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村上RADIOでスタン・ゲッツを聴く [音楽]

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FMで《村上RADIO 成人の日スペシャル 〜スタン・ゲッツ 音楽を生きる〜》を聴いた。村上春樹のスタン・ゲッツ好きは有名だが、この日の放送は早稲田大学国際文学館 (村上春樹ライブラリー) におけるイヴェントを収録したもの。村上春樹の解説でスタン・ゲッツを聴くという企画だったが、その概要は下記のTokyofmオンエアレポートというサイトで読むことができる (→a)。
私はたまたま途中から聴いたので、後でラジコで全部を聴き直した。

スタン・ゲッツはジャズのテナーサックス奏者であるが、その生涯は破滅的で酒とヘロインにまみれていた。村上春樹は 「ゲッツはアディクションに生涯苦しんだ」 という言い方をしていたが、彼の音楽はその破滅的な生活とは全く異なっていて、汚辱にまみれない存在だったのだと見ることができる。音楽だけが彼の聖域だったのだ。

ゲッツのクロニクルな内容はオンエアレポートを読んでいただければわかるので繰り返さず、聴いていて興味のあった部分だけを書き出すことにする。

ルースト盤からの2曲〈Split Kick〉(アルバム Split Kick 所収) と〈Dear Old Stockholm〉(アルバム the sound 所収) をかけているときに村上は 「70年も前のレコードだけれど音が良い」 と言う。〈Split Kick〉のピアニストはホレス・シルヴァーなのだが、まだ駆け出しだったシルヴァーをゲッツが見出したのだとのこと。〈Split Kick〉はホレス・シルヴァー作なのだがすでにシルヴァー節が垣間見える。

ビリー・ホリデイとのストリーヴィルにおけるライヴの〈Lover Come Back to Me〉について。その頃のジャズクラブは2つのバンドを入れて交互に演奏させるのが通例で、しかしビリー・ホリデイとの組み合わせになったこの日、ゲッツはビリー・ホリデイのバックで吹きたくて、自分のバンドと彼女のバンドと両方で演奏。ところが、ゲッツはレスター・ヤングのように吹きたいのだけれどやはりむずかしくて、ゲッツとしてはあまり上手い演奏ではないのだと村上は解説している。アウトロももうひとつ自信がなさそう、とのこと。あまり上手くないゲッツの演奏というのは珍しいから貴重なのだそうである。確かにあまりぱっとしていない感じがする。

ゲッツはノーマン・グランツに誘われてヴァーヴ・レコードに移るのだが、その最初のアルバムが《Stan Getz Plays》(1955) である。ゲッツと息子の写真を使った有名なジャケットだが、ジャケットオモテは写真だけで文字が無いというシャレたデザインになっている。
だがen.wikiに拠ればこのアルバムはクレフ盤の2枚の10インチ盤《Stan Getz Plays》と《The Artistry of Stan Getz》をコンパイルしたものだとのこと。再発されたCDはほとんどがNorgran盤のジャケットを採用しているがClef MGC 137のジャケットのものもある。
このアルバムはバラードを主体とした選曲であり、村上も〈These Foolish Things〉をかけているが、あえて急速調の〈Lover Come Back to Me〉をリンクしておく。これはすごい (→b)。
そしてこのアルバムを最後としてジミー・レイニーはゲッツのグループから退団するが、その理由はゲッツの麻薬浸けに耐えられなくなったのだとのことだ。レイニーはギタリストといってもコードを弾くのではなくメロディを弾くスタイルであり、チャーリー・クリスチャンの直系といえるとの解説である。ジミー・レイニーもジム・クロウもゲッツの麻薬依存にはかなり辟易していたらしい。

その後、ゲッツは再婚してしばらくヨーロッパにいたが、やがてアメリカに戻って来てアメリカの空気に触れ、新しい音楽をやろうという意欲が出てくる。ここでその例としてかけられたのがアルバム《Focus》の〈A Summer Afternoon〉という曲。
これはエディ・スォーター (Eddie Sauter) による作編曲でまとめられたアルバムで、スォーターはレッド・ノーヴォのオーケストラからスタートし、アーティー・ショウ、トミー・ドーシー、ウディ・ハーマン、そしてベニー・グッドマンなどの編曲を手がけていて、才能はあるのに不遇だった彼にゲッツがわざわざ依頼したのだそうである。ということでこの曲がかかるが、すごく凝っているのだけれどストリングスのピツィカートなどを多用し、ゴージャスといえばゴージャスだけれどあまりジャズ・テイストではないような気もする (→c)。
村上春樹は高校生のときにこのアルバムが気に入って聴いていたのだというが、これに入れ込むというのはかなりマニアックだと思う。
さらにen.wikiに拠れば同アルバムのメイン・チューンである〈I’m Late, I’m Late〉はバルトークの《弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽》の第2楽章へのオマージュであるとのこと。アルバム自体のコンセプトがそうした傾向なのなら、ジャズっぽくないのも仕方がないのだろう。結果としてクロウト筋には好評だったが販売成績はふるわなかったのだとのことである。

やがてジョン・コルトレーンが出現してきてゲッツは人気を奪われ焦る。だがコルトレーンは次第にフリーフォームに傾倒するが、ゲッツはコードプログレッションから離れることはできない。そしてコルトレーンは亡くなってしまうが、彼の音楽は行き詰まったというふうに村上は捉えているようだ。コルトレーンが亡くならずに次のステップに行くことがあったのか、それとも行き詰まったままになってしまったのかは今となってはもちろんわからない。ただ、行き詰まった先を見たかったようにも思う。

常に安住を避け、新しいことをやろうとするゲッツの、チック・コリアとのモントルー・ライヴがかけられるが、曲は〈La Fiesta〉であり、このリズム・セクションが一番素晴らしいと村上春樹は言う。その後のフュージョンになってからのチック・コリアについては村上はどう思っているのだろうか (知ってるけど、一応このように書いておく。尚、La Fiestaの最初のテーマはNow He Sings, Now He SobsのSteps—What Wasの後半に出現するテーマであり、この頃からコリアの中にはこのメロディがあったようだ)。

最後にかけられたのがケニー・バロンとのデュオである《People Time》——デンマーク、コペンハーゲンにおけるラスト・ライヴである。観客は彼の死期が近いことを誰も知らない。だがバロンは知っていて気遣っていたのであまりゲッツに吹かせないようにした。しかしゲッツの音に死の影は感じられない。堂々としたソロである。
このアルバムはCDのみでしかリリースされていなくて、しかし、当初2枚組で出されたがその後、コンプリート盤7枚組が出ていたことを私は知らなかった。したがって白鳥の歌である〈First Song〉は3テイク存在する。かけられたのは最後の3月5日の演奏で、予定ではライヴは3月3日〜6日の4日間であったが、6日の演奏は中止になった。村上はあまりにつらいので、このライヴはほとんど聴いていないのだという。
その日から3ヵ月後にゲッツは亡くなる (→d)。

「彼の音楽は美しかったが彼の生活は美しくなかった」 という言葉は非常に重い。そうした傾向はチャーリー・パーカーにも言えるかもしれない。ある意味、スタン・ゲッツには、かつてのいかにもジャズ・プレイヤーらしきジャズ・プレイヤーとしての姿を見ることができる。


a)
オンエアレポート 村上RADIO
https://www.tfm.co.jp/murakamiradio/

b)
Stan Getz/Lover Come Back to Me
album: Stan Getz Plays
https://www.youtube.com/watch?v=gntpCY8Kfr8

c)
Stan Getz/A Summer Afternoon
album: focus, composed and arranged by Eddie Sauter
https://www.youtube.com/watch?v=85pNIniTYpo

d)
Stan Getz/First Song
Live At Jazzhus Montmartre, Copenhagen / March 5th 1991
https://www.youtube.com/watch?v=uyeG55zQeWw
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