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『楽譜でわかる20世紀音楽』を読む [本]

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(L to R) Béla Bartók, Joseph Szigeti, Benny Goodman

『楽譜でわかる20世紀音楽』という本を書店で見つけた。この本は複数の著者による内容で国立音楽大学附属音楽研究所で行われたプロジェクトの講義録とのこと。まず、バルトークに関するところを少しだけ読んでみた。編集代表・久保田慶一とあるが、その久保田が聞き手になり白石美雪が語っている 「20世紀音楽の楽譜を読む」 が第1章である (白石美雪のジョン・ケージに関する本の感想はすでに書いた→2020年03月10日ブログ)。
「作曲家たちのチャレンジ——微分音とシュプレヒシュティンメ」 という項目で白石はバルトークの微分音について次のように解説する。

 20世紀前半の楽譜の特徴は、総じて、従来の五線記譜法では表しきれ
 ないものを示すために、作曲家がさまざまな記号を発明したことにあり
 ます。
 (中略)
 バルトークは中央ヨーロッパの民謡に親しみ、そこから新たな作曲技法
 を考えた作曲家ですが、彼の作品では、半音よりも狭い音程を示す微分
 音が重要です。譜例1−2は、弦楽四重奏曲第6番より第3楽章の一部で
 す。第2ヴァイオリンのパートでは、5つの音符に上から下への矢印が
 付されています。4分の1音低くして演奏して欲しいという指示です。
 (p.11)

譜例1-2のかわりに当該箇所をコピーしたものが下記である (IMSLPからの転載)。

4tone.jpg

これを見ると、楽譜上の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンはユニゾンであるが、第2ヴァイオリンが4分の1音低いためにやや奇妙な効果を生み出す。
微分音だけではない。バルトークの弦楽四重奏曲には俗にバルトーク・ピチカートを使った箇所があるが、これを表す記号も 「さまざまな記号の発明」 のひとつである。バルトーク・ピチカートとは強いピチカートのことで、弦が指板に当たって音が出るようにという指定だが、これは地図の果樹園に似た記号がついている (この部分はPhilharmoniaの楽譜に拠ると [果樹園に似た記号] bedeutet ein starkes pizzicato, bei welchem die Saite auf dem Griffbrett aufschiagt.と注釈がある)。

Bartok_SQ4_IV_pizz.jpg

このように伝統的な記譜法からはみ出した方法はマイルールであって普遍的な記譜ではない。だがその後、この奏法はよく使われるようになってきたため、バルトーク・ピチカートの記号を他の作曲家も使用するようになったとのことである。
同様に微分音も20世紀以降の音楽ではよく使われる手法であるので、だから単純にそうした効果を期待してバルトークはそのように書いていたのだと思っていたのだが、それは少し違うのである。それについては後述する。

さて次に、第4章の 「民族音楽の採譜と作品の記譜——バルトークのヴァイオリン音楽」 を読んでみた。著者は伊東信宏。バルトークは同じ作曲家であるゾルタン・コダーイなどとともに、ハンガリーをはじめとする東欧の民謡などを採集し、それを元にして作曲をしたことでも知られる。
バルトークが 「現地に赴いて民謡を採譜し、その旋律を使って書いた 「民謡編曲」、あるいは 「民族音楽編曲」 と呼べるもの」 は310曲が特定されていると伊東は書いている (p.66)。それらはハンガリー、ルーマニア系、スロヴァキア系の民謡の数々である。
その手法なのだが、バルトークは蠟管録音機、つまりエジソンの発明した最も初期の録音機を使用していたのだとのことである。蠟管録音機などというものは教科書の写真でしか見たことがないし、どのように使うのかもわからないが、ナグラでフィールドワークみたいな方法と異なるのは確かである。しかし蠟管録音機は非常に高価だったので常時使用していたわけではないらしい。そこで楽曲採集の方法としてもっともポピュラーなのは採譜である。バルトークは採譜したものを記録カードに清書したが、それには旋律、歌詞、録音番号、採集年、採集地が書かれていたという。彼はその成果を『ハンガリー民謡』(1924) として出版した。

バルトークはその出版後も採集を続け、次第にできるだけ忠実な採譜 (トランスクリプション) を作ろうとしたのだという。あまりに微妙なリズムなどの揺れまでを記録しようとして、かえって曲の全体像がわかりにくくなってしまったことさえあったそうなのである。しかし、

 それを編曲作品としてまとめるときには、せっかく書き付けた細かいリ
 ズムの揺れを生かそうとしていないようにみえるところです。(P.70)

というのである。これは後半の質疑応答を収録した部分でも 「バルトークは採譜を精密化したが、それは結局作品に反映されなかったのはなぜか」 と質問されている。伊東は 「バルトークの場合は精神論に近い。精密に書き留めることで民族音楽の精神が乗り移り、それが創作に転じたとき何かが生まれるはず、と考えていたのではないか」 と回答している。(P.82)

「《ラプソディの背景》——リストとラヴェル」 は大変に面白い内容だ。バルトークにはラプソディというタイトルを冠した曲は2曲しかない。《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ第1番》(1928) と《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ第2番》(1928) であり、バルトークはラプソディというタイトルをあまり好んでいなかったのだという。なぜならそれはフランツ・リストの《ハンガリアン・ラプソディ (ハンガリー狂詩曲)》を連想させるからなのだという。

 1921年に、バルトークは、フランスの有力な音楽雑誌『ラ・ルヴュ・
 ミュジカル*』において、リストの《ハンガリアン・ラプソディ》で使わ
 れている旋律は、ジプシーたちがもともとあった農民の民謡を真似した
 りして作った通俗歌にもとづいたものだと指摘し、「節度のない、感情
 過多なルバートや、旋律をごてごてと塗りたくる装飾音の使用によって、
 もはや原曲の面影をとどめないほどに変形してしまった」 と批判しまし
 た。(P.71)
 * La Revue musicale (1920−1946)

バルトークの主張はこのリストの《ハンガリアン・ラプソディ》がハンガリー音楽の代表のようにとらえられたくない、ということなのだった。それにもかかわらず、なぜバルトークは《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ》を書いたのか。伊東は次のように推理する。「私はひとつの仮説として、この曲がM. ラヴェル (1875−1937) の《ツィガーヌ》に対する返答であったと考えています」。(P.71)

バルトークには幼なじみであるJ. ダラーニという女性ヴァイオリニストがいて、バルトークは彼女のためにヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番を書いたそうである。そして1922年、パリで第1番を共演したが、その演奏会でモーリス・ラヴェルとダラーニは知り合い、ラヴェルは彼女のために《ツィガーヌ》を書いたのだという。
ところがバルトークから見ると《ツィガーヌ》はリストの《ハンガリアン・ラプソディ》の現代版であり、バルトークの主張していたことは無視されていたに等しかった。そこで《ツィガーヌ》に対抗する曲として書かれたのが《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ》だった、というのである。
《ラプソディ第1番》を献呈されたヨーゼフ・シゲティはその自伝の中で、

 ラヴェルの《ツィガーヌ》がバルトークの《ラプソディ第1番》にどれ
 ほどの影響をおよぼしたのか、この《ラプソディ》が《ツィガーヌ》の
 擬似ハンガリー風に対するプロテストたらしめようとしたのではないか
 ということを、ほのめかしています。(p.72)

ということなのである。ただこの部分は難しい。《ツィガーヌ》は有名曲であるが、そのどこが擬似ハンガリー風なのか、シロウトには見分けがつかないからだ。それはリストの《ハンガリアン・ラプソディ》にも同様に言えて、確かに《ハンガリアン・ラプソディ》はガチャガチャしていて、たとえば《トムとジェリー》のアニメに流れるようなスラプスティックな印象を持っているが、それが擬似ハンガリー風であるかどうかということについては判断できないと思ってしまう。

《ラプソディ第2番》について伊東は 「かなり破綻している」 が 「その破綻ぶりが魅力的」 と言う。それは後半部に出てくる素材が 「あまり旋律的ではなく、2小節ぐらいの断片が延々と変奏されながら繰り返されて徐々に盛り上がっていくというものです。ちょっとトランス状態に近くというか、形らしい形というものはなく、西洋音楽といえるかどうかもあやしいものです」 だからだと言う。(p.76)
第1番に較べるとわかりにくい感じがするのかもしれないが、音としての印象は新しいようにも思う。プリミティヴな音楽には執拗な繰り返しによるトランス的パターンがしばしば見られるものである。

「民謡素材の変形と典型化」 において、D. シュナイダーによって作成された元の民俗音楽素材とバルトークがそれをどのように変形したかの比較譜が載せられている。伊東は、民謡旋律の特徴的な部分をバルトークがより強調したのではないかと指摘しているが、微分音を考える際に有効な解説が含まれている。少し長いが引用してみよう。

 冒頭の旋律に含まれる 「嬰ハ」 は、もとの民謡では少し低めの (下向きの
 矢印つきの) 「嬰ハ」 として採譜されていました。もしこの部分を 「ハ」
 にしたなら、ごく普通のト調の音階による旋律になってしまいますが、
 バルトークは、あえてここを 「嬰ハ」 としたことで、「リディア的増4度」
 の音程を強調したのではないでしょうか。この旋律が上りつめたさきに
 ある 「ロ」 (シュナイダーの比較譜の③) も、もとの民謡旋律ではやや低
 めの 「ロ」 として採譜されていますが、《ラプソディ》では 「変ロ」 にな
 っています。少し低めどころか、半音低く書いてしまっていますね。一
 方、この音型が2度めに出てくるときには、♮の 「ロ」 で書かれています
 (シュナイダーの比較譜の⑦)。バルトークはしばしば三和音の第3音を、
 ♮と♭の両方、つまり長三和音と短三和音の両方で使います。この曲で
 も彼は、「長・短3度をもつ5度枠」 の音程感をおもしろく感じたのでしょ
 う。(P.77)

この微分音と長短三和音については後半部の質疑応答でも触れられている。質問者の、「微分音を先駆的に使っていますが、これも民俗音楽によるものですか」 という問いに対して伊東は 「民俗音楽の音程の不確かなところを模倣するために、微分音を使おうとはしていない」 と答えている。(P.81)
また、「長短の三和音を同時使用するのは、微分音的に表記したいことへの表れではないでしょうか」 という問いには、「バルトークの場合は、長短の3度が開離配置でばらばらに出てくることが多いです。しかし同時に現れて半音がぶつかるようなところは、本当は微分音で表現したかったのかもしれません。その代用としてぶつけているのかもしれないですね。《ラプソディ》では5度と増4度がぶつかるところはたくさんあるのですが、長短の3度がぶつかるところは、あまりないと思います」 と言う。(同ページ)

「ト」 から始まるスケールの第4音が 「嬰ハ」 であるが、それは本来 「ハ」 と 「嬰ハ」 の間くらいの音であったというのが興味深い。「ハ」 では普通になってしまうのでリディア的に 「嬰ハ」 とすることで民俗風テイストを出したかったのは確かである。
旋律の最高音の 「ロ」 が 「変ロ」 になってしまっているのは 「ト」 からの短3度であり、これは長三和音と短三和音を両方使うとする手法にも通じるが、「長短の3度が開離配置でばらばらに出てくる」 のだとすれば、短2度は転回すれば長7度なので、和声的には奇異なものではない。ただこれはもちろん和音の問題ではなく、スケール上の音として考えられる音が時に応じてvariableだということである。
シュナイダーの比較譜では元の民謡旋律の調号は♯2個、バルトークのラプソディは♯1個で作成されているが、その範囲で見ると、微分音であるのは 「嬰ハ↓」 「ロ↓」 それに 「嬰へ↓」 である。「ト」 からのスケールとしてこれをあてはめると、ト、イ、変ロ、嬰ハ、ニ、ホ、嬰へとなり、「変ロ」 と 「嬰ハ」 の間が1全音+1半音開いているが、「変ロ」 → 「嬰ハ」 と連続する動きはないように思える。「変ロ」 が 「ロ」 であることが優勢ならば、スケールは 「ト」 からのリディアである。
しかし元の民謡旋律の微分音を固定的に考えて見ると、全音アキを1、半音を0.5、4分の1を0.25とすれば 「ト」 から始まるスケールの間隔は、1、0.75、1、0.75、1、0.75、0.75となる。これはトリッキーなオリジナル・スケールの素材としては面白いかもしれない。
「民俗音楽の音程の不確かなところ」 という傾向はあるのかもしれないが、バルトーク本人でもピアノ伴奏の時、リズムを崩すことだってあるのだそうだから (講演当日の演奏者へのインタヴューでピアニストがそう語っている)、音がvariableである可能性もある。音が不安定であることと、意識してvariableであることは同じではない。

もうひとつ、質疑応答の中で質問者がレンドヴァイの分析について言及している。それに対して伊東は 「反レンドヴァイ」 であったと答えている。レンドヴァイは最初はユニークだと持ち上げられたが、次第にトンデモ本だということに変化したという経緯があるが、その分析のアバウトさがそのような評価に落ち着いたのは納得できる。私も読んだ時、熱中したのだが、その分析に対応する部分が見つからなくて次第に疑念が生じたのを覚えている。だが伊東の発言で面白いのは、リゲティにはレンドヴァイの指摘した黄金分割のような法則性が出現してきて、たぶんリゲティはレンドヴァイを読んでいて、それに合わせているのではないかというのだ。ある意味、すごいシャレであり、リゲティやるね! と思ってしまうのである。

久保田慶一・編集代表/楽譜でわかる20世紀音楽
(アルテスパブリッシング)
楽譜でわかる20世紀音楽




Jiyoon Lee/Bartok: Rhapsody No.1 for violin and piano Sz.87
https://www.youtube.com/watch?v=LqZrTrmcuH4

Isaac Stern/Bartók: Rhapsody No.2 for violin and piano Sz.90
https://www.youtube.com/watch?v=nDt2Pfg4TnQ
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