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真島昌利『ロックンロール・レコーダー』 [本]

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John Lee Hooker

ザ・クロマニヨンズの真島昌利の本が書店に山積みになっていて、真四角のEPサイズで裏表紙にEPのスリーヴに入ったレコードの写真があるので、もしかしてレコードが付録かと思ったのだが残念ながらそうではなかった。中身の文字は貼り込んだようにレイアウトされていて、内容が薄いのかというとそうでもない。真島が子どもの頃から聴いてきたディスクガイドになっていて、なかなか読ませる。

小学校6年生のとき、友だちの家でビートルズを初めて聴いて、といってもすでにビートルズは解散した後だからリアルタイムではないのだが、ギターをやりたいと思ってとりあえずギターを買ってきて、教則本通りに、まず 「日の丸」 をやって次に 「荒城の月」 をやって……でも何か違う。やりたいことからどんどん遠ざかっていってる気がする、というあたりがすごくおかしくて——いいなぁ。
それで友だちにビートルズみたいに弾くにはどうすればいいの? と聴いたら和音を鳴らすためのコードという押さえ方があるから、と教えてもらい『明星』という雑誌の付録の歌本を貸してくれた。それでアグネス・チャンとか天地真理の曲に付いているコードのダイアグラムを見て押さえ方を覚えていったのだという。それが中学生の頃。

最初はビートルズばかりやっていたのだが、そのうち古いロックンロールへ。ツェッペリンやパープル、キッスなどよりチャック・ベリーやエディ・コクランが好きだったという。そしてボブ・ディラン、スプリングスティーンなどを経てエヴァリー・ブラザースを初めて聴いたら、これビートルズそっくりだと思ったそうだが、もちろん順序が逆なわけでエヴァリー→ビートルズという影響なのだから。

で、ビートルズよりもストーンズのほうが野蛮な音で好きになり、さらに真島はブルースを遡って行く。エルモア・ジェイムス、ジョン・リー・フッカー、ジミー・リード、マディ・ウォーターズなどなど。でもその中で 「ジョン・リー・フッカーはひときわ独特で飛び抜けていました」 と真島は書いている。〈Sally Mae〉を 「初めて聴いたとき、奇妙な音のギターと低いうなり声に、僕は若干の恐怖をおぼえました」 と。

というふうに音楽遍歴が書いてあるんだけれど、ジョン・リー・フッカーがストーンズのライヴにゲストで出てきた動画があって、1989年のアトランティック・シティ、まずエリック・クラプトンがゲストとして加わり〈Little Red Rooster〉をやってから御大が登場して〈Boogie Chillun〉となるこの繋がりがとても良い。ミック・ジャガーの歌もすごくタイトだし、なによりこのライヴにおけるクラプトンのギターは素晴らしい。私が初めて買ったクラプトンのアルバムは武道館ライヴで、良いのかもしれないのだけれどレイドバックし過ぎていて、それよりこのライヴのシャープさのほうが好きだ。
ジョン・リー・フッカーはこの時72歳。なんかすでに重要無形文化財みたいな感じになっているが、バックで弾いているクラプトンやキースがとても楽しそうで、音楽っていいなとしみじみ思ってしまうのである。

それとこの本に掲載されているレコードの写真がとても美しい。おそらくマーシーのコレクションなのだと思うが、その大半が日本盤で、帯がきちんと付いていて、ジャケットの撮影も製版も秀逸で、これどうやって撮ったの? ってくらいにクォリティが高い。
CDはたぶん1枚も無い。最後のほうに書いてあるけど最近はSPも集めているらしい。チャック・ベリーのサインが入っているLPとかすご過ぎる。日本盤に付いている帯なんてダサいと思って私は皆、捨ててしまっていたんだけど、それってダメみたいですねぇ。


真島昌利/ROCK&ROLL RECORDER
(ソウ・スウィート・パブリッシング)
ROCK&ROLL RECORDER (ソウ・スウィート・パブリッシング)




Rolling Stones/Steel Wheels LIVE
(ユニバーサルミュージック)
スティール・ホイールズ・ライヴ(限定盤)(2SHM-CD)[SD Blu-ray]




The Rolling Stones, Eric Clapton and John Lee Hooker/
Little Red Rooster & Boogie Chillun
https://www.youtube.com/watch?v=uSxV-4RKkMc

John Lee Hooker/Sally Mae
https://www.youtube.com/watch?v=3-vsV8KrMR0
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G.RINA《Tolerance》 [音楽]

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fnmnlのインタヴューの中で、アップされるムーヴィーは緑色が印象的だがなぜ緑色が多くなっているのか、という問いに対してG.RINAは、そもそも植物が好きだし 「圧倒的な緑と湿潤な空気」 がアルバムの受容とも繋がる気がすると答えている。湿潤な空気とはまさにこの国の気候の特徴に他ならない。

初めて〈i wanna know〉のMVを観たとき、思わず笑ってしまったのは、え、これでいいの? という素朴な印象に違いなくて、でもそれはたとえばFNCYの〈みんなの夏〉を観たときにも同様に感じたことなのだ。日本情緒とまるで合わない音楽形態のようでありながら、でもだから逆になんとなく何度も観て聴いてしまうという、半分ふざけた遊び心で、でも半分は本気というような、そこまで考えてるよなぁと思いながらも、その音と映像の乖離の半端なさにどうしたもんだろうと逡巡してしまうような、そういうのも含めてG.RINAの戦略にからめとられているのがくやしい (FNCYとはZEN-LA-ROCK、G.RINA、鎮座DOPENESSの3人のユニット)。

むしろ〈close2u〉なんかのほうがアジアン・テイストで一見なるほどと思うのだが、でも結局これって日本じゃないから、というところに落ち着く。いや、映像はどうでもいいのだ。どうでもいいのだけれど、やはりそれに引き摺られる。

で実は〈i wanna know〉の場合、引きつけられるのは冒頭に映される砂浜への波と、それにかぶさるディレイを通したトランペットのような、ECMのアルバムで良く聴く暗くて頽廃さを感じさせる音で、でもそれはすぐに裏切られる。その落差がむしろ心地よい。このローカルな、避暑に来たついでに撮ってみましたみたいなチョロい画像は、実はそんなにチョロくない。
妙に事象から離れて客観的に風景を見ているというような、引き籠もった心象風景の具現化のようでもある。

映像でいうのならばFNCYの〈みんなの夏〉のようなオワライぎりぎりみたいなビールを飲むカットと、山下達郎のカセットテープ (RIDE ON TIME, FOR YOU, Melodies) とサンヨーのラジカセという瞬殺的なショットが、まるでキンチョーの 「日本の夏」 CMを連想させてしまうほどに日本を醸し出す。ああ、これでいいんだ。

G.RINAは《Tolerance》発売時に、FNCYも一時休止があったことを語り、そして昨今の 「荒んだ風潮」 について、

 人をジャッジするっていうことは自分もジャッジしてしまうっていうこ
 とで。それは自分の身の回りで起こったことに限らず、いろんなことで
 そう感じて。SNSにしろ何にしろ、とにかくみんな断罪したがるけど(笑)、
 TVに映ってる人でもアーティストでも誰でも、みんな生活とか人格があ
 って、何を言ってもいいわけじゃないっていうか。人を傷つける過激な
 言葉が簡単に放てるからこそ、それは絶対自分に返ってくるし。だから、
 優しさも巡り巡って自分への優しさになるっていうか。そうやって世界
 を見る時にもう少し寛大になることが自分への寛大さにも繋がるから、
 もっと優しさで世界を見れないかなって。(bounce 451号)

と言う。ナイフはものを切ることにつかう道具だが人を傷つけることにも使える。言葉も同様で、人を優しく包むこともできるが、人を傷つける凶器にもなりうる。

で、つまりラップなんてそんなにむずかしく考えなくてよいし、わかりやすいこと、クリアなこと、その中にひっそりとした、しれっとかすかな哀愁があることがtoleranceを際立たせる。そう。どこまでならOKなの? ということなのだ。ぶっちゃけていうのならば。


G.RINA/Tolerance (ビクターエンタテインメント)
Tolerance




FNCY/FNCY BY FNCY (キングレコード)
FNCY BY FNCY




G.RINA/i wanna know feat. 鎮座DOPENESS
https://www.youtube.com/watch?v=vlXgpFc63tA

G.RINA/close2u (2021REMIX) with Kzyboost
https://www.youtube.com/watch?v=1yeFRuntIDQ

FNCY/みんなの夏
https://www.youtube.com/watch?v=m6HTFFj1wyU
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須藤薫《Summer Holiday》 [音楽]

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古書店で、あまりターゲットを絞らずになんとなく気に入った本を手に入れるには、その店に何度も行くことだと思う。これが欲しいと思って目的を決めているときは、不思議にその他のものは目に入らない。つまり視野狭窄。ところがぼんやりと漠然と見ていると、あ、こんなものがある、と気がつく。それは中古レコードでも同じだ。意味もなく、ざっと見ているとき、何かがひっかかって来る。もちろん引っかからないことのほうが多いけど、それはつまり魚釣りと同じなのだろう。

そうやって目にとまったのが須藤薫のベストアルバム《SUMMER HOLIDAY》だった。須藤薫って名前は知っていたけど曲はどうなのかなぁ……たぶんほとんど知らなかった。でもその名前が繰り返して意識の片隅に登場してきているような気がして。それはきっと、もうすぐ《ナイアガラ・トライアングル vol.2》が再発されるからで、ナイアガラ・トライアングルというのは大瀧のナイアガラ・レーベルで大瀧詠一、杉真理、佐野元春の3人によりリリースされたアルバムなのだけれど、その杉真理からの連想で須藤薫が気になっていたのだと思う。
そうしたとき、アルバムは向こうからやって来るのだ。

中古レコードの棚で何枚ものレコードを見ているうちに、ふとこのレコードジャケットで手が止まった。あ、これいいなぁ。何なんだろう、この懐かしいような、でもこんな風景など知らないのに郷愁を感じてしまう気持ち。何台かの古いアメリカの車と人々が模型と人形で再現されている一種のジオラマ。
心のどこかが悲しいのかもしれない。現実であるはずの今の時間が希薄で、それは楽しかった過去に引き寄せられてしまうような、少し現実逃避の、感情過多の、忘れ形見のような色褪せたかすかな想い。
でもジャケットがちょっと傷んでいるしなぁ、と思ってそのときは買わなかった。ところが頭の隅のメモ帳にメモがずっと残っていて消えてくれないので一週間後に行ってみたらまだあったので購入。つまりジャケ買いです。もっともジャケ買いって基本的にレコードにだけ当てはまることなのではないかと思う。CDだったら画面が小さいので、これだ、と思って買う気にはならないのではないだろうか (いや、CDだってジャケ買いはあるよ、というご意見があっても否定はしません。それと、そのジャケットが良いと思うか否かはその人の好みによるので、もっと言えば美学なので、万人が良いと思うジャケットなんて滅多にないのかもしれない)。

大瀧詠一、杉真理、佐野元春という組み合わせがあったのと同じように、かつて松任谷由実、杉真理、須藤薫という3人で1982年から83年に 「Wonder Full Moon」 というジョイント・コンサートがあったのだというが、これは私にとっては後から加わった知識に過ぎない。1982〜83年の松任谷由実といえばアルバム《PEARL PIERCE》《REINCARNATION》《VOYAGER》の頃である。社会現象的に大ブレイクしていた頃。
そして須藤薫と杉真理の活動はかなり続いたようだが、すごくいい! 最高! と共感し、燃えたぎってしまうような音楽ではなくて、落ち着いて聴ける大人の音楽だなぁという気がする。そうした音楽のテイストがジャケットにあらわれているのだと思う。バブル前夜とかバブルの時代の頃の音楽と言ったって、全てが金まみれの狂奔の中にあったわけじゃない。

ジャケットには 「セット制作:(株)サンク・アール」 と記載されていて、写真よりもイラストよりも手がかかっているデザインなのだが、さらに《Tear-drops Calendar》というベスト盤の続編がある。こちらは同じジオラマで構築された夜の風景だ。CDは両方とも持っているが、この《Tear-drops Calendar》のLPが欲しいのです。この2枚が揃わないと神龍は出てこないから (違ってるし)。

リンクした〈恋の最終列車〉は《フォーク&ロックマスターズライブ》という番組の一部である。番組全体はおおらかでちょっとユルくて、それは昨今のネット社会のようにギスギスしていない。
しかし残念ながら須藤薫は2013年に亡くなってしまう。悲しいことだが音楽はとりあえずこのようにしてまだ残っている。音楽が記録として、あるいは記憶として残っている間は、その人が死んでも音楽が死ぬことはない。

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須藤薫/SUMMER HOLIDAY
(ソニー・ミュージックダイレクト)
SUMMER HOLIDAY




須藤薫/Tear-drops Calendar
(ソニー・ミュージックダイレクト)
Tear-Drops Calendar




須藤薫・杉真理/恋の最終列車
https://www.youtube.com/watch?v=X80VHLc7Ii8

須藤薫/BEST COLLECTION
https://www.youtube.com/watch?v=ELN3gB9k-zc

須藤薫/ライブG
恋の最終列車、再会のエアライン、同い年の恋
https://www.youtube.com/watch?v=D6VbtQnbTjo
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カール・リヒター《マタイ受難曲》東京ライヴ [音楽]

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2021年末にAltusレーベルからカール・リヒターの来日ライヴが発売された。曲目はマタイ受難曲とロ短調ミサ、そして鍵盤作品集の3枚である。
カール・リヒター (Karl Richter, 1926−1981) はミュンヘン・バッハ管弦楽団ならびに合唱団の総帥であり、J・S・バッハの権威として知られていた。しかしバロック期の作品は次第にピリオド楽器での演奏が主流となり、モダーン楽器によるリヒターの演奏はその流行の前に色褪せてしまったような印象になった。

だが、ピリオド楽器を使用すれば原典に忠実であって素晴らしい演奏なのかといえばそうともいえない。さらにいえばピリオド楽器を使うことが免罪符であるかのような演奏だって存在する。その曲が作られた当時の楽器で演奏しなければならないのだとしたら、ベートーヴェンはハンマーフリューゲルで演奏しなければならないはずだが、ベートーヴェンのソナタは現代ピアノで演奏されていることのほうが圧倒的に多い。それなのにバロック期の演奏だけを特殊化するのはピリオド楽器信仰と言ってよいだろうし、不思議な思考方法だと思うのである。

リヒターの時代にピリオド楽器は今ほど使われていなかったし、そのメンテナンスも今ほど発達してはいなかったはずだ。音楽は楽器がなければ成り立たないが、楽器さえあれば良いというものでもない。リヒターのバッハ理解は今になっても色褪せてはいないし、精神性と高潔性は決して劣化しないのである。

バッハの《マタイ受難曲》は宗教音楽作品において最も高みにある内容と思われるが、リヒターには1958年と1979年の2つの録音が存在する。1958年の評価が高く、1979年盤は死期に近いこともあってあまり顧みられない。私はこの2つの録音に極端な評価の差があることに対してずっと疑問を抱いているのだが、とりあえずそれは考えないことにして、これらはどちらもセッション録音であり、ユニバーサルからリリースされているDVDも1971年のセッション録音である。
ところがAltus盤は1969年5月の東京文化会館におけるライヴであり (つまり2つのマタイの中間に位置する録音日である)、NHKサービスセンターの発行と記載されているので、NHKの持っている音源である。販売元はキング・インターナショナルなので、中身は100%日本製なのだが輸入盤扱いになっている。
この音源は以前にも発売されたことがあるのだそうだが寡聞にして知らなかった。今回はシングルレイヤーのSACDであり、本気度満々である。

こうした音源があるのだから、NHKにはそのときの映像は無いのだろうかと、つい思ってしまうのである。1969年というとビデオテープとして残っている可能性は限りなく低いが、他の記録方法があるかもしれないし、可能性がゼロではないと思うのである。

リヒターはマタイのような曲のときは、やや小型のチェンバロを置き、弾き振りで指揮をするのが普通であった。レチタティーボのときなどは、歌に合わせて通奏低音を弾くのである。この弾き振りがカッコイイのである。

動画を探してみたが、パッション系では良い動画がないので、ブランデンブルク協奏曲を2つリンクしてみた。それとアルヒーフ盤でリリースされていた《音楽の捧げもの Das Musikalische Opfer》だが、これは音声のみである。チェンバロで奏でられた〈3声のリチェルカーレ〉から始まる暗い音で積み重ねられた捧げものは、トラックの末尾のほうに入っているトリオ・ソナタに収斂して行く。
BWV1079と1080、この2曲がなぜ作品リストの最後に特別扱いで置かれているのか、その理由がわかる演奏ともいえる。


Karl Richter/J.S.Bach: Matthaus-Passion,
Live in Japan 1969 (Altus) [但しamazonは高過ぎです]
カール・リヒター 来日ライヴ1969 J.S.バッハ : マタイ受難曲 (J.S.Bach : Matthaus-Passion, Live in Japan 1969 / Karl Richter, Munchener Bach Orchester & Chor) [SACD シングルレイヤー] [国内プレス] [日本語帯・解説付き] [Live]




Karl Richter/J.S. Bach: Brandenburg Concerto 5
https://www.youtube.com/watch?v=vMSwVf_69Hc

Karl Richter/J.S. Bach: Brandenburg Concerto 2
https://www.youtube.com/watch?v=IETYYTMtL6U

Karl Richter/J.S. Bach: Das Musikalische Opfer
BWV 1079
https://www.youtube.com/watch?v=i3cYsqYO6TM
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失うまでは気づかないもの — 吉川晃司〈SOLITUDE〉 [音楽]

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今となっては曖昧であやふやな記憶で間違っているかもしれない。それは音響機材の展示会だったかあるいは単なる楽器フェアみたいなのだったか、ともかくそうした会場の中にブースがあって、何かの機器のセールスの一環としてのデモンストレーションだった。結局、売ろうとしていたのが何だったのかさえ覚えていない。
ともかく音源があって、それはまだデジタル以前の時代だったからおそらくマルチトラックのテープだったのだろうが、その音をミキサーを通して聴かせてくれるプレゼンテーションであった。

業界関係への説明があって、そんな内容はよくわからないのだが、さて試聴音源は、という話になった。プレゼンターが 「本日は吉川晃司の歌をお聴かせ致します」 と言ったので、会場内が一瞬、えええ〜……みたいな反応になった。たしかまだ吉川晃司はいわゆるアイドル系だと思われていた頃で、COMPLEXなどより以前である。「そんなの素材として聴かせるなよ」 的なリアクションだったのである。
だがそんな反応にはかまわずプレゼンは始まった。何の曲だったのか忘れたが、あ、これ聴いたことがある、というような吉川の何かのヒット曲だったと思う。比較的アップテンポの曲だった。会場内には 「あ〜あ」 的な雰囲気が漂った。たぶん素材には、たとえばジャズとかそんな音源を期待していたのだろうと思う。
ところがマルチトラックなので各トラック別に音を鳴らしていって、またエフェクトの効果なども確かめてから、「ではヴォーカルがどんな感じか聴いてみましょう」 ということになって、ヴォーカルトラックのみが選択された。つまり伴奏の音は消されて吉川晃司のヴォーカルだけがアカペラで、エフェクトもカットされて流されたのである。その瞬間、ざわめきがなくなり、皆、黙ってしまった。あまりに完璧で圧倒的なヴォーカルだったからである。「この人、こんな上手いんだ」 というのが誰もが持った感想だったと思う。
そのヴォーカルに次々に音を重ねていって、つまりミキサーで次々にフェーダーを上げていって全体像ができあがったとき拍手が起こった。それはたぶん、ミキシングの結果への拍手ではなくて、吉川晃司への歌唱への拍手だったのだと思う。結果として機器のプレゼンという初期目的は達せられたのかどうかよくわからない。

リンクしたのは〈この雨の終わりに〉と〈SOLITUDE〉。どちらも松井五郎作詞、吉川晃司作曲の作品である。

〈ソリチュード〉というタイトルの曲で最も有名なのは、もちろん、デューク・エリントンの〈ソリチュード〉であるが、たぶんビリー・ホリデイの特徴的な声の歌唱を思い出すことが多いだろう。だがリンクしたこの〈SOLITUDE〉はエリントンでもなく、中森明菜でもなく、吉川のオリジナル曲である。前半部はピアノ:山下洋輔、ベース:坂井紅介、ドラムス:村上ポンタ秀一の伴奏で歌われている。

「夜の終わりを探してる」 「もう二度と逢えないと」 「なにもいまここにはないのに」 とダークな歌詞が重なる。そして 「失うまでは気づかないもの」 とは何だろうか。「よごれた手には戻らないもの」 とは。
失ってしまってから気づいてもそれは遅いのだ。でも失ったものは失う前までは決してわからない。


吉川晃司/この雨の終わりに
https://www.youtube.com/watch?v=-TJ_nVz_9I0

吉川晃司/SOLITUDE
https://www.youtube.com/watch?v=tqdZwjqiCZE
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ほろよいCM — 今夜はブギー・バック [音楽]

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疲れて、TBSTVの《人生最高レストラン》をなんとなく見ていた。加藤浩次のMCによるトーク番組だが、今回のゲストは葉加瀬太郎。相変わらず話が面白い。

お金のことはすべて奥さんが管理しているので、ギャラが幾らとか作曲料が幾らとかいうことは一切わからないし知りたくないのだという。理想ですね、と応じる加藤浩次。でも一番印象に残ったのは、クラシックをやっていたのにあるきっかけからポピュラー音楽をやるようになったのだそうだが (まだ売れてない頃のセリーヌ・ディオンのツアーに参加)、音楽界にはもっとすごい演奏家とか孤高の人とかたくさんいて、自分はそんな人ではないけれど、クラシック音楽を聴く入り口になるような音楽をしたいのだという。
最後のほうで加藤が葉加瀬の幼少の頃の写真を見て 「直毛ですよね?」 とツッコむ。そしたら 「これはね、ビジネスパーマ」 なんだって。KRYZLER & KOMPANYでデビューした頃、インパクトさを求めてあの髪型を選んだらしい。実は葉加瀬太郎が直毛だということを数日前に知ったばかりだったので余計におかしかった (クライスラーとは綴りがわざと変えてあるけど、あのフリッツ・クライスラーのことだということもwikiで知りました。まだ私が小学生の頃、叔母の持っていたクライスラー本人のEPとハイフェッツのメンコンのLP、これが私の音楽の原点なのだと思う)。

で、まぁそれはいいんですけど、さらっと挟まれたCMにびっくり。古川琴音の実写とアニメが組み合わさった映像で、音楽が……今夜はブギー・バック。これは何だろと思っていたら最後にほろよいが出てきたので、ほろよいのCMだということがわかる。音楽は 「水星」 × 「今夜はブギーバック」 とのことです。
このCMはすごいなぁ。ネコマニアには必見。メイキングなども含めてYouTubeには幾つもの動画があるが、実写もアニメもどちらも素晴らしい。ほろよいを飲みたくなってしまう。でもほろよいってアルコール度数が低いんですよね。酔っ払うのには不適。30秒のアニメのみヴァージョンもあるけど、下記にリンクしたアニメ+実写の60秒ヴァージョンがオススメ。0’27”あたりでヒザにのっそりと上がって来るネコのかわいさはなに?

〈今夜はブギー・バック〉は小沢健二とスチャラダパーがオリジナルだが、私が最初に聴いたのはHALCALIのヴァージョンで、うわっ懐かしい、と思ってしまいました。TOKYO No.1 SOUL SETとHALCALIのジャケットはイヤミとチビ太なんですけど、これ、EPで出して欲しい (音楽ナタリーによればCMの歌唱はアニメバージョンがkZmと佐藤千亜妃、実写バージョンが池田智子とTENDRE。そして作曲は〈水星〉がtofubeats、〈今夜はブギー・バック〉が小沢健二&スチャダラパーです)。

暗く悲しいことがあったとき、逆に明るくておバカな音楽が人をなごませてくれることもある。そういうとき、音楽ってやすらぎを与えてくれるものなんだとぼんやり思ったりする。

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TOKYO No.1 SOUL SET + HALCALI/今夜はブギー・バック
(tearbridge)
今夜はブギー・バック




ほろよい飲んでなにしよう? 池田智子×TENDRE ラップありver.60s
https://www.youtube.com/watch?v=a6WJGXc99YM

古川琴音、6変化! 「水星」 × 「今夜はブギーバックnice vocal」
ほろよい新CM
https://www.youtube.com/watch?v=YuVzebkCVAA

TOKYO No.1 SOUL SET+HALCALI/今夜はブギー・バック
https://www.youtube.com/watch?v=ZFqdOscD9jU

音楽ナタリー:
「水星」×「ブギー・バック」がCMソングに!
歌うのはkZm、佐藤千亜妃、池田智子、TENDRE
https://natalie.mu/music/news/464356
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AAAMYYY〈AFTER LIFE〉 [音楽]

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AAAMYYY (Numéro TOKYOより)

2月6日の《関ジャム》を観た。タイトルは 「蔦谷好位置持ち込み企画 ミュージシャンの裏トーク第2弾!!」 とのことで、これといってテーマの無いユルい企画。ゲストは発案者の蔦谷好位置、AI、TempalayのAAAMYYY、そしてスキマスイッチの常田真太郎である。

番組自体は面白かったけれどすぐに忘れてしまうような内容で、消費される番組の典型のようだったのだが、ゲストの中でAAAMYYYがなぜか気にかかった。なぜかと問われると 「カン」 で、としか応えられないがつまり何らかの 「しるし」 が感じられるからである。それで楽曲など、少しYouTubeなどで聴いてみる。

AAAMYYY (エイミー) は高校生の頃、軽音楽部でBUMP OF CHICKEN、RADWIMPS、椎名林檎といった曲をカヴァーしていたが (GO!GO!7188の名前もあがっているのがいい) 、留学先のカナダでインディーズシーンを知り、DAWとしてGarageBandを知り、ひとりで曲作りにトライしながらも、やがてバンド活動を始める。GO RETRO、eimieといったエロクトロニカ系ユニットを経て、現在はTempalayのメンバーということになっているが、提供曲も多く、そして何よりそのソロの楽曲に魅力がある。そのような先進的音楽に染まりながら、同時に、子どもの頃に親や祖父母が聴いていた演歌の影響も刷り込まれているという。

SFが好きで2ndアルバムの《Annihilation》というタイトルはナタリー・ポートマン主演の映画《アナイアレイション —全滅領域—》 (監督:アレックス・ガーランド/2018) からとられているとのこと。このアルバムのラス前に置かれている〈AFTER LIFE〉に引き寄せられる。たぶん2ndアルバムのメインであり、PVも作られている。0’18”から入って来るスネアとヴォーカルのコントラスト、ときに寂寥を感じさせる音色のシンセ、トリッキーな転調、そして全体を覆う粘度の高い官能。

OKAMOTO’SのオカモトレイジによるAAAMYYYの自宅スタジオ訪問という動画があって、なかなか楽しい。ノイマンのマイクがあるのは当然だが、最近はレコードを聴くようになったというのにも頷ける。

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関ジャム2022年02月06日放送 (音楽ナタリーより)
(左から) AI、蔦谷好位置、AAAMYYY、常田真太郎


AAAMYYY/Annihilation
(ワーナーミュージック・ジャパン)
Annihilation




AAAMYYY/AFTER LIFE [Official Music Video]
https://www.youtube.com/watch?v=JPt6YlSOKSw&t=2s

AAAMYYYの自宅をオカモトレイジが訪問!!
https://www.youtube.com/watch?v=DzoIdZ4bp1U
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大和田俊之『アメリカ音楽の新しい地図』 [本]

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Taylor Swift

現在のアメリカ音楽はどのようなものであるか、そしてどのように聴かれていてどのように聴くべきであるかということについて、この本は幾つもの示唆に満ちている。
特にそのアメリカ市場で爆発的な発展を遂げたK-popのBTSについては、まず1992年のロス暴動の解説から書き起こされている (9 BTSと 「エイジアン・インヴェイジョン」)。

ロス暴動はアフリカ系と韓国系コミュニティーの確執という枠組みで報道されているが、韓国系の人たちがなぜアフリカ系に対してネガティヴなイメージを持っていたのかというとそれは韓国駐留軍の人種隔離制度を見ていて、アフリカ系への差別意識を持ってしまったのだというのだ。しかしこの解説も 「ある研究によれば」 とされていて、著者自身の意見として書かれているわけではない (あるいはそのように装われている)。
さらに、

 だが、ナンシー・アベルマンとジョン・リーが論じるように、ロス暴動
 を 「アフリカ系/韓国系の衝突」 というフレームワークに落とし込むこと
 こそ、マイノリティーの多様性を隠蔽する行為に他ならない。(p.180)

ともある。こうした記述はアメリカが多民族国家であることをあらためて認識させてくれる。

さて、そうした異民族間の反目がありながらも同時に影響を受けることも確かで 「1990年代初頭にアメリカから韓国に戻る 「逆移民」」 があって、そのような移民二世や三世が本場のブラックミュージックを韓国に持ち込んだのだという。(p.182)

そしてアジア系の音楽市場におけるイメージは 「ダンスが上手い」 こと、さらに言うのならグループによるダンス・パフォーマンスが優れているという評判であるのだそうだ。特にブレイクダンスというジャンルは、そもそも1970年代のブルース・リーによるカンフーの動きにインスパイアされたものだとの解説もされている。(p.185)

 韓国のアイドルグループがアメリカの音楽市場を開拓したのは、アジア
 系がダンス、とりわけ集団のダンスに秀でているというイメージがまさ
 に定着しつつある時期である。(p.185)

だからといってアジア系のイメージがすべてポジティヴなわけではもちろんない。ここで引用されているロバート・G・リーの『オリエンタルズ』は、アメリカ人のアジア系に対する視点を的確にあらわしている。

 アジア系アメリカ人はヴェトナム戦争でアメリカを敗北させた敵と同一
 視され、さらにアメリカ帝国主義崩壊のエージェントとして見られてい
 る。アメリカのイノセンスの喪失として語られるヴェトナム戦争の話は、
 国家崩壊のマスターナラティヴとして語られており、そこではポスト・
 フォーディズム時代の危機が侵略と裏切りの産物として定義されている。
 (p.190)

これをさらに補強する表現として、アジア系アメリカ人のステレオタイプは 「モデル・マイノリティー」 「黄禍 (yellow peril)」 「永遠の外国人 (perpetual foreigner)」 であるという。
もっともアメリカの保守派がアジア系の特質としてあげるのが勤勉、従順、家族の尊重であり、これは捏造され都合よく想像されたものだという注も付くが、旧来のアメリカ的価値観の回復には不可欠であるとも書かれている。
この保守的アメリカ人から見たアジア系の長所と短所が入り混じって矛盾した状態の心情がまさにアメリカの本音であり、アジア系に対する複雑な視点ともいえよう。

強くなければならないという規範が残るアメリカであったが、メンタルヘルスへの関心や人間の弱さや傷つきやすさと向き合う風潮が出てくるにつれて、男性主導の社会のあり方に根本的な批判の目が向けられるようになった。そのような男性主導社会は有害な男らしさ (toxic masculinity) として定義され、アメリカにおける男性的な価値観の暴落が生じた。そうした時代にまさにフィットするBTSのような、より中性的 (バイセクあるいはアセクシュアル) に見えるアジア系のアイドルの受容があったのだということなのだ。(p.192〜)。
前述のリーから 「オリエンタルは (男性も女性も) 「第三の性」として構築されたのだった」 との引用がある。(p.194)

こうしたアメリカにおける音楽の変遷と嗜好の流動を戦略的にうまくとらえ、その時流に乗ることができたのがBTSであるというふうに見ることもできるのだろう。
このようなアメリカのポップ・ミュージックに関する戦略を示しているのが冒頭のテイラー・スウィフトに関する部分である (1 テイラー・スウィフトとカントリーポップの政治学)。

テイラー・スウィフトはいわゆるカントリーミュージックをルーツとしていた歌手であるが、そのカントリーミュージックという呼称について興味深い記述がある。もともとヒルビリー、フォーク、ウェスタンミュージックなどと分類されていた音楽がカントリーミュージックとして統一されたのは第2次世界大戦後なのだという。その中心地はテネシー州ナッシュヴィルであり、このカントリーミュージックが1950年代にロックンロールの影響を受け、その影響のひとつとしてサブジャンルであるナッシュヴィル・サウンド (洗練されたカントリーミュージック) が生まれ、さらにそれがカントリーポップとして人口に膾炙され一般的に認知されるようになったのであり、それがテイラー・スウィフトの立ち位置であったのだという。(p.014〜)

正統的なカントリーミュージックとは男性主導の音楽であり、女性は周縁的イメージしか与えられない。そして当然、地方の白人コミュニティーが支持基盤であるから共和党との相性がよい。それならば共和党コミュニティーに取り入るのがセールスを伸ばすための方法論であるし、共和党支持を訴えるのがよいのではないかと単純に考えたのでは割り切れない事情があるのだという (p.014&016)。まさにそこが政治学たる所以なのである。

大和田によればテイラー・スウィフトの〈私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない (We Are Never Ever Getting Back Together)〉には都会用ミックス (インターナショナルミックス) とカントリーミックスがあり、都会用ミックスでシンセが用いられているのに対し、カントリーミックスではマンドリンやフィドルなどのアコースティク楽器に差し替えられているというのだ。ヴォーカルは同じ音源を使っているので同じように聞こえるのだが、同じ曲を聴いているように見えて、実はその地域により異なった曲が流れているのだというのだ。非常に卑近な例でいえば、カップラーメンに関東版と関西版があるのに似ている。
これは都会でも地方でもファンを取り込もうとする戦略であり、より政治的にいえば民主党も共和党も取り込みたいというテイラー・スタッフの意識のあらわれなのである。だからテイラー・スウィフトは自分がどちらの政党を支持するかという発言を慎重に避けてきたというのだ。

だがそれよりも面白いのは、この曲は別れた元カレ・ジェイクに対する恨み節の歌なのであるが、その歌詞の中に次のような部分がある。

 あなたは私の音楽よりよっぽどカッコいいインディーミュージックを聴
 きながら自分の世界に閉じこもっていたわよね (p.021)

元の英詞は次のようである。

 And you would hide away and find your peace of mind
 With some indie record that’s much cooler than mine

この歌詞をストレートに読めば、自分の音楽はインディーミュージックより古くてカッコ悪いと卑下しているような口ぶりなのだが、ここに対する大和田の解釈は、

 つまり、テイラーはここでポップス/インディーミュージックという対
 立項を提示し、自身が体現するポップスに対してジェイクが好んで聴く
 インディーミュージックの 「趣味の良さ」 を自虐的に持ち上げながら、
 この楽曲の圧倒的な 「ポップス」 の魅力で大ヒットを達成し、ジェイク・
 ジレンホール的なサブカル趣味を文字通り捩じ伏せている。だがそれ以
 上に重要なのは、ここでテイラーが 「インディーミュージック」 の対立
 項として 「ポップス」 を設定し、自ら後者側に身を置くことで、カント
 リーミュージックというサブジャンルからメインストリームの音楽シー
 ンへと活躍の場を移そうとしていた彼女にとって、それは非常に効果的
 なイメージ操作といえるだろう。(p.021)

こうしたことは彼女が出自であるカントリーミュージックというイメージを上手に消去して、一般的なポップス歌手として振る舞おうとする思惑である。わざわざナッシュヴィルに行ってカントリーミュージックというフィールドから立ち上がりながら、ここに来てそれを 「田舎っぽい」 「ダサい」 と認識し、巧妙に廃棄したのに等しい。

もはやポップスの王道であるテイラー・スウィフトはともかくとして、コンテンポラリーなアメリカ音楽の情勢が詳しく解説されていてあらたな知識を得ることのできた本であった。ところがそうした新しい音楽としてリストアップされている曲や、昨年のベストとして選ばれている曲などを聴いても残念ながら全く感動できなかった。これは私の感性が古いのか、それとも嗜好が異なるのか、おそらくその両方だとも思うのだが、むしろそれこそが現代アメリカの乾いた感性を現していて、アメリカの現況を冷静に開示しているというふうに考えられなくもないのだ。

Newsweek日本版の02月02日の記事に大江千里の 「ニューヨークの音が聴こえる」 というコラムがある。タイトルは 「BTSとJ-POPの差はここにある——大江千里が 「J-POPが世界でヒットする時代は必ず訪れる」と語る訳」 となっていて、K-popは 「生き残りを懸けて戦うというか、自国を背負う感覚で音楽をやっている。デビュー時には既にダンスも歌もクオリティーが高く、顔のお直しも完了している」 のに対して、「一方の日本は、宝塚に代表されるようにファンと一緒に成長する過程を楽しむ独特のスタイルだ。少しぐらい 「へたうま」 のほうがファンには応援しがいがある」 と書き、「クオリティーの高いJ-POPは 「売り上げ、売り込み、国を背負い」 ではないが、いい曲は必ずヒットする」 と結んでいる。

たぶん、K-popやヒップホップ関連の過剰な 「やってやる感」 が私の感覚には合わないのだと思う。強く張り過ぎた弦は良い音で鳴るが切れやすい。過剰なテンションの音楽を私はもうそんなに欲していないのかもしれない。


大和田俊之/アメリカ音楽の新しい地図 (筑摩書房)
アメリカ音楽の新しい地図 (単行本)




Taylor Swift/We Are Never Ever Getting Back Together
https://www.youtube.com/watch?v=WA4iX5D9Z64

大江千里 ニューヨークの音が聴こえる 2022年02月02日
https://www.newsweekjapan.jp/ooe/2022/02/btsj-popj-pop.php
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