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Girl Talk — 嶋護『JAZZの秘境』その2 [本]

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Yuko Mabuchi

嶋護『JAZZの秘境』のつづきである。
昔のジャズの録音における最も特徴的なこととして、コンプレッサーとともに挙げられているのがリヴァーブ (エコー) である。

1950年代から1960年代にかけて、レコードを製作する際にもっとも重要視されたのがリヴァーブ (エコー) だったのだという。今となっては考えられないほどのエコー、つまり残響音がその頃のいわば流行だったのだそうだ。それはたとえばルディ・ヴァン=ゲルダーの録音においても例外ではなくて、むしろそういう甚だしいエコーを付加したひとりとしてヴァン=ゲルダーがいたのだという。それは意外だった。

SP時代の録音においては残響が多いことは嫌われたのだという。それはまだ再生装置が未発達で、特にジュークボックスのような再生装置ではリヴァーブ成分が多いと音が小さく聞こえてしまうのだという。したがってスウィングの頃までは残響をなるべく無くす方向で、つまりデッドな音になるような録音が行われたのだそうである。
ところがLPの時代になると方向性が180度変化したので、それはSPからLPへとメディアが変わっただけでなく、リスナーの嗜好も変わってしまったことを意味する。
エコーを得るのにもっとも自然なのは残響の多いルームで録音することである。その結果、そうしたヘッドルームのある環境のスタジオが好まれ、以前は教会であった建物が有名なレコーディング・スタジオとして名を馳せた。だがそれだけでは飽き足らず、さらに人工的なエコーを追加することが試みられた。EMTプレートなどによるメカニックなエコー、さらにテープ・エコーが利用されたが、テープ・エコーはその機構上、ディレイの萌芽とも考えられる。

バルネ・ウィランの章にはルイ・マルの映画にマイルスがサントラを付けた《死刑台のエレべーター》の話題があるが、そういえばあの音もびしょびしょのエコーがかかっていた。ただ、マイルスの音は、同時代のブルーノートなどの録音に較べると歪みやきつさが少ないのだという。それは 「当時のアメリカではノイマンやAKGのようなヨーロッパ製マイクが急速に普及したが、その高出力に耐えるマイク・プリがまだなかった」 (p.299) のが理由なのだとのこと。話がそれるがバルネ・ウィランって懐かしい。リーダーアルバムはたぶん1枚しか持ってないはずだけれど。

CDの黎明期、CDの欠点として、周波数の上下がバッサリ切られている、レコードなら周波数がずっと上まで伸びていて、その聞こえないはずの音があるか否かが再生されたとき芳醇な音となるのだとか、そもそもCDは音が細いというようなことがよく言われていた。私もそういう解説を信じていた。だが、この本を読んでいるとどうもそんなに簡単なものではないように感じられるのである。極端にいえばそれらはかなりウソが混じっている。
ジャズの定番としてのブルーノートとかプレスティッジの音はミックスの際、上下がバッサリ切られているし (なぜならそうしないとレコードに入れるべき音とならないからなのだが)、そして中程をイコライジングしたり、さらにコンプレッションして持ち上げて太い音にしているのであって、ちっとも原音に忠実ではないのである。ただその頃の真空管による音の味付けが、音を色付けしているのだけれどそれが偶然にジャズのテイストと合っただけで、CDは上下が切られているとか非難するその前に、もともとのマスターの音がすでに切られているのである。

もちろん全てがそのような厚化粧な加工食品なのではなくて、良い録音だってあるのだと思うのだが、嶋護の推奨するCDは意外に、CD黎明期にリリースされた、つまりアナログから初めてCD化されたディスクだったりするのである。そして聴きやすいけれど実はべったりした音になってしまっているディスク、それがコンプレッサーの弊害なのであるが、そうした音よりも、一聴、音圧が低いように感じられてもそのダイナミックレンジが広いほうが音として自然であるし、優れた録音であるというのである。
これを私流に勝手に解釈すると、過剰にコンプレッションされた音はアナログのVUメーターでいえば、針があるポジションでずっと震えながら止まっているような感じになるが、そうしたコンプレッションされた音よりも、むしろ針が大きく振幅するほうが良い録音だということなのだと思う。ただその結果としてヴォリュームは低くなってしまうから、見かけの音が細いように聴こえ、パワーをかけないと真の音質が聞こえてこないということなのである。パワーに余裕がないとヴォリュームは上げられないので、高価なパワーアンプは出力が大きいのである。もちろんそれをフルに鳴らすことはないのだが、パワーの余裕というのもいわゆるヘッドルームがどのくらいあるかということと同じなのだと思う。といってもPAではないのだから、闇雲にパワーがあるのがよいのではなくて再生音にその品位が要求されるのは当然である。

嶋護はピアニシモにおいてテープヒスが出るのはむしろ自然で、それが無い、もしくは少ないというのはかえって不自然なことをしているのだということを匂わせている。これも目からウロコであった。不自然な操作をすれば必ずどこかにしわ寄せが出てくるのは確かである。録音に際しても、なるべく自然にということでいうのだったら、マルチマイクでなく、ワンポイントでという流れに行き着くのだと思う。それは原始的であるのかもしれないが、同時に最も自然なセッティングであるともいえるのだ。マルチはミックスダウンの際に便利なだけで、音そのものはモノラルなのだから。
知らなかったのはテープレコーダーの初期に、3トラックというレコーダーがあったという記述である。使用方法はいろいろあるが、ごく簡単な例として、2トラックがバックの演奏のLとR、そしてもうひとつのトラックがメインのヴォーカルというように。これがいわゆるマルチトラックのはじめであり、この音はミックスされて最終的には2トラックに落とされる。

そうした技術的な話題の続く中で、唐突に一押しのピアニストとして紹介されているのが馬渕侑子である。福井県出身のジャズピアニストであるが、主にアメリカで活動しているため、まだほとんど知られていないとのこと。YouTubeで探して聴いてみたが、正統的なジャズでいかにもアメリカっぽいテイストを感じる。
リンクしたSo Whatは、上原ひろみを思わせる洒落たイントロから、オリジナルのテーマ部分のはずむようなリズムをわざと棒読みのようなフレーズにかえ、最後に独特な一種のリフのようなものを加えて表情を出している。AABAのパターンで、Bに行くときにいかにも半音上がりますよみたいな構えが全然ないのは、60年経ってジャズが少しは進歩した証拠である。わざとマイルスのようでないカークパトリックのトランペット。スタインウェイに映る指の動きのショット。ピアノソロ後半の展開も非常に優れているように感じた。
そしてもう1曲、Girl Talk. ロスのジャズクラブにおけるライヴはもっとくだけていて、食器の触れ合う音、それはヴィレッジ・ヴァンガードのビル・エヴァンスを彷彿とさせる——ざわめきの中でスウィングするピアノ。アメリカにはまだ大人の音楽が存在している。


嶋護/ジャズの秘境 (DU BOOKS)
ジャズの秘境 今まで誰も言わなかったジャズCDの聴き方がわかる本




Yuko Mabuchi/Plays Miles Davis (Yarlung Records)
YUKO MABUCHI PLAYS MILES DAVIS




Yuko Mabuchi Trio/So What
The Brain and Creativity Institute’s Cammilleri Hall
April 25th, 2018
https://www.youtube.com/watch?v=LzW1QYy5Y8Y

Yuko Mabuchi Trio/Girl Talk
Los Angeles 2017
https://www.youtube.com/watch?v=OYtQ5IULbyE
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