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消え去る音と記録される音 ― マイク・モラスキー『戦後日本のジャズ文化』その2 [本]

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John and Alice Coltrane (December 1964)

前回の記事 (→2017年08月07日ブログ) の続きである。

マイク・モラスキーがジャズという音楽に対して持った強いこだわりとは、簡単なテーマのコード・プログレッションに沿ってそれをインプロヴァイズするのが通常見られるパターンであるが、その一期一会的な、二度と再現不可能な演奏が成立したときがジャズの醍醐味だというのだ。
音楽とはエリック・ドルフィーが言ったように、本来なら空中に消え去ってしまうものであり、それを録音によって繰り返し再生することは、それもジャズの記録として貴重なものであるにせよ、ジャズの精神本来のものではないとするのである。

そのため、有名なミュージシャンによって録音された演奏を繰り返し聴くよりも、たとえ無名のミュージシャンの演奏であっても、生の音を聴く、その場に立ち会うということが重要だというのである。

 ジャズは即興演奏と自発的グループプレイとミュージシャンひとりひと
 りの創造性を重視する音楽である以上、やはり世界各地での、⦅録音さ
 れなかった⦆無数のライブ演奏の存在がジャズを理解するのに不可欠だ
 と思う。また、同じライブ演奏のなかでも、コンサートホールや野外で
 行われる大きなジャズ祭よりも、ミュージシャンと聴衆が身近に接触で
 きる、こぢんまりしたクラブでの演奏のほうが〈ジャズ〉という音楽の
 最適の場である、というのが、私の長年のミュージシャンおよびファン
 としての結論である。(p.viii)[⦅二重カッコ内⦆は傍点あり。以下同]

こうした認識は即興を主とするジャズに限らない。厳密な楽譜の存在するクラシックにも、もちろんポピュラー音楽全般にも同様に言えることである。著名なオーケストラの演奏をどんな高級なオーディオ装置で聴くのよりも、それが地方のあまり有名でないオーケストラだとしても、生で聴く演奏のほうが音楽としての感興は大きいと私も思うのである。
そう言いながら、滅多にコンサートにも、ライヴハウスにも、映画館にも行かない私なのであるが、でもたぶん100枚のCDよりもたった1回のコンサートのほうが、心に刻まれる記憶は強いはずである。

しかし、ジャズは即興にあるといいながらも、全く無からのインプロヴァイズがあり得ないことはモラスキーも指摘している。何らかのオハコとするパターンがあり、決まったクリシェがあり、そうしたパーツの集積がアドリブ・ブレーズとなる。
キース・ジャレットが、そのソロ・コンサートでは何もないところから音が作られるというようなことを語っていたことがあるが、それは言葉のアヤであり、端的に言えばウソである。同様な分析法として、もしヒマな人が試みようとすれば、セシル・テイラーの手クセがどのかたちか、どのような頻度で、どういう状況で出現するのか、解析することは可能だろう。それはセシル・テイラーでもチャーリー・パーカーでも同じなのだ。ただ、その瞬発性とその時々に生起する他ミュージシャンのアクションに対する多様な対応がアドリブなのである。
ライヴではそうしたアドリブが、聴衆にインスパイアされて思いもよらない方向に行くことがあり、つまり演奏者対聴衆という関係性が大事であることをモラスキーはいう。

そうしたモラスキーのスタンスから、往事のジャズ喫茶と呼ばれるオーディオ再生に特化されたジャズの聴き方に辛辣な意見が出てきてしまうのは当然である。もちろんそうした店がある程度のエヴァンジェリスト的な役目を果たした功績は大きいかもしれないが、偏狭に堕した結果、それが衰退する根拠ともなり得たのだろう。

エクハート・デルシュミットという日本研究者の戦後ジャズ喫茶論の紹介があるのだが、その分類によると、1950年代:School、1960年代:Temple、1970年代:Supermarket、1980年代:Museumというのである。
1950年代はまだレコードも稀少であり知識も乏しく、ジャズ喫茶店主の選曲によって学ぶ時代であった。しかし60年代はそれが進み、ジャズ喫茶は神聖で沈黙が支配する宗教性を帯び、禁欲的、求道的な場所となる。ところが70年代になるとフュージョンによる軽さ (むしろ軽薄さ?) により傾向はがらっと変わり、そして80年代はもはや博物館的な古典に変貌していく、というストーリーなのだ。あまりにシニカル過ぎる形容だろうか。

日本における当時のジャズ喫茶は、音を黙して聴くということが大前提であり、会話することとか、他のことをしながら聴く 「ながら聴き」 などもってのほか、という雰囲気があったのだとモラスキーは言う。それを儀式とフェティッシュの場であるジャズ喫茶と彼は形容する。

 ジャズ喫茶は、〈レコード〉という無限に再生可能な〈物〉を中心とす
 る空間であり、同じ場所で定期的に同じ演奏を (リクエストすれば) 何
 度も聴けるという意味で、まさに〈儀式〉の論理を実現する場でもある
 といえよう。ここでいう〈儀式〉とは、すなわち、ある集団がある場で、
 共同体験の⦅反復⦆によって、時空的制限を超越し、〈過去〉(ジャズ史)
 や〈死者〉(死んだジャズ・ミュージシャン) や〈神〉(マイルスやコルト
 レーンなど、最も英雄視されているジャズメン) との連帯感を味わうこ
 とを意味するのである。(p.221)

レコードによる再生芸術か、それとも生演奏かという対立について、モラスキーは五木寛之の見方を評価している。モラスキーによれば、五木寛之はそんなにジャズの知識は豊富ではなかったという。しかし音楽の捉え方として直感的に生演奏の重要性を把握していた、とするのだ。

 五木は録音された音楽というのはジャズ本来の姿ではない、と見なして
 いるようである。レコードは、聴衆を一種の〈参加者〉から単なる〈傍
 観者〉に、強いて言えば一人の〈共演者〉から〈消費者〉に置き換える
 機能を果たす傾向があるのではないか。(p.119)

音楽とは原初的にコール&レスポンスなものであり、それはブルースの発祥とかゴスペルに通じるものなのであって、プレイヤーとリスナーとの垣根はずっと低いとするのだ。たとえば武満徹がガムランに興味を示したのもそうした感性に通じる。
しかし、当時のジャズ喫茶はそうした音楽の喜びとは対極的な対話を排する内閉的な傾向になっていった。そしてまた、彼らはクラシック音楽などのコンサートホールでの気取った振舞いの聴衆をスノッブであるとバカにするような傾向があったが、では自分たちはどうだったのか? そうした沈黙を強制させるような厳しい抑制は一種のファシズムなのではないか、とまでモラスキーは言うのである。

したがって、当時のフリージャズ全盛の頃の聴き方が果たしてどのような必然性で出て来たのかということを改めて考え直さなければならないのかもしれない、という論理も成り立つのである。フリージャズは当時の学生運動と連携して、一種のカリスマ性を獲得したが、それは時代の流れとともに色褪せる。その結果、出現したのが反動としてのフュージョンであったというふうに読み取れる。

 ジャズ界内外からもモダン・ジャズ、とくに六〇年代半ばから日本で注
 目を集めたフリージャズは、〈革新派の音楽〉として認識されるように
 なった。ところが、一九七〇年代初期を過ぎた頃から、学生運動の挫折
 と入れ替わる、軽いフュージョン系のジャズが流行りはじめるにつれて、
 このイメージが脱落する傾向も見られ、一九八〇年代では、ジャズの
 「政治性」 がほとんど話題にならなくなったといえる。(p.148)

モラスキーは、コルトレーンがフリーへと没入していったのは、政治状況への反応やイデオロギー的主張ではなく、また単なる音楽的な冒険でもなく、彼本来が持っていた宗教的意味合いが深いと分析する。それは曲のタイトルの宗教性にもあらわれており、たとえば〈Ascention〉も音楽的な上昇を目指し、次の次元にいくという意味よりは、もっと純粋に、キリストの昇天という意味のAscentionなのではないか、というのだ。(p.162)

とすれば、コルトレーンの死後に出された《Cosmic Music》(1968) というアルバムの中の〈Manifestation〉というバリバリにフリーな曲も、邦題は〈顕示〉とされていたがそうではなく、「霊の出現」 というような宗教的な意味であると考えるべきなのだろう。まして、最近流行のマニフェストという陳腐な言葉とは何の関連性もない。

とすれば、日本特有のジャズ喫茶という形態は時代状況にコミットしたかたちでのシステムであったとも言えるのだ。前述したデルシュミットの70年代に対する形容がTempleであったのが笑いを誘う。決してChurchではなくTempleなのは、それが日本的にローカライズされている現象であることを意味している。

(つづく→2017年08月12日ブログ)


John Coltrane/Ascention (Verve)
Ascension: Editions I & II (Reis) (Rstr)




John Coltrane/Cosmic Music (Impulse Records)
Cosmic Music




John Coltrane Quartet/Impressions
https://www.youtube.com/watch?v=03juO5oS2gg

John Coltrane/Manifestation
https://www.youtube.com/watch?v=xJXJmXf1f6M
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