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『東京人』シティ・ポップが生まれたまち — を読む [本]

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今さら書いても遅いとは思うのだが、なぜ松原みき? という話題をあちこちで聞いて、それは単純に流行しているということだけではなんとなく納得できない流れなのだ。その少し納得できる答えがここに書いてあった。『東京人』4月号 — 特集 「シティ・ポップの生まれたまち」 の寺尾ブッタによる記事である。

きっかけはヴェイパーウェイヴというジャンルでの 「どことなく懐かしさを感じる八〇年代風のポップスを主に再生速度を変化させるなどのリミックスによってよりメロウな雰囲気が強調」 された音楽であり、つまりサンプリング素材として日本のシティ・ポップが利用されたということらしい (p.52)。「ややガラパゴス的な進化を遂げていた日本のシティ・ポップ」 とも寺尾が表現しているように、欧米の典型的音楽とは肌合いがやや違うという特徴が逆に新鮮で 「使える」 ということだったのであり、ニュアンスは違うかもしれないが最初は (欧米から見た) 奇妙な異国趣味的色彩——つまりqueerでbizzareなテイスト——であった可能性もある。
サンプリングとはつまり音のコラージュなのだから、曲の一部分はマテリアルに過ぎず、意図した音楽と全く正反対の使われ方をされてしまうことだってあるからだ。

だがやがて、その日本のシティ・ポップという音楽自体をそのまま素直に聴いても結構いいじゃん! という評価に情勢は変わって行く。
そのひとつの例がフューチャーファンクとして変貌した竹内まりやの〈Plastic Love〉(1984) であり、単なるリミックスにとどまらず、そのカヴァー・ヴァージョンが出されるようになった。そうしたシティ・ポップというジャンルの中での再発見として、松原みきの〈真夜中のドア/stay with me〉(1979) がヒットしたのだというのである。

と、いきなりコアな話題から入ってしまったが『東京人』今号の表紙は江口寿史である。中の扉絵も江口が描いていて、カセットテープのウォークマン、そして自分で編集作成した音楽カセットが何個か積まれている構図である。江口の選んシティ・ポップのアルバムは、大瀧詠一《Niagara Moon》、南佳孝《SOUTH OF THE BORDER》、松任谷由実《パール・ピアス》と王道だが、加藤和彦の《パパ・ヘミングウェイ》のジャケット・デザインを 「この年流行った2色2分割のジャケ」 と指摘しているのが鋭い。
また《パール・ピアス》のキャプションには、『ストップ!! ひばりくん!』の中で 「渋谷の街をタワレコの袋を小脇に抱えて歩くひばりくんの背景 (PARCOの壁) に描いたのがこのジャケットで、個人的に思い出深い」 と書かれているのだが、そんなシーンがあったのか、今は思い出せない。

特集記事では何人もの人がMy Bestという記事を寄稿しているが、各々が選曲したシティ・ポップの曲名は、自分で編集したカセットテープを模してA面B面となっていて、脇にマクセルのカセットテープC46の写真がカットのようにして添えられている。
たとえばクリス・ペプラーの場合は 「side A:プラスティック・ラブ/竹内まりや、BLACK MOON/吉田美奈子、潮騒/山下達郎、TOKYO TOWER/角松敏生、PASSING PICTURES/
タケカワユキヒデ。side B:DOWN TOWN/EPO、今日はなんだか/シュガー・ベイブ、都会/大貫妙子、Lastr Summer Whisper/杏里、君は天然色/大滝詠一」 と山下達郎を中心とした選曲がされている。10曲中7曲が山下とその関連曲だ。
こうした選曲は人それぞれの好みであり、こんなの違うよ、と思う人もいるだろうし、これを読んで自分のベスト10を考えてみるのも楽しいのかもしれない。実際にカセットテープを作ってみるのもマニアックだ。もしそういうカセット作ったら私にください (最近はアルバム・リリース時に、レコードだけでなく、カセットテープも販売されていることがちらほら見られる)。

読んでいて私の興味を惹いた箇所を幾つか。
スカートの澤部渡が選んだ5枚のレコード、はっぴいえんどの2と3,シュガー・ベイブのSONGSとともに、ブロッサム・ディアリーとスパークスをあげているのが洒落ている。
澤部は《風街ろまん》を再発CDで聴いていたが、オリジナルLPを手にしたら、2つ折ジャケットに見開きで宮谷一彦の都電のイラストがあることにびっくりしたという。このインパクトはCDでは出せないし、もちろん紙ジャケットCDでも論外。LPジャケットでなければ意味がない。

私がもっとも引き込まれて読んだのは宮沢章夫の私的シティ・ポップ論というやや長めの論考であるが、それは吉田拓郎の〈結婚しようよ〉という曲が嫌いだったという話から始まる。そのいわゆる 「能天気」 な歌詞に宮沢は強い抵抗感を持ったのだというが、しかし後年、聴き直してみると 「音の作りの厚み、繊細さと深み、あるいは彩りの鮮やかさを強く感じた」 のだという (p.85)。プロデュースと編曲は加藤和彦、そしてバックは小原礼、林立夫、松任谷正隆など。実はシティ・ポップの源流はこのあたりにあるのではないかと宮沢は書く。
だが同じ1972年、宮沢は演劇シーンについて語っている。アートシアター新宿文化で上演された清水邦夫の『ぼくらが非情の大河をくだる時』について。演出は蜷川幸雄、キャストは石橋蓮司、蟹江敬三で、満員の観客だったという。しかし蜷川の言葉として宮沢は次のように書く。

 後年、蜷川は、「客席は若者たちで超満員だった。しかし初日の夜、観
 客席の一番後ろの壁に寄りかかって舞台をみていたぼくは、ぼくらの舞
 台が衰弱しているのを発見して、愕然としていた。/清水の戯曲も、蟹
 江や蓮司の演技も、そしてもちろんぼくの演出も、やせ細っていた。状
 況の衰退をそのまま反映した舞台は、異様に美しかったけれど、語る言
 葉も、演じる肉体も、すでに自己模倣を繰り返していた」 と語った。新
 宿はすでに六〇年代の新宿ではなかった。いくら劇場の外に出ても、そ
 こにかつての新宿はなかった。(p.85)

時代は清水邦夫からつかこうへいへと動いて行き、そしてそれは1972年の分断であり、〈結婚しようよ〉がヒットしたのと無縁ではない、と宮沢は書く。この部分、音楽とは直接関係がないが、当時の演劇状況を感じさせる鮮明な印象を受ける。私はアートシアターで一度だけ演劇を観たことがあるが、それはキャストも演出も誰なのか覚えていないが、ベケットの『勝負の終わり』だった。美しい舞台だったが、それはもっと後年のはずであり、蜷川なら同様に 「やせ細っている」 とこきおろしただろうか。

さらに宮沢は荒井由実や大瀧詠一、山下達郎らの音楽との出会いを語っているが、『ニューミュージック・マガジン』が『ミュージック・マガジン』に誌名を変更した際の、中村とうようの告知について触れている。「ニューミュージック」 という言葉が自分たちの考えていた意味とは異なって使われるようになったからだ、なのだという。確かにJ-popの符牒としてニューミュージックという言葉が市民権を得てしまったのが不満だったし不快だったのだろう。しかもニューミュージックもシティ・ポップも非常に曖昧でお手軽な言葉ということでは同質だ。
そのネーミングについて宮沢は次のように指摘している。

 いまになって考えると興味深いのは、ロバート・ジョンソンやライトニ
 ング・ホプキンスの音楽を (一義的には言えないものの) カントリー・
 ブルースとすれば、その対義語にあたるのが 「シティ・ポップ」 ではな
 いかという奇妙な符合だ。カントリーに対する 「シティ」 だ。ブルース
 のむせび泣きとは無縁な 「ポップ」 だ。(p.89)

ジャケット・デザインについても幾つもの言及があるが、栗本斉の 「レコード会社の仕掛け人たち」 について語っている記事の中に掲載されているジャケット群は、皆、美しい。南佳孝《SPEAK LOW》、ラジ《HEART to HEART》、大貫妙子《ROMANTIQUE》、竹内まりや《BEGINNING》。いずれもシンガー本人のポートレイトであるが、こうしたストレートな写真を使ったジャケットがリスナーにとっては最も望むもののはずだ、と少なくとも私は思う。そしてここで扱われているアルバムはすべてアナログ盤でリリースされたものばかりで、CD主体のものは1枚もない。
近年のアルバムでも、たとえばテイラー・スウィフトの《folklore》は明らかにLPサイズを意識して作られたデザインである。このアルバム、CDサイズではテイラー・スウィフトがはっきり見えない。

牧村憲一と泉麻人の対談の中で、泉麻人が《SONGS》のオリジナル盤を持っているという写真があって、さすがオタクの元祖・泉麻人と思うのだが、それはいいとして (いいのかよ?)、ヤマハがシティ・ポップに貢献した役割は大きいとして、ポプコンの写真と2010年に閉店したヤマハ渋谷店の写真があった。キャプションによれば《SONGS》のリリース時には、この店でインストア・ライヴが行われたのだという。
ヤマハ渋谷店は有名メーカーの店舗でありながら、特有のマニアックさがあった。moogのsystem 15が展示されていたときがあって、system 15は一番基本的なモジュールで構成されていて、これなら買えるかも、と思ったのだが、実際にはとても買える金額ではなかった。
エピキュラスには一度だけ行ったかすかな記憶があるが、それは南佳孝のコンサートだった。南佳孝はジャケット・デザインが秀逸だが、その楽曲にはアーバンな虚無感があって、大人の雰囲気がある。もっと評価されてよい人だと思う。ヤマハ渋谷店もエピキュラスも坂を上って行くというシチュエーションが同じだったような気がする。


東京人 2021年4月号 (都市出版)
東京人 2021年4月号 特集「シティ・ポップが生まれたまち」1970-80年代TOKYO[雑誌]





松原みき/真夜中のドア stay with me
https://www.youtube.com/watch?v=M0qMgoChzGI
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