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山尾悠子×川野芽生往復書簡 [本]

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『ねむらない樹』vol.7を読む。
特集は葛原妙子なのだが、第2特集が川野芽生であり、山尾悠子と川野芽生の往復書簡が掲載されていて、とっちらかった内容でわかる人にはわかるけれどわからない人にはわからない内容で、言葉があふれていて尻切れトンボで、とても面白い。

川野芽生の歌集『Lilith』は買ったことだけ書いておいたのだが (→2021年07月05日ブログ)、これ、簡単に書ける内容じゃないぞと思ってそのままにしておいたのである。

まず、川野の最初の往信には『夜想』の山尾の言葉が引かれていてそれは 「むかしむかしの『ちょっと風変わりな』多くの女性たちはひとりで生きてひとりで死んでいったのだろうなと、尾崎翠のことなども少し思い出していた」 という部分であり、それに対して山尾は、「かつての風変わりな女性創作者たちの孤独」 と返している。それは尾崎翠であり倉橋由美子であり矢川澄子である、と。尾崎翠が幻想文学であるかどうかはここでは問わないのだ。おそらく幻想文学ではないのだけれど、その描き出す世界に 「風変わり」 と思われてしまうテイストが存在する (尾崎翠に関しては以前、ちらっとだけ書いたがほとんど書いていないに等しいのは、あまり知られたくないという独占欲だ→2013年11月06日ブログ)。

山尾はユリイカで特集された須永朝彦のことによせて 「天使と両性具有」 のこと、そして百人一首リレーという企画があり、葛原妙子の 「他界より眺めてあらばしづかなる的となるべきゆふぐれの水」 を選ぼうとしていたら谷崎依子に選ばれてしまったというようなことを書く。
それに対して川野はアンドロギュノスというよりもアセクシュアルであることが理想だと応えているのだ。そして天使はアセクシュアルではないかという。川野が他のところでもアセクシュアルについて語っていたようなことを覚えていてちょっと納得。

山尾は新進作家の頃、若いSF作家たちのなかで紅一点といった立ち位置にいて、それはおいしかったのかもしれないといいながら、逆にいえばそれは女性だからという見方で軽く扱われていたのだったのに過ぎないと語る。それに対して川野は、そうしたいわゆる性的差別というのはまだ存在していると応えている。
近代短歌において、浪漫的な与謝野晶子などの作風があったのにもかかわらず、アララギが出てきたことで短歌はリアリズム全盛になってしまった。そうした状況に対して折口信夫は掩護射撃のつもりで、アララギは女歌を閉塞したものと表現したのだが、そのようにしてこういうのが女性の歌だ、と男性が定義するところもまた性差別であったのだと上野千鶴子が指摘しているという記述があって、この部分はとても鋭いし、変わっているようで意外に変わっていない文壇の今昔をもあらわしている。

川野芽生の愛読書がリストアップされていて、エミリー・ブロンテ『嵐が丘』、トールキン『指輪物語』は順当として、ダンセイニ『最後の夢の物語』、エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』、ドノソ『夜のみだらな鳥』が選択されているのはさすがである。
川野の短歌が30首選ばれて掲載されているがその冒頭の

 凍星よわれは怒りを冠に鏤めてこの曠野をあゆむ

は山尾が若い頃、憤怒しつつ小説を書いていた一時期があって、という述懐を思わず連想して (もちろん関係ないのだけれど)、凍星と怒りという単語から受ける冷たさに引き込まれる。
そして、

 ヴァージニア・ウルフの住みし街に来てねむれり自分ひとりの部屋に

「自分ひとりの部屋」 とはウルフの《A Room of One’s Own》のことである。
往復書簡の最後に山尾が『Lilith』の帯文はヌルかったと書いているのにちょっと笑った。そうかも。
で、結局『Lilith』については何も書けてないです。


短歌ムック ねむらない樹 vol.7 (書肆侃侃房)
短歌ムック ねむらない樹 vol.7




川野芽生/Lilith (書肆侃侃房)
Lilith




彫琢された文語の木鐸 — 川野芽生さんの歌壇賞受賞に寄せて
https://www.c.u-tokyo.ac.jp/info/about/booklet-gazette/bulletin/603/open/603-01-2.html
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