SSブログ

東京事変《音楽》 [音楽]

TokyoIncidents_Ongaku01_210621.jpg

6月13日と20日の《関ジャム》は2週続けて東京事変のニューアルバム《音楽》のプロモーションとでもいうべき内容。だがアルバムそのものの紹介というわけでなく、東京事変の楽曲を包括して辿っていて中身が濃かった。ゲストにKing Gnuの常田大希と勢喜遊、ゲスの極み乙女。の理論派ともいえるちゃんMARI、そして本間昭光といった布陣。
King GnuとちゃんMARIの発言からは、同じミュージシャンであるゆえの共感のようなものがあって、そのひとつひとつが面白い。

亀田誠治がベースにもディストーションをかけて、そもそも何でも (ドラムでも) 歪ませるのが好きというのにも笑うが、それは浮雲 (長岡亮介) がギターなのにもかかわらずクリーンな音嗜好に対してのアンチテーゼでもあるようで、そして浮雲が同じフレーズを弾かないということに関しても、つまり覚えるのが面倒なのでという言い訳のような本音にも笑う。いつもその場でのインプロヴァイズということなのだ。『ギターマガジン』の今月号は浮雲のファントム特集だが (というのはジョーダンですけど)、これもアルバムのプロモーションの一環なのだろう。

椎名林檎の質問に対してKing Gnuが、自分たちの音楽はレディオヘッドよりオアシスという回答をしていたのは、つまりある程度のJ-pop寄りのテイストで作るという意味であって、なかなか奥が深い。それに対して椎名林檎は普段はピアノソロの曲とか、つまりインストゥルメンタルを好んでいて、歌のある音楽なんかほとんど聴かないといっていたのが印象に残る。歌詞に、時に古風な言葉が混じるのも決してそうした言葉を使いたいからではなく、メロディの音数に対して言葉の数を合わせたいからだという。

ただ、アルバム《音楽》はまだそれほど聴いていないのでなんとも言えないのだが、ここまでやってしまっていいのかというぼんやりとした危惧はある。椎名林檎なりの 「オアシス」 的な妥協の部分はあるのだろうけれど、メロディラインはカラオケで歌うのにはどんどん歌いにくくなっているように感じるし、でもそれである程度の支持があるのならむしろ素晴らしいことなのだが。
もっともラインクリシェの話題から連想したのだが、そうした音楽理論上のクリシェでなく、椎名の書く作品のテイストには彼女なりのクリシェ、というかつまり音の繋がりのパターンとしての手癖が常に存在していて、それがある限り椎名林檎はずっと椎名林檎なのだとも思う。
PVの〈緑酒〉は鈴木清順のパロディみたいで、料亭、その廊下、古い車、池の鯉、和服、懐かしいCP-70、そして刀とすり替えられたファントム (演奏で浮雲はティアドロップを弾いているが)。映画《名探偵コナン 緋色の弾丸》の主題歌は、あくまでコナンだから不安感を醸し出すようにこうしたコード進行を、というような解説があり、それなら〈赤の同盟〉だってドラマ主題歌だから、ということで理解できる。

椎名の発言の中で最も面白かったのがアルバムにおける曲順とコンサートにおける曲順が違う場合でも、つながりを考えてふたつのパターンに対応できるようにしておくというもので、これは以前に彼女が言っていたアルバムのつながりをコード進行的にスムーズにつながるようにまず決めておいてから曲作りをするということの発展形であるとも思えた。

okyoIncidents_Ongaku02_210621.jpg


東京事変/音楽 (Universal Music)
音楽 (通常盤)




東京事変/緑酒
https://www.youtube.com/watch?v=OS45uTF_8P0

東京事変/赤の同盟
https://www.youtube.com/watch?v=t67VbQhh9_A

椎名林檎/長く短い祭 from (生)林檎博’18
https://www.youtube.com/watch?v=1Omyzc0ihyo
nice!(67)  コメント(2)