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マイク、声、歌 ― 大塚愛、machìna、大貫妙子 [音楽]

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ほとんど毎日のように通る道がある。道の途中に小さなカラオケ・スナックがあって、夜、前を通ると店内から歌声がきこえる。時には歌に合わせたタンバリンの音もきこえる。だが、前を通る数秒から数十秒の間に、上手いなと思うような歌を聞いたことは一度もない。もう何年もその店の前を通っているが、きこえるのはいつも下手な歌声である。場末の、しかも今時、スナックとしか形容できないような昔ながらの飲食店なのだからしかたがないのだろうと思う。そして他人がきいたら、私がカラオケで歌う歌もその程度なのだろうと思う。

でもプロの歌手の歌は上手い。ともするとプロとアマチュアの差はそんなに違わないように錯覚してしまうが、その間にはかなりの隔たりがある。それは他のジャンル、たとえばスポーツでもそうだ。ゴルフでもテニスでも野球でもサッカーでも、プロと名乗っている人は、客観的に見てけっこうすごい。
ただ、スポーツはある程度の鍛錬が必要なので、その 「かなりの隔たり」 が理解しやすいが、歌を歌うという行為は誰にでも簡単にできることなので、特にカラオケというシステムができてからは、歌うことに対する敷居が低くなったようで、カンチガイなアマチュアが出現しやすい。だが隔たりは見えにくくなっただけで、近くなったわけではないのである。

もうひとつ、プロの歌手はすごいと思うことがある。
自分の声を録音し、それを再生して聴くとき、その差に愕然としたことがないだろうか。まだ幼い頃、録音された自分の声を初めて聴いたとき、私は 「これ誰?」 と思った。自分で聴いている自分の声と、録音された自分の声は同じではない。自分の声は自分の体内で響いているのを聴いているので良い声に聞こえるが、録音された音はその響きの成分が抜け落ちているから、痩せた薄っぺらな声にきこえる。だがそれこそが本来の自分の声なのだ。その甚だしい差に愕然として、私は歌手への道を断念したのである (……冗談ですので)。
人間は自分の顔を直接見ることができない。鏡に映った顔は反転した虚像であるから、他人が見ている自分の顔と同じものではない。同様にして、人間は自分の声を直接聞くことができない。自分で聞いている自分の声は体内で響いている美化された音に過ぎず、録音された自分の声はコピーであり、自分の声そのものではない。
プロの歌手だって、録音された自分の声を初めて聴いたとき、きっと 「ええっ?」 と感じただろうと思う。だが彼らは自分の声がどういう声なのかを冷静に見極め、その声をいかに美しく改善するべきかと努力するのだ。

『Sound & Recording Magazine』2020年1月号は、「プライベート・スタジオ2020」 という特集で、超お金持ちスタジオから、そうでもないスタジオまで並列して見ることができて面白い。超弩級なシステムは、買えもしないフェラーリのスペックを知るのと同様で、あまり意味がない。私はメカマニアではないので、最終的に生成された音楽がどうなのかが重要なのだ。

まぁそんなことはどうでもいいとして、プライベート・スタジオ特集のトップは大塚愛の自宅スタジオである。MacにProTools、そしてメインのキーボードはRD-700GXとのことだが、アコースティク・ピアノに近いタッチなので選んだという。同じ700GXがリヴィングにも置いてあって、作曲はリヴィングですることが多いのだそう。子育てをしながらだと、そのほうが便利に違いない。スタジオの内装が明るい色なのは、暗いと眠くなってしまうからとのこと。ギターも黒のムスタングなのはフレンチ・モダンという路線に合っている。
彼女のこだわりはマイクである。デビューから紆余曲折があり、ノイマン67なども経て辿り着いたのが5thアルバム《Love Letter》で使用したテレフンケン Ela M251Eという真空管のマイクだったそうである。とても気に入ったので、自分で持とうと考え、ヴィンテージを入手した。それをヴォーカル・ブースにセッティングした写真が掲載されている。気に入った理由は、

 「自分の歌声が細いのをコンプレックスに思っているので、そこをマイ
 クで補完したいという気持ちがあるんです」

と語る。私は《Love Letter》あたりまでは比較的聴いていたのだが、最近の作品はほとんど知らないでいた。以前よりオトナっぽい雰囲気だが (あたりまえ)、黒地に白のウサギがインターシャになったニットがポップでシックに見える (ポップでシックって形容矛盾?)。プロフィールの最後に、「苦手な食べものはさくらんぼ」 というのがあって、ちょっと笑う。

もうひとり、私にとって興味を惹いたのがmachìnaで、そのエクイップメントのユニークさが光る。DAWはMacBook ProにAbleton live、そしてその手前にNovation 49SLMKIII、Ableton rushが並ぶ。記事のキャッチには 「機材を直接触ることで生まれる偶発的サウンドを追求」 となっているが、特にAbleton rushはそうした意図に最適なインターフェイスだという。Clavia DMIのNord Rackやmoog Sub37もあるのだが、Teenage Engineeringのガジェットっぽい小さなシンセたちがゴチャゴチャと並べられていて存在感を示す。
そして何かよくわからないモジュールを詰め込んだモジュラー・シンセは、古いSF映画に出てくる怪しい博士か、あるいは昔のブライアン・イーノが使っていたSynthiをパラフレーズしたようなイメージで、どんなふうに使っているのかだが、YouTubeにあるライヴを観るとそのヴィジュアルがアナログでアナクロでカッコいい。
彼女もマイクにこだわっているようで、使用しているのはノイマンU87である。最新作《Willow》の〈floating still〉というのをちょっと聴いてみた。声に魅力がある。しかもそれはヴァリアブルで、以前の作品、アンジェラ・アキとの〈Waltz-steps〉などとは雰囲気が違う。《Willow》の前作にあたる《archipelago》の〈Reboot〉の動画をYouTubeで観ることができる。

大貫妙子もマイクにこだわっていたことを思い出す。彼女のマイクはノイマンU47、それとマンレイだったろうか。大貫は真空管マイクにこだわるだけでなく、アナログ/デジタルの推移にもこだわる。
アナログで録音されたアルバムがCDにかわったときも、その初期は 「さみしい音」 だったので、リマスタリングするときは立ち会うのだという。

 このリマスタリングにはかならず私も立ち会う。しかしどうしたって、
 アナログの、つまりLPとして発売されたときの音は再現できない。ア
 ナログによる録音は、実際には聴覚として耳で聴こえない中にもなお多
 くの音が存在する世界だが、デジタルは言うなればパルスみたいなもの
 だから、物理的には音は繋がっていない。聴感としての音が繋がってい
 るように聞こえているだけ、のものだ。
 (大貫妙子『私の暮らしかた』新潮文庫、p.54)

そしてまた、

 レコーディングされた音源の容量が圧縮されてCDになり、たとえばミ
 ニコンポで再生される際にさらに圧縮され、配信やiPodなどでもっと圧
 縮されて聴かれていることを思うと、LPの時代と比べれば、音楽もず
 いぶん骨抜きにされたなぁと正直、思う。(同書、p.55)

ともいう。結局、今、音楽はBGM的であり、そんなに真剣に聴かれなくなったし、誰もが知っている歌なんてないし、もしかすると人間の聴覚も衰えているのではないかと思う。デジタルにして音を圧縮して間引きしても、どうせわからないだろうという生産者側の驕奢がほの見える。同じ値段なのにだんだん小さくなってゆくパンと同じだ。
とりあえず今、ソニーから再発されている大貫妙子のLPは全部買っているが、アナログはアナログで、というのが私の感じた彼女からの示唆である。


Sound & Recording Magazine 2020年1月号 (リットーミュージック)
Sound & Recording Magazine (サウンド アンド レコーディング マガジン) 2020年 1月号 (特集 : プライベート・スタジオ2020)




大塚愛/私
https://www.youtube.com/watch?v=2TfvT0lzgFA

https://www.machina.link

machìna/Waltz-steps
https://www.youtube.com/watch?v=Ug6Vam0ADRY

machìna/The Liquid Sky Berlin Session
https://www.youtube.com/watch?v=H5SVR3w9wHI

machìna/Reboot (live at Ozora One Day In Tokyo 2018)
https://www.youtube.com/watch?v=1V-9dgFfAcU

大貫妙子&坂本龍一/3びきのくま
https://www.youtube.com/watch?v=IfaEf1YmTl4
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