オペラ座2007年のアズナヴール [音楽]
シャルル・アズナヴール (Charles Aznavour, 1924-2018) について、私は語るほどの知識を持っていない。だが先月の日本公演は最後の来日というキャッチで宣伝されていたが、日本における最後の公演であるだけでなく、文字通りの最後の公演となってしまった。
私にとってのアズナヴールの印象は否定的な意見から始まる。それは私のフランス語の教師がアズナヴールやアダモが嫌いだったからで、レオ・フェレやジョルジュ・ブラッサンスは良いけれどアズナヴールやアダモなんてダメという、いまから考えれば偏向なのだが、というより単に自分の信条を含めた嗜好を投影したものに過ぎなかったのだろうが、シャンソンなどロクに知らないまだ未熟で若い私はそれをそのまま信じてしまってそれが刷り込まれてしまっていた。
そのことに限らずアンチな人々の意見には、アズナブールは通俗だとか、さらにはシャンソンにおける北島三郎だとか、いろいろとかまびすしい。だが、入門者向けのシャンソン・ベスト盤のようなアルバムがかつての東芝EMIから出ていて、それはリーヌ・ルノーから始まるようなわかりやすい名曲選だったのだが、そうしたオーソドクスな選曲に親しんで繰り返し聴いていた身には、通俗こそその時代のトレンドを感じるのには好適だし、真実の姿を知る方法だと思ってしまうのである。
たぶんTVで観たアズナヴールのライヴの記憶がある。たぶん、というのはTVでなくヴィデオ映像だったのかもしれなくてはなはだ曖昧な記憶なのだが、そんなに熱心に観ていたのでなかったのだが、はっとするような曲があった。だが具体的な曲名とか歌詞とかが浮かばなくて、抽象的な記憶しか残っていないのだが、もし同じ曲を聴けばわかるはず、と曖昧なままにしてしまったのだけれど、今あらためてYouTubeなどで探してみてもどうしてもわからない。アズナヴールは膨大な録音があるのだから、具体的な手がかりがないとほとんど無理なのである。
そうして探しているうちに、目的とは違うのだけれども、幾つか心に残る曲を見つけた。そのうちの1曲、〈2つのギター〉は2007年のオペラ座でのライヴである。L’Opéra Garnier はオペラ座とかパレ・ガルニエとかいろいろな呼び方をされるし、団体としてのパリ国立オペラをオペラと呼称することもあるが、その客席はステージからの視点で撮された映像ですぐにそれとわかる古風で印象的な構造をしている。
アズナヴールの映像は《Charles Aznavour et ses amis à L’Opéra Garnier》というタイトルのCDとDVDがリリースされているが、そのDVDからの映像であると思われる。だがこれは例によってPALで、そのため日本ではほとんど流通していないようだ。アズナヴールには普通のフォーマットのDVDで出されているものもあるのだが、これはそうではないのが残念である。
浅倉ノニー氏のサイトをいつも拝読させていただいているが、それによれば〈2つのギター〉のルフランの歌詞はアルメニア語というよりボスニア語に近いのだそうで、しかしアズナヴールの精神的なルーツであることは確かだ。ギターはジプシーの弾くギターをあらわしていて、その音は故郷への郷愁であるとともに人生への郷愁を暗示する。
シャンソンはドラマである、と誰かが言っていたのを覚えている。歌手は短い1曲の間にドラマを演じ、そして死ぬ。人生も長いドラマであるのかもしれないが、シャンソンはそれを凝縮した標本なのかもしれないのだ。言葉と、音楽と、仕草と、歌われている劇場の空気と、すべてがうまく合わさったとき、それは美しい稀有なひとときを形成するが、一瞬にして崩れてゆく。映像は記録として残るがその実体はすでに消滅している。それゆえに音楽は、幾ら具体的な歌詞で歌われようとも、どこまでも抽象的なものでしかない。
アズナブールベスト40 (ユニバーサルミュージック)
Charles Aznavour/Les deux guitares
à l’Opéra Garnier 2007
https://www.youtube.com/watch?v=Z24X730KABU
コンサートの全容はこの映像だが画質はあまりよくない
https://www.youtube.com/watch?v=kQ7kE9vgDjE