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Memory 青春の光 ― モーニング娘。のこと [音楽]

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シャ乱Qはずっと売れていなかった。私のかすかな記憶の中にはJRの車内吊り広告があって、そのデザインのダサさ加減が強く印象に残っていた。これじゃ売れないよなぁ、と思ったのだけれど、でもそれがシャ乱Qという妙な名前を知った最初なのかもしれないとしたら、ダサいデザインも良し悪しである。
そもそもシャ乱Qというグループ名自体がダサい、と私は思ってしまうのだが、でもそれがつんく♂なのだ。

つんく♂の通俗さ、ダサさ、そして泥臭さみたいなものがモーニング娘。のプロデュースの根底にある。メンバーをシャッフルし入れ替え、そしてバラエティにも何にでも使うという 「何でもあり」 な方針もつんく♂のプロデュースとしての特殊性だ。

だがそのモーニング娘。は次第に爆発的に売れた。最も強い印象を受け、かつ売れたのが〈LOVEマシーン〉であり、それはグループが後藤真希というアイコンを得たためでもあった。
しかし勝手に解釈するのならば、音楽的に優れているのは2ndシングルの〈サマーナイトタウン〉、3rdの〈抱いてHOLD ON ME!〉、そして4thの〈Memory 青春の光〉の3曲であり、この中につんく♂の刹那性とはかなさ、あやうさの美学が全て籠められているように感じる。私の中のモーニング娘。はこの3曲に全て収斂する。

当時のMVを今観てみると全体に垢抜けていなくて、コスプレの見本のようなAKBにはとても敵わないし、ダンスはただ身体を揺すっているだけで一面的でPerfumeの足元にも及ばない。では何がリスナーを引き付けるかといえばそれはかすかに匂う不良性にある。それはつんく♂が選び取ったもので、真実の不良ではなく、似非ともいえる幻想を土壌とした不良性である。かつてロックは不良であり反体制的であることの象徴を気取ろうとしたが、そうした幻想をパロディ化したのがつんく♂であるといってもよい。
つんく♂はメンバーをチョイスするとき、必ずしも歌が上手かったり、美人だったりすることを前提としない、むしろ少しダサくてイマイチな子のほうがよい、というようなことを語っていたのを思い出す。優等生の音楽は優等生の音楽でしかなく、劣等生の意外性や危険性が存在しない。つんく♂が選びとろうとしたのは劣等生であり、そしてそれは前述したように似非な劣等生でもあるのだが、その不確かさと不安定さこそがロックの本質でもあるのだ。つんく♂の音は常に下卑ていたり演歌っぽかったり、正統的なロックとも違うが、では正統的なロックとはそもそも何なのか、これが正統派だと言ったときそのジャンルは硬直化し腐敗して廃れるのではないか、そうした論理で考えた場合、つんく♂こそがロックの精神を体現しているのかもしれないと思うのだ。

〈抱いてHOLD ON ME!〉というタイトルはおそらくミラクルズの〈You've Really Got A Hold On Me〉からとられているが、つんく♂はたぶんスモーキー・ロビンソンのオリジナルではなく、ビートルズのカヴァーを念頭に置いている。また〈Memory 青春の光〉はザ・フーの音楽を元にしたモッズ映画《Quadrophenia》(1973) の邦題《さらば青春の光》を連想したはずである。
ただし曲の内容に関連性は全くない。だが、ミスチルのように過去のヒットチューンのタイトルをそのままパクるのでなく、少しひねっているところにつんく♂の矜恃がある。

この3曲はアイドル・ポップスでありながら妙にもの悲しく、もっと言えばデビューして次々にヒット曲をリリースしていたそのときの輝かしき栄光ではなく、未来の悲惨さと不幸を先取りしているような思いにかられる。悲惨さとか不幸という強い表現には語弊があるのかもしれない。だがそうした言葉を使ってしまいたくなるほど、曲から感じられるその当時にはまだ不分明であった未来への暗示と予感が、悲しみに彩られた音を増幅する。
たった1曲を採るのならそれは間違いなく〈Memory 青春の光〉であり、そこにつんく♂がモーニング娘。に託した音楽の全てがあるように思う。少し粗雑で荒々しく、エキセントリックにも思えるコーラスの美しさに世紀末の悲しみのようなテイストがあり、そしてそのざらっとした触感のようでいて奇妙に緻密でもある組成の矛盾に、映画《さらば青春の光》に感じた青春のはかなさ、そして無常観が内包されているように聞こえるのだ。


モーニング娘。/Memory 青春の光 (ZETIMA)
Memory 青春の光




モーニング娘。/サマーナイトタウン
https://www.youtube.com/watch?v=Hpk-ZqQpq7Y

モーニング娘。/抱いてHOLD ON ME!
https://www.youtube.com/watch?v=0yHDWYYAfJQ

モーニング娘。/Memory 青春の光
https://www.youtube.com/watch?v=YLBP_NHK3Mo

つんく♂/Memory 青春の光
https://www.youtube.com/watch?v=ONGhHvkg9oM
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ヴェーグ・クァルテットに関する覚え書き [音楽]

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Béla Bartók

シャーンドル・ヴェーグのことはにすでに書いたことがあるが (→2016年08月27日ブログ) これはその続編である。ヴェーグに関して、私が最も重要視しているのはバルトークの演奏であるが、バルトークとの関係性は前記ブログにも書いたように非常に濃密である。それは単にハンガリーであるということと、その人脈によることと2つの意味がある。

バルトークの弦楽四重奏曲については、最近はごく普通に古典的な曲として扱われることが多くなり、かつてのような 「よくわからない曲」 といった視点は途絶えてしまったように思える。そしてCDとしてリリースされることも非常に多く、私は15~16種類くらいの演奏をすでに聴いていると思うが、そしてその比較について未だにできていないが、そんなことをしても無駄なのではないかと最近は思っている。なぜならバルトークもベートーヴェンと同じでどのグループの演奏の場合でもそんなに破綻がない。破綻がないというのは、私は楽譜がそれだけ完成されているから、というふうに解釈する。それほどにこのバルトークの6曲の弦楽四重奏曲は完成された曲であると思う。

最初に聴いたCDはアルバン・ベルクであり、これはしばらく私のスタンダードであったが、パレナンを聴くことによって全然異なる解釈があるのだということを識るようになった。その後、スタンダードはタカーチの新録となってしばらく固定していたが、次第に何でもいいのではないかというふうに崩れてゆく。それは今回のヴェーグをしみじみと聴いて、より強くなってくる感想なのである。

ヴェーグの録音は、結局1954年のモノラルのほうが評価が高いのだろうか、入手できるCDもモノラルばかりである。それはたとえばロバート・マンのジュリアードの場合もそうで、古い録音ほどバルトークというのは認知されていないから、そういう状況でバルトークを弾くというアグレッシヴさが演奏の表現として強く残るのではないのだろうか。
ヴェーグのバルトーク1954年録音のCDには、Music & Arts盤と《The Art of Vegh Quartet》というタイトルのScribendum盤があるが、前者もdigitally remasteredとあるので、おそらく同じ音源であると思う。

今回、ヴェーグの1954年の録音に比較する演奏として選んだのはエマーソン・ストリング・クァルテットの1988年のDG録音である。
演奏時間を見てみれば如実にわかるのだが、たとえばサンプリングとして第4番を選ぶと、ヴェーグの場合の演奏時間は楽章順では、6’17”、2’51”、5’22”、2’54”、5’36”である。対してエマーソンは5’38”、2’47”、5’12”、2’41”、5’05”であり、いずれもエマーソンのほうが速い。特に第1楽章 Allegro と第5楽章 Allegro molto の差が大きい。

速く弾いたほうがバルトークの刹那性というか切迫感が出てスリリングであり、だから極端にいえばどんどん速く速くというのがリスナーの気持ちの中にはあるのかもしれない。そしてその気持ちが反映されてスピードは増加する。
でもある時から、それは違うのではないかと思うようになった。絵画を見るときに適正な距離が存在するように、音楽にも適正な速度が存在していて、それは速くても遅くてもいけない。それは作曲家が指定している速度とは別物である。この第4番の場合、第1楽章は四分音符で110、第5楽章は152と指定されているが、それを厳密に守ればよいのかというとそうでもないような気がするのである。

第4番の第4楽章は Allegro pizzicato であり、これはいわゆるバルトーク・ピチカートを駆使した楽章である。静謐だがカドの立ったピチカートの楽章に続いて第5楽章が急速調で始まるのはエキサイティングであり、興奮度も高まる。エマーソンはまさにそうしたアーバンな雰囲気のある演奏であり、リスナーの希求するイメージに的確に応えている。
だがその結果、メカニックで斬新な無機質感が出るかわりに、マジャルな田舎の音は減少してしまうようにも聞こえる。ヴェーグはエマーソンに較べれば遅いのだが、刻まれるリズムの、その息のタメの中に何か得体の知れないものが垣間見える気がするのだ。

第5楽章の高音部と低音部の呼び交わしは一種のスウィング感のようにも思えて、しかしそれが終息し、156小節目から1stヴァイオリンがくぐもったように出現して来るところ、そこにもさらりとしたマジャルのデーモンが見える。それはヴェーグのほうが印象として強いのだ。
私はこの第4番の第5楽章の272小節目から、不意に民族音楽調なメロディが立ち上がってたちまち消滅していくところにこの曲のせつなさを聴くのだが、そしてそれは思い入れたっぷりでも、全然思い入れないのでもなく、気がついているのだけれど誰も気に留めていないふうを装うように弾いてもらいたいと思うのだ。それに関してはエマーソンもヴェーグも、曲の読み取りに関して真摯である。
ヴェーグの1972年録音はCDがなくYouTubeで聴いただけだが、第5楽章を較べると1954年より速度がやや速く、より現代風であることは確かだ。めりはりがあってわかりやすいが、それによって得られるものと失われるもの、どちらが優れているのかは簡単には判断しにくい。

1954年のヴェーグの音はモノラルだが、クリアで、60年以上の時を経ても鋭さを失わず、空虚な心にダイレクトに突き刺さる。


The Art of Végh Quartet (Scribendum)
The Art Of Vegh Quartet




Végh Quartet/Bartók: String Quartet No.4 (1954)
https://www.youtube.com/watch?v=lh3WfCSop2o

Végh Quartet/Bartók: String Quartet No.4, mov.5 (1972)
https://www.youtube.com/watch?v=KFzXMSmMM1c
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マクス・シュメリング・ハレのデヴィッド・ボウイ [音楽]

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David Bowie (Max-Schmeling-Halle, Berlin, 2002)

前記事でビートニクスのニュー・アルバムのことを書いていたとき、ニール・ヤングの〈I’ve Been Waiting For You〉を探していたら、デヴィッド・ボウイの同曲のカヴァーに行き当たった。「嵐のように曲が立つとき、それはオリジナルとは別の様相を見せる」 と、私は何となく抽象的に触れただけだったが、実はこのライヴに取り憑かれていたのである。
setlist.fmに拠れば2002年、この年、ボウイはアルバム《Heathen》をリリースした後、ツアーに出る。アメリカのツアーを経て、7月にモントルー・ジャズ・フェスティヴァル、そして9月にフランス、イギリスの音楽番組をこなし、下旬の9月22日にベルリンの多目的ホール、マクス・シュメリング・ハレで行われたコンサートの中の1曲が上記の〈I’ve Been Waiting For You〉である。

このライヴの映像がYouTubeにあって、それはまさに私にとって嵐のような衝撃的なライヴであった。このライヴの模様はドイツのTVで放映されたとのことだが、オフィシャルでのメディアは未発売である。そしてYouTubeの映像もコンサートの全部ではなく、抜粋といってよいのだが、それにもかかわらず2002年のボウイを克明に捉えている。
私はボウイの熱心なファンではないが、初期のアルバムは比較的聴いていて、しかし私にとってのエポック・メイキングなアルバムはベルリンでレコーディングされた《Low》(1977) であった。《Heathen》(2002) がリリースされたとき、胸騒ぎのような気持ちを感じて思わず買ってしまったのは、その同じベルリン、そして同じトニー・ヴィスコンティのプロデュースに、シン・ホワイト・デュークの幻影を見たのかもしれない。
だが今から振り返ると、《Heathen》を聴きながらもその本質が私にはわかっていなかった。

アルバムのレコーディングは2000年の10月から2002年1月までにかけてであるが、2001年に9・11があったことは、影響は無いといいながら微妙な影を落としているような気もする。それはたとえばローリー・アンダーソンの《Live at Town Hall New York City》(2002) ほどにあからさまではないにしても (このアルバムのことについてはすでに書いた→2012年04月18日ブログ。悲しいことに日本版のwikiにはローリー・アンダーソンの項目が存在しない)。

ベルリン・ライヴはその年のヒーザン・ツアーの一環として行われたものであるが、アルバムと違ってベースはゲイル・アン・ドロシーが弾き、アール・スリック、マーク・プラティ、ジェリー・レオナルドという3人のギタリストが参加している (プラティとレオナルドはアルバムにもその名前が見える)。
マクス・シュメリング・ハレはキャパが11900人とのことだが、映像では随分広い会場のように見える。そしてステージ上には、なぜか風が吹いていて、ボウイの髪をなびかせる。ベースとヴォーカルを担当しているゲイル・アン・ドロシーの坊主頭にスカートというキャラクターのインパクトが強烈だ。

動画はいきなり〈Cactus〉から始まってしまっているが、でもそんなことはどうでもいいのだ。コンサートそのものの内容がとても濃いし、最も強い刺激となるのは3人のギタリストの、時にノイジーになるハードなギターと、バンド全体を構築するcomplexitéを感じさせるサウンドである。〈I’ve Been Waiting For You〉から〈Heroes〉、そして〈Heathen〉と続いていくあたりで、もう鳥肌ものである。私にとってのロックはボウイなのだ、とあらためて確認する。
クルト・ヴァイルはドイツのステージだからというサーヴィスなのだろうが、曲後にダンケシェーンと挨拶し、そして〈Afraid〉へ。この動画におけるラストソングは〈Hallo Spaceboy〉だが、この混沌に突き落とされそうな、けれど冷徹に持続するボウイのコントロール力に《Heathen》当時の音楽の緻密さを感じる。
オフィシャルで発売して欲しいライヴ映像のひとつである。


David Bowie/Heathen (Sony Music Japan International)
ヒーザン




David Bowie/Live in Berlin 2002.09.22.
https://www.youtube.com/watch?v=KHtLbmDe2SA
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I’ve Been Waiting for You ― Beatniks《Exitentialist a Xie Xie》を聴く [音楽]

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The Beatniksのアルバム《Exitentialist a Xie Xie》のラストトラック、〈シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya〉は (曲名、長過ぎるゎ) ライヴ向きのキャッチーな曲で、早い話がポリスなのだが、YouTubeのライヴを見ると好々爺然とした鈴木慶一が、でも曲はジジィじゃないぜ、というふうに言ってるようで、まぁそうですよね、と思ってしまう。
アルバムの冒頭曲〈Crepuscular Rays〉は尖っているし。

ざっと聴いていくと、最初は地味かなと思うんだけど、だんだんと滋味あふれるというか、いやそれは形容としてちょっと違って、たとえば8曲目の〈Unfinished Love〉なんてあいかわらずの幸宏節で、音と音の隙間の一瞬の空白が心地よい。わざとアンティーク風なインストゥルメンタル。

 君の心のドア 無理に 開けたら
 創り付けの愛が ずっと あるよね

と歌った後に予定調和のようなチェロが入って来る。その後の曲〈Speckled Bandages〉への柔らかなつながりが、相変わらずの懐かしさのような翳りを見せて、そしてピコピコなイントロの上記の終曲に突入する。

でもYouTubeを探すと〈シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya〉ばかりが出て来て、後半のこうした佳曲の動画は見つからないのだ。そうやって見ているうちに、これ、確かNHKの番組だったようなYMOヴァージョンの〈Hello, Goodbye〉とか、探す曲からどんどんズレていってしまうのが面白い (のかもしれない)。そして本家の〈Hello, Goodbye〉を探すと、ダルいPVが出て来てちょっと笑う。

で、《Exitentialist a Xie Xie》に戻るわけですが、インストな冒頭曲に続いて、結構古風なギターを配して始まるニール・ヤングのカヴァー〈I’ve Been Waiting for You〉、このへんがビートニクスらしいともいえるし、新しい音と古い音がうまくミックスされているのが光る。

でもYouTubeには〈I’ve Been Waiting for You〉だったらデヴィッド・ボウイのライヴの動画があって、ベルリンの2002年のライヴは秀逸だ。嵐のように曲が立つとき、それはオリジナルとは別の様相を見せる。
でも最後は、元気なポリスもいいけどさ、スティングならやっぱり〈Shape Of My Heart〉とか、そうしたインティメイトな方向に還っていってしまう私のだらしなさを嗤う。つまりナタリー・ポートマンは、私の中では〈LEON〉のあの時ですべてが止まっているように思えてしまうのだ。


The Beatniks/ Exitentialist a Xie Xie (日本コロムビア)
EXITENTIALIST A XIE XIE




The Beatniks/シェー・シェー・シェー・DA・DA・DA・
Yeah・Yeah・Yeah・Ya・Ya・Ya
live 2017
https://www.youtube.com/watch?v=WitgRPRLHvo

YMO/Hello, Goodbye
live in Studio 2010
Yellow Magic Orchestra+Keigo Oyamada+Tomohiko Gondo
https://www.youtube.com/watch?v=a384_UTLgi0

The Beatles/Hello, Goodbye
https://www.youtube.com/watch?v=rblYSKz_VnI

David Bowie/I’ve Been Wainting for You
live 2002, Berlin
https://www.youtube.com/watch?v=uzEqZlMIf_U

Sting/Shape of My Heart
https://www.youtube.com/watch?v=ZuI61cTNbAk
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吹き抜く風のように ― GLIM SPANKY [音楽]

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乗り遅れてしまったから少しずつ取り返すしかない。でも、いつでも私は乗り遅れている、電車もバスも音楽も、全てのことについてことごとく。
ということで例によって乗り遅れてしまった GLIM SPANKY を少しずつ聴いている。こうした音楽の選択の場合、いつも指標としているのはSpeakeasyさんのブログですが、3年前から GLIM SPANKY をプッシュしているのはすごいなぁと思います。

〈吹き抜く風のように〉というタイトルは the brilliant green の〈長いため息のように〉を連想してしまうけれど、4つ打ちで始まる暗いイントロが曲のこれからを予感させる。歌詞の 「転がる石の様に 吹き抜く風の様に」 は 「Like a Rolling Stone」 と 「Browing in the Wind」 を示しているのだろうが、「飛行船が飛ぶビルの上」 は 「群青の空」 で、その美しさを歌いながら 「宗教や戦争」 とか 「生き様や価値観」 という生硬な言葉が混じる。
ブリグリは 「迷いに迷って 遠回りして たどり着く場所 そこで待っていて」 と歌ったが、グリムは 「見知らぬ場所に着いた 迷ってしまってもいいや」 と返答する。長い時を隔てたrépons.

〈Velvet Theater〉もそのタイトルからしてカッコイイ。ヴェルヴェットという言葉から連想するのはルー・リードのヴェルヴェット・アンダーグラウンドだったり、ディクスン・カーの『ビロードの悪魔』だったりするが、そこでも松尾レミは 「もうどうなったっていいや」 と歌う。「もう、いいや」 という投げやりな心を歌いながら、そのむこうに前向きな力が垣間見える。

SPICEの2016年の《話をしよう/時代のヒーロー》リリースの際のSPICEのインタヴューで、松尾は

 でも今回は……こういうフォーキーな感じとかって、本来GLIM
 SPANKYが一番最初に持っていた、得意な色なので。

と語る。「フォーキー」、そして 「得意な色」 という表現に納得する。だからサイケデリックでありながら、ボブ・ディランなのだ。

 序章は曇った空が似合うのさ
 飛んではしゃいでる真っ赤な亡霊
 瓦礫はサイレン飲み込み そっと砂の城を壊す

そこは幻の劇場かもしれなくて、そして最終バスに乗り遅れた彼女は 「もうどうなったっていいや」 と思う。バスは現実のバスでもありメタファーとしてのバスでもある。乗り遅れるのは私も同じだ。

リンクした2013年の〈Velvet Theater〉は、すでにしたたかだけれど初々しさも残っていて、松尾レミの雰囲気も、髪型や服装などがやや違って新鮮だ。今のリッケン/レスポールでなくて、テレキャス/ストラトであることから来るビジュアルもあるのかもしれない。


GLIM SPANKY/BIZARRE CARNIVAL (ユニバーサルミュージック)
BIZARRE CARNIVAL(通常盤)




GLIM SPANKY/Next One(ユニバーサルミュージック)
Next One(通常盤)




GLIM SPANKY/Velvet Theater
下北沢GARAGEライヴ 2013.08.29.
https://www.youtube.com/watch?v=K8Tr4yG5tXU

GLIM SPANKY/吹き抜く風のように
https://www.youtube.com/watch?v=lu44tUj8vWY

GLIM SPANKY/怒りをくれよ
六本木ヒルズ夏祭りライヴ 2016.08.08.
https://www.youtube.com/watch?v=noLvfB9Vo_w
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