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エリック・ドルフィー《Out to Lunch》 [音楽]

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Eric Dolphy, Copenhagen 1961 (npr.orgより)

エリック・ドルフィー (1928-1964) の《Out to Lunch》は彼のセッション・アルバムの中で最も整合性があり、完成度の高い録音だと思われる。思われるなどと曖昧な言い方をしないで、録音である、と断定してしまっても差し支えない。その《Out to Lunch》を2019年2月13日に発売された最も新しい国内盤で聴いているのだが、+2のalt takeさえ実は初めて聴いたのである。

ドルフィーのFM盤《Conversations》とDuglas盤《Iron Man》にプラスアルファしたResonance盤《Musical Prophet: The Expanded 1963 New York Studio Sessions》が発売されてから随分経ってしまって、いまだにそれについてなかなか書くことができないのだが、このセッションの基本は1963年7月1日と3日の録音であり、さらに1964年3月2日の〈A Personal Statement〉のalt takeが収められているというのが目玉である。
Jazzdisco.orgのディスコグラフィに拠れば、同曲は〈Jim Crow (aka A personal Statement)〉と表記されていて、March 1 or 2, 1964となっているが、《Musical Prophet》で3月2日と確定されているのならそうなのだろう。つまり《Out to Lunch》より数日後の録音ということである。

なぜResonance盤などのプロモーションが《Out to Lunch》にこだわるのかといえば、それ以前におけるドルフィー名義の、つまりリーダー・アルバムはこのResonance盤の基本になっている《Conversations》と《Iron Man》なのであり、そこから《Out to Lunch》(1964年2月25日) まではすべてサイドメンとしての録音しかないのだ。そしてその後のリーダー・アルバムといえば1964年6月2日の《Last Date》なのである (正確にいえばその1日前の6月1日にCafe De Kroon, Eindhoven, Netherlandsでの〈Epistrophy〉が1曲だけある)。ドルフィーの録音歴のなかで際だって重要であるアルバムからこそ《Out to Lunch》の名称が繰り返し使われるのだろうと思われる。
リーダー・アルバムがどうして重要かというと、はっきり言ってしまうとたとえばコルトレーン・グループにおけるドルフィーはあくまでもコルトレーンを引き立てるための役割でしかない。コルトレーンとドルフィーのコンセプトはかなり異なる。ただドルフィーは合わせるのが上手いから合わせているだけで、私はコルトレーン・グループでのドルフィーは 「所詮、お手伝い」 というふうにしか聞こえないのである。

さて、今回の国内盤はライナーノーツの翻訳が載っているのだが、正直言ってライナーノーツなんてそんなに真面目に読んでいなかったということを思い知らされた。いや、読んでいたのかもしれないが、ともするとライナーノーツなんて、ありきたりなことしか書いていないからという先入観だけで読み飛ばしていたのかもしれない。
A. B. Spellmanのライナーに拠れば、ドルフィーはオーネット・コールマン的な反逆のミュージシャンとして認識されていて、

 いわく彼は無用の繰り返しが多く、大げさで、美しいメロディを持たず、
 頑迷なほど抽象的である。(行方均・訳 以下同)

と非難されていたというのだ。もうボロボロで言われたい放題であるが当時のミュージック・シーンだとそんなものだったのだろう。

《Out to Lunch》というアルバムの特徴はピアノレスであって、その代わりにヴァイブのボビー・ハッチャーソンが入っている。このヴァイブの音がこのアルバムの全体的なテイストを決定づけているといっても過言ではない。
ドルフィーはハッチャーソンのヴァイブについて 「ピアノより自由で解放的なサウンド」 であると言っているが、つまりピアノによる和音が、音楽をスクエアにしてしまうという意味あいがあったのではないかと感じる。
普通ならあるはずの楽器が無いという組み合わせを考えると、たとえば山下洋輔はずっとピアノ、サックス、ドラムというベースレスでトリオを形成していた。これはおそらくベースによるリズムの支えみたいなものが重く感じられたからではないかというふうに類推する。また昔のピアノトリオは、ピアノ、ギター、ベースというようなドラムレスのことがあったが、それもドラムによるリズムのきっちりとしたキープが邪魔だったのかもしれない。ビル・エヴァンスとジム・ホールのデュオはその考え方の延長線上にあるように思う。

ある程度の和音を発生させるがでもピアノとは異なる、というふうにハッチャーソンのヴァイブを位置付けた場合、このリズムセクション、つまりリチャード・デイヴィスとトニー・ウィリアムスという3人は非常に強力である。
トニー・ウィリアムスのプレイに対するドルフィーの形容で注目すべきなのは、タイムとパルスという対比である。

 「トニーは拍子 [タイム] を刻むのではなく、波動 [パルス] を送る」
 ”Tony doesn’t play time, he plays pulse.”

さらにタイトル・チューンである〈Out to Lunch〉についてはさらに詳しくこの概念が語られている。

 「彼は拍子 [タイム] を刻まず演奏している。たとえリズム隊が拍子を放
 棄しても、根本的な波動 [パルス] が曲の内部から訪れる。この波動こ
 そミュージシャンが演奏すべきものだ」
 “He doesn’t play time, he plays. Even though the rhythm section
 breaks time up, there’s a basic pulse coming from inside the tune.
 That’s the pulse the musicians have to play.”

ドルフィーはタイムとパルスとは異なるというふうに考えているのだ。タイムはキープするものだが、パルスは音楽に本来から内在されているもので、それをかたちづけるのがドラマーの役目である、と言いたげである。
この表現はブログの前記事に書いたモートン・フェルドマンのmeterとrhythmの概念によく似ている。フェルドマンはリズムでなくメーターだと言っていたが、使っている単語こそ異なっているが、「拍動」 (と、わざと異なった単語を使ってみるのだが) は作り出すものでなく、音、というか生成された音楽に本来備わっているものなのだということを言いたいのではないだろうか。

さて《Out to Lunch》の+2のalt takeなのだが、追加されているのは〈Hat and Beard〉と〈Something Sweet, Something Tender〉である。Jazzdiscoを見ると〈Hat and Beard〉は1310 tk.10、〈Something Sweet, Something Tender〉は1311 tk.12となっていて、最後の〈Straight Up And Down〉が1313 tk.21と表記されている。このtkという記号の後の数字はおそらくその日のトータルなテイク数で、つまり21プラスアルファの演奏をしたのだと思われる。その中で選ばれたのがマスターテイクであって、それぞれのテイク数に関しては不明である。
聴き較べてみるとマスターテイクのほうが当然良い演奏であるが、alt takeは少し攻め気味のアプローチであって、滑らかさが不足して棘があるように聞こえる部分がかえって新鮮で、各テイクのレヴェルの高さが感じられる。〈Hat and Beard〉のalt takeは1’17”あたりでドルフィーが一瞬出てしまうのがキズだと解釈されているのだろうが、それ以降のソロはマスターテイクよりもチャレンジングな印象を受ける。ドルフィーがソロに入った直後のトニー・ウィリアムスの反応もスリリングだ。テイク数がこれだけあるのだから (最小で21テイクだとして、5曲あるから各曲平均して4テイクはあるはず)、できれば全てのテイクが聴きたいくらいのクォリティである。ブルーノートならマスターは残っているのではないかと思う。コンプリート盤の需要はきっとあるはずだ。

このアルバムがリリースされたのは1964年8月であったが、そのときすでにドルフィーはこの世にいなかったのだと解説にある。だが製造過程で間に合わなかったのか、ライナーノーツにそのことは何も記されていない。


Eric Dolphy/Out to Lunch! (ユニバーサル ミュージック)
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www.amazon.co.jp/dp/B07KZG7DQB/

Eric Dolphy/Hat and Beard
https://www.youtube.com/watch?v=7tnPkQufnZY
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《For Bunita Marcus》について [音楽]

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Morton Feldman, 1963 (npr.orgより)

フェルドマンの《For Bunita Marcus》をマルカンドレ・アムランが弾いたディスク。そう来たか、とは思ったのだが、そもそも何が来たのかといわれると答えることができない。それでいろいろと理由をつけて引き伸ばしていた。聴き較べてみようと思うのだけれどリープナーのCDが手に入らないから、とかいうのももっともらしい言い訳のひとつで、つまりフェルドマンは、とくにこの時期の《For Bunita Marcus》や《Triadic Memories》は誰が弾いても同じようでもあり、全てが違うようにも聞こえる。フェルドマンの作品のなかでこの曲は人気曲であるからCDも多く、全部を聴こうとするのは無理になりつつある。
それでとりあえずメモのようにして書いてしまうのだが、これはブログ記事として成立する以前の、私の単なる覚え書きでありヒントに過ぎない。

フェルドマンの作品は作曲者の力が非常に強く作用していて、その呪縛から逃れることができないようにも聞こえる。演奏者が解釈して自分の曲とすることができない。作曲者の下僕としてこき使われるしかないようにも思える。

試みにネットを検索すると、たとえばtheguardian.comにアムラン盤発売当時のCDレヴューがあって、その最後は、

 As Hamelin shows, the empty spaces in Feldman’s piano writing
 are as important as the pitches themselves.

と締めくくられているのだが、the empty spacesという表現はさておき (これは休符の部分が単なる休みではないことをさしているのだと思う)、いまさらそんなこと言われても、という気がするし、そもそもフェルドマンに対しての評価は沈黙の美とか音価の重要性とか、どうしてもそういうステロタイプな表現に終始してしまって、でもそれはフェルドマンのほとんどの作品に共通して使えてしまう表現なのだと思う。

godrec.comというサイトの記事に、Lenio Liatsouというピアニストの弾いたアルバム《For Bunita Marcus》のライナーノーツ (Sebastian Claren) からの抜粋があって、ここにフェルドマンが自作について語ったと思われる引用がある。孫引きになってしまうのだが、

 I was very interested in this whole problem of meter and the bar
 line. I was so interested that I started to write a piece in which I
 took meter very seriously. I saw that nobody knew how to notate.
 Sometimes, Stravinsky! In my notation I'm close to Stravinsky;
 that is, meter and rhythm actually being simultaneous and also
 being more grid-oriented, a balance between rhythm and meter.

とある。
ここでポイントとなっているのはmeterとbar lineという言葉である。meterは長さの単位であるメートルだが、音楽では拍子をあらわす。英語でmeter、ドイツ語のTaktである。
bar lineは小節線 (小節を分けるために使われる縦線) だが、ストラヴィンスキー云々というのは、wikiの 「bar (music)」 の項を見ると、小節線はアクセント以上のものであるというようなことを言っているので、こうした発言を踏まえたものなのだと類推する。

 Igor Stravinsky said of bar lines:

 The bar line is much, much more than a mere accent, and I don't
 believe that it can be simulated by an accent, at least not in my
 music.

フェルドマンはmeterとrhythmは同じであるといいながら、リズムと拍子の間のバランスだとも言うのだが、グリッド指向 (grid-oriented) という意味がよくわからない。つまりmeterとrhythmは彼の思考のなかでは重なっている部分はあるけれど異なる概念なのであるのだと思う。

アムランの演奏はやはり緻密で安定していて、聴いていてとても心地よい。だがフェルドマンは淡々としているようで、これは繰り返し書いていることだが全然淡々とはしていない。それは可視部分に見えて来ないだけのことなのである。ひとつの音への固執がtr27で突然変わるが、それは変わる契機であり、tr28では異なる兄弟のようなパターンが生み出される。これは静かに見せている躍動であるのだが、逆にいうとこういうふうに鮮やかに印象づけてしまうのが (というように私には聞こえた) 果たしてフェルドマンの意図なのか、それとも読み違いなのかは不明である。訊ねようとしてもフェルドマンはすでにいないからだ。いないのだからベートーヴェンに対する解釈と同じように、どのように解釈することだってできるとも考えられるのでもあるが。
CDショップの解説などを読むと、アンビエントとかニューエイジ・ミュージック (という言葉がまだ存在することに驚くのだが) ファンにも是非、というような惹句があったりするが、全然わかっていない。でも同様に、どのように聴いても自由なのだといわれたら返す言葉もない。

アムランはCDのパンフレットで次のように書いている。

 Note from the performer: this album should be listened to at a
 much lower level than usual . . .

アムランがそう言っているのだから、あえて大音量で聴いてやろうとするリスナーがいたっていい、とも思うのである。


Marc-andré Hamelin/Feldman: For Bunita Marcus (hyperion)
Feldman: for Bunita Marcus




Marc-andré Hamelin/Feldman: For Bunita Marcus PV
https://www.youtube.com/watch?v=wSEe_-doOeM

Stephen Drury/Feldman: For Bunita Marcus (全曲)
https://www.youtube.com/watch?v=BCl-bet_QIo
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流れよ我が涙 ― スティングの歌うダウランド [音楽]

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(R to L) Sting and Edin Karamazov

近くに中古レコードショップが開店して、アナログ盤が主なのだがCDも扱っている。その中にスティングの《Songs from the Labyrinth》というのを見つけた。シンプルなジャケットで、ダウランドの歌曲集。このアルバムを私は知らなかったのだが、かなり有名なアルバムで何度も再発されているらしい。レーベルはドイツ・グラモフォンである。スティングの歌唱とリュート奏者エディン・カラマーゾフの2人で演奏されている作品で、スティングも2曲ほどアーチリュートを弾いている。

ジョン・ダウランド (John Dowland, 1563-1626) はルネッサンス期のイングランドの作曲家である。使用楽器はリュートであり、歌曲とリュート曲がある。スティングの見解では 「シンガーソングライターの走り」 とのこと。スティングがダウランドと巡り合い、それを歌うことになるまでの紆余曲折の話が面白いのだがあまりに長くなるので触れない。
収録曲はダウランドの曲の中に、1曲だけロバート・ジョンソンの作品が入っている。ロバート・ジョンソンといってもダウランドと同時期の作曲家であり、デルタ・ブルースの人ではない。ロバートの父、ジョン・ジョンソンは王室おかかえのリュート奏者であり、彼の死後、当時大変な人気のあったダウランドはその後任を狙ったが諸事情により果たせなかった。つまりダウランドにとっては複雑な感情を持っていた人のはずで、それを知りながら1曲だけ入れたスティングの選曲の妙が光る。ちなみに作詞はベン・ジョンソンという人だがこれもジャマイカ出身のランナーではない。

ダウランドの最も有名な曲は、そのロバート・ジョンソンの〈Have you seen the bright lily grow〉(あなたは見たのか、輝く百合を) の1曲前に収録されている〈Flow my tears〉(流れよ我が涙) である。
「流れよ我が涙」 というタイトルから連想してしまうのはフィリップ・K・ディックの小説《流れよ我が涙、と警官は言った》(Flow My Tears, the Policeman Said, 1974) であるが、この Flow My Tears はもちろんダウランドのこの歌曲を指している。

 Flow my tears, fall from your springs,
 Exil’d for ever: let me mourn
 Where night’s black bird her sad infamy sins,
 There let me live forlorn.

 流れよ、わが涙、お前の源泉から降り注げ、
 永遠に追放された私を嘆かせてくれ、
 そこでは夜の黒鳥がその悲しい不名誉を歌っている、
 その場所で私を孤独に生きさせてくれ。(今谷和徳・訳)

forlorn という言葉はtr14のインストゥルメンタル〈Forlorn Hope Fancy〉(失われた希望のファンシー) のタイトルにも見られるが、この曲における不安な雰囲気のクロマティックな下降はJ・S・バッハの《音楽の捧げ物》(Musikalisches Opfer, BWV1079) における王のテーマを連想させる。だが当然、ダウランドのほうが前である。もっとも、王のテーマの発想の元となったといわれる曲は複数にあり、そうした曲と較べれば似ていないほうだが。

スティングとカラマーゾフがアルバムの最後に持ってきた〈In darkness let me dwell〉(暗闇に私を住まわせて) は収録に際してこの曲を最後にするというのが2人の了解事項だったという。〈In darkness let me dwell〉の歌詞の最初は以下のようである。

 In darkness let me dwell,
 The ground shall Sorrow be;
 The roof Despair to bar
 All cheerful light from me,

 暗闇に私を住まわせて、
 その地が悲しみとなるだろう。
 絶望の屋根がどんな快い光も
 私からふさいでくれる。

この最初の行の In darkness let me dwell は〈Flow my tears〉の最終聯 (第5聯) に同様の表現がある。

 Hark, you shadows, that in darkness dwell,
 Learn to contemn light,
 Happy, happy they that in hell
 Feel not the world’s despite.

 聞け、暗闇に住んでいる影たちよ、
 光を軽蔑することを覚えるのだ、
 仕合わせだ、地獄にいて
 この世の軽蔑を感じない者たちは。

harkは主に命令文にして使われる 「聞く」 の文語で、contemnという言葉 (軽蔑の文語) と併せて古風な心象風景を作り出す。この断定的な強い表現は〈In darkness let me dwell〉でも同様に出現し曲を締めくくる。最後の4行は次のようである。

 Thus wedded to may woes
 And bedded to my tomb,
 O let me living die,
 Till death do come.

 このように私の悲哀と結婚し、
 私の墓に身を横たえ、
 自分を生きたまま死なせてほしい。
 本当の死がやってくるまで。

woeは悲哀の文語、陰々滅々とした歌詞だが 「O let me living die,」 と 「Till death do come.」 は2回、3回と繰り返しパッショネイトに歌われる。その熱情はしかし冷たく醒めていて、リフレインされる In darkness let me dwell という言葉がシンプルな絶望をさし示すのだ。

エディン・カラマーゾフのリュートの響きはしっとりとしていて心に沁みる。使用されているリュートは8弦、10弦、それにアーチリュートの13弦、14弦だがすべて新しい楽器である。ダウランドへの入門として聞いても、スティングの少しマニアックなアルバムとして聞いてもそれぞれに満足できるし、スティングの音楽への真摯さが伝わってくる作品である。


Sting/Songs from the Labyrinth (Deutsche Grammophon)
Songs from the Labyrinth




Sting/Dowland: In darkness let me dwell
https://www.youtube.com/watch?v=EBJkb5wrw-Q

Sting/Dowland: Can she excuse my wrongs
https://www.youtube.com/watch?v=nntri9OfaRY

Sting/Dowland: Flow my tears (Lachrimae)
https://www.youtube.com/watch?v=Tveir-elQHo

Jevtovic Rosquist & David Tayler/Dowland: Flow my tears
https://www.youtube.com/watch?v=u3clX2CJqzs
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Kate Bush Remastered [音楽]

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Kate Bush (bbc.co.ukより)

ケイト・ブッシュの全スタジオ・アルバムが昨年末、リマスター盤としてリリースされた。リマスターされたのは今回が初めてとのこと。1stの《The Kick Inside》から《The Red Shoes》までがCDのbox 1、《Aerial》以降と拾遺とでもいうべき音源がbox 2に収録されている。同時にリリースされたアナログ盤はCDのbox 1とbox 2がそれぞれ2つに別れているので、CDは2セット、アナログは4セットという形態である。CDのボックスはサック状になっていてそれぞれのアルバム毎のデジパック。アナログ盤は堅牢な箱に入っていて、背文字などのパッケージに使われているフォントは古風なリボンのタイプライターで打刻されたようなぼそぼそのクーリエ。レーベルはParlophoneとFish Peopleのダブルネームである。
EU輸入盤のみで日本盤は製作されていない。このデザイン性は輸入盤にアドヴァンテージがあるといわれていた時代のセンスを彷彿とさせる作りで、パッケージング自体が単なる箱ではなくて、統一感のあるひとつの作品となっている。デジパックはオリジナル・デザインに付加されたフィッシュピープルライクなイメージで統一されていてCDレーベルも全て新しく作成されたもので、作りは甘いかもしれないがイングランドの香気がする。昨年の発売日に購入したのだが、CDパッケージとしてはあまりにも美しい仕上がりで、実は私だけで独占しておきたくて、あまり売れて欲しくなくて、このレビューは書かないでおこうと思ったくらいである。

ケイト・ブッシュは長い経歴の割にはアルバムの数が少ない。前回の紙ジャケットのリリースのときは《The Red Shoes》までだったが、つまりその時点で全7点である。今回はパッケージとしては5点増えて12点となったが (複数組のがあるのでCD box 2の枚数は11枚)、枚数は少ないけれどそのクォリティは異常に高い。それゆえに寡作になってしまったのだともいえる。

私がリアルタイムで聴いたのは《The Sensual World》からであり、そこから遡って旧作を聴いていったのだったが、1stからの4枚はどれも瑞々しい輝きに満ちている。3rdの《Never for Ever》、4thの《The Dreaming》が代表作であると考えてよいだろう。アナログbox 1にはこの最初の4枚が収録されているが、ボックスのパッケージはヴィジュアル的にキャッチのある3rdではなくて4thの《The Dreaming》である。
つまりここでケイト・ブッシュ・サイドの考え方がわかって、ああなるほど、と納得する。《The Dreaming》は最もエキセントリックではあるが、音楽そのものの斬新さは傑出しているからだ。
私が最初にこの時期のアルバムを聴いた頃、参考にした紹介記事には《The Dreaming》を 「狂気の表出」 と評しているものがあったが、この人わかってないなぁとそのとき思ったものである。《The Dreaming》における注目すべき点はそのリズムにある。

さて、肝心のリマスターであるがたとえば《Never for Ever》の場合、私は最初の英EMI盤 (CD初期のEMI盤はmade in West Germanyである)、そして紙ジャケット、今回のリマスターの3種類を持っているが、厳密に比較はしていないけれどそんなに驚くような変化はないように聞こえる。リマスターのほうがやや音が深いというか、でもそれは単なる漠然とした印象で気のせいかもしれない。比較試聴する気になれないのは、音を較べるという非生産的な行為よりも、音楽そのものに心を奪われてしまうからだ。あらためて聴いてみるとそれほどにケイト・ブッシュの作品は魅力的であり、最初から音的にも完成されているのでリマスターなどどうでもよいのである。もっともケイト・ブッシュ本人は過去の音に不満だったからリマスターをしたのだろうけれど。

ただ、タワーレコードの宣伝誌『intoxicate』#137のリマスター盤の紹介記事には《The Dreaming》でフェアライトを導入したととれるような記述がされているが、フェアライトが導入されたのは《Never for Ever》のときであり、ほとんど内容のないja.wikiにさえ書いてあるエピソードであるので、正確な記述が望まれる。ちなみに《Never for Ever》ではProphet-5やmini moogなどとともにヤマハのCS-80も使われているが、CS-80は外見がエレクトーンのような初期のヤマハのポリシンセで、DX7以前の黎明期のヤマハは不安定だったかもしれないがユニークである (発売されたのはProphet-5より1年前)。フェアライトにしても今のレベルからすればチープな音色なのかもしれないが、そうした印象は受けない。

1980年に《Never for Ever》をリリースしたとき、ケイト・ブッシュは22歳、《The Dreaming》(1982) が24歳の作品であり、それ以後《Hounds of Love》(1985)、《The Sensual World》(1989)、《The Red Shoes》(1993) までのCD box 1が20世紀の彼女の主要作品であり、これらのアルバムに彼女のほぼ全てが集約されているといってよい。The Sensual Worldのキーワードはジェイムズ・ジョイスであり、The Red Shoesはタイトルからすぐにわかるがアンデルセンである。
21世紀になってからの《Aerial》(2005) になるとさすがに声の輝きは失われてきているが、その音楽的な表情は変化していない。《Aerial》での鳥の声とか、そうしたネイチャー志向がその後も継続していて、今回のジャケット・デザインにも生かされているのではないかと思う。中尊寺ゆつこが今回のデザインを見たら何というだろうか、と想像を巡らせてみる。

でもネットでケイト・ブッシュ関連の記事を探していたら“Never For Ever” sessions / 4 Bonus Tracksというのに行き当たった。つまりどこまでいってもきりがない。さらに当該動画にあるwordpress.comの記事を見たら、The Dreamingの解説として 「Inspirée par Shining de Stephen King . . . 」 とあるが、en.wikiにはそのことも書いてあった。不明を恥じるばかりである。


Kate Bush Remasterd part 1 (Warner Music)
REMASTERED PART 1 [CD BOX]




Kate Bush Remasterd part 2 (Warner Music)
REMASTERED PART 2 [CD BOX]




Kate Bush Remasterd in Vinyl 1 (Warner Music)
REMASTERED IN VINYL 1 [180GRAM VINYL BOX] [Analog]




Kate Bush Remasterd in Vinyl 2 (Warner Music)
REMASTERED IN VINYL 2 [180GRAM VINYL BOX] [Analog]




Kate Bush Remasterd in Vinyl 3 (Warner Music)
REMASTERED IN VINYL 3 [180GRAM VINYL BOX] [Analog]




Kate Bush Remasterd in Vinyl 4 (Warner Music)
REMASTERED IN VINYL 4 [180GRAM VINYL BOX] [Analog]




(それぞれ単売もあるが、CD box 1は絶対のオススメである)

Kate Bush/Song of Solomon (Director's Cut)
https://www.youtube.com/watch?v=fhcCcL1k9ek

Kate Bush/And So Is Love
https://www.youtube.com/watch?v=qxrwE6Hc9UA

Kate Bush/“Never For Ever” sessions / 4 Bonus Tracks
https://www.youtube.com/watch?v=4-q2PJDtzEs

Kate Bush/Never for Ever (Full Album)
https://www.youtube.com/watch?v=C-p9K_Ieloo&t=297s
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忘れていた《忘れられた夏》― 南佳孝を聴く [音楽]

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記憶には思い出そうとしても思い出せない記憶もあり、思い出したくないので思い出せなくなってしまった記憶もある。だが思い出せないということにおいて、それらは等価であり、それがどちらの領域の記憶であったのかは次第に曖昧になる。ある日、何かの手がかりから掘り起こしてみると、それは思い出さないほうがよかった記憶だったりする。

渋谷は坂の街で、むこうに行っても坂、こちらに来ても坂、その最深部に渋谷駅がある。何かをするためには、どこかに行くためには、谷底である駅からのぼって行かなくてはならない。それはある種の暗喩でもある。だが、かつて輝いていた渋谷の街は、今は見知らぬ場所であり、かつて知っていた店のほとんどはきっと存在していなくて、それはまだ何も知らなかった幼い頃に戻ってしまったということに等しい。輝きとはどこから出てきた幻想だったのだろうか。街の灯は単なる電飾の連なりであるのに過ぎず、年末を彩るイルミネーションもリゲルのような蒼白な影に過ぎず、それは遙かに遠い世界のことだ。時は残酷にリニアに流れて行き、立ちどまったり振り返ったりすることはない。時に追いすがっても無駄なのはチャンスの髪と同じだ。世界は寒い。

そうした湖底に沈んでいた記憶、あるいは凍土の下に埋葬されていた記憶のひとつとして南佳孝の音楽がある。初めて聴いたのは《忘れられた夏》(1976) という2ndアルバムで、私はそれを繰り返し聴いていた時期があったのだが、その記憶はこんなときになって急に掘り起こされたものだったのだ。

ジャケット・デザインは井出情児が撮った青い水に浮かぶ南佳孝の写真がさらに水に浮いているというコラージュで、その明るさとは裏腹に、音楽は少しけだるく物憂くて、アンニュイな気配が感じられる。だからそれはまさに 「忘れられた夏」 で、しかしそれを聴いていた季節が夏だったのかどうかは忘れてしまった。たぶん夏ではなかったように思う。
もちろん南佳孝は私の記憶の探索の際の一種の触媒であって、呼び覚まされた記憶は南佳孝の音楽の記憶そのものではない。

南佳孝の曲は悲しみや淋しさが裸で露出することがない。言葉はソフィスティケイトされ、その核は周到に守られている。それゆえにときとして発せられる強い言葉はかえって痛切な意味合いを持つ。

1stアルバム《摩天樓のヒロイン》(1973) は松本隆のプロデュースでありサポート・メンバーの豪華さもあって評価が高い。楽曲は最初から完成されていて大人の雰囲気がある。だがその後の洋楽におけるAORと呼ばれるようなジャンルに属するのかというとそうでもないような気がするし、シティ・ポップという軽薄な表現があったらしいが、あまり口にしたくない言葉だ。
南佳孝の最も知られている作品は〈スローなブギにしてくれ〉や〈モンロー・ウォーク〉だろう。〈モンロー・ウォーク〉は〈セクシー・ユー〉として郷ひろみがカヴァーしたが歌詞がやや異なる。それは〈スタンダード・ナンバー〉を薬師丸ひろ子に提供した際に〈メイン・テーマ〉として歌詞を変えたのと同様である。

だが、2ndアルバムの《忘れられた夏》は佳盤であるのにもかかわらず、やや地味で内省的なため、人気がないのだろうか、現在廃盤で入手することが困難である。全曲が南佳孝作詞・作曲であり、トータルな求心力はあると思うのだが。
私が繰り返し聴いていたのは貰ったアナログ盤で、市販品と変わらないが、レコード・レーベルに見本盤というゴム印が押されているものだ。

YouTubeでは現在、〈ブルーズでも歌って〉〈月夜の晩には〉といった収録曲を聴くことが可能だが、タイトル曲の〈忘れられた夏〉は見つからなかった。ソニー原盤なので仕方がないともいえるが、再発に期待したい。

リンクした最初の曲は3rdアルバム《South of the Border》(1978) に収録されている〈日付変更線〉である。南佳孝の初期作品は松本隆の作詞が多数見られるが、この曲の作詞は松任谷由実である。

 置手紙に気付いたら
 君は多分溜息と
 数分だけ想い出をたぐり
 後は変らず生活に戻る

ちなみにこの時期の松任谷由実のアルバムは《紅雀》(1978) 《流線形’80》(1978) であり、南佳孝の《忘れられた夏》と同様に地味だがすぐれた楽曲が多い。

「恵比寿酒場」 はヱビスビールの提供による動画だと思われるが、南佳孝のギターをメインとした渋いチューンばかりであり、お酒を静かに飲むのに好適な選曲である。


南佳孝/摩天樓のヒロイン (SOLID)
摩天楼のヒロイン+5 45周年記念盤




恵比寿酒場 4
南佳孝/日付変更線、遙かなディスタンス
https://www.youtube.com/watch?v=4Nrs9ZtSRgI

恵比寿酒場 1
Scotch and Rain、スタンダード・ナンバー
https://www.youtube.com/watch?v=AugHi4Fx1sI

南佳孝/ブルーズでも歌って (live)
https://www.youtube.com/watch?v=isMWyofRCLc

南佳孝/月夜の晩には (live)
https://www.youtube.com/watch?v=lKUGU0cNu3Y
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