小説のなかで記述されている。

 文章を読む、とは自らを読むことに他ならぬ——そうは言える。
 人は誰も、書き手の文章を読むことはできない。人は、常に、自らの反
 映としての文章を、言葉を、読むのだ。(中央公論社版・p.81)

まず、フー・メイの詩を読むことによって自殺してしまう人たちは、自分たちは自殺するのではなくて、むこうに行くのだという表現をしているのだが、これはトマス・M・ディッシュの『歌の翼に』(On Wings of Song) と同じテーマである。
『歌の翼に』の原作が出版されたのは1979年、その翻訳が日本で出されたのが1980年なので、川又が同書を読んでいた可能性は高い。しかしそれよりも、この時代にはそうした厭世観を助長させる何かがあったのではないか、穢れた涙の谷を離れてどこか彼岸のような場所に飛んでいきたいとするユートピア願望のようなもの。そうしたきっかけの震源となる元があったのではないかという印象があるのだがよくわからない。

川又が描きたかったのは戦後すぐのブルトンの姿であって、それは上記あとがきでも触れられているが、川又には先行する 「指の冬」 (『奇想天外』1977年12月号掲載) という短編があり、そこではパリのカフェで天才詩人を待つブルトンの話と、2131年に火星の街を焼き払う傭兵とそこに現れる 「神」 のような腹話術人形が話の骨子となっている。この作品を長編化したのが『幻詩狩り』なのである。

フー・メイが詩を書くとき、彼には誰かに書かされているのかもしれないという自覚があって、それはシュルレアリスムの方法論である自動記述を援用しているともいえる。「指の冬」 では具体的にそれらの描写があるが、『幻詩狩り』では原因となるべきものはわざと曖昧にぼかされてしまっている。

ノヴェライズの際に、日本でその詩が伝播されていくことになった幻の詩を、著者は池袋の百貨店のシュルレアリスム展に持ち込まれた古い資料のなかにあったと設定しているが、その頃のデパート美術展の活況にリアリティがあって (あり過ぎて) ちょっと面白い。
短編 「指の冬」 では、死に至るその詩は〈指の冬〉と題されていたが、『幻詩狩り』では〈時の黄金〉に変わっている。時の黄金はブルトンの 「私は時の黄金を探す」 Je cherche l’or du temps という言葉から引用されたもので、それはブルトンのエピタフでもある。
シュルレアリスム展のために持ち込まれたブルトンのトランクは未知の品々が入っているという具体性とともに、時を閉じこめた箱というメタファーでもあって、もちろんパンドラの匣でもある。

また 「指の冬」 では天才詩人の名前はジャン=ピエール・カロンであったが、『幻詩狩り』ではフー・メイに変わっている。《Death Sentences》の書評などによれば、フー・メイは fumei であり、日本語の不明 anonymous であるとの指摘がある。そしてカロンは、フー・メイの描写よりももっと直截に美少年であると形容されている。

話はそれるが、フー・メイという名前から私は、以前ブログに書いたメイイー・フー Mei Yi Foo というマレーシアのピアニストを思い出してしまった (→2014年12月22日ブログ参照)。それからさらに派生した話だが、水村美苗によれば 「マレーシア人の作家にはマレー語で書くマレー人と英語で書く華人がいて、華人はマレー語などでは書かない、ではなぜ中国語で書かないで英語かというと英語のほうが世界的に共通する点があるということは確かだろうが、何よりも彼らにとって差別されてきたマレーシアは故郷とは思えないのではないか」 というのである。つまり故郷喪失者なのであるが、それはメイイー・フーにも感じられるし、私が興味を持つのはなぜかそうして故郷を捨てた人が多い。たとえばナボコフのように (→2014年04月15日ブログ参照)。

また1948年という時は、グラックのブルトン論《André Breton, quelques aspects de l'écrivain》が出版された年でもある。グラックはおそらく最後のシュルレアリストで、確かにその経歴のはじめはシュルレアリスムにかかわっていたのかもしれないが、その後の著作はシュルレアリスムの方法論からは限りなく遠い (→2015年03月07日ブログ参照)。
そして『歌の翼に』のタイトルはメンデルスゾーンの同名の歌曲から採られていることを私はあらためて思い出す。メンデルスゾーンの死の影については書いたばかりだ (→2015年04月17日ブログ)。

「指の冬」 には 「アナーキズムとシュルレアリスムは、常に人類の暗流として存在し続けてきた」 と語っている部分があるが、逆にいえばシュルレアリスムはそうした 「イズム」 と名付けられたゆえに崩壊していく運命にあったのだとも言える。


川又千秋/幻詩狩り (東京創元社)
幻詩狩り (創元SF文庫)

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東京タワーを爆破します。理由はあとではなしします。エスエフ作家のかたとお話したいです
by お名前(必須) (2017-01-26 10:12) 

春日

幻…に因んで短歌一首です、

映ろはふ幻にうら掠められ現し身の我(あ)はわりなしと思(も)ふ
by 春日 (2018-11-26 23:36) 

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