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マイルス・デイヴィス《the complete live at the plugged nickel 1965》 [音楽]

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マイルス・デイヴィスのプラグド・ニッケルは通常流通盤としてはvol.1とvol.2の2枚組だが、この2日間のライヴを完全収録したセットがあり、1992年に日本製造のセットが発売され、その後、少し収録時間を多くしたアメリカ盤がリリースされたのだというが、それは20世紀末のことであった。今回、そのコンプリート盤がハイブリッドSACDとなって再発されたのである。この完全盤には12月22日の3セットと23日の4セット、計7セットが収録されている。収録時間はアメリカ盤と同じなので、完璧な完全盤としての日本盤発売は初めてということになる。
だが、メディアとしてはずっと再発されなかったのだが、音声のみであるけれどYouTubeで聴くことが可能だ。

プラグド・ニッケルでのライヴが録音されたのは1965年12月22日と23日だが、この年のマイルスのレコーディングはセッショングラフィによれば1月20日〜22日のColumbia CL2350のアルバム《E.S.P.》のコロムビア・スタジオにおけるレコーディングと12月のプラグド・ニッケルしかない。
プラグド・ニッケル後のレコーディングは翌年の1966年5月21日のポートランド・ステート・カレッジ・ジャズ・フェスティヴァルのライヴであり、スタジオ・セッションは10月24日〜25日のアルバム《マイルス・スマイルズ》セッションとなる。つまりプラグド・ニッケルは《E.S.P.》と《マイルス・スマイルズ》の間のライヴということである。

タワーレコードの紹介文によれば、

 当時、周辺のジャズではフリー・ジャズが新しい潮流として台頭してい
 た頃ゆえ、マイルス以外のバンドの若手メンバーたちは、マイルスのソ
 ロが終わると、ステージ上でフリー・ジャズ寄りの演奏を展開し始め、
 再びマイルスが吹き始めるとまた元通りの演奏に戻るといった、緊張感
 の高いライヴ・パフォーマンスが聴ける全39曲の究極のドキュメントに
 なっている。

とあるが、これは他の批評記事でも読んだことがあるニュアンスである。果たしてそうなのだろうか。
ディスコグラフィを見ると1959年の《Kind of Blue》を挟むようにして《Miles Ahead》(1957),《Porgy and Bess》(1959),《Sketches of Spain》(1960),《Quiet Nights》(1963) というギル・エヴァンスとの4部作があるが、これらはほぼオーケストレーションを基盤としたアルバムであり、コルトレーン等と別れた後のスモール・グループとしての出発は、1963年の《Seven Steps to Heaven》あたりからと考えてよい。
wikiには次のように記述がある。

 Following auditions, he found his new band in tenor saxophonist
 George Coleman, bassist Ron Carter, pianist Victor Feldman,
 and drummer Frank Butler. By May 1963, Feldman and Butler
 were replaced by 23-year-old pianist Herbie Hancock and 17-
 year-old drummer Tony Williams who made Davis “excited all
 over again”.

つまりヴィクター・フェルドマンとフランク・バトラーがハービー・ハンコックとトニー・ウィリアムスに変わったときがいわゆる黄金のクインテットへの布石である。マイルスはたぶんテナー奏者に不満を持っていた。そしてテナーがコールマンからサム・リヴァースにかわり、さらにウェイン・ショーターとなったときがこのクインテットの完成形となる。
そしてこのクインテットにおけるスタジオ・レコーディングのアルバムが《E.S.P.》(1965),《Miles Smiles》(1967),《Sorcerer[》(1967),《Nefertiti[》(1968) という4部作だが、このアルバム群のコンセプトは表面的にはウェイン・ショーターが握っている感じがある (もちろんあくまで表面的であって、それを 「庇を貸して母屋を取られる」 と書いていた評論家がいたような記憶がある)。

さて、先に述べたようにプラグド・ニッケルは《E.S.P.》後のライヴであるが、まだバンドとしての一貫性は固まっておらずやや流動的というふうに見ることができる。「フリー・ジャズ寄りの演奏」 といわれればそうなのかもしれないが、たとえばショーターのソロも、音を外してフリー風にというよりは、まだ試行錯誤の最中というように私には聞こえる。これはその後の電化マイルスのはじめの頃のキーボードの音がまだこなれていない、と以前書いたことに通じる初期のチャレンジのごこちなさといってよいのかもしれない。
もっとも山下洋輔が言っていたように、フリーの演奏は失敗したらもう一度やり直せばよい、という方法論に従うのならショーターのアプローチは確かにフリーっぽいのかもしれない。

したがって、以前のストックホルム1967年のライヴの記事に書いたように (→2023年03月05日ブログ)、このグループの最もすぐれたライヴ演奏は電化マイルスになる直前の1967年であり、つまりメディアとなって確立されているもので言うのならばThe Bootleg Series vol.1の《Live in Europe》であると思うのだ。

でも、それではこの《プラグド・ニッケル》の立場がないのかといえばそんなことはなくて、むしろ張り詰めた緊張感の中でのプレイの記録という点でこの全セットを聴くのには重要な意義がある。特に速度を変幻自在にコントロールしてゆくトニー・ウィリアムスのドラミングが素晴らしい。このとき、彼は20歳なのである。
ただ、マイルスがテーマとソロをごく少なめに吹いて、マイルスがいなくなると他の4人がフリーになって勝手なことをやり出すというようなインプレッションを読んだこともあるが、それはちょっと違うのではないかと思う。圧倒的にリーダーシップをとっているのはあきらかにマイルスであり、他の4人はまだ試行錯誤というのが1965年時点での状況というふうに考えたほうがよいと思う。
前述の1967年のストックホルムのセッションでは、このグループはもっとずっと完成していて次のエレクトリックの直前における爛熟の美を醸し出しているともいえるが、マイルスの圧倒的なリーダーシップさは終始変化していないように思える。


miles davis/the complete live at the plugged nickel 1965
(Sony Music Labels)
https://tower.jp/item/6160059
(タワーレコードのみの限定販売)


Miles Davis/December 22, 1965 Plugged Nickel Club, Chicago (3rd set)
https://www.youtube.com/watch?v=_EAwsUdB7KE

Miles Davis/December 23, 1965 Plugged Nickel Club, Chicago (3rd set)
https://www.youtube.com/watch?v=T3NxhgT3EqE
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関ジャム〈誰かの事を想って書いた曲特集〉 [音楽]

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さかいゆう

TV朝日・2023年10月15日の《関ジャム 完全燃SHOW》は〈誰かの事を想って書いた曲特集〉で、ゲストは本間昭光、はっとり (マカロニえんぴつ)、さかいゆうの3人。

槇原敬之の〈もう恋なんてしない〉は本間昭光が失恋したときのことを、槇原が聞き取ってアレンジした曲だったというのにもうびっくり。というか、それをあのような曲に仕上げる槇原の才能をあらためて確認する。
タイマーズがモンキーズの〈Daydream Believer〉をカヴァーしたときの歌詞は、清志郎が亡くなった母に宛てて書いたものだったという解説があったがそれは知らなかった。つまり彼女というのは母親だったのであって、それを知るとこの歌詞は余計にせつない。

そしてはっとりが姉の結婚式のために書いたという〈キスをしよう〉をギター弾き語りで披露。これはすごいよね。そんな結婚式があったのなら理想だ。お姉さんはぶっきらぼうに 「よかったよ」 と言っただけだったというがそれはテレでしかないはず。

さかいゆうは山崎まさよしの〈One more time, One more chance〉の歌詞には死生観が漂うみたいなことを語っていたが、まさにその通り。そうそう、この前の歌謡スクランブルの記事で私は 「日本のシンガーソングライターといえば、私の好みではダントツで草野マサムネと槇原敬之」 と書いたが、もうひとり、山崎まさよしを忘れていた。

そしてさかいは番組の最後に、若くして事故で亡くなってしまった友人に向けて書いたという〈君と僕の挽歌〉を歌ったが、そうした事情を知ってから聴くと歌詞の中の 「調子どうですか?」 というのは向こうにいる友人に問いかけている言葉、そして 「こちらはツライこともありますが」 という 「こちら」 はこの世にいる自分のことで、あまりのリアリティと切実さに心が痛む。というかこれはあくまで私事に過ぎないのだが、そのおそろしいまでの喪失感に同期する記憶がよみがえる。
さかいはグランドピアノの弾き語りでこの曲を歌ったが、途中のサビの部分で一個所、不思議なコードがあった。意図して弾いたのかミスタッチなのかがよくわからないが (いや、ミスタッチというのはありえないな)、その突き刺さるようなテンションが強く印象に残った。

さかいゆうのYouTubeチャンネルには数時間前にこの〈君と僕の挽歌〉がupされている。番組内での歌唱とは異なるが、あらかじめ用意してあったのだろう。YouTubeチャンネルのリストには、かまやつひろしの〈ゴロワーズを吸ったことがあるかい〉のカヴァーもupされていてちょっと楽しめる。


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左から 本間昭光、はっとり (マカロニえんぴつ)、さかいゆう
(はっとりinstagramより)


さかいゆう/君と僕の挽歌 (Studio Live version)
https://www.youtube.com/watch?v=gcCByMQ7Uyo

槇原敬之/もう恋なんてしない (MV)
https://www.youtube.com/watch?v=naz0-szzYXk

THE TIMERS/デイ・ドリーム・ビリーバー
https://www.youtube.com/watch?v=HSoKZOg3QEw

山崎まさよし/One more time, One more chance
https://www.youtube.com/watch?v=BqFftJDXii0
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歌謡スクランブル — 涙のラブソングと森高千里作品集 [音楽]

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西山毅 Official Channel (西山毅と奥野敦子)

10月6日のNHKFMで《歌謡スクランブル》を聴く。
この日のテーマは 「涙のラブソング(5)▽森高千里作品集」 とのこと。FMはいつもTokyofmに固定なのだが、この時間はchatGPT云々とかいう番組がつまらないのでNHKFMに切り替えることにしている。全部を聴いていたわけでなく切れ切れなのだけれど。
この番組、アナウンサー・深沢彩子の落ち着いた声が素敵だ。アナウンスだけでなく番組の構成もしているとのこと。

前半の 「涙のラブソング」 は涙にまつわる曲を集めている。「艶姿ナミダ娘」(小泉今日子) 「なみだ涙のカフェテラス」(ジューシィ・フルーツ) 「悲しくてやりきれない」(松本伊代) 「涙がキラリ☆」(スピッツ) 「祈り~涙の軌道」(Mr.Children) 「涙のイエスタデー」(GARNET CROW) 「この涙 星になれ」(ZARD) 「ハッピーエンド」(back number) 「初恋が泣いている」(あいみょん) 「half of me」(平井堅) 「Farewell」(Superfly) といった選曲。このなかで 「悲しくてやりきれない」 が松本伊代というのがナイスな選択。
KYON2もガネクロも懐かしいけど、たまにスピッツを聴くと良いなぁといつも思う。日本のシンガーソングライターといえば、私の好みではダントツで草野マサムネと槇原敬之です。

でもこの中で異彩を放っていたのがジューシィの 「なみだ涙のカフェテラス」 (近田春夫・作詞、柴矢俊彦・作曲) でした。ジューシィといえば 「ジェニーはご機嫌ななめ」 ばかりが有名だけれど、この 「なみだ涙……」 はコーラスやバックの音など、あちこちにワザがあるし、何よりもサビの部分で涙ということばが8回もヴァリエーションをつけて繰り返されるのが秀逸。この音作りはGSのパロディでもあり、いわゆるテクノ歌謡といってもよいけれど近田春夫はそんなストレートな解釈だけではとらえきれない。

後半の森高千里は 「17才」 「雨」 「私がオバさんになっても」 「渡良瀬橋」 「ハエ男」 「風に吹かれて」 「二人は恋人」 「気分爽快」 という選曲だったらしいのだが、このあたりはラジオから離れていたので聴いて無くて 「二人は恋人」 と 「気分爽快」 だけ聴きました (知ってる曲ばっかりだし、まあいいか)。
森高は 「17才」 とか 「私がオバさんになっても」 などが出世作だと思うんだけれど、もっとずっと後期の作品のほうが私としてはしっくりと来るので、アルバムでいうと《TAIYO》《DO THE BEST》あたり。《TAIYO》に収録されている 「SO BLUE」 が私の好みのベストトラックです。この《TAIYO》では森高が全曲ドラムを叩いているのにも惹かれる。ポンタさんが森高のドラミングを褒めていたのを思い出す。
「二人は恋人」 も 「気分爽快」 も好きな曲なのだけれど、もともとシングル曲で、アルバムではベスト盤の《DO THE BEST》にしか収録されていない。《DO THE BEST》をフェイヴァリットにあげたのはそれが理由です。
そして森高のPVなら上記の 「SO BLUE」 と、以前にもリンクしたけれどカーネーションとの 「夜の煙突」、これっきゃない。

それで西山毅 Official Channel に奥野敦子の回があった。ごく最近の奥野敦子ですが、ピンクのブギーで西山と合奏しています。トリッキーなイリアのソロをすぐに弾いてしまえる西山毅はやっぱりすごいです。ギターを弾き始めの頃の奥野が、ELPをガットギターでコピーしていたという話題が面白い (YouTubeの7’00”あたりから。2人での演奏は19’12”から)。
そういえば半年くらい前、某楽器店にイリア・ヴァージョンのピンクのブギーがぶら下がっていた。もちろん新品。デッドストックなのだろうか。でもすぐに売れてしまったのです。残念!(調べたら2017年にも再生産があったとのこと。それなら在庫がある可能性もあるよね)


西山毅 Official Channel
昭和の名ギターソロ探訪『ジェニーはご機嫌ななめ』
https://www.youtube.com/watch?v=xr53eit0ycI

ジューシィ・フルーツ/なみだ涙のカフェテラス
https://www.youtube.com/watch?v=D21i148ZoLQ

森高千里/SO BLUE (PV)
https://www.youtube.com/watch?v=yQyyWIf58kI

森高千里/二人は恋人 (PV/Color)
https://www.youtube.com/watch?v=S3Lpi9Ev9FI

森高千里 with CARNATION/夜の煙突 (PV)
https://www.youtube.com/watch?v=b9ZMzQ3-ERk

《参考》
Chisato Moritaka DVD Collection No.1〜15
(LD or VHSで発売されていた映像の再発盤)
以降にリリースされたライヴ映像作品 (〜1999年まで):

◆森高ランド・ツアー
  1990.03.03 森高ランド・ツアー NHKホール
◆1990年の森高千里
  1990.08.28 森高ランド・ツアー 浜松市民会館
  1990.11.29 森高ランド・ツアー 宇都宮市文化会館
◆古今東西~鬼が出るか蛇がでるかツアー’91完全版
  1991.03.03 古今東西~鬼が出るか蛇がでるかツアー 中野サンプラザ
◆ザ・森高
  1991.08.22 ザ・森高ツアー 渋谷公会堂
◆CHISATO MORITAKA CONCERT TOURʻ92 LIVE ROCK ALIVE
  1992.09.30 LIVE ROCK ALIVE 中野サンプラザ
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2013年のaiko, Live at NHK vol.2 [音楽]

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aiko 15thアルバム:今の二人をお互いが見てる

aikoの歌唱はスタジオで録音されたオリジナルも良いのだが、ライヴでハイになったときのほうが絶対にすごいと思う。その最も絶妙なヴァージョンは年末の〈CDTV年越しライブ2017−2018〉だったと覚えているのだが、残念ながらその動画はガードされてしまっている。

で、そのときと同じ〈花火〉のライヴを探していたら〈Live at NHK vol.2〉という動画を発見。おそらく2013年8月31日の深夜 (つまり9月1日) にオンエアされたものだと思う。〈ボーイフレンド〉〈beat〉〈ジェット〉など何曲かあるのだが、大半は音圧レヴェルが少し低い。その中で唯一、前者と別な人がupしていて音・映像共にクリアなのが〈花火〉である。→a)

このライヴではイントロでウーとかララ〜というようないわゆるスキャットをかませてから歌に入って行くし、途中も通常のメロディと異なる個所が幾つもある。これはフェイクといって一種のアドリブなのだが、その時点で瞬間的に変更されるけれどある程度のパターンが決まっているともいえる (フェイクについては、以前、リー・コニッツがチャーリー・パーカーのインプロヴァイズはストック・フレージングであって純粋のアドリブではないと言っていたのに通じる。フェイクな唱法についてはその歌手各々にやりやすいパターンが存在するはずだ。リー・コニッツの指摘については→2014年07月21日記事を参照)。
やや音圧が低いけれどコンサートの終盤で大盛り上がりしている〈ボーイフレンド〉もリンクしておくことにする。→b)

さらにYouTubeで発見したのはオールナイトニッポンにおけるKing Gnuの井口理とaikoがデュエットしてしまう〈カブトムシ〉で、もちろん半分おふざけで始まったのだろうが素晴らしい。→c)
ただ、こうして2人がデュエットしているときに気がついたのだが、〈カブトムシ〉の最後の部分で突然旋律が変なふうに感じられるのは、実は変なのではなくて、コーラスで何声か重ねるときに主旋律でない旋律、たとえば3度上に重ねるコーラス部分を主旋律にしてしまったと考えれば辻褄が合う。
もっともaikoは自分の感覚でのメロディラインこそが自然であり、気持ち悪いと言っているスタッフに対しては何度も聴かせているうちに気持ち悪くなくなるのだ、みたいなことを言っていて、その自信の強さがすごい。

そしてaikoの歌唱法を決定づけているのがブルーノートの使用で、音楽ジャンルとしてはポップスだがブルーノートの煩瑣な使用からいうとジャズに近い。ブルーノートとは簡単に言ってしまえばスケールの第3音、5音、7音をフラットさせることにより独特のニュアンスを生成することを指すが、ブルージーなどという形容があったりブルーノートというジャズレーベルがあることでもわかるように、ジャズの典型的な手法である (ブルーノートに関しては山下洋輔の『風雲ジャズ帖』という本の中に 「ブルー・ノート研究」 という解説文があってとても面白い)。
そして必ずしも完全に半音下げる必要はなくて、半音までいかなかったり、逆に半音を少し越えていたりという、微妙な曖昧さを醸し出すことも可能である (こうした半音以下の音高を微分音という。近代・現代音楽には微分音の指定のある曲も存在する)。その根底には典型的な近代西欧音楽の固定的なスケール感とは異なる、民俗音楽などにおけるスケールの不安定さが源泉となっているのだと思う (非・近代西欧音楽についての著作では、古い本ではあるが小泉文夫の『日本伝統音楽の研究』が、日本の伝統的音楽主体の内容ではあるけれど、最も多くの示唆を与えてくれるように思う)。

aikoはライヴにおいてこの微分音的な歌唱をすることがあるように思う。それがたまたま音が定まらないままに歌った結果として不安定なのか、あらかじめそうした意図で歌っているのかよくわからないのだが、aikoのあの正確な歌唱法からすれば、おそらくわざと音を外しているのだろうというのが私の推理である。
その例として〈クローゼット〉のライヴをあげておく。歌い出しとその繰り返しの部分である。後になって同じフレーズが出てくるが、そこでは普通に歌っている。そもそものオリジナルの歌唱を聴いてみても、このように微妙な音は使っていない。→d)

YOASOBIの2人がaikoを絶賛していたとき、正直言ってそこまで言うのか? という思いはあった。だが菊地成孔の書いた2012年の記事のなかにaikoについて書いたものを読むと、なるほどそうなのか、とも思ってしまう。→e)
その菊地成孔の記事の中にリンクされていたユーミンのカヴァーであるaikoの〈セシルの週末〉もリンクしておく。→f) カヴァーの女王・柴田淳とは違った意味でaikoのカヴァーは聴かせる。

話がそれるが、今話題の映画、菅田将暉主演の《ミステリと言う勿れ》の主題歌、King Gnuの〈硝子窓〉はすごい。まだメディアは発売されていないが。


a) aiko/花火
Live at NHK vol.2., on air: 2013.09.01
https://www.youtube.com/watch?v=J15khdjRXoA

b) aiko/ボーイフレンド
Live at NHK vol.2., on air: 2013.09.01
https://www.youtube.com/watch?v=hqB_-pKv8Vs

c) King Gnu 井口&aiko/カブトムシ
オールナイトニッポン
https://www.youtube.com/watch?v=DgTVVKbYwHk

d) aiko/クローゼット live
https://www.youtube.com/watch?v=4CCe3U_1jyo

e) 菊地成孔 本物のブルースシンガー・aikoを語る
https://miyearnzzlabo.com/archives/12133

f) aiko/セシルの週末
https://www.nicovideo.jp/watch/sm21419347
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1981年のカラヤン [音楽]

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カラヤンのポルシェRS (porsche japanより)

この頃、ヘルベルト・フォン・カラヤンのメディア再発売が多いように感じていた。DGの廉価盤が何枚も出ているし、映像化されたブルーレイの発売予告もある。区切りの年でもないと思うのだが、やはり根強いファンがいるからだろうと思う。
私はもともとオーケストラの作品はあまり聴かないので指揮者のことは詳しくないし、ましてカラヤンについては何となくだがあまり近寄らなかった。後年の、帝王などと呼ばれた時期の演奏が鼻につくような気がしたからである。ザビーネ・マイヤーの騒ぎなどもよく知らないが好印象に結びつかなかった (もっとも当時のベルリン・フィルの旧弊さの象徴とも考えられるが)。

でも最近の数多いリリースのなかで、まだ若い頃のルツェルンのライヴが発売されて、少し興味を持った。ルツェルンはモノラルだが1952年から1957年の録音なので、彼がフルトヴェングラーの後釜になる少し前の時代が含まれているからである (カラヤンがベルリン・フィルの首席指揮者となったのは1955年)。
それでYouTubeを探してみると日本での人気絶頂だった時期の映像などもあるのでそれを聴いてみた。ターゲットにしたのは1981年のブラームスの交響曲第1番、東京文化会館大ホールにおけるライヴである。オーケストラはベルリン・フィル。時期としてはかなり後期であり、身体の具合もあまりよくなくなっていた頃である。
この来日公演はTBSTVによって収録・放映されたとのことだが、ブラ1が演奏されたのは10月30日、ネットの某リストによるとその日はブラームスの3番と1番と記載されているが、2曲連続ってホントなのか……とちょっと驚く。しかも翌日はブラームスの4番、2番なのだ。

ともかく聴いてみたのだが、音楽以前に映像についての印象を語らなければならない。古い映像なので鮮明でないのは仕方が無いのだがそのカメラワークに、はっきり言ってしまえば辟易した。ほとんどがアップばかりで、演奏者をごく近くから、あるいは楽器のみのアップが続く。カラヤンも楽器越しに顔が見え隠れするようなショットが多く、オーケストラ全体を見渡せるような引きの部分がほとんど無い。舞台下手からカラヤンをうつしている場合、望遠レンズのため、オケのごちゃごちゃしたせせこましい中にカラヤンが立っているという印象が残る。
こういう画面の捉え方は当時のオーケストラを撮影するときの流行だったのだろうか。それともカラヤン・サイドがこのように撮影するようにと指示したのだろうか。いずれにせよ、現代の目から見ると古い感じがしてしまう。もっとも古いポピュラー音楽の場合の動画を観ると、やたらに歌手の顔が大写しになって全体像がほとんどないようなことがよくあるので、昔であればあるほど、アップが重要だったのかもしれない。この日のカラヤンの指揮を見ているとかなり的確な指示を出してはいるが、やや曖昧な部分も見られる。目をつぶり音楽に陶酔しているような表情は彼なりのスタイルというか美学なのだと思う。

鬱陶しいので画面を観ないで音楽だけを聴いてみるとそんなに悪くはない。こうした有名曲の場合、私の中には理想とする進行があって、それはテンポだったりデュナーミクだったりといったような、心にしっくりと来る一種の息づかいに他ならなくて、それにどのくらい近接するかが好き嫌いの判断基準となるのだが、カラヤンの演奏は私が理想とする流れにかなり近い。ところが音色は全体的にねっとりとしていて濃厚な印象があり、私がカラヤンというブランドに対して想像していた音とはやや違うなとも思ったのだが、これはあくまで私の感覚である。

だが私のフェイヴァリットであるカルロス・クライバーだって、全盛期に較べると後期は身体が動かなくなっていて、たとえばニューイヤー・コンサートの2回目なんかは大丈夫? ってくらいに衰えていたように見えたから、カラヤンも同様だったのだろう。とするとカラヤンを聴くのにも、もう少し前の若い頃のほうがよいのかもしれない。
大丈夫? っていうことでは晩年のカール・ベームの今にも止まりそうな指揮もそうだったし、でもヘルベルト・ブロムシュテットはかなり高齢になっても矍鑠としていて、どの曲だったか忘れてしまったが非常に緻密な指揮に感嘆したDVDがあったことを覚えている。

と、こういうふうに聴いているとオーケストラも悪くないなぁといまさらながら思うのであるけれど。なぜオーケストラをあまり聴かないかというと、自分でもよくわからないのだが、たぶん音が多過ぎて全部を把握できないからなのだと思う。
リンクしたのは上記に書いたカラヤンの振る1981年の東京ライヴであるが、ついでにクライバーのベートーヴェン第4番もリンクしておくことにする。コンセルトヘボウにおけるライヴだが、クライバーの指揮はまだいきいきとしていて、それにこのホールが私は好きだ。カラヤンもクライバーも実際にナマで聴いたことは一度しかないが、その記憶が色褪せることはない。


Herbert von Karajan, Berliner Philharmoniker/
Brahms: Symphony No.1 op.68
live1981.10.30, Tokyo
https://www.youtube.com/watch?v=rCsBPIEhcHg&t=3s

Carlos Kleiber, Concertgebouw Orchester
Beethoven: Symphony No.4
https://www.youtube.com/watch?v=-pmpyUOcTgQ
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ユジャ・ワン《ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集》 [音楽]

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Yuja Wang (asia pacific arts 2023.02.26より)

ラフマニノフのピアノ・コンチェルトの録音といえば、4曲の中で第2番と第3番が選ばれることが多いように思う。ユジャ・ワンの場合も過去に第2番と第3番はすでにリリースされているが、今回、グスターボ・ドゥダメルの指揮の下に出されたピアノ協奏曲全集とうたわれた録音は全4曲にプラスして〈パガニーニの主題によるラプソディ〉という構成のCD2枚組である。
このプロジェクトは今年2月に、ロサンジェルスのウォルト・ディズニー・コンサートホールでラフマニノフ生誕150周年として全4曲を演奏するコンサートが開かれたのだというが、その成果をリリースしたものである。

過去の録音は第2番がクラウディオ・アバド/マーラー・チェンバー・オーケストラ、第3番がドゥダメル/シモン・ボリバル・オーケストラ・オブ・ベネズエラによるものであった。今回の4曲はドゥダメル/ロサンジェルス・フィルハーモニックとの協演である。

YouTubeにはDGGによって演奏の一部が上がっている。今のところ第2番の II.Adagio、第4番の II. Largo、そして第1番の終楽章 III. Allegro vivaceであるが、前2者は緩徐楽章でありこれらの緻密さにも惹かれるが、第1番のAllegro vivaceが躍動的で、かつ丁寧に弾かれていて素晴らしい。4曲はごく短い期間でレコーディングされたようだが、慣れ親しんでいると思われる曲とはいえ、全4曲を連続して弾ききってしまうというのは驚くべきことである。

第1番の全曲演奏をYouTubeで探すと、ルドルフィヌムのドヴォルザーク・ホールにおけるセミヨン・ビシュコフ指揮/チェコ・フィルハーモニーのライヴ動画が存在する。ルドルフィヌムはチェコ・フィルの本拠地であり歴史のあるホールであるが、ビシュコフの音はそのホールに似つかわしい端正な音で聴かせる。しかし、今回のドゥダメルとの演奏を聴いてしまうと、その音のダイナミクスとシャープネスが圧倒的だし、口元を見るとメロディを歌うようにして弾いているのが楽しげで余裕も感じられ、何よりラフマニノフという名前の印象から醸し出される、ときとして耽美で退廃的なイメージとは無縁のピアニズムに感心する。それでいてメカニックで心の無い演奏だという感触とも違う、まさに成熟した音である。
逆にいえばラフマニノフに対して、つい持ってしまいがちな常套的イメージとしてのメランコリックでデカダンな音はユジャ・ワンの音には無い。それは他の、たとえば前に記事にしたヴェルビエ・フェスティヴァルにおけるシューマン〈クライスレリアーナ〉の解釈などにも同様に感じ取られる彼女の感性である。
個人的にいうのなら、ラフマニノフのピアノ・コンチェルトは比較的不人気な第1番が昔から好きで、さらにいえば交響曲も何かとりちらかっているような第1番が好きなので、今回のユジャ・ワンの第1番の演奏には、思わず没入してしまう下地があったのである。

タワーレコードのクラシックCD売場では売れているCDの第1位であった。当然だろうと思うばかりである。


Yuja Wang/Rachmaninoff: The Piano Concertos & Paganini Rhapsody
(Universal Music)
ラフマニノフ:ピアノ協奏曲全集 他 (UHQCD/MQA)(2枚組)




Yuja Wang, Gustavo Dudamel, LA Philharmonic/
Rachmaninoff: Piano Concerto No. 1: III. Allegro vivace
https://www.youtube.com/watch?v=3tlep2vruYA

Yuja Wang, Gustavo Dudamel, LA Philharmonic/
Rachmaninoff: Piano Concerto No.2: II. Adagio sostenuto
https://www.youtube.com/watch?v=BxX1obB9GKk

Yuja Wang, Gustavo Dudamel, LA Philharmonic/
Rachmaninoff: Piano Concerto No.4, II. Largo
https://www.youtube.com/watch?v=XzyzCCvBFzU

Yuja Wang, Semyon Bychkov, Czech Philharmonic/
Rachmaninoff: Piano Concerto No.1
February 25, 2022, Rudolfinum, Dvořák Hall
https://www.youtube.com/watch?v=YfjB-HF4RVw

《参考》
Yuja Wang, Gustavo Dudamel,
The Simon Bolivar Symphony Orchestra of Venezuela/
Rachmaninoff: Piano Concerto No.3
February 2013
https://www.youtube.com/watch?v=NxmZeVMsf_c

Yuja Wang, Valery Gergiev, Mariinsky Theatre Orchestra/
Rachmaninoff: Piano Concerto No.2
September 20, 2021
https://www.youtube.com/watch?v=NsqXCO0ADwM&t=289s

Yuja Wang, Andrés Orozco-Estrada, Wiener Philharmoniker/
Rachmaninoff: Piano Concerto No.3
October 21, 2019
https://www.youtube.com/watch?v=Sd9zkD3t_ME

Yuja Wang, Myung-Whun Chung, Staatskapelle Dresden/
Rachmaninoff: Piano Concerto No.3
September 8, 2019
https://www.youtube.com/watch?v=VHre-G8wlb4
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JUDY AND MARY〈BLUE TEARS〉 [音楽]

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YUKI (JUDY AND MARY)

JUDY AND MARY (以下、ジュディマリと表記) の結成までの経緯を私はよく知らないが、レベッカとよく似たものを感じてしまう。もっともアマ、プロを問わずバンドとはそうしたものなのかもしれないが。
楽曲〈BLUE TEARS〉は2ndシングルなのだが、YouTubeにはギタリストが藤本泰司の動画が存在していて、まだ未完成なヴォーカルではあるけれどYUKIのパワーは振り切れていて、パンクで、同時にロリータでもあって、何度でも聴いてしまう。つまりパンクというテイストは私にとって重要なのだ。→1) 2)

ギタリストがTAKUYAになってからの、つまりジュディマリとしてメジャーデビューしてからも、TAKUYAのギターは時にめちゃくちゃパンクにハマッて行くときがあって、ヴォーカルに構わず自己主張する。その拮抗するスリルがたまらない。〈そばかす〉はいくつもの動画があるが、もっともすぐれているパンキッシュな演奏はこれである。イントロのアヴァンギャルドさを聴いて欲しい。→3)
ついでにもう1曲〈Over Drive〉をリンクしておく。これもノイジーでハイテンションである。こうやってギターを弾いてもいいんだ、という悪い見本である (これは褒め言葉である。念のため)。→4)

ジュディマリ解散後、YUKIはちわきまゆみが主宰するMean Machineに参加したが、バンドのコンセプトが冒険過ぎて消化不良だったと思う。ちわきまゆみはPINKの岡野ハジメとグラムっぽい演奏をしていたのがカッコよくて、アルバムもほとんど持っているが、Mean Machineに関してはちょっと空振りだった。お遊びと考えればその通りだが (岡野ハジメは1996年からL’Arc〜en〜Cielのプロデューサー)。

その後のソロになってからのYUKIもすでに20年を越えて、ジュディマリの歴史よりも長くなってしまった。今年、ソロアルバムのアナログ盤が一気にリリースされたが、とても買いきれないのが残念である。一挙に出さないで欲しい (実はこの記事を書いた真意はこのこと)。3rdアルバムの《joy》がすでに品切れになっているのはなぜ? ソロのライヴから一曲だけ選んでおく。→5)
以前に書いたジュディマリの記事とダブッていることが多いがお許しを。


1) Judy and Mary/Blue Tears
https://www.youtube.com/watch?v=qM7MgyqEuKQ

2) Judy and Mary/Judy Is a Punk Rocker
https://www.youtube.com/watch?v=FB7IFtpVf0s

3) Judy And Mary/そばかす
https://www.youtube.com/watch?v=1rejKI1XFRw

4) Judy And Mary/Over Drive
Live 2000
https://www.youtube.com/watch?v=_MsuM0ccaEU

5) YUKI/Prism
live 2010.08.08
https://www.youtube.com/watch?v=LXJ-yVardRU
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ヒラリー・ハーンのサラバンド [音楽]

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Hilary Hahn (HMV onlineより)

「サラバンド」 というワードを検索していた。何となく、ということではなくて、メディアが入手しにくかったイングマール・ベルィマンの作品の中から、7月に《野いちご》と《第七の封印》が突然のように (突然ではなかったのかもしれないが私にとっては突然に) ブルーレイで発売されて、でもこれは高価過ぎると逡巡しながらあれこれとベルィマン・ワードを検索していたのである (《サラバンド》Saraband, 2003 はベルィマン最後の作品タイトルである)。
ベルィマンは以前、DVDが投げ売りされているときに数枚買ってはいたのだが、すでに品切れが多くて全部は買い切れなかった。確か《秋のソナタ》(Höstsonaten, 1978) と《冬の光》(Nattvardsgästerna, 1962) は買ったと思うが、今、どこにあるのかは不明だ。

そして 「サラバンド」 の検索でヒットしたのがヒラリー・ハーンの弾くバッハのサラバンドだった。もっともハーンの弾くサラバンドはバッハの無伴奏ヴァイオリン・パルティータのサラバンドであり、ベルィマンの《サラバンド》に使われたのは無伴奏チェロだから直接的な関係性は無い)。

ハーンのアルバムは昨年の《Eclipse》というタイトルの下に弾かれたドヴォルザーク、ヒナステラ、サラサーテに続いて、今年7月にリリースされたのがウジェーヌ・イザイの無伴奏ソナタである。ハーンはイザイの孫弟子にあたるわけであり、そして私の偏愛するセザール・フランクのソナタはイザイに献呈された作品であるが、そのイザイがバッハの無伴奏へのリスペクトとして書いたのがこの作品27の無伴奏である。イザイと、そしてバルトークの無伴奏はいずれもバッハへの敬愛であり挑戦であるが、バッハの強大な構築性の前では無力なのかもしれない。
ヒラリー・ハーンのYouTubeチャンネルでイザイの全曲を聴くことができる。

YouTubeで見つけたハーンのサラバンドは、おそらく2023年2月24日のフランクフルト・ラジオ・シンフォニーのコンサートでプロコフィエフのコンチェルト1番を弾いたあとのアンコールとして弾かれたものだと思われる。ハーンは拍手に応えてさりげなく弾き出すがステージとオーディエンスの距離が近くて親密で良いホールである。一瞬にしてバッハの世界に引き込まれる魔のときが記録されている。
尚、その日のメインであるプロコフィエフのコンチェルトの動画もYouTubeにある。指揮は2021年からの首席であるアラン・アルティノグリュ。プロコフィエフ1番には駒近くを弾くスル・ポンティチェロという破壊的奏法があるが、ハーン自身が1番と奏法について解説している動画もある。
そしてフランクフルト・ラジオのYouTubeチャンネルには優れた演奏動画が多いのでお勧めである。

プロコフィエフといえば今年、ワーナー系の音源を集めたCD36枚組のボックスが発売されたがちょっと欲しい。でも、これ全部聴かないよなぁとも思ってしまう。それよりも今年の超弩級ボックスは La Divina/Maria Callas in all her roles というマリア・カラスの135枚組で、単純に場所とりだけど、でも今までに出たなかでは一番完璧なセット。ファンのかたは是非お買い求めください。


Hilary Hahn/Ysaÿe: Six Sonatas for Violin Solo op.27
(Universal Music)
イザイ:6つの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 作品27 (通常盤)(UHQCD(MQA))




Hilary Hahn/Eclipse (Universal Music)
エクリプス (UHQCD/MQA)(特典:なし)




Hilary Hahn/Bach: Sarabande (Partita No.1 for Solo Violin)
https://www.youtube.com/watch?v=5XzZudf5LJ0

Hilary Hahn, Alain Altinoglu, Frankfurt Radio Symphony/
Prokofiev: Violin Concerto No.1 in D major, op.19
https://www.youtube.com/watch?v=x3OFoMvqjtc

Hilary Hahn/Prokofiev’s Violin Concerto No.1 in a nutshell
https://www.youtube.com/watch?v=015QVOO-5Ek

Hilary Hahn/Ysaÿe: 6 Sonatas for Violin Solo, Op. 27
https://www.youtube.com/watch?v=Mz71f4cCNSA&list=OLAK5uy_m5gUptkeUI5_l_a8LdS7lXux9xzDktUN0

Hilary Hahn YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCI9pm8WplvpIN8uKpoxcXaQ

hr-Sinfonieorchester – Frankfurt Radio Symphony YouTubeチャンネル
https://www.youtube.com/user/hrsinfonieorchester

Hilary Hahn/Bach: Allegro Assai (Sonata No.3 C Major)
https://www.youtube.com/watch?v=UXDVB-glRKw
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渡辺貞夫を聴く [音楽]

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YouTubeで日野皓正の演奏を検索して聴いていた。日野皓正は今年80歳だがそのブロウは相変わらずスリリングである。しかしそうして探していると、サイドの検索候補に渡辺貞夫が上がって来る。渡辺貞夫は1933年生まれだから今年90歳。聴いていると昔のマイ・ディア・ライフの放送録音なども含め、ハードなのからソフトなものまでヴァリエーション豊富だ。

最近の演奏だとブルーノート東京の2021年のライヴ〈BOP NIGHT 2021〉がここちよい。4管の厚みのある流麗なバックに乗るアルトのリラックスしたスウィング感が出色である。ピアノの小野塚晃のソロも品があって美しい。→1)
あるいは同じブルーノート東京における2022年のブラジル・テイストのライヴ〈SAUDADE TO BRAZIL〉。ナベサダのブラジル風味には定評があるが、まさにジャズというよりイージー・リスニングなサンバの響きの気持ち良さで身体が揺れる。この演奏における楽しさはマルセロ木村のギターとユニゾンする口笛のソロで、ギターのシングルトーンの美しさとそれに絡むピアノ、ドラム。最後にメンバー全員がメロディを歌うところなど、この曲のテーマから醸し出されるメロディの懐かしさのようなものはなんだろうか。→2)

もう少し前の演奏だと2005年のチャーリー・マリアーノとの〈Tokyo Dating〉を聴くことができる。チャーリー・マリアーノは2009年に亡くなっているのでかなり晩年の演奏と言ってよいだろう。→3)
チャーリー・マリアーノはもちろん穐吉敏子の以前の夫であり、つまりMonday満ちるの実父である。そして当時のバークリーでメソッドを学び、ここでジャズを学べと渡辺貞夫を呼び寄せたのが穐吉である。
かつてのキャンディッド盤〈Toshiko Mariano Quartet〉はフレッシュ・サウンドで再発されていたが、昨年、Solidレーベルで国内盤として再発になった。若き日のチャーリー・マリアーノと穐吉を知るには好適なアルバムである。

だが、ビ・バップの演奏バリバリを聴くのならもう少し時代を遡るしかないように思える。1999年の〈Kirin The Club〉における演奏。メンバーがすべて日本人ではないこともあいまって (pf: Cyrus Chestnut, b: Roland Guelin, ds: Rodney Green, tp: Terell Staford)、バップ・テイスト全開のソロを聴くことができる。→4)
もっとも、バップ・テイストということでいうのならば、もっとずっと遡った1969年のアルバム《Dedicated to Charlie Parker》の〈Au Privave〉が最も有名だろう。1969年3月15日の銀座ヤマハホールにおけるライヴであるが、渡辺貞夫はリズム隊も無しで延々とソロで吹きまくってしまい、その後に日野皓正のソロが続くが、最後はナベサダが簡単にテーマをワンコーラス吹いて終わりという、曲構成としては破綻している演奏である。ただ、この神がかった演奏は最もすぐれたインプロヴィゼーションのひとつといってよい。→5)


1) 渡辺貞夫 BOP NIGHT 2021
Blue Note TOKYO live 2021
https://www.youtube.com/watch?v=QbpNYr-v7J4

2) 渡辺貞夫 SAUDADE TO BRAZIL
Samba Da Volta, Blue Note TOKYO live 2022
https://www.youtube.com/watch?v=3SI6dskFI40

3) 渡辺貞夫&チャーリー・マリアーノ/Memorias
Tokyo Dating 2005
https://www.youtube.com/watch?v=ID2QU3GwD1E

4) 渡辺貞夫/Ko Ko
from 1999 Kirin The Club
https://www.youtube.com/watch?v=-J5x5SsxfdU

5) 渡辺貞夫/Au Privave
live at Ginza Yamaha Hall 1969.03.15
https://www.nicovideo.jp/watch/sm17892545

《参考》
渡辺貞夫/I’m Old Fashioned
from 1991 Kirin The Club
https://www.youtube.com/watch?v=RImZlu9Xfk8
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宇多田ヒカル〈Gold〉とAIについて [音楽]

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さっきまでTBSTVの《人生最高レストラン》を観ていた。ゲストは鈴木保奈美で、彼女はU2が好きでアイルランドに何度も行ったとのこと。ブレイクしたドラマ《東京ラブストーリー》は当たったけれどあれはあくまで坂元裕二の作品だから、と。そして言いにくいセリフがあって、それをいかに自然にしゃべるかが必要だったとも言う。ただ私は《東京ラブストーリー》というドラマを観ていないので何ともいえないのだが。

それはよいとして、8月20日のフジテレビ《まつもtoなかい》を途中から観た。ゲストは宇多田ヒカルである。
曲作りについては曲先であること、しかし何よりもそこに至るまでの前段階が必要なのだということで、あぁそうだろうなぁとは思うが、具体的にどのようなプロセスで作られていくのかは結局わからない。そんなものだろう。

番組のなかほどでのAIについてのトークと、実際にChatGPTを使ってみるという部分は単なるお遊びなのだろうけれど、つまりAIについて否定的なイメージが強くて、これに対してもあぁそうだろうなぁと思う。AIを作詞とかお笑いネタに使うことは不可能だ。FM番組ではChatGPTに対して肯定的ないわゆる宣伝番組みたいなのも存在するが、現状のパフォーマンスはビジネスツールに過ぎない。

25日の朝日新聞には情報工学の重鎮である西垣通へのインタヴューが掲載されていたが、AIについて彼は 「使いようによっては人類の役に立つ」 けれど 「人間の知性の代わりには決してなりません。そうしたAIの本質を理解しないまま、ただただ『乗り遅れるな』と活用にのめり込む日本の風潮が心配です」 という。
西垣はアメリカにおけるAIの将来への楽観的議論に対して違和感を持ったとのことだが、そこで 「単純な一神教批判をするつもりはありませんが、汎用AIやシンギュラリティーという発想は、ユダヤ・キリスト教の特徴を強く持っていると考えています」 というのだ。超越的な神が万物を創造したと考えるのなら、人間以外の存在、つまり機械にも知性が宿り、人間以上の知性が出現する可能性もあるという結論に達するのだという発想の連鎖が大変面白い。
そして現在のAIブームが従来と違うのは 「『正しさ』よりも、大量のデータを統計処理し『確率の高い解』を求めることに重点が置かれているのです」 という。つまり確率論的に無難な解答を選び取るのがメソッドであり、AIからアウトプットされるものが必ずしも正解とは限らないのだ。AIは平気でウソをつく、というのがそれである。

日本における 「乗り遅れるな」 的思考は伝統的なもので、たとえば卑近な話題でいうのならば、レコードがCDに代わったときに、レコードなんか捨ててしまえと実際にそうしてしまった人がいたりとか、自動車がオートマになったらほとんど全ての車がオートマ車になってしまったりとか、ファッションにおいてもひとつの流行が定着すると、すべてがその流行に靡いてしまうとか、長いものに巻かれろ的、付和雷同的傾向が強いのがこの国の特徴だと思えてしまう (ファッションとはそのときのファッション・トレンドに逆らうのこそが自立したファッションだと思うのだが)。
村上春樹が『街とその不確かな壁』で、主人公の就職した図書館ではパソコンを一切使用しないというのも、AI信奉の最近の世情を批判しているのに他ならない。かつて橋本治は 「お役所の書類など、皆、手書き作業に戻してしまえ」 と極論していたことを覚えている。

と、AIの話題にかまけて肝心の話がそれてしまったが、番組は松本人志&中居正広のツッコミどころも的確で面白く、松本が 「お母さんの曲のカヴァーをして欲しい」 と言ったのに対し、演歌と私の歌ではヴィブラートのかかるところが逆だから、それに母親にも演歌は歌うなと言われていたというので、おぉ、そうなのかと思った。でも〈面影平野〉は好きでカラオケで歌うとのこと。同曲は阿木燿子/宇崎竜童の作品である。

ところで今回の曲〈Gold ~また逢う日まで~〉はどうなのだろう。それなりによい曲だとは思うし、最近の宇多田テイストではあるのだが……う〜ん。全体的にはちょっと難解かもしれない。
彼女の歌詞にはときどき、妙に卑俗な言葉が混じる。今回のなら 「おととい来やがれ」 で、これは歌詞を見てもカギカッコで括られているが。1行だけ 「Tout le monde est fous de toi」 というフランス語が混じる。曲の最後も何度も何度も繰り返しが続きながら突然断ち切られたように終わるのが印象的だ。

最近の宇多田は成熟したオトナの歌という感じがするのだが、でも、若い頃の歌がいいとも思う。それは単に繰り返し刷り込まれたからなのかもしれないが、ユーミンの初期作品と同じで、そこには単なる曲の完成度だけではない何かがある。
最近の私のfavoriteは〈COLORS〉と、あと、そう……〈Movin’ on without you〉かな。1曲だけというのなら〈COLORS〉。これは絶対かわらない (この曲の歌詞でも 「口は災いの元」 という古風で卑俗な言葉が混じる)。


宇多田ヒカル/Gold ~また逢う日まで~
https://www.youtube.com/watch?v=u-8R5n54toE

宇多田ヒカル/COLORS (live)
https://www.youtube.com/watch?v=tJRfFCFIGrw

宇多田ヒカル/Movin’ on without you (live)
https://www.youtube.com/watch?v=Rz6qywGRbqg
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