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そばかすの少女 —《TWIGGY》 [ファッション]

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ファッション・モデルの身体が極端に細く高くなり、一般人の標準的なサイズから逸脱し出したのはいつ頃からなのだろうか。現在のファッションショーは、デザイナーの美学を満たすために (しかしその美学はあまりにも画一的であろうとしている)、ある種の奇矯とも思えるバランスによるスーパーモデルの体型のみが必要とされていて、それは実際の実用に耐える服装とはもはや結びついていない。
モデルはデザイナーにとってのツールに過ぎず、その理想的ツール造形の欲望は日毎に肥大してゆき、果てがない (つまりデザイナーはモデルを人間としてとらえていないから、技術が進歩すれば、より理想に近い体型のアンドロイドやロボットをランウェイのツールとして採用する可能性もあるのではないかと思う)。
廉価なファッションカンパニーがリアル・クローズという名のもとに、等身大のファッションショーを開き始めたのも、その是非はともかく、アートに偏り過ぎたファッション界へのアンチテーゼといえる。

ツイッギー (Twiggy 1949〜) は、その細身の身体、アンドロジナスな外見、大きな目、長いアイラッシュ、ショートヘア (とwikiで形容されている) によって1966年にブレイクしたイギリスのファッション・モデルであり、自身のサイトにも 「最初のスーパー・モデル」 と書かれている。NPG (National Portrait Gallery) は有名人のポートレイトを収集する美術館だが、ここから出版されている《TWIGGY A Life in Photographs》は、複数のカメラマンによって撮られたツイッギーのクロニクルな写真集である。たまたま書店にセールで山積みされていたので1冊買ってきた。

レズリー・ホーンビー Lesley Hornby (本名) がツイッギーと呼ばれるようになったのは、その折れそうに細い身体から発想されたためであるが、身長は168cm (デビュー当時は165cm) であり、現在のスーパーモデルから較べれば全然小さい。というか、今だったらスーパーモデルにはなれない基準以下の身長である。
ただ彼女はバランスのよい身体と、かたちのよい輪郭の顔と、なによりも強い目を持っている。暗いブルーの、少し不機嫌そうな、強い意志を持っている瞳。

グラムロック全盛期の頃のデヴィッド・ボウイのアルバム《Pin Ups》(1973) のジャケットはボウイとツイッギーの2ショットであるが (撮影は Justin de Villeneuve)、アンドロイド的でアンドロジナス的な2人が並ぶと、かえって歴然とした男女差が浮かび上がっていて面白い。
ボウイの先行するアルバム《Aladdin Sane》(1973) の Drive in Saturday の歌詞の中に、Twig the Wonder Kid とあるのが指摘されている。これはツイッギーを示しているのだろう。
そして、これは単に私がそう感じるだけなのかもしれないが、ボウイにしてもツイッギーにしても当時の時代の最先端だったのにもかかわらず、そのファッション性には、わざと時代錯誤的な古さ、あるいは露悪的な 「外し」 感が垣間見える。

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この写真集に載せられている1966年〜1967年頃の、ティーンエイジのツイッギーの新鮮さと、その存在感は比類ない。私が一番好きなのは、Melvin Sokolsky の撮った1967年の船上でのカットで、モスグリーンの服と同色のニットキャップ、そして白のハイソックスのツイッギーはやや俯瞰から撮られていて、足元の金属の床板の連続模様が妙にリアル、逆光の船の舳先に誰か人物が立っている。
そしてソコルスキーの撮った裏表紙にも使われている正面からの顔だけのポートレイト。しなやかなブロンドの髪、肌に同化したリップ、影の濃い右顔の中からまっすぐにこちらを射る瞳 (トップ画像)。この写真に限らず、近くから撮るとツイッギーの顔はそばかすだらけなのだが、それがかえって個性となっているような気がする。つまり人工的でメカニックなツールでしかないモデルたちとは違っている。

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メリー・ホプキンをITVの番組で見つけポール・マッカートニーに紹介したのはツイッギーだったが、そのツイッギーを撮ったリンダ・マッカートニーのショットは、ちょっとリラックスした彼女の別の面があらわれている。たぶんカメラマンによって、人の表情は変わるものなのだ。

ツイッギーが年齢を重ね髪を長くしてからは、比較的普通の女性のルックスになってしまったように見えるが、10代の頃のアンドロジナスの輝きが廃れることはない。


TWIGGY A Life in Photographs (NPG)
Twiggy: A Life in Photographs




David Bowie/Pin Ups (Virgin Records US)
Pin Ups [ENHANCED CD]

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It’s only a game — アレキサンダー・マックイーンのこと [ファッション]

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今年の秋冬が出てくる時期になって、Alexander McQueenのサイトにも画像が載っている。bisブランドであるMcQのショーは2月20日で、すでにネット上にリポートがあるが、シックな色づかいで 「使える」 風なデザインである。
そして本家マックイーンはまだプリコレクションという画像しかないが、色は黒が主体で、黒とボルドーの組み合わせをメインとし、そしてコルセット状のベルトがアクセントになっている。

アレキサンダー・マックイーンの名前は昨年のウィリアム王子の結婚式でキャサリン妃が着たドレスということでより有名になった。でもこのデザインをしたのはサラ・バートンである。

アレキサンダー・マックイーンは2010年に突然のように亡くなった。不幸な死である。その作品はいつも刺激的であり、ファッションショーのためだけの作品というような言い方もされたが、デザインとテクニックが両立している稀有な例だったと思う。同様に刺激的だったのがディオールのジョン・ガリアーノだったが、彼も同様にシーンから遠ざかってしまっている。

サラ・バートンはマックイーンの片腕であり、マックイーン亡き後、見事にブランドを引き継いだ。引き継いで昨年あたりまでのコレクションは、それなりにマックイーンのテイストが残っていたが、今年のコレクションはもう完全にサラ・バートンである。それは仕方のないことかもしれない。

It’s only a gameは2005SSのタイトルである。それは不思議の国のアリス。最も高級なコスプレ。人生もまた単なるゲームに過ぎないのだろうか。

ブランド名は創始者亡き後も引き継がれていくことはある。たとえばシャネルとかディオールがそうである。アレキサンダー・マックイーンもそのようにして残っていく名前なのだろうか。私はアレキサンダー・マックイーンは彼ひとりだけのブランドだったのだと思う。彼の死とともにブランドも死んだのだ。だからそのうち、アレキサンダー・マックイーンというブランド名は無くなってサラ・バートンになるかもしれない。それでもいいのではないだろうか。

明日はアレキサンダー・マックイーンのお葬式から2年目の日だ。


http://www.alexandermcqueen.com/
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ディオール・オムのサラ・ムーン [ファッション]

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ネットをぼんやりと周遊していたらディオール・オムの動画というのを見つけた。そのことについて書いてあったブログからのリンクである。すでに去年のことで今更な話題なのだが、サラ・ムーンの撮った動画ということである。

サラ・ムーンというのは一時期のcacharelの写真を撮っていたことで有名なファッション・カメラマンである。極端に増感したざらざらのエクタクロームで、まるで絵画のような撮り方をした画像だった。その後もその作風は基本的には同じように思える。

被写体としてほとんど女性を撮るばかりだった彼女の作風からするとディオール・オムというのはちょっと変わっていて新鮮である。しかも、これを言ったら失礼だが、全然今も現役であってますます健在といったふうである。スチルであってもムービーであっても彼女自身の持っているコンセプトは変わらないなぁ、と改めて感じる。music by MODE-Fとクレジットされている音楽もなかなかキマッているし、作品名がWork in Progressとなっているのも、まるでジェイムズ・ジョイスみたいだ (ジョイスのFinnegans Wakeは、作品発表時にはWork in Progressという仮タイトルになっていた)。

ディオールはジョン・ガリアーノの解任事件以来、その後が混沌としているような気もするが、そして個人的にはガリアーノには何とか復活して欲しいとも思うけれど、そんな中でのサラ・ムーンいいんじゃない、と少しほっとした気持ちになる。


Dior homme/A Film by Sarah Moon
https://www.youtube.com/watch?v=m2yoTSplkxA
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ファッションCMの虚像 [ファッション]

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昨日、昼のTVを見ていたら、中野裕道 (hiromichi nakano) のお宅訪問みたいな番組があって、思わず興味津々で見てしまった。異素材を組み合わせたような三層構造の家で、それは外見だけでなく内部もそうで、凝ったつくりの階段や調度の中に、古いヴォーグやミッキーマウスグッズやジュモーが置かれていたりして、彼の作品の源泉を垣間見たような気がした。ファッションとは結果として出てくるものがすべてで、読書における 「行間を読む」 ようなことはできないが、その行間が見えてしまうのも面白いと思う。

でも最近はファッションにかけるお金なんて無い、という風潮になってきていて、ファストファッション隆盛の時代である。それもひとつの考え方なのだろうが、それが全てではないと私は思う。すべてが同じ価値観、クォリティになってしまったら、何も面白味は無いし文化はやがて死に絶える。

それと最近のTVCMなどを見ていると、ファストファッションは勢いがあるのだろうか、とてもよいモデルを使ったきれいな映像で、ともするとそのファッションの実力以上の商品のように見えてしまうことが多い。それが広告なのだと言われてしまえばその通りなのだが、なんとなく納得できない気持ちになってしまうことは事実である。誰もが黒木メイサみたいなボディなわけではない。

海外ファストファッションもH&MのCFはソフィア・コッポラの撮った映像で、使われている音楽はブライアン・フェリーである。こうなるともう単なるイメージ映像と思ってしまったほうがいいのかもしれない。


Marni at H&M
http://www.youtube.com/watch?v=9wK-CgE8mdI
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