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大和田俊之『アメリカ音楽の新しい地図』 [本]

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Taylor Swift

現在のアメリカ音楽はどのようなものであるか、そしてどのように聴かれていてどのように聴くべきであるかということについて、この本は幾つもの示唆に満ちている。
特にそのアメリカ市場で爆発的な発展を遂げたK-popのBTSについては、まず1992年のロス暴動の解説から書き起こされている (9 BTSと 「エイジアン・インヴェイジョン」)。

ロス暴動はアフリカ系と韓国系コミュニティーの確執という枠組みで報道されているが、韓国系の人たちがなぜアフリカ系に対してネガティヴなイメージを持っていたのかというとそれは韓国駐留軍の人種隔離制度を見ていて、アフリカ系への差別意識を持ってしまったのだというのだ。しかしこの解説も 「ある研究によれば」 とされていて、著者自身の意見として書かれているわけではない (あるいはそのように装われている)。
さらに、

 だが、ナンシー・アベルマンとジョン・リーが論じるように、ロス暴動
 を 「アフリカ系/韓国系の衝突」 というフレームワークに落とし込むこと
 こそ、マイノリティーの多様性を隠蔽する行為に他ならない。(p.180)

ともある。こうした記述はアメリカが多民族国家であることをあらためて認識させてくれる。

さて、そうした異民族間の反目がありながらも同時に影響を受けることも確かで 「1990年代初頭にアメリカから韓国に戻る 「逆移民」」 があって、そのような移民二世や三世が本場のブラックミュージックを韓国に持ち込んだのだという。(p.182)

そしてアジア系の音楽市場におけるイメージは 「ダンスが上手い」 こと、さらに言うのならグループによるダンス・パフォーマンスが優れているという評判であるのだそうだ。特にブレイクダンスというジャンルは、そもそも1970年代のブルース・リーによるカンフーの動きにインスパイアされたものだとの解説もされている。(p.185)

 韓国のアイドルグループがアメリカの音楽市場を開拓したのは、アジア
 系がダンス、とりわけ集団のダンスに秀でているというイメージがまさ
 に定着しつつある時期である。(p.185)

だからといってアジア系のイメージがすべてポジティヴなわけではもちろんない。ここで引用されているロバート・G・リーの『オリエンタルズ』は、アメリカ人のアジア系に対する視点を的確にあらわしている。

 アジア系アメリカ人はヴェトナム戦争でアメリカを敗北させた敵と同一
 視され、さらにアメリカ帝国主義崩壊のエージェントとして見られてい
 る。アメリカのイノセンスの喪失として語られるヴェトナム戦争の話は、
 国家崩壊のマスターナラティヴとして語られており、そこではポスト・
 フォーディズム時代の危機が侵略と裏切りの産物として定義されている。
 (p.190)

これをさらに補強する表現として、アジア系アメリカ人のステレオタイプは 「モデル・マイノリティー」 「黄禍 (yellow peril)」 「永遠の外国人 (perpetual foreigner)」 であるという。
もっともアメリカの保守派がアジア系の特質としてあげるのが勤勉、従順、家族の尊重であり、これは捏造され都合よく想像されたものだという注も付くが、旧来のアメリカ的価値観の回復には不可欠であるとも書かれている。
この保守的アメリカ人から見たアジア系の長所と短所が入り混じって矛盾した状態の心情がまさにアメリカの本音であり、アジア系に対する複雑な視点ともいえよう。

強くなければならないという規範が残るアメリカであったが、メンタルヘルスへの関心や人間の弱さや傷つきやすさと向き合う風潮が出てくるにつれて、男性主導の社会のあり方に根本的な批判の目が向けられるようになった。そのような男性主導社会は有害な男らしさ (toxic masculinity) として定義され、アメリカにおける男性的な価値観の暴落が生じた。そうした時代にまさにフィットするBTSのような、より中性的 (バイセクあるいはアセクシュアル) に見えるアジア系のアイドルの受容があったのだということなのだ。(p.192〜)。
前述のリーから 「オリエンタルは (男性も女性も) 「第三の性」として構築されたのだった」 との引用がある。(p.194)

こうしたアメリカにおける音楽の変遷と嗜好の流動を戦略的にうまくとらえ、その時流に乗ることができたのがBTSであるというふうに見ることもできるのだろう。
このようなアメリカのポップ・ミュージックに関する戦略を示しているのが冒頭のテイラー・スウィフトに関する部分である (1 テイラー・スウィフトとカントリーポップの政治学)。

テイラー・スウィフトはいわゆるカントリーミュージックをルーツとしていた歌手であるが、そのカントリーミュージックという呼称について興味深い記述がある。もともとヒルビリー、フォーク、ウェスタンミュージックなどと分類されていた音楽がカントリーミュージックとして統一されたのは第2次世界大戦後なのだという。その中心地はテネシー州ナッシュヴィルであり、このカントリーミュージックが1950年代にロックンロールの影響を受け、その影響のひとつとしてサブジャンルであるナッシュヴィル・サウンド (洗練されたカントリーミュージック) が生まれ、さらにそれがカントリーポップとして人口に膾炙され一般的に認知されるようになったのであり、それがテイラー・スウィフトの立ち位置であったのだという。(p.014〜)

正統的なカントリーミュージックとは男性主導の音楽であり、女性は周縁的イメージしか与えられない。そして当然、地方の白人コミュニティーが支持基盤であるから共和党との相性がよい。それならば共和党コミュニティーに取り入るのがセールスを伸ばすための方法論であるし、共和党支持を訴えるのがよいのではないかと単純に考えたのでは割り切れない事情があるのだという (p.014&016)。まさにそこが政治学たる所以なのである。

大和田によればテイラー・スウィフトの〈私たちは絶対に絶対にヨリを戻したりしない (We Are Never Ever Getting Back Together)〉には都会用ミックス (インターナショナルミックス) とカントリーミックスがあり、都会用ミックスでシンセが用いられているのに対し、カントリーミックスではマンドリンやフィドルなどのアコースティク楽器に差し替えられているというのだ。ヴォーカルは同じ音源を使っているので同じように聞こえるのだが、同じ曲を聴いているように見えて、実はその地域により異なった曲が流れているのだというのだ。非常に卑近な例でいえば、カップラーメンに関東版と関西版があるのに似ている。
これは都会でも地方でもファンを取り込もうとする戦略であり、より政治的にいえば民主党も共和党も取り込みたいというテイラー・スタッフの意識のあらわれなのである。だからテイラー・スウィフトは自分がどちらの政党を支持するかという発言を慎重に避けてきたというのだ。

だがそれよりも面白いのは、この曲は別れた元カレ・ジェイクに対する恨み節の歌なのであるが、その歌詞の中に次のような部分がある。

 あなたは私の音楽よりよっぽどカッコいいインディーミュージックを聴
 きながら自分の世界に閉じこもっていたわよね (p.021)

元の英詞は次のようである。

 And you would hide away and find your peace of mind
 With some indie record that’s much cooler than mine

この歌詞をストレートに読めば、自分の音楽はインディーミュージックより古くてカッコ悪いと卑下しているような口ぶりなのだが、ここに対する大和田の解釈は、

 つまり、テイラーはここでポップス/インディーミュージックという対
 立項を提示し、自身が体現するポップスに対してジェイクが好んで聴く
 インディーミュージックの 「趣味の良さ」 を自虐的に持ち上げながら、
 この楽曲の圧倒的な 「ポップス」 の魅力で大ヒットを達成し、ジェイク・
 ジレンホール的なサブカル趣味を文字通り捩じ伏せている。だがそれ以
 上に重要なのは、ここでテイラーが 「インディーミュージック」 の対立
 項として 「ポップス」 を設定し、自ら後者側に身を置くことで、カント
 リーミュージックというサブジャンルからメインストリームの音楽シー
 ンへと活躍の場を移そうとしていた彼女にとって、それは非常に効果的
 なイメージ操作といえるだろう。(p.021)

こうしたことは彼女が出自であるカントリーミュージックというイメージを上手に消去して、一般的なポップス歌手として振る舞おうとする思惑である。わざわざナッシュヴィルに行ってカントリーミュージックというフィールドから立ち上がりながら、ここに来てそれを 「田舎っぽい」 「ダサい」 と認識し、巧妙に廃棄したのに等しい。

もはやポップスの王道であるテイラー・スウィフトはともかくとして、コンテンポラリーなアメリカ音楽の情勢が詳しく解説されていてあらたな知識を得ることのできた本であった。ところがそうした新しい音楽としてリストアップされている曲や、昨年のベストとして選ばれている曲などを聴いても残念ながら全く感動できなかった。これは私の感性が古いのか、それとも嗜好が異なるのか、おそらくその両方だとも思うのだが、むしろそれこそが現代アメリカの乾いた感性を現していて、アメリカの現況を冷静に開示しているというふうに考えられなくもないのだ。

Newsweek日本版の02月02日の記事に大江千里の 「ニューヨークの音が聴こえる」 というコラムがある。タイトルは 「BTSとJ-POPの差はここにある——大江千里が 「J-POPが世界でヒットする時代は必ず訪れる」と語る訳」 となっていて、K-popは 「生き残りを懸けて戦うというか、自国を背負う感覚で音楽をやっている。デビュー時には既にダンスも歌もクオリティーが高く、顔のお直しも完了している」 のに対して、「一方の日本は、宝塚に代表されるようにファンと一緒に成長する過程を楽しむ独特のスタイルだ。少しぐらい 「へたうま」 のほうがファンには応援しがいがある」 と書き、「クオリティーの高いJ-POPは 「売り上げ、売り込み、国を背負い」 ではないが、いい曲は必ずヒットする」 と結んでいる。

たぶん、K-popやヒップホップ関連の過剰な 「やってやる感」 が私の感覚には合わないのだと思う。強く張り過ぎた弦は良い音で鳴るが切れやすい。過剰なテンションの音楽を私はもうそんなに欲していないのかもしれない。


大和田俊之/アメリカ音楽の新しい地図 (筑摩書房)
アメリカ音楽の新しい地図 (単行本)




Taylor Swift/We Are Never Ever Getting Back Together
https://www.youtube.com/watch?v=WA4iX5D9Z64

大江千里 ニューヨークの音が聴こえる 2022年02月02日
https://www.newsweekjapan.jp/ooe/2022/02/btsj-popj-pop.php
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