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とっても低い空 ― 荒井由実〈ベルベット・イースター〉のころ [音楽]

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もう記憶が曖昧となってしまった頃の過去に、ユーミンと車の好きな友人がいて、思いつきで観音崎までドライヴに行ったことがある。車は、白いセリカではなかったと思うが、なにかその手の車で (「その手の車」 って何だ?)、私はまだ免許を持っていなかったから、未知の道が目の前に開けてゆくのを助手席で眺めているのに興味があった。
観音崎に至る道は、妙に白っぽい、がらんとしてざらざらとした空虚さのような印象として残っているが、それは単にその日が風が強くて埃っぽい日だったせいかもしれなくて、観音崎に着いてから灯台まで登ってみたが、そこにも強い風が吹きつけていた。でも歌詞に出てくる肝心の歩道橋に立ってみたかどうかの記憶はない。きっとそこまで考えが働かなかったのかもしれない。

 砂埃りの舞うこんな日だから
 観音崎の歩道橋に立つ
 ドアのへこんだ白いセリカが
 下をくぐってゆかないか

ヴァージニア・ウルフの描く灯台に惹かれるのは、それがいつも地の果ての、海に近接した位置にあり、日常性と隔絶した象徴として映るからにほかならない。大げさに言うのならば、その醸し出す空間は世間からの遊離のメタファーであり、海は死である。灯台からの光は、夜の海の航行にたぶん役だってはいるのだろうが、その 「役立ち感」 は一般人の認識からは稀薄である。でも 「役立ち感」 で比較するならば、私自身の存在ランクはそれよりももっとずっと下だと自嘲するしかない。そして灯台が朽ちるより早く、人生は朽ちてゆく。

かなり幼い頃の断片的な記憶のなかに、城ヶ島に行ったときの微かな過去が残っていて、その日は利休鼠の雨で、うそ寒い感覚はあるのだが、何で行ったのかも誰と行ったのかも定かでない。城ヶ島にも灯台があるが、その近くの草のない地面の記憶だけがあって、そこがすでに磯だったのかそれともそこに至る道の途中だったのかもわからず、灯台に行ったのかどうかも不明だ。私の脳内のメモリーは、つまらない風景だけが記録される仕組みなのかもしれない。

もう一人、友人がいて、免許とりたての頃、やはりドライヴにつき合わされた。時間は必ず夜で、車はたしか古いスカGで、くたびれた車内には、たとえば 「私はこれから変わるんだから」 と言いながら結局変われない 「やさぐれ感」 が漂っていて、それはきっと白いセリカでも古いスカGでも同じなのだ。使い込んだその手の車から感じられる疲労感や寂寥感のようなもの。
横浜まで行く道の記憶はあるのだが、横浜に着いてからの記憶がない。季節は冬。途中で50~60年代風のアメリカン・グラフィティなインテリアにしたのだが、すでにすべてが色褪せて時間に埋没してしまっている店に入ったような覚えもあるのだが、でもそれは現実ではなくて、後から捏造された偽の記憶なのかもしれなかった。

それより後、やっと運転免許をとってから、練習と称して深夜に車を乗り回していた時期がある。そのときも私は闇雲に海を目指し、ここに書けないようなスピードで湘南の海の見えるところまで達してから戻ってくるのだったが、別に海が見たいわけでも引きつけられる何かがあったわけでもなくて、そこで道が終わりになっているので区切りが良いから、というのがきっとその理由なのだ。

ユーミンには〈中央フリーウェイ〉や〈カンナ8号線〉をはじめとして、車と道を描いた歌詞があるが、夜にフィットするのは〈埠頭を渡る風〉である。ただ、埠頭という言葉から私が連想するのは、まだあまり活用されていなかった頃の横浜の赤レンガ倉庫に吹きすさぶ冬の風であり、誰もいない午後の静止した情景だったりする。そしてそれはニューグランドの記憶とセットになり、過去の横浜として薄れてゆく。

だが、〈よそゆき顔で〉も〈DESTINY〉も、失敗したヤンキーに取材して書き上げた歌詞のように思えて、ユーミンにはそうした体験はおそらく無いから、彼女自身のストレートな心情が得られるのは、荒井由実時代のごく初期の作品に限られる。それは当時流行していた四畳半フォークと呼ばれていたものに近くストレートで、しかし彼女はそうした貧しさを知らないから、四畳半でなく、広い応接間の片隅のソファに座った孤独のような様相を帯びていて、そしてブルジョアの持つ不安やコンプレックスも現れていて、それはある意味、オノ・ヨーコに似たセンシティヴィティともいえる。曇り空だから外に出たくなかったアンニュイと、〈DESTINY〉の 「やっちまった感」 は通底しない。

初期の作品のひとつ、〈ベルベット・イースター〉は 「いちばん好きな季節」 と歌いながら、その本質は 「空がとってもひくい」 というところにある。〈ハルジョオン・ヒメジョオン〉のようなダウナーな感じが隠されている分だけ、騙されやすい。「昔ママが好きだったブーツ」 というママもブーツも、寓話としてのアイテムでしかなくて、それは 「空が低い」 ことを遮蔽するマスクなのだ。それに 「ママが好きだったブーツ」 は 「安いサンダル」 ほどのリアリティを持ちえないし、そもそも 「好きだったブーツ」 と、それがなぜ過去形なのかを考えれば 「昔」 の意味もわかってくる。
そしてベルベットは決してベロアやフリースではなくベルベットであり、イースターはいまだにハロウィーンほどの世俗性を獲得していない (獲得されても困るけれど)。それゆえに、ごく初期の作品でありながら風化しないのである。

 空がとってもひくい
 天使が降りてきそうなほど
 いちばん好きな季節
 いつもとちがう日曜日なの

〈ハルジョオン・ヒメジョオン〉は最も庶民的な昭和歌謡に近くて、「川向こうの町から 宵闇が来る」 のも 「土手と空のあいだを風が渡った」 のも、八王子あたりの無愛想で色の無い風景に近くて、単語の選び方があまりに無防備でユーミンらしさがない。その無防備さに惹かれる。しかしその無防備さは一瞬のことで、荒井由実が松任谷由実に変わってゆく境目の歌のような気がする。

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荒井由実/ひこうき雲 (EMI Records Japan)
ひこうき雲




ベルベット・イースター
https://www.youtube.com/watch?v=fkuOaugShsk

ベルベット・イースター (Diamond Dust Tour)
https://www.youtube.com/watch?v=3fAUA6HuMUY
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