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山下洋輔トリオ《Frozen Days》 [音楽]

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それは凍てつく日。といっても、記憶というのは曖昧でいつの間にか違ってしまうのかもしれない。もしかすると晴れた暖かな晴天の日だったのかもしれない。記憶はシュルレアリスムの手法のように遠いものを結びつける。過去を美化することもあるしすりかえることもあるし消去することもある。だから記憶に対する猜疑心は果てしない。その頃、視野はいつも灰色で、いつもぼやけていた。

山下洋輔トリオのこれ1枚は、たぶん今のところ《Frozen Days》だ。1974年、トリオはヨーロッパに進出し、メルス・ジャズフェス、リュブリャナ・ジャズフェス、ベルリン・ジャズフェス、そしてドナウエッシンゲン音楽祭と有名なコンサートを転進した。ドイツはまだ東西ドイツに別れていた。
その2度にわたる長いコンサート・ツアーの後、9月に日本で録音されたのが《Frozen Days》である。その最終曲〈Mitochondria〉はまずアルトのソロで始まる。ドラムがそっとパルスを刻むように入って来ると、痙攣するような細かな連続音によるアルトがそのスピードに対抗するようにブローする。きらめくミトコンドリア。スピードは衰えることなく続き、やがてピアノのソロとなる (32’40”頃)。微細な真意。それを覆い隠す目眩まし。リード楽器の音は人声に近く目立つことではかなわない。しかしピアノは一度に複数の音を出すことができる。積み上げてゆく和音が一音だけではあらわせない意味を持ち始める。やがて走り回る右手をフォローしていたような左手のクラスターが、クラスターから和音に変わり (34’11”頃)、右手を見限ったように異なるリズムでステップを上ってゆくが、左手は再び低音部でクラスターとなり (34’36”頃)、そしてアルトが戻って来る (35’03”頃)。ピアノの低音部の連続的な打鍵に乗ってアルトのソロは速度を維持しながら次第に収斂してゆき、突然出現するコルトレーンのような長い音のブローを交え、しかしそれは一瞬の夢のように消えてしまい、テーマのようなそうでないような音をからませてそのまま終わる。

山下洋輔と坂田明の演奏は、最盛期のセシル・テイラーとジミー・ライオンズに似ていて、しかしその重量感とかアプローチは全く違う。だが表面に出てくる音は似通ってしまうようにも思える。それをずっと支えているのが森山威男の理知的なドラムである。森山は歴代の山下トリオのなかで最も理知的に聞こえるドラムでありながら、最も狂気を内在している。
かつて山下は著作のどこかで語っていたが、セシル・テイラーを聴いた夜、それは幾つものバンドが出演するコンサートで、オスカー・ピーターソンが弾き終わると観客はぞろぞろ帰ってしまって、その後にセシル・テイラーが出て来たのだという。かたちとしてはトリなのであるが、そうした観客の需要を見越しての主催者の意図である。フリージャズへの無理解が如実にあらわれたエピソードなのだろうが、セシル・テイラーのピアノは深く沈潜して感銘を受けたというような話だったようにおもうのだけれども、その本を参照しないで書いているので、実際に書かれていたこととは異なっているかもしれない。

坂田のハナモゲラ語とか、森山がクラシックのコンサートでシンバルを落とした話とか (シンバルの革ヒモは結構切れるのだ)、後年になるとそうした笑いの側面が出てくるが、この《Frozen Days》の頃のパフォーマンスは硬派で遊びがない。それがもっともストレートに山下の音楽を現している。


Yosuke Yamashita/Frozen Days (日本クラウン)
FROZEN DAYS




Yosuke Yamashita/Frozen Days (Full Album)
Mitochondria 27’16”から
(「もっと見る」 を開いて5.の時間をクリック)
https://www.youtube.com/watch?v=fg_aLTYnGPY

山下洋輔トリオ/GUGAN
山下洋輔トリオ復活祭
山下洋輔 (p)、中村誠一 (ts)、森山威男 (ds)、坂田 明 (as)、
小山彰太 (ds)、林 栄一 (as)、菊地成孔 (ts)、國仲勝男 (g)
https://www.youtube.com/watch?v=d03cbvYyLdY
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