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エボニー&アイボリー — マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』 [本]

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(L to R) Charlie Barnett, Tommy Dorsey, Benny Goodman,
Louis Armstrong, Lionel Hampton
(jazzinphoto.wordpress.comより)

久しぶりにスリリングな本を読んだ。
それはマイク・モラスキーの『戦後日本のジャズ文化』という本である。2005年に青土社から出されたが、今年、岩波現代文庫から復刊されたのを読んでの感想である。

モラスキーは1956年アメリカのセントルイス生まれで現在早稲田大学教授、この本は彼が日本語で書いた最初の本とのことである。タイトルにあるようにジャズの話が中心とはなっているが、音楽的に特化したものではなく、むしろ文化論であり、アメリカと日本のジャズとの対比ということから捉えるのならば比較文化的な面も見られる。
「日本の居酒屋の大ファンであり、赤提灯をテーマにしたエッセイも執筆している」 とのことだが、英語ネイティヴでありながら、かつ日本語もこんなに上手いなんて……。同著でモラスキーはサントリー学芸賞を受賞した。

まえがきにおけるアメリカと日本のジャズ評論の姿勢の違いということに、まずどっきりさせられる。アメリカにおけるそれは白と黒の二項対立であり、つまり白人対黒人という面からジャズは何かというふうに考えるのに対し、日本人は白でも黒でもないから、その二項対立に与し得ないということである。それは 「日本人ははたして「本物」 のジャズが演奏できるのか?」 という日本人ミュージシャンの悩みであり、モラスキーはE・テイラー・アトキンズという人の指摘を援用し、それをauthenticity (本質論主義) と形容する (p.397)。そのいわゆるコンプレックスが日本人ジャズの根本にある、とする論理なのである。

そしてもうひとつ、人種に対する問題意識は日本人自身は直接関与することではないけれど、そこそこに理解しているのとは対照的に、著しく欠如しているのがジェンダーだとする。なぜならジャズ・ミュージシャンを形容する言葉としての 「ジャズメン」 という言葉は、あきらかに男性優位の表現であり、実際にジャズ・ミュージシャンは圧倒的に男性が多いにせよ、一時期に隆盛を極めたジャズ喫茶にしても、全ては男性主体な接客法が常道であったのだという。にもかかわらず、では今までの日本人ジャズ・ミュージシャンのなかで最も世界的に影響力が大きかったのは誰かといえば、それは穐吉敏子 (秋吉敏子) であるとするのだ (p.vi)。
モラスキーはそう断言しているが、私も全くその通りだと思う。つまり穐吉は、アメリカ人でないという障壁と、男性でないという障壁を乗り越えて、自分の音楽をアメリカ人に納得させたおそろしくアグレッシヴなミュージシャンなのである (穐吉については以前、簡単に書いた→2012年02月17日ブログ)。

まず、アメリカにおける白人対黒人という対比において挙げられるのが、スウィングとビバップである。スウィング・ジャズはダンス・ミュージックがその母体であり、アメリカ民主主義の象徴であるが、対するビバップは踊ることを拒否する 「通」 向けのアンダーグラウンド音楽であるとする (p.2)。
モラスキーは日本におけるジャズの黄金期、全盛期は3回あったという。昭和初期のダンスホール時代、戦後すぐの大衆向けのダンス・ミュージックとして、そして1960年から70年代前半にかけての大学生中心のモダンジャズ全盛期の3回である (p.393)。

 「東京行進曲」 の出現と同年には、本郷赤門前の〈ブラックバード〉と新
 橋の〈デュエット〉という日本初と思われるジャズ喫茶が生まれ、一二
 月から川端康成の 「浅草紅団」 が東京朝日新聞の夕刊に掲載され始めた
 ことを考えると、日本で最初の〈ジャズブーム〉は一九二九年に始まっ
 たといってもよいだろう。(p.6)

スウィングは一世を風靡したがその音楽のスター楽器はクラリネットであった。時代を担ったひとりであるベニー・グッドマンは貧しいユダヤ系の生まれであり、幼くしてプロとなった。そのため、ああした音楽は下品だとするエリートからの冷たい目も当然あったのだと思う。
しかしグッドマンは偏見にもめげず、まだ人種差別が強い頃にもかかわらず、メンバーに黒人を採用した。1938年の有名なカーネギーホール・コンサートは、クラシック音楽の殿堂であるカーネギーホールで、しかも白人のミュージシャンと黒人のミュージシャンが混淆して演奏するという画期的なコンサートだったのだ。それはそれまで、あり得ないことだったのである。
バルトークの書いたクラリネット、ヴァイオリン、ピアノのトリオによる《コントラスツ》(1938) は、グッドマンとヨゼフ・シゲティに献呈された。3人の演奏による録音も残されている。

グッドマンが成功してから製作された《ベニイ・グッドマン物語》(1956) という伝記映画があって、「あんな甘っちょろい映画」 と酷評するのを読んだことがあるが、甘っちょろいのはこうした映画の常である。それよりもそこに至る道程がどれだけ困難だったかを考える必要がある。

戦前の、モラスキーが分類する日本におけるジャズの最初の黄金期には、上海におけるジャズシーンも含まれる。それは斎藤憐の《上海バンスキング》にも描かれたスウィングの時代であった (上海バンスキングについては→2017年02月06日ブログ)。

(つづく→2017年08月10日ブログ)


マイク・モラスキー/戦後日本のジャズ文化 (岩波書店)
戦後日本のジャズ文化――映画・文学・アングラ (岩波現代文庫)




マイク・モラスキーwebsite
http://www.molasky.jp

The Benny Goodman Quartet: I Got Rhythm (1959)
https://www.youtube.com/watch?v=NTKOgTk2gGE

Benny Goodman and His Orchestra: Sing Sing Sing (1957)
https://www.youtube.com/watch?v=YsVJuulCmAE

江弘毅×マイク・モラスキー 江弘毅の言いっ放し五都巡業
まさかの追加講演! 「東西呑み比べ文化論」
https://www.youtube.com/watch?v=MnyOqiQw3RA&t=31s
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