SSブログ

セシル・テイラー・ユニット《Akisakila》 [音楽]

ceciltaylor_AlltheNotespreview_200523.jpg
Cecil Taylor

コンサートの最初に司会者が出て来てメンバー紹介をする様子が収録されているライヴ盤がある。いかにもこれからコンサートが始まるぞというドキドキ感が伝わって来て、時空を超えてそのコンサート会場に引き込まれてしまうような上手い編集だと思ってしまう。
ジャズのライヴ盤で最もドキドキ感のある美しい冒頭のアナウンスはビル・エヴァンスの《At The Montreux Jazz Festival》だと思う。フランス語の紹介と観客の拍手。一瞬の間。そして始まるピアノのイントロ。その硬質なピアノにからまるベースとドラムス。
一方で、印象的だがとてもアクの強いアナウンスといえばアート・ブレイキー・クインテットの《a night at Birdland》のピー・ウィー・マーケットの紹介だろう。1954年というこの時代のバードランドというジャズクラブの雰囲気が伝わってくるブルーノートの超有名盤である (この時点でグループ名はまだジャズ・メッセンジャーズではない)。そしてクリフォード・ブラウンの最も輝かしい時期の録音でもある。

セシル・テイラーの《アキサキラ》が再発された。このアルバムは1973年5月22日に東京・新宿の厚生年金会館大ホールで収録されたコンサートのライヴ盤である。約50年も前の録音でありながら、おそろしく鋭利でパワフルで全く古びていない。彼の演奏の中でベストといってもよい内容のライヴである。
冒頭、悠雅彦がメンバー紹介を始めた途端に、その紹介が終わるのを待つこともなく、アンドリュー・シリルのドラムが鳴り始めてしまう。そしてすぐにピアノとアルトサックスが加わり演奏が開始されてゆく。観客の大きな期待の拍手。このスリリングな始まり方はモントリューとは対極だがその熱っぽさが伝わってくる。

この日の演奏曲は〈Bulu Akisakila Kutala〉と名付けられた1曲だけ。約82分にわたって演奏されたという。マイルス・デイヴィスのエレクトリック期にも、切れ目なく演奏されたコンサートというのは存在したが、マイルスのそれは一種のメドレーであり、この日のセシル・テイラーのコンセプトとは異なる。
CDの解説によれば、東京でのライヴは5月21日と22日の2日間、21日の夜に急遽、翌日のライヴを録音しようという提案が了解されたので機材を搬入設営。しかしセシル・テイラーは納得できる内容でなければ発売はさせないと言ったのだという。だが数日後、プレイバックを聴いた彼は 「すぐに発売して欲しい」 と喜んだのだそうである。

セッショングラフィによれば、このアルバムはオリジナルのLPの後、4回CD化されているが、長らく廃盤のままだった。YouTubeにも音源はあるが、正規のメディアがなければダメなのである。今回、再発されたのはまさに僥倖であり喜ばしい。
その来日時に録音された菅野沖彦の録音によるソロピアノの《Solo》も同時に発売されている。
また、ジミー・ライオンズとアンドリュー・シリルはセシルのグループで長い間一緒に演奏していたが、この3人だけでの演奏というのはオフィシャルで他に無いのだそうである。

そしてアルト、ピアノ、ドラムスというユニット構成の同じ山下洋輔がセシル・テイラーの演奏について次のようなことを書いていたのを覚えている。自分 (=山下) のバンドの場合、テーマがあって、途中にそれぞれのフリーの部分があってそこはドシャメシャなのだが、最後には戻ってきてピタッと終わるというのがスタイルだ。だがセシル・テイラーはそうではなくて、たとえば最後にドラムがハミ出したりこぼれたりしたとしても全然関係ない。そんな形式的なことはどうでもいいのだ。そのくらいすごい。というようなことである。記憶だけで書いているので使っている言葉もニュアンスも違っているだろうが大意はそうである。
最初と最後のテーマがあって、というのは基本的な、というかオーソドクスなジャズのパターンそのものである。フリージャズがそうしたパターンを援用したって別に構わないのだが、援用しなくたっていいのである。

このライヴの当日、この演奏は第1部で、第2部でセシルは舞台でダンスをして、ピアノは全く弾かなかったのだという。なんだこりゃ? という人もいたらしいが、そしてまたたとえばマイルス・デイヴィスはコンサートでもお辞儀もしやしねえ、という人もいたらしいのだけれど、つまりそうしためちゃくちゃなのとか尊大なのとか種々のあれこれがあるのだとしても、簡単にいえばセシル・テイラーやマイルス・デイヴィスは何をしてもいいのである。
それとこのライヴ盤を聴いて思ったのは、会場の熱気から感じられる当時の観客のこうしたフリーな音楽に対する受容の高さ・広さである。今、こうした演奏は一般的に受け入れられにくいだろうし、そうした土壌ももはや存在しないように思う。時代は保守的であり視野狭窄的である。フリージャズはなにごとにも迎合しない。なぜならそれこそがフリーだからである。


Cecil Taylor Unit/Akisakila (ウルトラ・ヴァイヴ)
アキサキラ(日本独自企画、最新リマスター、新規解説付)




Cecil Taylor Unit/Akisakila, part 1 of 4
https://www.youtube.com/watch?v=hxvvHQjDk9A

Cecil Taylor Unit/Akisakila, part 4 of 4
https://www.youtube.com/watch?v=rH-OZmFF1j0

Bill Evans/At The Montreux Jazz Festival
https://www.youtube.com/watch?v=qa6maJrd3xw&list=OLAK5uy_n64craEeJyztTj_4hWzD6piiO6xp3NG2g

Art Blakey Quintet/A Night At Birdland
https://www.youtube.com/watch?v=L3aKsnKlPqw&list=PLUJ7V33M1wR24o6ZE760w2tk3s_PjwrEL&index=2&t=0s
nice!(100)  コメント(8) 
共通テーマ:音楽

『楽譜でわかる20世紀音楽』を読む [本]

bartok_szigeti_goodman_200517.jpg
(L to R) Béla Bartók, Joseph Szigeti, Benny Goodman

『楽譜でわかる20世紀音楽』という本を書店で見つけた。この本は複数の著者による内容で国立音楽大学附属音楽研究所で行われたプロジェクトの講義録とのこと。まず、バルトークに関するところを少しだけ読んでみた。編集代表・久保田慶一とあるが、その久保田が聞き手になり白石美雪が語っている 「20世紀音楽の楽譜を読む」 が第1章である (白石美雪のジョン・ケージに関する本の感想はすでに書いた→2020年03月10日ブログ)。
「作曲家たちのチャレンジ——微分音とシュプレヒシュティンメ」 という項目で白石はバルトークの微分音について次のように解説する。

 20世紀前半の楽譜の特徴は、総じて、従来の五線記譜法では表しきれ
 ないものを示すために、作曲家がさまざまな記号を発明したことにあり
 ます。
 (中略)
 バルトークは中央ヨーロッパの民謡に親しみ、そこから新たな作曲技法
 を考えた作曲家ですが、彼の作品では、半音よりも狭い音程を示す微分
 音が重要です。譜例1−2は、弦楽四重奏曲第6番より第3楽章の一部で
 す。第2ヴァイオリンのパートでは、5つの音符に上から下への矢印が
 付されています。4分の1音低くして演奏して欲しいという指示です。
 (p.11)

譜例1-2のかわりに当該箇所をコピーしたものが下記である (IMSLPからの転載)。

4tone.jpg

これを見ると、楽譜上の第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンはユニゾンであるが、第2ヴァイオリンが4分の1音低いためにやや奇妙な効果を生み出す。
微分音だけではない。バルトークの弦楽四重奏曲には俗にバルトーク・ピチカートを使った箇所があるが、これを表す記号も 「さまざまな記号の発明」 のひとつである。バルトーク・ピチカートとは強いピチカートのことで、弦が指板に当たって音が出るようにという指定だが、これは地図の果樹園に似た記号がついている (この部分はPhilharmoniaの楽譜に拠ると [果樹園に似た記号] bedeutet ein starkes pizzicato, bei welchem die Saite auf dem Griffbrett aufschiagt.と注釈がある)。

Bartok_SQ4_IV_pizz.jpg

このように伝統的な記譜法からはみ出した方法はマイルールであって普遍的な記譜ではない。だがその後、この奏法はよく使われるようになってきたため、バルトーク・ピチカートの記号を他の作曲家も使用するようになったとのことである。
同様に微分音も20世紀以降の音楽ではよく使われる手法であるので、だから単純にそうした効果を期待してバルトークはそのように書いていたのだと思っていたのだが、それは少し違うのである。それについては後述する。

さて次に、第4章の 「民族音楽の採譜と作品の記譜——バルトークのヴァイオリン音楽」 を読んでみた。著者は伊東信宏。バルトークは同じ作曲家であるゾルタン・コダーイなどとともに、ハンガリーをはじめとする東欧の民謡などを採集し、それを元にして作曲をしたことでも知られる。
バルトークが 「現地に赴いて民謡を採譜し、その旋律を使って書いた 「民謡編曲」、あるいは 「民族音楽編曲」 と呼べるもの」 は310曲が特定されていると伊東は書いている (p.66)。それらはハンガリー、ルーマニア系、スロヴァキア系の民謡の数々である。
その手法なのだが、バルトークは蠟管録音機、つまりエジソンの発明した最も初期の録音機を使用していたのだとのことである。蠟管録音機などというものは教科書の写真でしか見たことがないし、どのように使うのかもわからないが、ナグラでフィールドワークみたいな方法と異なるのは確かである。しかし蠟管録音機は非常に高価だったので常時使用していたわけではないらしい。そこで楽曲採集の方法としてもっともポピュラーなのは採譜である。バルトークは採譜したものを記録カードに清書したが、それには旋律、歌詞、録音番号、採集年、採集地が書かれていたという。彼はその成果を『ハンガリー民謡』(1924) として出版した。

バルトークはその出版後も採集を続け、次第にできるだけ忠実な採譜 (トランスクリプション) を作ろうとしたのだという。あまりに微妙なリズムなどの揺れまでを記録しようとして、かえって曲の全体像がわかりにくくなってしまったことさえあったそうなのである。しかし、

 それを編曲作品としてまとめるときには、せっかく書き付けた細かいリ
 ズムの揺れを生かそうとしていないようにみえるところです。(P.70)

というのである。これは後半の質疑応答を収録した部分でも 「バルトークは採譜を精密化したが、それは結局作品に反映されなかったのはなぜか」 と質問されている。伊東は 「バルトークの場合は精神論に近い。精密に書き留めることで民族音楽の精神が乗り移り、それが創作に転じたとき何かが生まれるはず、と考えていたのではないか」 と回答している。(P.82)

「《ラプソディの背景》——リストとラヴェル」 は大変に面白い内容だ。バルトークにはラプソディというタイトルを冠した曲は2曲しかない。《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ第1番》(1928) と《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ第2番》(1928) であり、バルトークはラプソディというタイトルをあまり好んでいなかったのだという。なぜならそれはフランツ・リストの《ハンガリアン・ラプソディ (ハンガリー狂詩曲)》を連想させるからなのだという。

 1921年に、バルトークは、フランスの有力な音楽雑誌『ラ・ルヴュ・
 ミュジカル*』において、リストの《ハンガリアン・ラプソディ》で使わ
 れている旋律は、ジプシーたちがもともとあった農民の民謡を真似した
 りして作った通俗歌にもとづいたものだと指摘し、「節度のない、感情
 過多なルバートや、旋律をごてごてと塗りたくる装飾音の使用によって、
 もはや原曲の面影をとどめないほどに変形してしまった」 と批判しまし
 た。(P.71)
 * La Revue musicale (1920−1946)

バルトークの主張はこのリストの《ハンガリアン・ラプソディ》がハンガリー音楽の代表のようにとらえられたくない、ということなのだった。それにもかかわらず、なぜバルトークは《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ》を書いたのか。伊東は次のように推理する。「私はひとつの仮説として、この曲がM. ラヴェル (1875−1937) の《ツィガーヌ》に対する返答であったと考えています」。(P.71)

バルトークには幼なじみであるJ. ダラーニという女性ヴァイオリニストがいて、バルトークは彼女のためにヴァイオリン・ソナタ第1番、同第2番を書いたそうである。そして1922年、パリで第1番を共演したが、その演奏会でモーリス・ラヴェルとダラーニは知り合い、ラヴェルは彼女のために《ツィガーヌ》を書いたのだという。
ところがバルトークから見ると《ツィガーヌ》はリストの《ハンガリアン・ラプソディ》の現代版であり、バルトークの主張していたことは無視されていたに等しかった。そこで《ツィガーヌ》に対抗する曲として書かれたのが《ヴァイオリンとピアノのためのラプソディ》だった、というのである。
《ラプソディ第1番》を献呈されたヨーゼフ・シゲティはその自伝の中で、

 ラヴェルの《ツィガーヌ》がバルトークの《ラプソディ第1番》にどれ
 ほどの影響をおよぼしたのか、この《ラプソディ》が《ツィガーヌ》の
 擬似ハンガリー風に対するプロテストたらしめようとしたのではないか
 ということを、ほのめかしています。(p.72)

ということなのである。ただこの部分は難しい。《ツィガーヌ》は有名曲であるが、そのどこが擬似ハンガリー風なのか、シロウトには見分けがつかないからだ。それはリストの《ハンガリアン・ラプソディ》にも同様に言えて、確かに《ハンガリアン・ラプソディ》はガチャガチャしていて、たとえば《トムとジェリー》のアニメに流れるようなスラプスティックな印象を持っているが、それが擬似ハンガリー風であるかどうかということについては判断できないと思ってしまう。

《ラプソディ第2番》について伊東は 「かなり破綻している」 が 「その破綻ぶりが魅力的」 と言う。それは後半部に出てくる素材が 「あまり旋律的ではなく、2小節ぐらいの断片が延々と変奏されながら繰り返されて徐々に盛り上がっていくというものです。ちょっとトランス状態に近くというか、形らしい形というものはなく、西洋音楽といえるかどうかもあやしいものです」 だからだと言う。(p.76)
第1番に較べるとわかりにくい感じがするのかもしれないが、音としての印象は新しいようにも思う。プリミティヴな音楽には執拗な繰り返しによるトランス的パターンがしばしば見られるものである。

「民謡素材の変形と典型化」 において、D. シュナイダーによって作成された元の民俗音楽素材とバルトークがそれをどのように変形したかの比較譜が載せられている。伊東は、民謡旋律の特徴的な部分をバルトークがより強調したのではないかと指摘しているが、微分音を考える際に有効な解説が含まれている。少し長いが引用してみよう。

 冒頭の旋律に含まれる 「嬰ハ」 は、もとの民謡では少し低めの (下向きの
 矢印つきの) 「嬰ハ」 として採譜されていました。もしこの部分を 「ハ」
 にしたなら、ごく普通のト調の音階による旋律になってしまいますが、
 バルトークは、あえてここを 「嬰ハ」 としたことで、「リディア的増4度」
 の音程を強調したのではないでしょうか。この旋律が上りつめたさきに
 ある 「ロ」 (シュナイダーの比較譜の③) も、もとの民謡旋律ではやや低
 めの 「ロ」 として採譜されていますが、《ラプソディ》では 「変ロ」 にな
 っています。少し低めどころか、半音低く書いてしまっていますね。一
 方、この音型が2度めに出てくるときには、♮の 「ロ」 で書かれています
 (シュナイダーの比較譜の⑦)。バルトークはしばしば三和音の第3音を、
 ♮と♭の両方、つまり長三和音と短三和音の両方で使います。この曲で
 も彼は、「長・短3度をもつ5度枠」 の音程感をおもしろく感じたのでしょ
 う。(P.77)

この微分音と長短三和音については後半部の質疑応答でも触れられている。質問者の、「微分音を先駆的に使っていますが、これも民俗音楽によるものですか」 という問いに対して伊東は 「民俗音楽の音程の不確かなところを模倣するために、微分音を使おうとはしていない」 と答えている。(P.81)
また、「長短の三和音を同時使用するのは、微分音的に表記したいことへの表れではないでしょうか」 という問いには、「バルトークの場合は、長短の3度が開離配置でばらばらに出てくることが多いです。しかし同時に現れて半音がぶつかるようなところは、本当は微分音で表現したかったのかもしれません。その代用としてぶつけているのかもしれないですね。《ラプソディ》では5度と増4度がぶつかるところはたくさんあるのですが、長短の3度がぶつかるところは、あまりないと思います」 と言う。(同ページ)

「ト」 から始まるスケールの第4音が 「嬰ハ」 であるが、それは本来 「ハ」 と 「嬰ハ」 の間くらいの音であったというのが興味深い。「ハ」 では普通になってしまうのでリディア的に 「嬰ハ」 とすることで民俗風テイストを出したかったのは確かである。
旋律の最高音の 「ロ」 が 「変ロ」 になってしまっているのは 「ト」 からの短3度であり、これは長三和音と短三和音を両方使うとする手法にも通じるが、「長短の3度が開離配置でばらばらに出てくる」 のだとすれば、短2度は転回すれば長7度なので、和声的には奇異なものではない。ただこれはもちろん和音の問題ではなく、スケール上の音として考えられる音が時に応じてvariableだということである。
シュナイダーの比較譜では元の民謡旋律の調号は♯2個、バルトークのラプソディは♯1個で作成されているが、その範囲で見ると、微分音であるのは 「嬰ハ↓」 「ロ↓」 それに 「嬰へ↓」 である。「ト」 からのスケールとしてこれをあてはめると、ト、イ、変ロ、嬰ハ、ニ、ホ、嬰へとなり、「変ロ」 と 「嬰ハ」 の間が1全音+1半音開いているが、「変ロ」 → 「嬰ハ」 と連続する動きはないように思える。「変ロ」 が 「ロ」 であることが優勢ならば、スケールは 「ト」 からのリディアである。
しかし元の民謡旋律の微分音を固定的に考えて見ると、全音アキを1、半音を0.5、4分の1を0.25とすれば 「ト」 から始まるスケールの間隔は、1、0.75、1、0.75、1、0.75、0.75となる。これはトリッキーなオリジナル・スケールの素材としては面白いかもしれない。
「民俗音楽の音程の不確かなところ」 という傾向はあるのかもしれないが、バルトーク本人でもピアノ伴奏の時、リズムを崩すことだってあるのだそうだから (講演当日の演奏者へのインタヴューでピアニストがそう語っている)、音がvariableである可能性もある。音が不安定であることと、意識してvariableであることは同じではない。

もうひとつ、質疑応答の中で質問者がレンドヴァイの分析について言及している。それに対して伊東は 「反レンドヴァイ」 であったと答えている。レンドヴァイは最初はユニークだと持ち上げられたが、次第にトンデモ本だということに変化したという経緯があるが、その分析のアバウトさがそのような評価に落ち着いたのは納得できる。私も読んだ時、熱中したのだが、その分析に対応する部分が見つからなくて次第に疑念が生じたのを覚えている。だが伊東の発言で面白いのは、リゲティにはレンドヴァイの指摘した黄金分割のような法則性が出現してきて、たぶんリゲティはレンドヴァイを読んでいて、それに合わせているのではないかというのだ。ある意味、すごいシャレであり、リゲティやるね! と思ってしまうのである。

久保田慶一・編集代表/楽譜でわかる20世紀音楽
(アルテスパブリッシング)
楽譜でわかる20世紀音楽




Jiyoon Lee/Bartok: Rhapsody No.1 for violin and piano Sz.87
https://www.youtube.com/watch?v=LqZrTrmcuH4

Isaac Stern/Bartók: Rhapsody No.2 for violin and piano Sz.90
https://www.youtube.com/watch?v=nDt2Pfg4TnQ
nice!(88)  コメント(4) 

戸田山和久『教養の書』を読む・その2.03 [本]

Fahrenheit451_200509.jpg
Fahrenheit 451

第5章のタイトルは〈「読書の意義は何だろう」 ということを教養の観点から考え直してみる〉であり、ここでとり上げられている映画がフランソワ・トリュフォーの《華氏451》(1966) である。戸田山はこの映画を焚書映画の最高峰と言っている。ちなみに第2位は《ザ・デイ・アフター・トゥモロー》(2004) で、それについては第4章で解説されているのだが省略 (邦題つけるとき 「The」 を取るんじゃない、と戸田山先生が書かれているので 「ザ」 を付けておきます)。
《華氏451》はレイ・ブラッドベリ原作のSF映画であるが、SFらしい風景やメカニックな機器などは一切出てこない。その精神性がSFなのであり、そういう意味ではジャン=リュック・ゴダールの《アルファヴィル》(1965) と同じだ。ディストピアを描いているという点でも共通している。

以前、私はこのブログ記事に電子書籍イチオシに対する考えを書いたことがある。

 最近のそうした出版界の動きを見ていると、そのうちに紙でできた本を
 持つことが禁止される時代が来るかもしれない、と危惧してしまうほど
 のヒステリックさである。まるでファシズムを連想するほどである。や
 がて 「華氏451」 のような時代が来るのかもしれない。

幸いなことにこの2020年の段階で本はまだ禁止されていないが、書籍に限らずペーパーレスへの信仰は増大するばかりである。全く紙を使わないのを教義としている某大手コンピュータ会社があるが、その会社のPCを使いながら言うのは矛盾しているのかもしれないけれど、私はその会社が嫌いである。昔は良い会社だったのに。
そんなことはどうでもいいとして (ホントにどうでもいいので、この会社についてのコメントは不要である。あっても削除します)、戸田山和久はこの映画の中の世界における全体主義思想を次のように解説している。

 読書を禁じる理由は映画の中で明快に語られる。「われわれはみな似た
 ようでなければならない。万人が同じになる。これがただ一つの幸福へ
 の道だ」。あるいは 「考える隙を与えるな。幸せでいられる」。本を読む
 とものを考えるようになる。余計なことを考えるようになると、悩みが
 増えて不幸になる。それだけではない。政府の言うことを疑ってかかる
 ようになったり、自分はみんなとは違うと考えるようになったりする。
 こういう連中は、支配 [コントロール] しにくくてかなわん。いわゆる
 「愚民政策」 ね。(p.82)

《華氏451》の世界では本を隠し持っている人は反社会分子として弾圧され、消防士のような外見をした焚書官が隠された書物を押収して、皆の見ている前で火炎放射器で焼却する。
主要な登場人物は主人公である焚書官ガイ・モンターグ (オスカー・ウェルナー)、その上司であるキャプテン (シリル・キューザック)、そしてモンターグの妻リンダ (ジュリー・クリスティ) である。モンターグは職務に忠実な焚書官であるが、あるとき、魔がさして (?) 押収した本を読み、焚書に疑問を感じるようになる。そんな夫を妻リンダは密告する。
ある日、モンターグが現場に出動するとそれは自分の家の捜索であった。隠していた本が押収され焚書されようとするが、モンターグはそれに抵抗して火炎放射器でキャプテンを焼き殺してしまう。彼は指名手配されるが逃亡し、森の中でブックピープルと出会う。

このディストピアに見える世界の中では、人々は幸せに暮らしているのだと強制的に思わされていて、妻のリンダとその友人たちは毎日家でパーティーを開き、インタラクティヴなTVを見て過ごしている。それが面白いことだと信じ込まされているらしいのだがどうみても面白いとは思えない。唯一、未来的な情景として出てくるのがモノレールだが、車内の乗客たちの表情は暗く、すぐれない。

モンターグが生まれて初めて本を読むシーンで使われるのがチャールズ・ディケンズの『デイヴィッド・コパフィールド』である。その冒頭で主人公は 「ぼくはある金曜日の夜、十二時に生まれた」 と言うのだが、これについて戸田山は、モンターグが本を読んでいるのは、おそらく一週間の勤務が終わった金曜日の真夜中であり、それがこのディケンズの冒頭の言葉と響き合っているのだ、という。「モンターグは読書を知ることによって生まれ変わる」 のだということなのである。(p.86)
モンターグという名前はドイツ語の Montag、つまり月曜日であり、憂鬱なブルーマンデーの月曜日である。職務に忠実な性格をあらわしているのだと戸田山は指摘するが、それだけでなく、彼の無知と、日常生活の根本にある拭いきれない憂鬱を含んでいるはずだ。ロビンソン・クルーソーに出てくるフライデーという名前と、まさに対照的である。

しかしモンターグの妻のリンダは全体主義社会に懐柔された人であり、社会機構を批判することなど全く考えない人である。そうした妻たちのパーティーの中に入り、モンターグは本を朗読する。その心に響く内容を恐れて泣き出してしまう人もいる。

 この社会では、ひとの魂を揺さぶる本は心の不安を乱す暴力の手段とみ
 なされている。(p.88)

のであり、

 「万人が同じになること」 が幸福とされているこの社会では、自分の人生
 は他のどの人の人生とも交換可能なものでなければならない。それが理
 想なのだから、逆に 「自分の人生」 をもとうとすること自体が社会に対
 する反逆と見なされる。(p.86)

ことになる。これは寓話であるが、実際の現実にも存在し得ることである。かつてのソヴィエトで行われていた抽象的な音楽に対しても奇妙な判断基準を設けて弾圧するというジダーノフ批判に一環する姿勢は、「ひとの魂を揺さぶる音楽は全体主義に反するものである」 ということと同じである。そしてまだその残滓はあるのかもしれない。
今シーズン売れている服はこれ! これが最新流行! と言って流行の画一的ファッションに誘導することは、indiidualisticな精神に反するものである。誰もが他人と同じファッションを着たがるわけではない。学校の学芸会の芝居で主役と端役を設けず、どの生徒にも同じくらいのセリフを与えるという方法論は演劇のダイナミズムの崩壊にしかならない。「万人が同じになること」 を強制することは全体主義の特徴である。

さて、しかし日常生活に満足しているふうなリンダも抑制されている何かがあって、薬物中毒で昏睡状態になる。すると処理をするチームがやってきて、患者の血液を全部とりかえることによって再生させる。「これで新品同様ですぜ」 と言い置いて彼らは帰って行くのだが、リンダは同じ型の新品になるだけで (そのディストピアにおける従順な人間という名の一個の部品)、モンターグが生まれ変わったのとは違う、と戸田山は指摘している。
映画ではモンターグの本に対する意識を目覚めさせ、ブックピープルのコミュニティへと導いていく女性・クラリスがいるが、妻リンダとこのクラリスをジュリー・クリスティが1人2役で演じている。それは2人がコインの表と裏のような関係性であることを暗示していて、《ピーターパン》の演劇においてダーリング氏とフック船長が同一の俳優によって演じられる慣習と同じである。
そしてそれは 「本の危険性と魅力は同じコインの両面」 (p.90) であることとも同じである。

本と一緒に焼け死ぬ女性のシーンについての解説はこうである。

 焚書官たちが駆けつけると、秘密図書館の番人である白髪のおばさんが、
 次の引用を口にしながら玄関ホールに現れる。

  リドリー司教よ、男らしく振る舞おう。神の恵みにより、今日わ
  れわれはイングランドに蠟燭の炎をともそうではないか。二度と
  消えることのない蠟燭と信じて。

 押収された大量の本が積み上げられる。おばさんは本の山から離れよう
 としない。すると、キャプテンは 「何が望みだ。殉教か?」 と言う。
 すごいわ、キャプテン。おばさんが唱えていたのは、英国国教会の司教
 ヒュー・ラティマーがカトリック女王のメアリ1世に弾圧され、火あぶ
 りの刑に処せられるとき (1555年) に一緒に処刑されたニコラス・リド
 リーに語ったとされる言葉だ。キャプテンは、おばさんの言葉の出典を
 知っている! 知っているから、おばさんが本とともに燃えて死ぬ覚悟
 なのを見抜いたわけだ。(p.91)

キャプテンは本に大変詳しいのだが、本が禁じられる前に本を読んでいた世代なのだ。だがキャプテンはそうした本に対して歪んだ愛、というより憎しみを抱いて焚書官をやっているのである。だから本と一緒に焼け死ぬ女性とキャプテンもコインの表と裏で、実は似た者同士だということなのだ。
尚、注として、宗教の違いから300人もの人々を反逆者として処刑したメアリ1世がカクテルのブラッディ・マリーの語源であるという解説もついている。

モンターグはブックピープルのコミュニティに辿り着く。そこではひとりの人が1冊の本になって、本を口伝で守り伝えてゆくのである。そうすればたとえ物理的に本が燃やされても、言葉は永遠に残るという、いわばファンタジーである。ファンタジーであるが、口承とは言葉を残すための最もプリミティヴな方法である。幻想であり寓話であるのだが、それらが意味するものは重い。

映画の冒頭で焚書官の捜索のシーンがある (下記YouTubeリンクの1番目)。戸田山は勝手に 「りんご男」 と呼んでいるのだそうだが (Man with the Apple: ジェレミー・スペンサー)、彼は

 焚書官の到着直前に仲間からの電話を受けて、辛くも逃げおおせるのだ
 が、そのとき、なぜかりんごを齧っている。ラストの湖畔のシーンでも、
 この男はブックピープルの一員として再びちらっと映る。このときもり
 んごを齧っている。禁断の知恵の実 (本のメタファー) に誘惑され、そ
 れを食べてしまったために堕落して、楽園から追放された男、というこ
とだね。ただし、この場合は楽園といっても愚者の楽園なわけだが。(p.89)

このとき、捜索に入ったモンターグは、男の残していったりんごを見つけて齧るのだが、「そんなものを齧るんじゃない」 と、りんごはすぐに弾き飛ばされてしまう。まだ職務に忠実な焚書官であるモンターグが無意識にそうしただけの行動なのだが、それはやがて彼が禁断の実を食べてしまうということへの伏線である。モンターグが天井照明の中に本を見つけて指図し、投げ下ろされた本が『ドン・キホーテ』であることにも意味がある。
もっとも、りんごだっていつも知恵の実とは限らず、腐ったりもするものなのだが。

戸田山は 「読書は単なる情報収集ではない」 と言う (p.92)。「過去の人々、地の果ての人々、虚構の人々と時空を超えてダイアローグするために読む」 と言うのである。単に面白いから読む、それが読書の本質であるはずだ。目先の利益やノウハウを得るために読む本も存在するがそれは教養としての読書ではない。
だから本という文化を絶やさないように読むべきだし、読まなくてもとりあえず買う、自分が読まなくても誰かが読むかもしれない。そうすることが本というメディアを絶やさないための方法論のはずだ、というのが戸田山和久の主張であり、《華氏451》に籠められたメッセージなのだと私も思う。

《華氏451》の音楽を担当したのはバーナード・ハーマンである。映画音楽の作曲家としてはビッグネームで、ヒッチコックの映画を多数手がけている。彼の最後の作品はスコセッシの《タクシードライバー》の音楽であった。
蛇足だが《華氏451》の原著初版 Fahrenheit 451 が某古書店に飾られていた。だがとても手の出るような金額ではなかった。


戸田山和久/教養の書 (筑摩書房)
教養の書 (単行本)




François Truffaut/Fahrenheit 451: First scene
https://www.youtube.com/watch?v=x9iyKI2pJbE

François Truffaut/Fahrenheit 451:
First Meeting Between Guy and Clarisse
https://www.youtube.com/watch?v=poQ25pFXIRg

François Truffaut/Fahrenheit 451: Antisocial Element
https://www.youtube.com/watch?v=R-0l8rIp9bw
nice!(88)  コメント(12) 
共通テーマ:音楽

ほしおさなえ『活版印刷三日月堂 空色の冊子』を読む [本]

HoshioSanae_sorairo_s_200503.jpg

川越は小江戸などとよばれ、ブームになってから久しいが、その川越を舞台にしたほしおさなえの三日月堂第5巻である。舞台のすべてが川越ではないが、読んでいて思ったのは、ほしおさなえのキーワードは土地/場所なのではないかということだった。単純にlieuというより、それはミシェル・ビュトールのタイトルのように génie du lieu であって、三日月堂でも三ノ池植物園でも坂の近くの住まいでもそうだが、その場所には共鳴する何か惹かれるものが宿っている。
特定の土地/場所へのこだわり、ブルース・スプリングスティーンのニュージャージーや北村信彦のデトロイトと同じように、ほしおさなえの川越は美しい郷愁の中にあって、しかしその美しい風景がフィクション設定のためのツールであるところに周到な仕掛けがある。架空感覚が一番強いのが三ノ池植物園であるが、場所へのこだわりは一種の幻想小説となって読者に挑みかかる。架空建築とはつまり架空庭園のヴァリエーションである。

次第に滅びてゆく活版印刷に対する登場人物たちのこだわりもまた、ビュトールがこだわった書籍/文章と装幀/美術へのこだわりに似ている。ビュトールの企てたそれはコラボレーションという意味だけでなく、活字そのものへの美学にまで干渉するスタンスをとっていて、作家という立場より一歩踏み込んだ思想性を形成していた。

『空色の冊子』は7つの短編から成っているが、そのところどころに出てきて紐づけられているのが宮澤賢治の『銀河鐵道の夜』である。「星と暗闇」 ではブルカニロ博士がいるかいないかによって見分けられる草稿と完成稿の違いが語られているし、『銀河鐵道の夜』を読んだことが起点となって天文学にのめり込む人物の心情も語られる。
プラネタリウムの場面で、解説者が『銀河鐵道の夜』の冒頭部分を紹介するシーン (p.090) は、そのシーンにおける現在形それ自体と、過去にそのプラネタリウムに来た記憶とが重層していてジーンとする。但しそれは原作を読んでいなければ感じ取ることはできない。
死んでしまった人の短歌が急に思い浮かぶ場面 (p.087) も、短歌という形式が少ない文字数で表現しなければならない特性ゆえに、かえって強い印象を人に残す、という意味がよく伝わってくる。
荒井由実の〈ひこうき雲〉は自殺を連想させる歌といわれているが、話はそうした解釈とやや違うかたちに展開してゆく。〈ひこうき雲〉はトリガーに過ぎない (P.132)。

私は子どもの頃、天文が好きで、しかしそれは今からふりかえると、自閉的で夢見がちな印象も伴っていたように思う。私が最初に読んだ塚本邦雄の歌集は『星餐圖』だったが、その最初の 「青年にして妖精の父 夏の天はくもりにみちつつ蒼し」 に強い衝撃を受けた。なによりも 「こういうの、やっていいんだ」 という幼稚な驚きだったのかもしれないが。
少女マンガ的視点で見れば三日月堂は私の最も好きな萩尾望都の 「小夜の縫うゆかた」 に似ている。昔の、貧しかったけれど活気があってやさしさに満ちていた日本の風景、経済効率だけを考えて生産のほとんどを海外に依存している今の時代のようでなく、真面目にものづくりをしていた時代、そうした風景こそがこの国の本来の姿のように思い出されるのだが、そうした時代は永遠に喪われてしまって取り戻すことはできない。

活版印刷の最後期の頃を私はかろうじて知っている。大きな工場を見学して、鑽孔テープのデータで鋳造される活字や、熱と特有のにおいのする紙型のとり方も見た記憶があるが、それより昔ながらの活字の並んだ部屋の懐かしさの印象のほうが強い。ジョバンニの文選のバイトのような仄暗いイメージではなく、もっと活気のある職人たちが働いていた。だがそれは活字の歴史の終焉を見届けたのに過ぎなかった。


ほしおさなえ/活版印刷三日月堂 空色の冊子 (ポプラ社)
([ほ]4-5)活版印刷三日月堂 空色の冊子 (ポプラ文庫)




〈参考〉
細野晴臣/銀河鉄道の夜 Nokto De La Galaksia Fervojo
 ますむらひろしのキャラ設定によるアニメにつけられた
 細野晴臣のサントラはずっと私の愛聴盤である。
https://www.youtube.com/watch?v=XA2Ig0OmDb4

杉井キサブロー/銀河鉄道の夜
https://www.youtube.com/watch?v=SfrKfoSIAkk
nice!(90)  コメント(4) 
共通テーマ:音楽