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カール・シューリヒトとタワーレコード [音楽]

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Carl Schuricht (1910年頃)

シューリヒトはエーリッヒ・クライバーと並んで、私にとって重要な指揮者である。
カール・シューリヒト (Carl Adolph Schuricht, 1880-1967) を最初に聴いたのは仏Adès盤で出ていたブラームスの第3番と第4番で、3番はバーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団 (Orchestre du Südwestfunk, Baden-Baden, 1962)、そして4番はバイエルン放送交響楽団 (Orchestre symponique de la radio Bavaroise, 1961) と表記されている (Adès盤はマイナーなレーベルのためかライナーノーツを含めフランス語でしか表記されていない。このAdès盤のシューリヒトのことはすでに書いた→2012年04月14日ブログ)。

この音源は、通販レコードのレーベルであったコンサートホール・ソサエティ盤であるが、2012年に英Scribendum盤で復刻された《The Concert Hall Recordings Carl Schuricht》という10枚組セットには、第4番きり収録されていない。でも他の収録曲も聴きたいし、それにこの時、リマスタリングされていたので買い時だったのだが、価格が当初比較的高めだったので逡巡しているうちに完売してしまった。

ところがタワーレコード限定という素晴らしい悪魔のような企画があって、その中にこのブラームス3番&4番があるのを見つけた。しかもSACDハイブリッドで、さらにウェーバーの序曲が2曲追加収録されている。
国内盤でリマスター、そしてSACDだからAdès盤より音は当然良いのだろうが (Adès盤のリリースは1988~1989年)、価格は国内盤の適正価格になってしまっている。

シューリヒトはマインツ市立歌劇場のコレペティトールから指揮者の道をスタートさせたとのことだが、コレペティトールとはオペラ歌手が練習する際の劇場付きピアニストのことで、スポーツ競技におけるコーチみたいなものだが、オーケストラ譜から適切な音をピアノで弾き出しながら、かつ歌手のトレーニングをするという非常に難度の高い仕事である。
かつての大指揮者はコレペティトール上がりが多いと聞くが、オペラを指揮することは、たぶんステージ上でシンフォニーを指揮することよりも難度が高い。なぜなら気を遣う部分が多いし、イレギュラーなことが起こる可能性も高いはずだからだ。カーレースの比喩でいうのならばF1とラリーの違いのようなもので、歌劇場の指揮者はラリー・ドライヴァーであり、次になにがあるか、常に未知の世界との戦いである。そのスリリングさが、指揮にしたたかさを付け加える。

エーリヒ・クライバー (Erich Kleiber, 1890-1956) はシューリヒトより10年遅い生まれであるが、亡くなったのはシューリヒトより早い。シューリヒトと同様に歌劇場指揮者からスタートしたが、ナチスからの不穏な圧力から逃れるため、一時、アルゼンチンに移住する。ブエノスアイレスのテアトル・コロンの首席指揮者になったが、テアトル・コロンはアストル・ピアソラなど、タンゴのライヴなどで耳にする名前である。
カルロス・クライバー (Carlos Kleiber, 1930-2004) はエーリヒの息子であるが、エーリヒは最初、カルロスが音楽を志すことに反対したという。結果としてエーリヒは親子2代続けて著名な指揮者となったが、そしてカルロスは父親の助言によりそのキャリアの足掛かりを得たともいえるが、親子の確執は当然あったはずであり、音楽に対するアプローチもエーリヒとカルロスでは随分違う。だが歌劇場の叩き上げということに関しては、カルロスも同様であり、カルロスの最もすぐれた演奏はオペラ指揮に多く存在すると思われる。

シューリヒトに戻ると、最近聴いている《The Complete Decca Recordings》はシューリヒトがデッカに録音した演奏の集成であり、1947年から1956年にかけての録音であるが、ほとんどがモノラルにもかかわらずその音の美しさに驚く。収録されているベートーヴェンの交響曲は1番、2番が2つ、5番、ブラームスは2番しかないが、ベートーヴェンの初期交響曲の清新さ、その快活さは比類がない。マーラーなどで混濁してしまった耳が洗われるような、などと書くとマーラーがまるで汚れているようだが、ベートーヴェンはやはりずっとモーツァルト寄りで、苦悩があったとしてもその音は透明で構造も明快である。心に最も響くのは明快な和声とメロディであり、その真摯さが胸をうつ。
シューリヒトの指揮には、粘っこいものがない。いつもさらっとしていて、時に突き放すようでもあり、しかしその音楽の本質を常に理解している。現代の指揮者の指揮法からすれば単純過ぎるのかもしれない。そのシンプルさがシューリヒトの真髄である。

シューリヒトにはパリ音楽院管弦楽団とのEMI盤の有名なベートーヴェン全集があるが、現在Warnerで出ている廉価盤とほぼ同内容でありながら、タワーレコード限定が存在する。これもコンサートホール・ソサエティ盤と同様にタワーレコード・ヴァージョンはSACDであって、しかも新たなマスタリングがされていて、でも価格も7倍くらいする。とりあえず音が聴ければいいか、というのが私のスタンスだが、でもシューリヒトとなると、心が揺れてしまって悩ましい。
古い録音は、ただ音源を集めただけという体裁で、同一のポーズのジャケット写真ばかりという味気ないデザインがよくあるが、タワレコのはオリジナル・ジャケット・デザインで、そういう部分でも魅力があるのだが、タワーレコードのサイトは魅力があり過ぎるので、だからあまり見ないようにしている。

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Carl Schuricht (1957年頃)


Carl Schuricht/The Complete Decca Recordings (Decca)
The Complete Decca Recordings




Carl Schuricht/The Complete EMI Recordings (Warner Classics)
Icon: Complete EMI Recordings




ブラームス:交響曲第3番、第4番 (タワーレコード限定)
http://tower.jp/item/4100966/
ベートーヴェン:交響曲全集 (タワーレコード限定)
http://tower.jp/item/4210878/

Carl Schuricht/Mozart: Symphony No.35 D-dur K.385 - IV. Presto
Radio Sinfonieorchester Stuttgart, Ludwigsburg 1956
https://www.youtube.com/watch?v=qd8VIon8LFM
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十二夜、14番目の月、十六夜日記 —《LOVE LOVE あいしてる》 [雑記]

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21日の金曜日、帰ったらちょうどTVで《LOVE LOVE あいしてる》をやっていたので観てしまった。16年ぶりの復活SPとのことである。うわ~、なつかしい! と思ってしまったのだけれど、出演者の誰もがそんなに変わっていない。
ゲストの菅田将暉はお父さんが吉田拓郎の大ファンで、影響されて知っているとのことだったが、そして吉田拓郎、KinKi Kidsとともに歌うシーンまであって、しっかり客席に来ていたお父さんの気持ちはどんなだったんだろうか。

でもそんなことはいいとして (いいのかよ?)、最近はオトナになってしまった篠原ともえが昔通りの篠原だったのが私の懐かしさの根源である。当時と同様のキャンディショップのようなポップカラーの氾濫する過剰な色の取り合わせは、メチャクチャのようで、でもメチャクチャではない。
そうした色彩の使いかたは、渡辺直美主演で始まったTBSのドラマ《カンナさーん!》にもあって、第1回冒頭のめまぐるしいようなたたみかけかたは最近のアメリカ映画っぽいカメラワークで、ちょっとウザかったがすぐにそれも終わり、観やすいドラマだけれどそんなに深みはないかもしれない。
でも、カッコよくスマしているより、篠原や渡辺直美のように元気なほうが良いのだ。

TVドラマではそのファッションの使いかたが話題になりがちだけれど、渡辺直美だと、とりあえず着ている服そのままでは、たぶん参考にならない人がほとんどだと思う。でも、そのポップなアイテムとカラーは彼女の、嫌味にならない魅力をうまく引き出している。

カンナ (渡辺直美) とつり合っていないイケメンダンナの礼 (要潤) は、早速、空間デザイナーだというシシド・カフカと不倫話を勃発させてしまうが、シシドはすらりとした長身、アンニュイ風でステキなお仕事、とすべてカンナとは対照的で、着るものにもほとんど色彩が感じられない。
おぉ、また《あなそれ》に続いてゲス男出現なのか、と思うのだが、シシド・カフカはゲスト出演とのことだから (1~2回のみ)、これは長く続かないエピソードらしいのだ。
シシド・カフカはドラムを叩くミュージシャンでもあるのだが、カフカというエキセントリックな名前はもちろんフランツ・カフカを連想させるのだけれど、日本語にすると 「可・不可」 だからつまり Yes or No でもあって、これは私が勝手に思いついたことなのだが、そのあまりにステロタイプな不倫相手としての設定はやっぱり陳腐で定まらない浮気を象徴しているんだろうな、と納得してしまう。

とりあえず、不穏な前回ドラマ (の魑魅魍魎さ加減は、たぶんドラマ全体がギャグだったんだと思うけど) の後に登場してきた渡辺直美、失地回復にがんばってほしいです。

というところで唐突だが、森茉莉は父親の小説と翻訳小説について次のように書いている。

 そのようにして、口のきけない頃から膝に抱かれて父の雰囲気のすべて
 を感じていた私は、女学校に通うようになってから、初めて父の翻訳も
 のを読むようになった。父の小説は全部理屈でできている文章で、少し
 もよくないように私には思えた。父も自分自身でそれがいやだったから、
 翻訳はみな情緒溢れるものを選んでやっていたのである。それらのもの
 を読み出して、私は “空想する” ということを身につけたのである。だ
 から私は “退屈” というものが、まったくわからない。ごろんとベッド
 に寝転がれば、すぐに空想の世界に入ってしまう。
             (『幸福はただ私の部屋の中だけに』p.83)

どこで読んだのか、誰が書いていたのかも忘れてしまったが、森茉莉のアパルトマンの部屋の放埒に積み重なった本や雑誌やその他の幾多のもののなかで、鷗外全集が、ずずずと崩れた雑誌の堆積のようになっていたという描写があって、つまり森茉莉は父親の思い出は大切にしていたが、その作品は大切に思っていなかったのであることがわかる。
そして空想するという行為は、アン・シャーリーやジェルーシャ・アボットの例をあげるまでもなく、少女としての特権であり、そしてそれは決して少女だけに限定されたものでもない。世間における地位や権威というようなステータスを獲得さえしなければ。

立花隆の武満徹論について、続きがあるように書いておきながら私はその続きを考えあぐねていた。立花が繰り返し取材している途中で武満が亡くなってしまったこと、そのため本の後半はそれまでの取材原稿の焼き直しや拾遺であったりすることなど、やや生彩を欠く部分があることも確かだが、何より感じるのは、武満が《ノヴェンバー・ステップス》の成功によって獲得したのは音楽界の権威としての立場であり、そのときからアヴァンギャルドな精神性は後退していったのではないか、という仮説である。
というのはその後、もはや巨匠となってからの作品《カトレーン》(1975) を聴いたとき抱いた漠然とした印象、それはとても緻密に書かれているけれど、その語法は伝統の踏襲、伝統への回帰であってアヴァンギャルドではないのが如実であることがそのきっかけだったからだ。それに立花は武満徹大好きなファンであり信奉者であって、少し突き放した距離から見る目がない、というのも後半の記述をやや散漫なものにしているように思えた。

芸術はアヴァンギャルドだから良いというわけなのではない。ただ私はアヴァンギャルドだった人がアヴァンギャルドでなくなると興味を失うのである。
保坂和志が『魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない』の中で、オーネット・コールマンについて書いている部分があって、すごくかいつまんで私の感じた言葉で書いてしまうと、オーネットはコルトレーンのように決して求道的だったり禁欲的だったりはしないが、そのたらーんとしたハーモロディックなどというトンデモ理論みたいなので終生突き詰めて、いや突き詰めないんだけれどそれで押し通したというのが実はすごくアヴァンギャルドではないかというようなことなのである。
だから保坂は《タウンホール1962》の、冗長ともいえる〈The Ark〉を絶賛するのだ。

実はこの文章はオリヴァー・ネルソンのことを書こうとして書き始められたのだが、どんどん話が外れていってしまい元に戻りそうもないのでこのままにしておく。どんどん話が逸れていくのが森茉莉みたいでカッコイイ、と自画自賛。

15をその頂点として月は満ちかけするが、これから上り坂になっていくときが美しいのか、それとも次第に欠けていくときこそ退廃の美学があるのか、そもそもそれは退廃なのか、などといろいろな見方がある。それに月は欠けていってもまた復活するが、朽ちていくものに再生はない。


吉田拓郎/元気です。(ソニー・ミュージックダイレクト)
元気です。




シシド・カフカ/トリドリ (avex trax)
トリドリ(CD+Blu-ray)




保坂和志/魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない (筑摩書房)
魚は海の中で眠れるが鳥は空の中では眠れない




Ornette Coleman/Town Hall 1962 (Esp Disk Ltd.)
Town Hall 1962 (Dig)




LOVE LOVE あいしてる 16年ぶりの復活SP
http://www.dailymotion.com/video/x5udrxt
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バルナバーシュ・ケレメンの弾くバルトーク [音楽]

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Kelemen Quartet (www.kelemenquartet.huより)

フンガロトンのBartók New Series (いわゆる新全集) は、ダークグリーンの旧全集に較べると格段の進歩があり、それはコチシュに負うところが多く、かえすがえすもコチシュの逝去が残念でならないというようなことはすでに書いた。
もうすぐ彼のオムニバス的な追悼盤が出るようだが、販売元の宣伝文では、バルトークの演奏に対するコチシュのアプローチを 「狂気と兇暴性を見せる凄みにみちてい」 ると書いていて、なんとも刺激的だ。

ただ、この新全集の全容がぼんやりと掴みにくくて、仕様がSACDだったりただのCDだったりするのは仕方が無いとして、そのパッケージには全集としての番号 (つまり本でいえば第何巻か) が振られているのだが、それが明記されている情報がどこにもなくて、いまだに買い逃している盤があったりする。緻密にサーチすればいいのだろうが、そもそも売る気があるのならもっとわかりやすく表記するべきだと思うのだ。

それでこの前、気づいて買ったのがヴァイオリン・ソナタの1番と2番、そして無伴奏の収録されているNo.15なのだが、バルトークのソナタには多くの録音があり、私はいままでテツラフのソナタを偏愛していたのだけれど、このケレメンとコチシュのを聴いてしまうとそれが簡単に揺らぐ。たぶんテクニックとか音楽の構築性とかそういうことではなくて、もっと精神的ななにかなのだと思う。それもコチシュがケレメンに及ぼしている影響があるのだろう。

でも、今回はそのソナタ盤ではなくて、つまりケレメンのヴァイオリンのバルトークに対する 「味」 みたいなのを知るのには、ヴァイオリン協奏曲第2番と2つのラプソディの入っているNo.9が適切なのだと思う。注目すべきなのはもちろんそのラプソディである。
バルナバーシュ・ケレメン (Barnabás Kelemen, 1978-) はこの新全集においてコチシュの信頼を一手に受けているが、その音はコチシュのバルトークに対する視点と非常に似通った面がある。
協奏曲とかソナタのような比較的スクエアな、言葉をかえていえば伝統的で主にドイツ音楽的な作品に比肩させようと考えるのならば、どうしてもその語法にすり寄らなければならないので、その書法もそのような制限を受けているように思える。民族的な特有の音をあらかじめ所有しているという枷をはめようとする中央ヨーロッパ語族からの偏見は、バルトークであっても武満徹であっても同様であった。だがラプソディのような作品の場合は、比較的自由に曲想を構成することができるので、そこにマジャールの、そしてロマ的な熱い思いが濃厚に入って来る。

もっとも、いたずらにマジャールとか民族的なテイストを強調すればそれは俗な音に傾きやすく、それがダメなのではないがバルトークはたぶんそうした音を目指してはいなかったはずである。バルトークがその究極としてリスペクトしていたのはバッハとベートーヴェンであるのは明白であり (つまり私にとっての3Bとはバッハ、ベートーヴェン、バルトークであり)、もっといえば一番スクエアな形式による作品群はそれらへの挑戦であった。
だがそうした曲、たとえばヴァイオリン・ソナタを聴いていても、このケレメンとコチシュのアプローチはすごい。けっして俗に堕しないが、スクエアな書法から外れるように見せかけてぎりぎりでとどまっているような方法論が見えて、それでいて音の一粒一粒が生きている。
それがラプソディの場合だと、もっと全開になってしまうので、でもそれがマジャールの、憧憬を呼ぶべき音なのだ。最も強く感じるのは――それはラプソディにあってもソナタにあっても言えるのだが、リズムの揺れでありその昂揚感である。下世話にもなりかねないアーティキュレーションであり、先の宣伝文の 「狂気と兇暴性」 とはよく言ったとあらためて感じるのだが、しかしバルトークの音は乱暴に強引に爆音で弾いたら決して得られなくなってしまう音である。その作曲者のパッショネイトな影が音の背後に存在する。

このディスクにはそれぞれの曲の異稿も収録されていて、ラプソディ第1番のフリッシュの第2稿、第2番のフリッシュ第1稿、そして協奏曲第2番の第3楽章第1稿とある。

ケレメンは2009年からクァルテットを結成して弦楽四重奏の演奏もしているようだが、wikiによれば (と書こうとしたらja.wikiにはケレメンの項目すらなかったのだが) ケレメンは、イェネー・フバイ→エデ・ザトゥレツキー→エステル・ペレーニ→ケレメンと続く系譜のなかにあり、ケレメン・クァルテットのサイトによればクァルテットの活動も続いているようだ。コンサート・スケジュールを見るとバルトークやベートーヴェンのラズモフスキーなどの曲目があり、そのクァルテットでの演奏も是非ホールで聴いてみたいものである。


Barnabás Kelemen, Zoltán Kocsis/
Bartók: Violin Concerto, Rhapsodies for Violin & Orchestra
(Hungaroton)
https://www.amazon.co.jp/dp/B00L4XN5UE/
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Barnabás Kelemen, Zoltán Kocsis/
Bartók: Sonatas for Violin & Piano Nos1,2; Sonata for Solo Violin
(Hungaroton)
バルトーク : ヴァイオリン・ソナタ集 (Bela Bartok : Sonatas for Violin & Piano Nos 1, 2 , Sonata for Solo Violin / Barnabas Kelemen (violin), Zoltan Kocsis (piano)) [SACD Hybrid] [輸入盤]




Kelemen & Katalin Kokas play Bartók
https://www.youtube.com/watch?v=XG7r8WJqJI8

Kelemen Quartet/Bartók: String Quartet No.5-V movement
live 2011
https://www.youtube.com/watch?v=PdmxrfQA32M
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森茉莉の文章について [本]

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森茉莉 (1903-1987)

昨年から今年 (2016年から17年) にかけて、森茉莉の文庫本が3冊、筑摩書房から出された。『紅茶と薔薇の日々』『贅沢貧乏のお洒落帖』『幸福はただ私の部屋の中だけに』というタイトルで、早川茉莉による編集である。
短いエッセイ (つまり小説以外の文章) を集めた内容なのだが、雑誌掲載のものは膨大にあり、全集に収録されていなかった作品が幾つか発見されたが、それだけで出すのには本としてあまりに力不足なので、それらしくジャンルを分け、それぞれ既出の作品で水増しして3冊にした、というのが実情だと思われる。

それらしく、というと語弊があるのかもしれないが、森茉莉の文章は何かのテーマで書き出しても、どんどん脱線していって最後になって辻褄を合わせていたり、もっとすごい場合は全然辻褄を合わせなかったりすることがあって、もうメチャクチャ、それが楽しいのである。未出の作品ははっきり言ってわざわざ読むほどの内容ではなかったし、やたらに重複した記述の内容が並んでいたりして、それもまたショーモナイのにもかかわらず、それでも読んでしまうのがファンの悲しいところである。

森茉莉 (1903-1987) は森鷗外の2人目の妻・志げとの間に生まれた長女で、鷗外が溺愛したことで有名である。以前のブログにも書いたが (→2014年11月15日ブログ)、私の恩師は森茉莉のことを簡潔に 「あれはバカです」 と言って切り捨てたのだが、そう言われても仕方がないと思うくらいの判断力は私にもあったのだけれど、でも私はその頃すでに森茉莉をひそかに読んでいたので、それを公言するのは憚られた。森鷗外と比較すればほとんどの人間はバカになってしまうのは自明で、それに森茉莉自身、若い頃はぼんやりした性格だったと自称していて、結婚してパリに住んでいた頃、鷗外が亡くなり、離婚してからはその父の遺した印税で暮らしていたが、それが無くなる頃、試みに書いてみた文章が売れて何とか食いつないだ、というような述懐は半分合っているし、残りの半分は韜晦である。

その小説作品は過去の自己の投影でもあったり、そうでもなかったりというところが曖昧な幻想的作風であり、彼女独自の世界を形成しているのだが、エッセイの場合はもっとも下世話な『ドッキリチャンネル』が突出していて、読めば確かに森茉莉なのだが最初に読んだときはびっくりだった。小説家として有名になってからなので、独断と偏見、差別用語満載のミーハーで世間知らずなバーサンの繰り言であり、言いたい放題、こんなの書いていいのか? ということまで書いてあって、でもそのなかに時々、キラリと光るものが混じっている。

最も独特な印象を持つのは、その語法である。まずカタカナの使い方だが、前述した私のブログ記事で私は、森茉莉が 「セーターを近くの川に捨てていた」 話を書いたが、正確な彼女の表記法にすればそれはセーターではなくスウェータアである (でもスウェーターと書くときもある)。
基本的にあまり長音を使うことがない。ヴィーナスでなくヴィナスだし、タバコの名前はゴールデンバットではなくゴオルデンバット、俳優のピーター・オトゥールはピータア・オトゥウルである。パリのオペラ座は定冠詞を含めてロペラと書いてしまう。
それでいてパリは巴里だしベルリンは伯林だし、時々、「嫩い」 (わかい) などという文字を使ったりもするので (若者を嫩者と書く)、そのへんはさすがな世代である。

大雑把というのか天衣無縫というのの特徴的なひとつとして、カギカッコの終わりが無いというのがあって、つまりカギカッコで始まった文章が長くなるうちに何だかわからなくなり、地の文章に溶け込んでしまうため、終わりのカギカッコが無いのだ。全集ではたしかそれがそのままになっている。なぜならどこがカギカッコの終わりか特定できない場合があるためである。
今回読んでいて、普通のカッコ (マルカッコ) の始まりがなくて終わりのカッコだけある個所があったが、これも原稿そのままなのか誤植なのか不明である。つまり森茉莉の場合、こうしたことは 「味」 であって細かいことはどうでもいいのだ。もう訂正することができないのは、中原中也の密柑に似ている。

それからもうひとつ、句読点において特徴的な用法がある。
「~のようであった」 という場合、よく 「~のようで、あった」 と書く。必ずしも毎回ではないが、 「で」 と 「あった」 の間に読点が入る。これが頻出する場合、最初にちょっと違和感がある。
私自身の句読法として、なるべく読点は少なめにというポリシーがあって、けれど読点が少ないと文章が読みにくかったり誤解が生じたりするのだが、それでもあえて読点を少なくしたいという願望があるので (それが美学だからなのだが)、どこに読点を打つかというので呻吟することがよくある (ちなみに美学ということでいえば、ルビはダサいと私は思っているのでなるべく使いたくない。但し、柳瀬尚紀の『フィネガンズ・ウェイク』の翻訳は仕方がないけど)。
でも森茉莉は読点が多い。「~のようで、あった」 と書くのは彼女のリズムであり、彼女の言葉の 「息」 がそうだからなのに違いない。読んでいるうちにそのリズムに慣れてくるので、たまに 「~のようであった」 と読点抜きで書いてあったりすると、かえって違和感に陥ったりする。人間とは勝手なものだ。

遠く若い頃の着物の色彩などに関する森茉莉の詳細な記憶には驚嘆するが (それに樺色などという色名は私の祖母が使っていた記憶があるので懐かしい)、ファッションのことを細かく子細にあげつらうくせに、彼女の普段着ファッションとしてカーディガンに草履というのがあって、その草履はつまり 「つっかけ」 なので、たぶん靴下を履いたままでつっかけているのだ。足袋とか、指の別れている靴下ではなさそうである。
セーターの上にカーディガンとダブルでニットを着込み、スカートにつっかけ草履、編みかごというのが森茉莉の有名なスタイルのひとつで、これが結構カッコイイ。でも誰にでも許されるスタイルではもちろんなく、森茉莉に限って許されるスタイルであることは間違いない。

森茉莉が山田珠樹と結婚して、最初に生まれた子どもが山田爵 (正確な文字は 「爵」 の字の上に乗っている 「ノとツ」 の部分が 「木」 なのだが、この文字を入れたらブログがバグッてしまった) である。そして山田爵の教え子のひとりが蓮實重彦であり、蓮實の『「ボヴァリー夫人」 論』はもちろん山田爵訳を底本にしているのだが、私はまだそれを読んでいないので『「ボヴァリー夫人」 論』も積ん読のままである。死ぬまでには読まないとというのもお決まりの言い訳に過ぎない。早く読むように! と自分を叱咤激励してみる。むなしいけど。


森茉莉/紅茶と薔薇の日々 (筑摩書房)
紅茶と薔薇の日々: 森茉莉コレクション1食のエッセイ (ちくま文庫)




森茉莉/贅沢貧乏のお洒落帖 (筑摩書房)
贅沢貧乏のお洒落帖 (ちくま文庫)




森茉莉/幸福はただ私の部屋の中だけに (筑摩書房)
幸福はただ私の部屋の中だけに (ちくま文庫)




伊藤文学/今週の文学さん:森茉莉について
https://www.youtube.com/watch?v=HWJQ5ZNICkY
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透明なものと不可視なもの ― 嵯峨景子 「“トーマ”の末裔たち」 について [ファッション]

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深津絵里 (1990)

「なぜジルベールではなく、トーマなのか」 と書かれても、何を今さら、と思ってしまうのだが、その何を今さらという認識は直感に基づいたものであり、直感は 「もの」 の本質を最も効率的に射抜くものではあるのだけれど、しかし理詰めにして、これまでの行跡を整理してみることも必要なのだ、とあらためて思ったのが、嵯峨景子の 「“トーマ”の末裔たち」 というコラムを読んだ感想である。

と、結論のようなものから先に書いてしまったが、 「何を今さら」 が必ずしも一般的な共通認識としてはまだなりえなくて、しかも時代が移ってしまい、それが形骸化していくのだとすれば、少年愛とか、やおいとか、ボーイズラブという言葉でくくるのではなく、マニアックではない地平で分析してみる方法をとらなくてはならないということなのだと読める。

嵯峨は次のように書く。

 私は少年好きではあるが現実の美少年に対する執着は薄く、マンガや小
 説を中心に虚構の少年像を追い求めている。

それゆえに、リアルな写真集などよりいわゆる2次元や、小説のような文章表現のなかにこそ関心を持つというのである。そうした感覚が、ジルベールでなくトーマ、という選択につながる。

 求められるのはジルベールの生身の体に刻まれた性の匂いよりも、性が
 背景に退いた、虚構としての透明な身体であることが多い。一方、トー
 マが遺した詩には 「性もなく正体もわからないなにか透明なもの」 とい
 う印象的な一節が記されている。『トーマの心臓』では、性の入り口に
 佇む肉体を有しつつも、傷ついた魂を救済する精神性へと向かう少年た
 ちの姿が描き出されている。

そうしたギムナジウム的世界観をファッションを通して見た場合、重要なのはリボンタイのような制服的なアイテムであり、また映画《1999年の夏休み》をその様式美のひとつであると指摘する。そこで嵯峨によってあげられているのが靴下留め (ソックス・ガーター) である。
男性における靴下留めは本来、長ズボンの中で靴下を吊るという用途で使用されるもので、見えないものである (なぜ靴下を吊るのかというと、昔の靴下は履き口にゴムが入って折らず、そのままだと落ちてしまうからである)。
ところが、それを少年の穿く半ズボンで使用すれば見えるものとなる。こうした移行はマニアックでフェティッシュなアイテムだが、それを採用する2次元キャラは多く、そして実際のファッションにも援用されているという。
嵯峨は、少年という表象に結びつけた早い事例として四谷シモンの人形 「ドイツの少年」 を挙げている。

 裸体であるため必然的に言える形で装着された靴下留めは、実用的な機
 能を離れ、オブジェめいた装飾性と拘束感が際立っている。

この場合、少年という表象といいながらも、それをファッションとして使用するのは少年や成人男性ではなく、少年的なファッションを好む少女である。《1999年の夏休み》はトーマを原案とした作品であり、しかしながら少年を少女が演じ、そして声はまた別の声優が担当するという、何重ものフェティシズムによって形成されているのだ (と、この重層さをあえてフェティシズムと断定してしまおう)。
女性用の靴下留め (ガーター) は、ふとももまでのストッキングを吊るものであり、これも本来は見えてはいけないものであったが、それをわざと露出させるセクシャルな方法論、あるいはショービジネス的なアイデアがあり、単純に考えれば、その男性版に過ぎないともいえる。
こうしたフェティッシュ系のファッションは多分にコスプレとの関連性もあり、それがごく狭い世界にとどまるか一般的になっていくかは、その時代の流れによる。オーバーニーソックスなどは以前は多分にコスプレ的であったが、いつのまにか一般的なアイテムとしてのポジションを獲得した。
また、見えてはいけないものが見えてもよいものに変わっていくアイテムには、たとえばキャミソールがあげられる。

近代の女性のファッションは男性のファッションを盗用することによってそのテリトリーを拡大してきた。トレンチコートも、タンクトップも、ライダースジャケットも、そして半ズボンもそうである。というより、ズボンそのものが本来は男性のファッションであった。

ファッション・ブランド名で少年を連想されるものをあげるのならば、まず思いつくのは COMME des GARÇONS (コム・デ・ギャルソン:少年たちのように) である。ファッションの傾向は少年性とは何の関係もないが、その名前は少年を冠している。ギャルソンにはオム (メンズ) もあるが、紳士服であり、ファム (レディース) と同様に少年性が顕れているわけではない。
またファムにはアヴァンギャルド性があるが、オムにはそうした方向性は基本的にはない (と以前、川久保玲は言っていた)。
ギャルソン以外でも EASTBOY とか PAGEBOY というようなブランドがあるが、いずれもレディース・ブランドであり、少年用のラインは存在しない。boyをブランド名に用いたのは単なる精神性であって、具体的な少年ではないのである。

古くからのアパレルであるジュンにはJUN (メンズ) とROPÉ (レディース) という2大ブランドがあるが、以前にはROPÉのプロデュースするDOMONというメンズブランドがあった。単なるメンズブランドとレディースブランドがプロディースするメンズブランドは違うのである。さらにROPÉのプロデュースする george sand というレディースブランドが存在したが、これは名前が表すように、男装の麗人的なデザインをコンセプトとしていた。テールコートのような側章のあるパンツとか、メス・ジャケットなどである。

嵯峨が (おそらく古書で) まとめて大量に買い込んだというボーイズラブ系の雑誌『JUNE』とか『小説JUNE』は、当初『JUN』というタイトルで創刊されたが、たぶん前述アパレルのジュンからクレームがありJUNEに改名したのではないかと思われる (これは想像だが)。出版元はゲイ雑誌を出していた会社であり、それを知ったとき、幻想と現実の振り分けかたに感心したものである。

イタリアのブランド DIESEL にはメンズ、レディース、キッズの展開があるが、レディースの打ち合わせはほとんどが右前 (男性用と同じ) である。そのテイストを狙う国内のアパレルであるバロックジャパンリミテッド (moussy、SLYなどのブランド) も右前であることが多い。わざとメンズライクななかで女性的な雰囲気を出そうとするコンセプトであり、これも一種のフェティシズムなのかもしれない。
Hysteric Glamour もレディースは多くが右前だが、ややフェミニンに傾く場合、左前が存在する。その他のブランドでも、右前、左前が混然としていることは多い。それはカジュアルの基本が男性ファッションからの転用であるからであり、メンズライクをきわめれば当然、打ち合わせもそうなるのである。ボーイズデニムという言い方も、わざとちょっとゆったりとした、不良っぽい少年をイメージしたレディース・アイテムである。

しかしその逆は存在しない。男性ファッションにスカートを持ち込もうとしても、それはごく一部のアヴァンギャルドにとどまり、普遍化されることはない。
同様にして、girlという言葉を冠した男性ブランドも存在しない (たぶん)。

《1999年の夏休み》については以前、PASCOのCMに関連して深津絵里を検索していたとき、偶然知ったのだが (→2017年04月29日ブログ)、それが今回もでてきたのでちょっと驚きである。
脚本の岸田理生は寺山修司との関係性において、そして音楽の中村由利子はジブリの《星をかった日》の音楽も担当していたことを知った (→2013年09月18日ブログ)。ときとして意外なつながりが発見できるものである。

ただ、竹宮惠子は、彼女の描いた少年について、少年は少年でなく少女であると過去に語っていた。それが真実なのか、それともそれは 「はぐらかし」 なのか不明である。このへんはまだずっと未消化のままである。

引用元:嵯峨景子/ 「“トーマ”の末裔たち」 (ちくま2017年5月号~7月号・筑摩書房)


金子修介/1999年の夏休み (SME・ビジュアルワークス)
1999年の夏休み [DVD]




萩尾望都/トーマの心臓 (小学館)
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嵯峨景子/コバルト文庫で辿る少女小説変遷史 (彩流社)
コバルト文庫で辿る少女小説変遷史

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ヴァーツラフ・ノイマン ― ドヴォルザーク《交響曲第8番》 [音楽]

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Václav Neumann

『のだめカンタービレ』でドヴォルザークの第5番を千秋が振る話が出てきて 「何をマニアックな」 というような言い方がされていたことを覚えているのだが、それまでの少女マンガにおけるいかにも有名曲という選択肢から外れた選曲で、マンガのなかで扱われる音楽のステップがひとつ上がったような感じがした。

ドヴォルザーク (Antonín Leopold Dvořák, 1841-1904) は《新世界より》があまりにも有名過ぎるし、下校時刻の定番の音楽みたいなイメージがあるのだが、弦楽四重奏曲《アメリカ》などとともに、その胸に沁みいるセンチメンタルなメロディが色褪せないのはなぜなのだろうか。
ドヴォルザークの交響曲は、特に《新世界より》には山ほどの種類のCDがあるが、前半の番号の曲を聴きたいとなると、全集盤に頼らざるを得ないことが多い。私はずっとヴァーツラフ・ノイマンの1981~87年の録音によるコンプリート盤 (日本コロムビア盤) を愛聴していたが、それを聴いて識ったのが第1番で、これもまた私の好きな若書きの習作であり、未熟だけれど清新な初期作品として偏愛するに足る曲である。楽譜は紛失したことになっていて、ドヴォルザークの死後、ずっと経ってから発見され演奏されるようになった。標題の 「ズロニツェの鐘」 は彼が子どもの頃に暮らした町の鐘のことを指す。

しかし交響曲はやはり後期のほうが作品としての完成度は高い。高いけれども十分にセンチメンタルであり、通俗であり、でもストレートでありながら深い曲想を持っている。
そのなかで第8番は、疲れたときに最も心を癒やしてくれる曲のように思えて、ひとり感傷の褥に沈むのである。

第8番はG-durであるが、第1楽章はいきなり短調で始まるし、そして第3楽章 Allegretto grazioso も同様に短調である。それはg-mollの3/8拍子の悲しみのワルツである。

ヴァーツラフ・ノイマン (Václav Neumann, 1920-1995) には、1968~73年にかけてスプラフォンに入れた録音もあり、この古いほうの録音のほうが良いとする意見も多いようだ。1968~73年録音はノイマン48歳から53歳、1981~87年録音だと61歳から67歳ということになる。人間は多分に、最初に聴いてしまった演奏を最高とする傾向があり、それは初めて刷り込まれてしまった音源がどうしても一番強く記憶に刻まれるからではないか、と思われる。それは過去の自分の経験からも類推できるのである。

それでともかく、古いほうの録音も手に入れてみた。捷スプラフォンのコンプリート盤《Dvořák/Symphonic Works》である。どちらのほうがよいかという意見はネットなどをざっと見ても百家争鳴、かまびすしきかな、という状態だが、はっきりいってそんなに違いは無い。同じ指揮者でオケも同じ、ただ録音された時期が違うだけなのだから、そんなものだろう。雑な感想なのかもしれないが、そんなに違ったら逆に困るのではないか。その十数年の間に音楽に対する姿勢に大転換がない限り、そんなに変わるはずはない。
当時の政治情勢によってその緊張感に違いがあるというような意見も、もっともなようにみえてそうでもない。それよりも具体的な録音時の状況とか機材とか、もちろん指揮者やオケの精神的・肉体的状態のほうがファクターとしては大きいのだと思う。
むしろ本来、聴き較べするのなら違う指揮者、たとえばケルテスとかと較べてみるのが妥当なのだろうけれど。

ただ、聴いて最初に思うのは、1回目の録音は大変良い音に録れているのだが、かすかに紗がかかっているような感じがする。録音時期が古いこともあるが、それよりこれがチェコ盤であることが影響している可能性はある。日本盤だったら少し違うのかもしれない、と思うのである。デジタルはアナログと違い国内盤でも海外盤でも音質は関係ない、とする説もあるが、それは違うと思う。

2回目の録音は音質的に優れているだけでなく、聴きやすい。ディナミークも豊かで各楽器の表情付けもうまい。それは2回目であること、指揮者として経験値が高まり、こなれていることなどが考えられるが、それだけでなく、よりリスナーにわかりやすいように、というふうに音を作っているように思える。逆にいうと通俗的な色合いは高い。

第8番の第3楽章を聴いてみると、まず1回目のほうがテンポはやや遅く、そして2回目はやや速めであるだけでなく、音に表情がある。1stヴァイオリンも、11小節目からの主題にはプラルトリラーがあるが、それがくっきりときれいに弾かれている。同様に39小節目からのヴァイオリン、ヴィオラのスタカートも肌理が細かく、きれいに粒が揃っている。対して1回目の録音ではややざらっとした感触がある。そして2回目の43小節目からの抑揚のつけかたは、やり過ぎとも思えるくらいに波のようにうねる。
でも、では2回目のほうが良いかというと微妙だ。私は2回目のほうを先に聴いているので、その刷り込みがあるのだという前提でいえば、最初はやはり2回目のほうが良いように思えたのだが、繰り返し1回目の録音を聴くうちに、このかすかな紗のようなものは録音のせいではなく、うっすらとした寂寥なのだと感じられるようになってきた。
つまり全体的な音作りは、2回目のほうがややコマーシャルである。1回目のほうが朴訥であり、きらめきがないのだが、その鈍色のゆったりとした流れに陶然となる。

174小節あたりからリタルダンドしてAndanteになり180小節目でダルセーニョしてin tempoに戻る個所で聴かれるほんの少しのパウゼ、ここに1回目の寂寥の表情が見える。2回目のは単なるダルセーニョでしかない。

でも、これらは細かいことであって、最初に述べたように、そんなに違いはない。どちらも素晴らしいドヴォルザークである。
そんなことより、たとえば80小節目からの1stヴァイオリン→オーボエ→フルート→オーボエ→クラリネット→チェロ&コントラバスと渡ってゆく音の流れに、効果的にちりばめられるピチカートに、ドヴォルザークの心を聴くのである。彼はどんな曲に対しても妙な小細工をしないし、音楽はいつも真っ直ぐで誠実で、それでいて悲しい。でもそれは乾いた悲しみである。

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ドヴォルザーク:交響曲第8番第3楽章冒頭


ヴァーツラフ・ノイマン/ドヴォルザーク交響曲全集 (日本コロムビア)
ドヴォルザーク:交響曲全集




Václav Neumann/Dvořák: Symphonic Works (Supraphon)
Symphonic Works




Václav Neumann/Dvořák: Symphony No.9 (1993.12.11 live)
https://www.youtube.com/watch?v=HMMM4ClQyv0

Václav Neumann/Dvořák: Symphony No.8 (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=BUKqpH7N2EQ
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