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Five Years — 最近読んだ本や雑誌など [本]

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最近読んだ本や雑誌など、またはまだ読みかけの本や雑誌の話題。穴埋め記事だと思ってください。

ジェイスン・ワイズ編の『スティーヴ・レイシーとの対話』はスティーヴ・レイシーへのインタヴューなどをまとめた本。スティーブ・レイシー (Steve Lacy, 1934−2004) はソプラノサックスを吹くジャズ・ミュージシャン。テナーとソプラノの持ちかえという使い方が普通なのに、レイシーは生涯、そのほとんどをソプラノだけで通した。シドニー・ベシェから触発されたのだという。彼はデューク・エリントンとセロニアス・モンクを敬愛していた。最初に買ったレコードはデューク・エリントンの《Duke Ellington and His Famous Orchestra》というブランズウィックのSP盤のセットだったそうである。モンクの曲をとても好んでいて、繰り返し演奏し、レコーディングを行った。19歳のとき、セシル・テイラーと出会い、彼のグループに10年間在籍した。

面白かったのはアルゼンチンでアストル・ピアソラと出会い、大喧嘩をしたということ。レイシーとピアソラの音楽性は全く合わなかったらしい。ピアソラはレイシーの音楽を、ナイフを歯にくわえて演奏しているようだと形容したとのことである。そして家に帰って、口直しにヴィヴァルディを聴きまくったのだという。
もうひとつ、あとがきの大谷能生によれば、間章 [あいだ・あきら] はレイシーの妻であり歌手としてレイシーと共演もしていたイレーヌ・エイビについて一切触れていないとのことなのである。さらにいえば、レイシーのグループに長く在籍していたスティーヴ・ポッツについても同様で、レイシーの音楽を語る際に、ポッツやエイビは無視して構わない存在とみていたのではないか、と推理する (ここでなぜ唐突に間章の名前が出てきたのかというと、月曜社は間章著作集を出版した会社だから。だがレイシーを日本のファンに紹介したのは彼の力である)。

この本、厚さはそんなでもないのだが、2段組みでツメ印字で文字がぎっしり詰まっているので、内容的には濃い。最後についている詳細な索引がとても便利である。

私はスティーヴ・レイシーを一度だけ聴いたことがある。しかしそれはレイシーのライヴではなく、舞踏家の大門四郎の公演においてであった。たまたまチケットをもらい、何も知らずに行ったのだが、舞踏というジャンルの公演に来る客層に対して新鮮さを感じた。そしてそのときのレイシーの、いわゆる劇伴にあたる音楽なのだろうが、それは残念ながら全く覚えていない。だがストレートなジャズでもなく、といってフリーでもないレイシーの特徴が反映されていたように思う。大門はフランス在住が長く、同じようにフランス在住だったレイシーと面識を得たのだろう。巻末索引で、日本人の中でもっとも多く話題に出ているのが大門四郎である。

『ジョニ・ミッチェル アルバム・ガイド&アーカイヴス』は五十嵐正・監修による《ジョニ・ミッチェル アーカイヴス vol.1》発売に合わせたと思われるムック。だが全アルバム紹介など、とても丁寧なつくりで現在読んでいる最中である。プリンスはジョニ・ミッチェルのファンで、でもそのプリンスに対してジョニは多分にツンデレだったらしい。プリンスはほかにコクトー・ツインズも好きだったらしく、その興味の広さに驚く。

『サウンド&レコーディング・マガジン』3月号の巻頭特集はYOASOBIのインタヴュー。ayaseはYOASOBIのプロジェクトの前にラウド・ロックのヴォーカルを7〜8年やっていたというが、その落差がすごいのと、またayaseの語ることが本当なのなら、Logic Proをほんの数ヶ月使って〈夜に駆ける〉を作るレベルに到達したらしい。中田ヤスタカとの対談もあるが、その対談でayaseはLogicに積んでいる純正プラグイン以外はまだ使ったことがないと言っている。ただ、このあたりの話題からわかってきたのはYOASOBIはあくまでプロジェクトであって、ayaseとikuraという組み合わせがなぜどのようにして企画されたのかは明かされていない。

中田ヤスタカといえばPerfumeだが『Perfume COSTUME BOOK 2005−2020』というPerfumeの衣裳の変遷を見ることのできる写真集があって、これがとても美しい。装苑の編集によるもので、『装苑』本誌でもいままで何度もPerfumeの特集をしているけれど、衣裳そのものが題材となりうる歌手というのは今までなかったのではないだろうか。

『rockin’on 2月号』は亡くなって5年経つデヴィッド・ボウイの特集。そのタイトルが 「5YEARS」 というのにシビレる。やるよね。編集部は5年間待っていたんだろうなぁ。
各アルバム評なども当然掲載されているが、以前は《Let’s Dance》なんて大衆迎合とか低俗とか言われて酷評されていたような記憶があるんだけど、それは間違いだったのか。まぁ、プリンスだって最初はオカマといわれたし、山下洋輔だってめちゃくちゃピアノとか言われたし、評論家なんて所詮はそんなものなんだけど。

で、そんなことはどうでもいいとして (という言い回しはつまり今までのがすべてマクラであることを意味しています)、〈Five Years〉の歌詞って、つまり一種のSFなんだけど、今聴くとなんか違うものを暗示しているような気がしてしまうのはなぜ? もちろんパンデミックです。

 Pushing through the market square
 So many mothers sighing
 News had just come over
 We had five years left to cry in

ボウイがジギーを書いたのは1972年で、世界の終わりが来るというコンセプトで作られている架空のSFストーリーなんだけど、今の時代にWe had five years left to cry inという歌詞を聴くと、じゃぁ、この状況はあと5年間続くのかも、と感じてしまう。あくまで私の勝手な思い込みなのですが。
その後はこう続く。

 News guy wept and told us
 Earth was really dying

ああ、そうなんだ。地球はたしかに疫病によって死に瀕しているのかもしれない、と思ってしまう。歌詞はその後、ああいうことがあった、こういうことがおこっている、というようなエピソードが羅列されていくのだが、最後のリフレインは、

 We’ve got five years, stuck on my eyes
 Five years, what a surprise
 We’ve got five years, my brain hurts a lot
 Five years, that’s all we’ve got

あと5年はガマンしろ。そうしないとこの疫禍は終わらない。ああ、頭が痛い。なんてことだ。あと5年だ、あと5年、我々は泣いて過ごすことになるんだ。なんてボウイは歌っていない。だけれど、そう歌っているように聞こえてしまう。


ジェイスン・ワイズ編/スティーヴ・レイシーとの対話 (月曜社)
スティーヴ・レイシーとの対話




五十嵐正・監修/ジョニ・ミッチェル アルバム・ガイド&アーカイヴス
(シンコーミュージック)
ジョニ・ミッチェル アルバム・ガイド&アーカイヴス




<サウンド&レコーディング・マガジン 2021年3月号
(リットーミュージック)
サウンド&レコーディング・マガジン 2021年3月号




Perfume COSTUME BOOK 2005−2020
(文化出版局)
Perfume COSTUME BOOK 2005-2020




rockin’on 2021年2月号 (ロッキング・オン)
ロッキングオン 2021年 02 月号 [雑誌]




David Bowie/Five Years
https://www.youtube.com/watch?v=4bcnO3VQ_fc
リンクが不正確でしたので修正しました。↑ これで視聴できるはずです。
1972年当時のきれいな動画です。
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