SSブログ

高島屋で別れた母の面影 — 中山ラビ [音楽]

RabiNakayama_210714.jpg

京都の伝説的な喫茶店といえば 「しあんくれーる」 と 「ほんやら洞」 だと思う。
「ほんやら洞」 はまさに伝説の70年代文化の原点のような店だったらしいが私は知らない。でも倉橋由美子の小説にも出てくる 「しあんくれーる」 は1回だけ行ったことがあって、かすかな記憶がある。河原町通荒神口、ジャズをかけている店なのだが、店名のようになぜか明るい印象だった。平日の昼間、客のいない時間だったからかもしれない。どんな曲がかかっていたのかは覚えていない
だから、しあんくれーるのマッチを持っていたはずなのだけれど、どこかにいってしまった。大切にし過ぎると、ものはどこかにいってしまうもので、しあんくれーるのマッチも二十三やの櫛も、家のどこかにあるはずなのだが行方知らずである。それは京都がイノダコーヒや鍵善で語られていた頃で、今考えても懐かしい。
(念のために書いておくと、しあんくれーるはchamp clair (シャンクレール/明るい野原) と 「思案・に・くれる」 のダブルミーニングのように思える。そしてほんやら洞はもちろん、つげ義春の作品のタイトルからである)

そして、ほんやら洞の京都店はもう無いが、ほんやら洞国分寺店のオーナーだったのが中山ラビである。
中山ラビの代表作は2枚目のアルバム《ひらひら》(1974) だと思う。
彼女は東京生まれであるが、関西フォークのひとりとして1972年にデビューしたシンガーソングライターである。《ひらひら》は今聴くとやや古い感じは否めないが、メロディと歌詞が拮抗して、しっとりとした輝きが感じられる。

〈川にそって〉〈人は少しづつ変る〉〈ドアをあけて〉そしてアルバムタイトル曲〈ひらひら〉と、すべては少しアンニュイで、諦念と暗い情熱とが混色している作品。やや歌謡曲寄りだという意見もあるようだが私はそうは思わない。時代的には日本のフォーク黎明期の、つまり高田渡や加川良といった人たちのその後の世代として位置づけられる。金延幸子の《み空》のリリースが1972年だが、私はつい昨年まで金延幸子なんて知らなかったけれど、中山ラビは何枚かのアルバムで知っていた。
だが次第に彼女の歌詞はやや空虚さをたたえたものに変わって行く。《なかのあなた》(1977) は聴きようによっては痛々しい感覚が残る。歌詞の意味がダイレクト過ぎて、それでいて何も意味しない言葉があるようで心がその中に入って行けないような気がしたのだ。洪栄龍のギターはその荒涼とした風景を強調するニュアンスで、行き止まりの橋のように燃えていた。

やがて彼女は一時音楽活動を休止するが、復活したとき、そのパフォーマンスは遠藤賢司に似たパンクっぽさを感じさせた。そしてその活動を、あえてインディーズ的な地平で終始していたように思う。

かつてある友人が、決めゼリフを突然発するという一種のギャグをかましてくれたときがあって、たとえば突然手を叩きながら、フォンテーヌの 「Les enfants! / Le XIXème siècle est terminé!」 はかなりウケた。でも知らない人には何のことだかわからない。それに対抗するには夢の遊眠社の『ゼンダ城の虜』の最後のセリフ、「重力を笑い飛ばせ。さすれば〈めまいの都〉にある夜の屋上という屋上が、僕らの目の前からひとりでに沈んでいくだろう。少年はいつも動かない。世界ばかりが沈んでいくんだ」 を円城寺亜矢風に叫ぶのだが、これは少し長過ぎた。すべてはその友人との間の秘められた馴れ合いに過ぎない。
そうした中で中山ラビの〈夢のドライブ〉における 「高島屋で別れた母の面影」 は短くてインパクトのある決めゼリフみたいで、《ひらひら》とともに思い出すのはいつもそのフレーズである。

ほんやら洞国分寺店で、わいわいと騒いでいる私たちの会話の中に、店主がするりと入ってきたことがあって、その気さくなやさしさを私はいつまでも忘れない。


中山ラビ/人は少しづつ変る
https://www.youtube.com/watch?v=UqBwgaIKie8

中山ラビ/ひらひら
https://www.youtube.com/watch?v=UV_bxHnJRRU


中山ラビ/ひらひら (アルバム全曲)
https://www.youtube.com/watch?v=8Nq4XRbLo0I
nice!(77)  コメント(14) 
共通テーマ:音楽