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ヒラリー・ハーンのヴュータン [音楽]

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Hilary Hahn

ヒラリー・ハーンの2022年秋にリリースされたアルバム《ECLIPSE》はドヴォルザークとヒナステラの協奏曲と、サラサーテのカルメン幻想曲という組み合わせ。ヒナステラはエキセントリックがやや勝った作品であり、ではドヴォルザークがメインなのかというとYouTubeに上げられているプロモーション的な動画はどうもサラサーテらしい。
サラサーテ、別に悪くないですけどでも……う〜ん、だってサラサーテだし……サラサーテという固有名詞から思い浮かべるのはあの映画で、でも記憶はほとんど失われていて、前髪が斜めに切り揃えられていた大楠道代の印象だけが今でも残っている。サラサーテの記憶は内田百閒のようなSP盤ではもちろんないけれど、小学生の頃、小さなポータブル・プレーヤーで7インチ盤を聴いていたような覚えがある。たぶんハイフェッツだったと思う。サラサーテとかクライスラーとか、何も考えていなかった子どもの頃の音楽体験を今思い出すと懐かしい。

それでとりあえず《ECLIPSE》の前のハーンのDGのアルバムということになるとモーツァルトのトルコ風とヴュータン4番のカップリングである。指揮はパーヴォ・ヤルヴィ。
モーツァルトのトルコ風はまぁいいとして (と、有名曲はことごとく捨て去るので)、このアルバムの私的なメインはヴュータンである。
ヴュータンのことは繰り返しこのブログに書いてきたが、最初に書いた記事を読み返すと、昔はもっとあてもなく、しかし真摯に書いていて内容のクォリティも高くて、最近の自分の文章のだらしなさに忸怩たる思いである。コンチェルトといえばヴュータン、あるいはヴィオッティ。その思いは今も変わらないのが唯一の救いだ。そしてヴュータンへの偏愛も変わることはない。

ヒラリー・ハーンのヴュータンは美しい。それによく弾き込まれている。ただ、ハーンの演奏はあまりに華やか過ぎて、過去の私が聴いていたNAXOSのミーシャ・カイリン盤を聴いていたときのような虚ろな悲哀とは無縁である。でもそれでよいのだと思う。音楽とは希望を持って楽しむものだ。決して悲しみに閉じこもってしまってはならない。

サンプルとしてハーンとヤルヴィによるヴュータンの協奏曲第4番の第4楽章のライヴ映像をリンクしておく。第4楽章は華やかで、かつ重音奏法のるつぼである。
その下に全楽章もリンクしておくことにする。

そして私がこのブログに書いたヴュータンの最初の記事は下記である。やや感傷的に過ぎるのかもしれない。だが、かつてヴュータンが音楽を学ぶために訪ねた古都サンクトペテルブルクを領する国は今やああした状態にあり、文化的土壌は失われてしまった。おそらくもう復活することはないのだろう。

サンクトペテルブルクの冬、アルジェの夏 — アンリ・ヴュータン
https://lequiche.blog.ss-blog.jp/2012-03-22


Hilary Hahn, Paavo Järvi/
Vieuxtemps: Violin Concerto No.4:
IV Finale
https://www.youtube.com/watch?v=DWjDTXdY1NU

Hilary Hahn, Paavo Järvi,
Deutsche Kammerphilharmonie Bremen/
Vieuxtemps: Violin Concerto No.4:
I Andante moderato
https://youtu.be/4tR3Xks0cp8
II Adagio religioso
https://youtu.be/6c4KzhiEUsQ
III Scherzo vivace
https://youtu.be/a-nHPC-vYBs
IV Finale marziale
https://youtu.be/DWjDTXdY1NU
Encore:
J.S. Bach/Gigue
https://youtu.be/cRT0wg5d96M
J.S. Bach/Sarabande
https://youtu.be/IF2T5Zl4FlM
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コメント 4

末尾ルコ(アルベール)

「あの映画」は公開当時、高知ではまだ上映してない段階で既に様々な情報が入ってきてました。と言っても、もちろんごく少数派の「映画、そして文化芸術にアンテナを張っている人たち」の間だけの話ですけれど。
この前もNHK『アナザーストーリー』でビートルズ来日時の狂騒ドキュメンタリーをやってましたが、しかし当時の日本、ビートルズファンは「ごく少数派」だったともよく言われていて、そのあたり、「狂騒」のレベルはどうだったのでしょうね。
それにしても来日時、「5回公演」ですが、1回公演分「30分」というのも凄いなあと。

ヴュータンの過去記事を併せ、拝読させていただきました。お記事、美しいです。
あ、どうも映画に敏感に反応してしまいますが、わたしもヴィスコンティの『異邦人』、テレビで初めて観ています。子どものころで、その時点では原作は未読でした。
その後カミュの『異邦人』は何度も読み、彼の随筆がまた美しくて大好きで、日常的に紐解いております。
「ヴュータン」という名前もニュアンスがあって美しいですよね。リンクしてくださっているヒラリー・ハーンの演奏、一部視聴させていただきました。新鮮です。またじっくり視聴させていただきます。

また、リンクしてくださっている三田格の文章もじっくり読ませていただきました。実に興味深い。それにしても忌野清志郎、体重38㎏になっていた時もロンドンで仕事していたとは驚きました。
70年代当時のパンク・ロックの情報ですが、わたし『ロッキング・オン』より前に『ミュージック・ライフ』や『音楽専科』を購読してましたが、断片的、表層的に取り上げられていた印象です。けっこうおどろおどろしいイメージで扱われていた印象もありますが、なにせわたしも若輩者でしたので、そうした雑誌を今見ると異なる印象を持つかもしれません。
やはり最もインパクトがあったのは、ジョニー・ロットンの逆立てたヘアスタイルで。いわば『タクシードライバー』のデ・ニーロが途中からモヒカンになったような衝撃です。
ところが時を経て、普通のビジネスマンが仕事中でも髪を逆立てるスタイルを取るようになり、初めてロットンを見た時の衝撃を覚えているわたしは、「過激」がビジネスに絡め取られてしまった状況に憤慨したものです。
さすがにいまでも普通のビジネスマンがデ・ニーロのようなモヒカンをすることはありませんが(笑)。
日本人のファッションって、「大勢に認められれば、どんな格好でもOK」という嫌ったらしさがあります。「人と違う」、そして「本当に自分で選択する」ができないんですよね。       RUKO

by 末尾ルコ(アルベール) (2023-01-09 20:39) 

lequiche

>> 末尾ルコ(アルベール)様

ビートルズは《Rubber Soul》や《Revolver》を製作してから
日本に来ているのですが、当時の日本の音楽状況は
おそらくそうした音楽を理解するほどには成熟していなかった
といってもよいと思います。
ですからライヴでもRevolverの収録曲は演奏しませんでした。
1966年のレコード大賞は橋幸夫の〈霧氷〉ですから
そのレヴェルの音楽シーンに対して理解しろというのは
無理ですよね。
無理だとわかっていたから演奏しなかったのです。
狂騒があったとしてもそれはミーハー的反応で
そうした反応はプリミティヴなのかもしれませんが
音楽の理解にまでは達していません。
私が現在のK-popに対して懐疑的なのは
音楽的理解が表層的でしかないように思えるからです。
「ウケれば良い」 「売れれば良い」 という判断基準は
音楽の本質とは遠いです。
これは音楽に限りませんが。

《ツィゴイネルワイゼン》は
新宿の街頭でビラを配っているのを貰って
これは面白いかもしれないと思って観に行きました。
ですから初期のテント映画館です。
でも映画というのはピンポイントで
あるシーンだけ覚えていることが多いです。
同時期の作品に《もう頰づえはつかない》がありますが、
コップの水をわざとこぼすシーンだけ
ありありと覚えていたりします。

ヴュータンの過去記事をわざわざお読みいただき
ありがとうございます。
Vieuxtempsはvieux+tempsですから
随分意味深な姓ですね。
それはともかくここ数年の、コロナが始まってからの
私の書いた記事はほとんどがゴミだと反省しています。
《異邦人》は歴史的な映画ですが
マストロヤンニというのはミスキャストではないか
とちょっと思います。
もう少し弱々しい外見の人のほうが……。(笑)
カミュは新潮社版の全集を持っていますが
品格のある文体だと感じます。

昔の日本の音楽雑誌というのは基本的にミーハーで、
でもそうした文化的土壌がまず無いと
その次に来るはずのクォリティの高いものが
成立しません。
ですから仕方がないといえば仕方がないのです。
これは外見的なもの、たとえばパンクもそうですが
つまりファッションとも関連していて、
まず外見がどうであるかが記号として作用します。
しかし記号だけに頼っていたのでは
その本質は理解されません。
逆に外見だけに頼っていて中身は空疎というのも
ありうるわけで、それが記号認識の罠ですね。
by lequiche (2023-01-11 00:34) 

coco030705

こんばんは。
クラシックには疎いので、このヴァイオリニストは知らなかったのですが、すばらしい演奏ですね。生き生きとしていて好きです。追々、youtubeを聴いていこうと思います。
Hilary Hahnはサンクトペテルブルクで音楽を学んだのですね。今や文化的土壌は失われ、プーチンの、そして戦争好きの連中の思いだけがまかり通る世の中。人類は生き残れるのでしょうか。
by coco030705 (2023-01-18 22:08) 

lequiche

>> coco030705 様

ハーンは現在のヴァイオリニストの中で
最も注目されているベスト10のひとりだといってよいです。
もっとも好き嫌いはあるでしょうし、
私の彼女に対する評価もベストワンではありません。

ただ、サンクトペテルブルクで学んだのは
アンリ・ヴュータンという19世紀のベルギー人の作曲家で
ハーンのことではありません。
ハーンはアメリカ人でアメリカで学んでいますから
おそらくロシアとの縁はないと思います。

私はヴァイオリニストに関しては
師弟関係がかなり重要だと思っています。
ヴュータンに関する師弟関係は次のようです。

アンリ・ヴュータン(1820−1881)
    ↓
ウジェーヌ・イザイ(1858−1931)
    ↓
ヤッシャ・ブロツキー(1907−1997)
    ↓
ヒラリー・ハーン(1979−)

つまりハーンはヴュータンの曾孫弟子ということになります。
ハーンはハイメ・ラレードにも学んでいますが、
ラレードまでの系譜は次のとおりです。

ウジェーヌ・イザイ
    ↓
ジョーゼフ・ギンゴールド(1909−1995)
    ↓
ハイメ・ラレード(1941−)
    ↓
ヒラリー・ハーン

特にヴュータン→イザイという師弟関係は
至高のヴァイオリニストの系譜のはじめといってよく、
ハーンがその流れのなかにいるのは
納得できることです。
by lequiche (2023-01-20 02:36)