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ブラームスはお好き? — 小澤征爾/サイトウ・キネン・オーケストラ [音楽]

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Seiji Ozawa (1992)

ヨハネス・ブラームスの交響曲の成立過程やその構造などについて、最近、全音スコアの野本由紀夫の解説を読んでいるのだがとても面白い。
バッハ、ベートーヴェン、ブラームスがなぜ、3大Bなどといわれるのかという説明が、まず納得させられる。自分こそベートーヴェンの直系であるとする絶対音楽派のブラームス陣営と標題音楽派のリストやワーグナー陣営との、本家と元祖の突っ張り合いみたいななかで、ブラームス派のハンス・フォン・ビューローが、ブラームスは 「ドイツ3大B」 だと唱えたのがはじまりであるのだけれど、その火種は、ビューローとワーグナーの間での、リストの娘であるコージマの取り合いだったりするのが、意外に生臭くてとても人間的だ。

コージマという女性がそんなに魅力があったのかどうかはともかくとして、野本の解説によれば、音楽史家カール・ダールハウスは 「19世紀後半は交響曲の危機の時代だった」 と規定したのだという。
つまりベートーヴェンの交響曲をその規範とした場合、それだけの品格の交響曲がそれ以後、生まれてこなかったということであり、それになんとか適合したのがブラームスの第1番だったのだ。だがその第1番の成立は、ワーグナーの《ニーベルングの指輪》に対抗して作曲されたというのが動機なのだというのである。
ブラームスの第1番はベートーヴェンの第10番であるというような言い方は、それがベートーヴェンのエピゴーネン的な音楽だとするとらえかたではなく、ベートーヴェンの正嫡としての音楽であるということを示している。第1番がベートーヴェンの第5番と同じc-mollであることは偶然ではないのだ。(作品番号のop.68がベートーヴェン第5番のop.67の次であるというのはどうなのだろうか。これは私が勝手に思いついたことであるが)

ブラームスというのは、すごいということはわかるのだが、もう一つ、抽象的というのとはちょっと違う感じにわかりにくい。その音楽の正体がなかなか見えないような気がする。たとえば、とても味がよいのだが何が入っているのかよくわからない飲み物のようである。
でも、野本の解説では (私はまだ第1番と第4番の解説しか読んでいないし、その全部が理解できるほどの素養はないのだが) その特徴が明快に示されている。第1番第1楽章の解説には、

 ブラームスはメロディアスな単一の主題をもとに作曲していない。ある
 いは《運命交響曲》のように特徴的なリズムに依存しているのでもない。
 主要主題自体がさまざまな動機の多層な組み合わせによる 「主題構成体
 thematische Konstellation」 (ダールハウスの用語) であり、その素材
 を全曲に張り巡らせることで、第一楽章を完成させているのである。
 (第1番/p.9)

とある。つまりインスピレーションによる何か印象的なメロディをもとにして、それを変形させヴァリエーションを重ねて行くというような方法論ではなく、ブラームスはもっと用意周到な計画性で作曲をしているのだという。

 そもそも変奏部自体が呈示部の展開的凝縮であった上に、呈示部も展開
 的手法で書き進められているので、展開部は 「展開」 だけを存在意義と
 しない。すなわち、ブラームスが展開部で採った戦略は、調的拡張と、
 新素材による 「暗喩」 である。(第1番/p.11)

暗喩とは、たとえばバッハのコラールの引用ないしはそれに似た旋律を用いることが、当時のリスナーに暗喩としての効果を与えたという意味なのだという。

ブラームスの作曲の特徴の技巧的あるいは人工的な表情は、第4番第1楽章の動機の解説でより明らかになる。
冒頭のメロディがまるで 「ため息」 のようであると感じた当時の人々は、a動機の部分 (h - g / e - c / a - fis / dis - h) に 「Mir fallt / schon wie- / der gar / nichts ein」 (自分にはまたもや何もメロディが思い浮かばない) という替え歌をあてはめて、そのメロディを揶揄したのだという。
そのメロディに対する野本の解説は、

 一見、ただメロディが 「ため息」 のように下行 ([右斜め下]) 上行 ([右斜め上]) を繰り返し
 ているだけのような印象を与える。しかし表層的な音を抽象化してみる
 と前半は下行する3度音列、後半は上行する3度音列からなっていること
 がわかる。なんと、主要主題が確保されるまでの18小節間に、オクター
 ヴ内にある12音のうち、じつに11音までが使われているのである (cis
 音のみが欠如)。(第4番/p.5)

下行する3度とは前述した (h - g / e - c / a - fis / dis - h) であり、これは (e = e / g - h / d = d / f - a / c = c) と続く ( = はオクターヴ跳躍の個所を便宜的に表記した)。
18小節の間にcis以外の11音が使用されているという指摘にびっくりして、一音一音チェックしてしまった。たしかにその通りで11音が使われている。それをただちにシェーンベルクに結びつけることには無理があるが、古くさい伝統的な外見を装っていながら実はそうではないというところにブラームスの特徴がある。

さらにこの2音ずつの音列を、その直後の音を加えて3音のペアとし、順次隣同士を各1音ずつ重複させるようにした和音に注目する。
 (h - g / e - c / a - fis / dis - h)
        ↓
 (h - g - e / e - c - a / a - fis - dis - h)
という意味である (最後のセットは4音)。これはe-mollにおける〈I〉〈IV〉〈V7〉である。

 この3度音列は3音ずつ、順に I (主和音)、IV (下属和音)、V7 (属七和音)
 を形成し、典型的な古典派和声法に合致する。その先は、バス音のcも加
 えて考えれば、VI、III (平行和音)、VII、IV (下属和音) と続くが、驚くべ
 きことに、古典派やロマン派では頻出する II やドッペルドミナント (属和
 音に対する属和音) が全く登場しない。あとでも再三触れるが、全体とし
 てIVの性格が強いことが、この交響曲の大きな特徴であろう。(第4番/p.5)

サンプルとしてブラームスの動画を探していたら、小澤征爾に行き当たった。1992年のサイトウ・キネン・オーケストラの演奏だが、NHKの古い放送録画である。この当時のサイトウ・キネン・オーケストラはすごい。ヴァイオリンのトップは潮田益子と思われるが、オーボエも宮本文昭の全盛期で、なにより小澤がはつらつとしている。音楽の理想の形態の見本がここにある。


Saito Kinen Orchestra Seiji Ozawa 1992 (NHKエンタープライズ)
小澤征爾指揮 サイトウ・キネン・オーケストラ 1992 [DVD]




Seiji Ozawa, Saito Kinen Orchestra/
Brahms: Symphony No.1 in C minor Op.68 
(live 1992.9.5/長野県松本文化会館)
https://www.youtube.com/watch?v=7M7Q7BXh_is

Carlos Kleiber/Brahms: Symphony No.4 (1st mov./first part)
https://www.youtube.com/watch?v=yCaaPaQx5zg
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