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サンデーソングブックのジャニーズ [音楽]

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ジャニーズの1stシングル・若い涙 (1964)

先日の日曜日、つまり7月12日に車の中でFMを聞いていた。番組はFM TOKYOの山下達郎・サンデーソングブック。でもこの番組、いつでも熱心に聴いているわけではなくて、たまたまその時間だったら聴くという程度で、車の中のBGMみたいなことが多い。そうはいっても山下達郎の詳しい解説にいつも感心して、知識に加えていることは確かである。
7月12日の放送も、なんとなく聞いていて、なにか古い洋楽がかかっているなぁ、でもなかなかいいじゃん、くらいにぼんやりと聞いていたのだが、山下達郎が繰り返しジャニーズジャニーズと言っているので、だんだんと引き込まれて真剣に聞き始めた。そしたら、最初はジャニーズがカヴァーした曲の元ネタの曲をかけているのだと思い込んでいたのだが、そうではなくてジャニーズそのものがレコーディングしたものの結局世の中に出なかった曲だというのである。もうびっくり。最初は信じられなかった。
この放送は前週のつづきとのことだが、その放送は聴いていないのでとても残念である。

ジャニーズというのはジャニーズ事務所、つまりジャニー喜多川がプロデュースした最初のグループで、真家ひろみ、飯野おさみ、中谷良、あおい輝彦という4人組。活動期間は1962年から1967年ということになっている。だがその後のジャニーズ事務所の興隆で、ジャニーズというとジャニーズ事務所所属の歌手・タレントの総体をさす言葉となってしまったので、間違いを避けるため、この4人グループのジャニーズを 「初代ジャニーズ」 というらしい。山下達郎も 「初代ジャニーズ」 という名称を使っていた。
というのが歴史なのであるが、その初代ジャニーズというグループがあったことは知っているけれど、彼らがどのような曲を歌っていたかということは私はほとんど知らない。

この日、オンエアされたのは1966年にサンフランシスコで録音された音源だということだが、That’s When It Happens, Tell Her I Love Her, Love’s Breakin’ Thru, You’re Near Meという4曲である。
これらはジャニーズがアメリカに進出しようとしてレコーディングされた曲であるが、結果としてアメリカ進出は諸々の理由によりできなかったのだという。音源自体も完パケの音ではなくて、ミックスダウン前の音だという曲解説もあった。もちろんレコードやCDにはなっていない。

驚くべきなのはその曲の完成度の高さである。いわゆる典型的なポップソングであるが、歌もうまいし、コーラスも美しく、バックのオーケストレーションも非常に流麗に作られていて、それでいて当時の通俗的な音とはやや違う方向性もあらわれていたように思う。そして現代でも十分に通用する音である。日本でジャニーズとしてリリースされていた歌謡曲的な楽曲とは全く異なる録音である。
ただ、こうした音源をなぜ山下達郎が持っているのかということは明らかにされなかった。山下自身がこのアメリカ進出に関してジャニー喜多川に訊いても、ジャニー喜多川はあまりそれについて語りたがらなかったようである。結果としてアメリカ進出が果たせなかったからだろう。しかし逆に見ると、ジャニー喜多川にそれについて訊いたということは、音源自体の出所はおそらくジャニーズ事務所経由ではなく、もっと別のルートからのものであったと思われる。

番組内で山下が語っているように、当時のアメリカには人種差別があり、白人でない日本人の音楽をアメリカのチャートに乗せることはかなりむずかしかったのだという。そしてそれは今でも完全に解消しているとはいえない。アメリカの音楽とか映画といったビジネスは、いまだに白人の作品優先であることは動かない。
坂本九の 「上を向いて歩こう」 がアメリカでヒットしたのはたまたまというより奇跡であり、それが一般的に通用することはなかったのだという。

これは私が繰り返し言い続けていることだが、世の中にはジャニーズと聞くと (この場合のジャニーズとは、ジャニーズ事務所に所属する歌手・タレント全体をさす)、ジャニーズはミーハーで歌がヘタだからダメ、というような脊髄反射をする人が多くいることであるが、それははっきり言って間違いである。
音楽も、それ以外の芸術も、その評価は個々にあってしかるべきであり、ひとつのマスとしてとらえて評価してしまうのは識別能力そのものに蓋をしているのと変わりない。

そして、そうしたブートレグ以前の、いままで世の中に出ていなかった音をFMで流してしまっていいのか、という危惧も少し感じたのだが、山下達郎とジャニー喜多川にはそうしたことに関しての何らかの了解事項があったのではないかと考えられる。山下はジャニー喜多川をリスペクトしているし、ジャニーもそうした山下を知っているからこそ、KinKi Kidsのデビューを任せたのだと思う。

この番組の特集はジャニー喜多川の一周忌ということでオンエアされたのだという。ジャニー喜多川はその外見が、ともすると事務所のトップらしくないオジさん、みたいに語られていたこともあったが、それはもちろんジャニー喜多川へのリスペクトの一変形であるのに過ぎない。そして今回の初代ジャニーズの未発表音源を聴いてしまうと、それを企画したジャニー喜多川という人の先見の明がわかるだけでなく、むしろその炯眼のおそろしさにたじろぐのである。


ジャニーズ1960〜70年代
https://www.youtube.com/watch?v=pooByg4RlUM

山下達郎/硝子の少年
https://www.youtube.com/watch?v=vsXo85UsWtY

山下達郎/ガラスの少年 (live)
https://www.youtube.com/watch?v=fdRrzJjvGhE
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